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第1話「畳の下は第一層:床下ラビリンス」

 畳の目が、こちらを見ていた。

 指をかけてめくると、冷んやりした空気が、数字と一緒に立ち上がった。

 【第一層:床下ラビリンス 湿度78% 動線効率D-】


 僕は畳を静かに戻し、三秒考え、もう一度めくった。やっぱり出た。湿気78%。D-。

 しつこくもう一回めくった。やはりD-。

 世界が三回続けて同じボケをかましてくる時は、本気だ。


 祖父が亡くなって三ヶ月。取り壊し前に荷物をまとめるため、木造平屋にひとりで泊まることになった。築五十年、冬は冷え、夏は湿り、トイレのドアは気分屋。けれど台所の棚の一番上からは、いつでも祖父のチョコパイが発掘される家だった。


 畳の下にラビリンス。僕、あらたは配送バイトのシフト表よりも現実的な何かを見てしまった気がして、スマホを向けた。カメラ越しにも、表示は揺らめく。


【第一層:床下ラビリンス】

・環境:木造・低床・換気不足

・主な敵:湿気スライム、カビ胞子、基礎冷気

・推奨対策:通気改善/断湿/動線保全

・初回報酬:除湿率+10%、床表面温度+0.8℃


 推奨対策。家の床下に対して推奨してくる世界、優しいじゃん。


 畳をはね上げ、床板を持ち上げると、ぎし、と昔の悲鳴。黒い空洞が口を開く。LEDライトを差し込む。光が当たった先で、それはぷるぷると波打っていた。

 湿気スライム。色は薄い灰。よく見ると、家の埃を巻き込んでキラキラしている。かわいい。かわいいけど、靴下で踏んだら人生が終わるタイプのかわいさだ。


 僕は祖父の道具箱から、長靴、軍手、結束バンド、そして謎の棒を取り出す。棒にはマジックでこう書かれている。「家は殴るな。導け」。祖父、どんな格言だ。


 床下に潜ると、空気がまとわりつく。湿った冬の冷気は、無言で自尊心を奪う。

 表示が視界の端に浮かんだ。


【湿度78% → 目標65%】

・換気孔:東面2/8開通

・風の通り道:塞がれています(原因:古新聞/意味不明の木製ラケット)


 木製ラケット? ライトを向けると、本当にあった。年代物の卓球ラケット。祖父、床下でシングルスしてたの?

 新聞の束を取り除き、ラケットを救出する。風が、かすかに肩をなでていく。表示の数字がじり、と動いた。


【換気孔:東面3/8開通】

【湿度76%】


 効いてる。数字が動くと、人は元気になる。通知と同じで、脳に砂糖が回る。


 スライムがぬるりと迫る。攻撃方法は……もしかして、ぴたっと貼りついて熱を奪うやつ? 寒いのやめて。

 祖父の棒に結束バンドで蚊取り線香ホルダーを改造して装着、床下の端にあった古い扇風機(祖父のDIY魂に合掌)を引っ張り出し、うつ伏せのまま風を横流しにする。

 扇風機オン。風がトンネルを走り、スライムは意外にも風に弱かった。ぷるん、と震え、基礎の角へ退散。

 表示が更新される。


【風速:0.8m/s → 1.6m/s】

【湿度74%】


 この“ちょっとずつ良くなる感じ”、たまらない。RPGの序盤でスライム狩ってレベル2になるやつ。あれの生活版。


 床下の束柱の根元をチェックすると、湿りの輪。スポンジに吸わせ、乾いた木片に交換する。祖父のメモが、束柱にマスキングテープで貼ってあった。


〈床は人の足を守る剣。刃こぼれは足の痛みになる。〉


 じわっと、目頭が温かくなる。祖父の字は、いつも最後の払いがくすぐったい。


 敵はスライムだけではなかった。カビ胞子が白い霧のように柱の影に潜む。僕はマスクをきつく締め、スプレーを遠投。表示はまた更新。


【カビ活性:中 → 低】

【床表面温度:+0.2℃(推定)】


「床が暖かい」って、こんなに幸福度に直結する単語だったのか。

 配送バイトで凍える朝を何度もやり過ごした。玄関の冷気が靴から上がってきて、骨から冷えた。それが少しでもやわらぐなら、僕はスライムに頭を下げてもいい。


 床下の隅に、金属の箱。南京錠。鍵穴が懐かしいタイプ。そばにまたメモ。


〈第一層の礼物。湿気を追い払った者だけ、指で開く。〉


 えっ、指で。錠前に触れると、錆はするりとはがれ、パチン、と軽い音。中から出てきたのは、銀色の薄い板。ICカードくらいのサイズ。表面に回路のような模様。

 表示が板の上に重なった。


【設計図:薄型断熱マット[R値+1.2]】

・効果:床表面温度+1.0~1.8℃(環境依存)

・副次:足音-3dB、掃除の滑走効率+15%

・必要素材:古新聞×20、段ボール×4、アルミ蒸着シート×1


 必要素材、今この家に無限にあるやつ。祖父、時代を三周くらい先取りしてる。

 床下からはい出す。畳の部屋に新聞を広げ、段ボールを裁断し、アルミ蒸着シートを貼り合わせる。DIY動画で見たようなやり方を、数字のレシピで。

 作業の合間に、祖父の居間の柱に刻まれた身長線を見つめる。小四の僕、小さい。祖父の字で「新。ここから背が伸びる」。ほんとに伸びたのは、背じゃなくて、心の耐湿性だったのかもしれない。


 マットが完成。畳の下にするりと敷き込む。断熱マットは、床の下で静かに未来に化ける。

 表示が小さく震え、数値が跳ねた。


【断熱:+8%】

【床表面温度:+1.6℃】

【湿度:71%】


 たった1.6℃。でも、足裏が先に知っていた。じんわり、固いはずの床から“やさしさ”が滲み出す。人の暮らしにクリティカルヒットは少ない。小さなダメージが治り続けるだけだ。でも、それで充分だ。


 夕方、台所で湯をわかす。ケトルの音が、冬の空気を切り裂く尖った笛から、少し丸い音に変わった。

 祖父の急須で茶をいれる。湯気が天井に当たって消える手前、ふっと曲がるのが見える。空気の川の形が、午前とは違う。数字じゃなく、目でわかる変化。

 祖父の写真立てに湯気が映って、笑っているみたいだった。


「じいちゃん、第一層クリアしました」

 声に出してみる。バカみたい。でも、いい。

 スマホのメモに、今日の作業を記録する。配送の休憩時間にこういうメモを書いていたら、もっと早く疲れずに済んだのかな、なんて思う。


 夜、布団に入る前、玄関の気配が変わったことに気づく。冷気の刃が少し鈍い。靴を触ると、昼より冷たくない。

 表示が、今度は玄関の上に浮いた。


【玄関:冷気流入 -12%(推定)】

・原因:床下気圧差の改善

・提案:ドア下ブラシ/泥除けマットの更新


「提案まで出るの、親切だな」

 親切は、続けるとシステムになる。システムは、暮らしを軽くする剣になる。祖父の言葉が、少し理解できた気がした。


 布団に入って、足先がすぐに温まる。寝落ちのスピードが、いつもより早い。

 眠りに落ちる直前、天井の木目がゆっくりとほどけて、薄い光の線で間取り図を描いた。家が、次の階への道案内をしている。押入れの奥。第二層。

 夢の手前で、僕は苦笑した。

「押入れの迷宮ね。取り出し一往復、0.4往復にしてやるよ」


――今回の成果――

断熱 +8%(床表面温度 +1.6℃)

家事時間 -12分/日(掃除導線の改善)

騒音 -3dB(足音低減)

湿度 78% → 71%

ドロップ:薄型断熱マット[R値+1.2]、祖父のメモ「床は人の足を守る剣」

次のクエスト候補:①押入れ動線 ②玄関泥対策 ③台所三角ルート



 次回、「押入れの迷宮」。布団から出る往復回数、削ります。巧妙に。素早く。ついでに、笑えるくらい実用的に。

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