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2. 失われた記憶の断片a

 以下の記述は、三千年も記憶を保持できる、悪魔や天使にすら忘れられてしまった、遠い昔の記憶の断片である。現在を生きる我々が、現在の地球をいくら調査しても、これらの記憶について、いかなる遺跡のかけらも見つからない。

 この世界は、神が見る夢である。夢の中では、歴史の集積すら、同一性を保ち続けるとは限らない。神は自身の夢の中で、誰にも気づかれないようにそっと、古代の地層や、遺跡、いにしえの文書を、書き替えてしまうことがある。

 天使や悪魔たちの、自分でも忘れてしまった遠い昔の経験は、我々が現在の地球を調査した結果、信じている歴史とは全く異なるものであるかもしれない。



 ダイノウ(天国)。山の中の忘れられた洞窟。

 サリエルは、その中の細い道を、蝋燭一本で歩いていた。岩壁から染み出す水が流れる音。いたるところに、七色に光る透明な宝石が、逆向きにしたつららのように地面から生えていた。つららの先端は、透明な正八面体の結晶になっており、その中心が一つ一つ違う色に発光し、薄暗い洞窟の中で自分の位置を伝えている。サリエルはこの正八面体の結晶を「卵」と呼んでいた。

 彼は狭い道を抜け、ようやく比較的天井の高い、広場のような空間に到着した。立ち止まって、曲げっぱなしだった腰を伸ばし、辺りを見回そうとした矢先、サリエルが持った蝋燭に照らされた地面が、鋭く光った。見ると、落ちて割れた「卵」の破片だった。蝋燭を動かすと、二つに割れた巨大な「卵」が落ちており、中に入っていた水のおかげで、あたりは濡れている。どうやら割れたばかりらしい。さらに、この一組目の「卵」の殻の奥に、もう一つの殻があり、やはり割れたばかりのようだった。しかし奥の方の殻は、二つに割れた破片の片割れしかなく、もう片方は見当たらなかった。

 サリエルは、「卵」の中身を探すために、辺りを順番に照らした。すると、水音のする方へ蝋燭を向けた時に、オレンジ色の光が銀髪の頭を照らした。近づくと、裸の男の子が、洞窟のわずかな湧水に尻をつけてしゃがんでいた。

「これこれ、何やっとるんじゃ」

 話しかけられた男の子は、青い瞳を見開いて、首を伸ばし、こちらを向いた。

 彼に向かって屈んだサリエルは、銀髪についた「卵」の破片を見つけた。

「おまえさん、あの割れた卵から生まれたんだろ……名前は……」

 男の子は、しばらく固まった後つぶやいた。

「……ナマエ……」

「生まれてくる時、神様に呼んでもらっただろう……おまえを表す音だ……それは、どんなだたったかね」

 男の子は相手を見つめたまま、しばらく唇を様々な方向に歪ませていたが、ようやく声を絞り出した。

「……カミオ……」

「…ほう、カミオか」

「ちがう」

「じゃあ、なんだ」

 男の子はまた、唇を歪ませた。

「……カイム……」

「カイムだな」

「ちがう」

「本来、おまえの名前は神様とおまえだけのもんじゃ。他の人に完璧には伝えることはできん。気に入った似た音で妥協するしかない。カミオとカイム、どっちがいい」

 男の子は相変わらず、見開いた目でサリエルを見つめたまま、しばらく考えた。

「……皆無……」

「カイムじゃな。じゃあ、おまえはこれからカイムだ……とりあえず、湧水で尻を洗うのをやめなさい」

 立ち上がったカイムに、サリエルは自分が着ていたマントを脱いで、彼の肩にかけてやった。そして、洞窟のさらに奥を指しながら、先程から気になっていたことを聞いた。

「……ところで、あそこで半分になった卵の殻を頭から被って、膝を抱えてしゃがんでいるやつのことをおまえは知っとるか」

 カイムは、指された方を向き、直ぐに答えた。

「知らない」

 銀髪の男の子は立ち上がって、殻を被ってうずくまっているやつのところへ歩いた。そしてしばらく膝に両手をついて眺めた後、その殻に手を掛け、上に引っ張った。しかし、殻を取られそうになったそいつは、殻の端を掴んで、逆に引っ張り抵抗した。

「取れない」

 カイムが諦めてこちらを向いたので、サリエルは顔を見せないやつ向かって、洞窟に声を響かせた。

「おい、おまえ、話を聞いとったろう…おまえの名前は何だ」

「……」

「……卵の殻を取りなさい」

「……」

「おまえさん、卵の中が恋しいんじゃろう……だがなあ、一度卵の殻を出てしまった者は、もう二度と戻ることはできない。中に入っているときは、無限に広く感じるが、出てきた途端に狭すぎて戻れなくなる。卵とはそういうもんじゃ」

 呼びかけを聞いた彼は、膝を抱えてさらに縮こまり、半分の殻に全身をおさめようとした。

「諦めなさい」

 サリエルが、二人のところに行って殻に手をかけるとすぐに取れ、中から金髪で赤い目の男の子が顔を見せた。

「……おまえの名前は何だ」

「……ベリアル……」

 ベリアルは目を伏せたまま答えると、くしゃみをした。サリエルは、ベリアルにも何か着せてあげたかったが、もう何もなかった。男の子二人は、揃って再びくしゃみをした。

「おまえら、寒いか。おまえらみたいな天使や悪魔は、自分で体温を上げられるはずじゃ。自分のお腹あたりがあったかいと想像してみなさい。だんだん本当にあったかくなるから」

 二人は目を閉じて言われた通りにした。

「……」

「……」

 しかし再び、順番にくしゃみをした。

「寒い」

「寒い」

 その時、男の子二人のお腹から同時に音が鳴った。

「ああ、空腹で体をあっためるエネルギーがないんじゃな…。カイム、ベリアル、何か食べさせてやるからついてきなさい」

 二人は震えたまま、動かなかった。

「……」

「……」

「返事をしなさい」

「…あい」

「…ふぁい」

 サリエルが手招きすると、ようやく二人は歩きだした。


 こうして二人はサリエルの弟子となり、半ば一緒に暮らし始めた。と言ってもサリエルは、家を持たず、眠る時はお気に入りの山の中で、気まぐれに寝床を定め、自分を囲む霧や霞を吸い込みながらいびきをかいていた。これに付き合わせるわけにはいかないと思った彼は、生まれたばかりの二人に、山の近くの広い丘の上に立つ、朽ちかけた木の小屋を見つけてやって、そこで寝かせた。


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