第2話「押入れの迷宮:取り出し一往復を0.4往復に」
朝いちばんの室温が、昨日より角のない顔で出迎えてくれた。
足裏はすぐに温まるし、布団からの離脱ダメージが-30%くらい。人は温度で人格まで変わる。朝の僕は友好的だった。
歯を磨きながら、目は押入れに釘付けだ。ふすまの木目が、地図の等高線みたいに見える。
深呼吸。ふすまを、すっ……と開ける。
【第二層:押入れの迷宮 取得ルート最適化】
・現状:寝具×4、季節家電×6、謎箱×9(未鑑定)、写真アルバム×5
・問題:取り出し一往復=平均7.2歩/腕前方保持21秒/かがみ回数3
・目標:一往復=3歩/腕保持8秒以下/かがみ回数1
・初回達成報酬:可変棚“燕返し”設計図、祖父メモの断片
“腕前方保持21秒”という言葉に、二の腕が勝手にだるくなる。
配送バイトの筋肉記憶がざわついた。二十一秒の“持ちっぱ”は地味に疲労が蓄積する。しかも押入れの底面は、敵意のある奥行きだ。半畳の闇は、物を飲み込み、腰を屈ませ、ため息を吸っていく。
まずは“謎箱×9”の鑑定。
箱その一。紙紐で十字に縛られている。解くと、古い新聞紙が花のように開き、出てきたのはガラスの浮き玉。海の緑色。軽く触れると、表面を走る薄い傷が光る。
表示が浮かぶ。
【用途:装飾/重量バランサ】
・効果:棚板の反り補正に利用可能(両端吊り下げ)
・祖父のタグ:〈海の窓〉
祖父、タグまで詩人だったのか。海の窓。押入れの闇に、海風が吹いた気がした。
箱その二。開けた瞬間、ふわっと石けんの匂い。祖母の帯留めや、片方だけのイヤリング。
その三。謎のコード類。家の歴史は、規格の変遷でできている。
床に並べていく。押入れ前の畳は、すぐに“査定の海”になった。
ここで、UIが新しい項目を出した。
【“往復”を構成する三悪】
①歩数:直線距離/障害物/方向転換角度
②姿勢:かがみ量(腰)/持ち上げ重量/腕の保持時間
③決定時間:探す秒数/迷う回数/引き出し抵抗
「悪って言い方、嫌いじゃない」
倒す相手が見えると、人は強い。僕はシャープペンを回しながら、押入れの中を測り始めた。幅、奥行き、高さ、柱の出っ張り、ふすまのレールの遊び。
祖父の道具箱から“巻尺・差金・水平器・紙やすり”を召喚。畳の端に、メモの海が広がる。
結論:押入れは“上下2段×横2間”のふりをして、実は“奥行きが3レーン”ある。
手前“日常レーン”、中段“週一レーン”、最奥“季節/記憶レーン”。
にもかかわらず、季節家電が日常レーンに鎮座、来客布団が中段にせり出し、謎箱が最奥で繁殖している。
つまり、“頻度逆転の呪い”。
「解除と再配置いきます」
僕は声に出して宣言した。誰に? たぶん、押入れの守護神に。あるいは、未来の自分に。
まずは“手前1/3”を空にする。ふすまを外し、レールの埃を拭う。
押入れ下段の床板をそろりとはずすと、奥に細い木の梁が一本走っていた。そこに祖父の鉛筆書き。
〈手前は流す。奥はためる。真ん中は渡す。〉
流す/ためる/渡す。
台所の水、町の交通、人の会話。すべてに通用する三つの動詞。
僕は頷いて、レイアウトを決めた。
日常レーン(手前):毎日触る布団・枕・部屋着。
週一レーン(中段):掃除道具・来客用タオル・非常用簡易トイレ。
季節/記憶レーン(最奥):扇風機・ヒーター・アルバム・〈海の窓〉。
次に“引き出し抵抗”を下げる。滑りやすいシートの切れ端をレールに貼り、古いプラケースの底にフェルトを貼る。
“かがみ量”は、下段の床に“仮スロープ”を設置して、手前床面を数センチ上げるだけで随分違う。中段は“前縁を下げる”。簡単な当て木で、取り出し角度が浅くなる。
【ミニ実験】
・中段箱A:前縁-12mm→腕保持 -5秒
・下段スロープ+18mm→腰かがみ角度 -14°
・ふすま外し→方向転換角度 -35°
数字が、正直だ。
問題は“最奥”。ここで登場してしまう、押入れのラスボス——季節家電コンボ。
扇風機(羽根式)×2、ヒーター×2、加湿器×1、除湿機×1。
これが“箱”でなく“六つの形”で迫ってくる。 TETRISでもこんな形は落ちてこない。
僕は深呼吸して、祖父の工具に手を伸ばす。細い杉板、古釘、L字金具。
“燕返し棚”を即席で作る。前半分が“跳ね上げ式”の可変棚。普段は水平、取り出し時だけ“燕の尾”みたいに前に返る。
これで“最奥→中段”の引き出し角度を、手品みたいに浅くできる。
仮固定して試すと、気持ちいい音でスッと滑る。
UIがぷんと鼻を鳴らしたみたいな更新を出す。
【取り出し抵抗:A→C→S(試作)】
【往復歩数:7.2歩 → 4.1歩】
【腕前方保持:21秒 → 10秒】
【かがみ回数:3 → 1】
まだ目標には届いてない。でも、**“S”**の文字が、こっそりやる気をドーピングしてくる。
押入れの奥で、カタン、と小さな音。見れば、古い桐箱の隙間に紙片。取り出すと、祖父の字。
〈迷う時間は、長生きと同じだけの重さがある。若いもんに配るなら、“迷いの短縮券”を作れ。〉
迷いの短縮券。
僕はペンを取り、押入れ前の柱に“影のラベル”を貼り出した。
ラベル表記は、“未来の自分が探す言い方”で。
×「生活雑貨」→◯「冬の首まわり全部」
×「工具」→◯「右回り用の金属たち(ドライバー・コーススレッド)」
×「思い出」→◯「笑いが出る写真(高校文化祭・父のヒゲ騒動)」
こうして“決定時間”を削る。探す秒数はゼロにできる。
最後に、押入れの床の“陰”に、LEDの細いテープライトを貼る。光は物を透かす。影が減ると、迷いも減る。
【決定時間:平均15秒 → 6秒】
【往復:4.1歩 → 3.0歩】
【腕保持:10秒 → 7秒】
【総達成率:目標比 102%】
「よし」
ふすまを戻し、軽く両手で撫でる。木肌が、薄く温かい。
そのとき、廊下から足音。
近所の小学生――上の名前しか知らない“斉藤”。いつも帰り道に、祖父の庭先で立ち話していった子。
「新さん、ただいまー、じゃなかった。おはようございます」
「おはよう。学校は?」
「二時間目からです。大雨で川の水位見に行く、じゃなくて、先生がね……」
斉藤はふすまの横で目を丸くした。「押入れ、光ってる」
「光る押入れ、かっこいいだろ」
「RPGだ。入ったらスライム出ます?」
「昨日、床下に出た。今日は“往復”倒した」
「往復?」
「往復はね、疲れる魔物なんだよ。倒すと、宿題の前に座るまでが早くなる」
「それ、強い」
彼は感心した顔で、押入れのラベルを読み上げていく。「笑いが出る写真……ふふ」
斉藤はしばらく黙り、ふいに言った。「うち、引っ越してきたばっかで、押入れ、なんか服が落ちてきて、夜こわくて」
「ふすま、重い?」
「うん。カサカサ鳴る」
「じゃあ、放課後、ふすまを“軽くする”クエスト、やるか」
「やる!」
小指で約束して、彼は走っていった。足音が、昨日より軽い。押入れが、一歩先で町に滲む。 UIの“街”タブに、うっすらグレーのアイコンが灯った気がした。
昼前、**“燕返し棚”の本施工。
下穴を開け、L字金具で仮付け、水平器でわずかな傾きを削る。金属の冷たさが指に移り、木肌の温度と混ざって、感覚が気持ちいい。
動作確認のたび、燕が尾を返すみたいに棚がふわりと前に出る。“取り出しやすさ”**は、音と手触りの芸術だ。
棚の端に、〈海の窓〉を吊った。浮き玉に午前の光が刺さって、緑が押入れの内壁にゆらめいた。小さい海が、ここにできた。
作業を終えて、ふすまを閉める。
UIが静かな祝祭を告げる。
【第二層クリア!】
・初回達成報酬:可変棚“燕返し”設計図(量産化可)
・祖父メモの断片:〈“取りに行く”と“戻る”を同じ価値にしろ。片方を“ついで”にするな。〉
・ボーナス:日常往復ストレス -35%/夕方以降の“腰のため息” -40%(推定)
夕方。配送バイトのシフトへ。
いつもの倉庫。鉄の匂い。手渡される伝票の束。
今日は妙に、**“行って戻る”の一往復が短く感じる。狭い倉庫の通路で、台車のルートを自然と最適化している自分がいた。
UIは出ない。でも、体が更新されている。
帰りにスーパーで“アルミテープ・滑り材・乾電池”などを補充。レジで「袋いりますか?」に即答できる自分に驚いた。“迷いの短縮券”**は日常の隙間にも効く。
夜、祖父の写真立ての前で緑茶。押入れから、ふわりと海の気配。
壁の時計が、静かに刻んでいる。
人が住むって、**“選ぶ回数の最適化”**なのかもしれない。
一日の“往復”から、疲れる魔物を少しずつ追い出す。
その向こうに、祖父の言う“剣”が立ち上がる。
布団を敷く。押入れが、ため息ひとつ吐かない。
寝る前に、UIが次の矢印を描いた。台所。三角動線。
シンク、コンロ、冷蔵庫。三点の距離と角度。
僕は笑って、電気を消した。
「三角を丸くしよう。料理時間、-17%いける」
――今回の成果――
往復歩数 7.2 → 3.0(-58%)
腕前方保持 21秒 → 7秒(-66%)
かがみ回数 3 → 1(-66%)
決定時間 15秒 → 6秒(-60%)
“押入れ取り出し抵抗” A→S
ドロップ:可変棚“燕返し”設計図、祖父メモ〈迷いの短縮券〉
次のクエスト候補:①台所三角ルート最適化(調理時間-17%) ②玄関泥対策(掃除時間-30%) ③ふすま軽量化(近所案件)
次回、「台所三角ルート」。包丁の移動距離、笑えるほど短くします。