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8.禁足地(及び悪魔が「宇宙の理」と呼ぶものについて)⑦

この物語の最終話

 葉子の家。

 リビングに通されたカイムとクロセルは、持参したバスケットを開けて、テーブルに料理を並べた。

「サンドイッチはバジルチキンとサーモンクリームチーズだ。この瓶はパプリカのピクルス。スコーンのジャムは、旬のいちじくにした。これは桃のゼリー……アールグレイのパウンドケーキは、日持ちするから急いで食べなくてもいい。メインの紅茶は、ヌワラエリアの水出しアイスティーだ。レモンのはちみつ漬けも持ってきた」

「ずいぶん持って来てくれたわね」

「あ、私達もこちらでご一緒にいただくつもりですので……」

「そうかい、今取り皿を持ってくるから待ってなさい。アイスティーならティーカップより、グラスの方がいいわね」

 こうして始まった、人間一人と悪魔二匹のアフタヌーンティーが半ば進んだ頃、カイムはふと思い出して自分の斜めがけバッグを開けた。

「……おまえに、わたしから特別なお見舞いを持ってきたんだ」

「一体なんだい……」

 カイムは、テーブルの真ん中にあったスコーンの皿をどけて、せんべいの大袋を置いた。

「宇宙の理だ」

「……ああ『霜の宿』……ありがとね」

 葉子はしばらくせんべいを見つめた。

「……悪いんだけど、この袋からいくつか取って、帰りにでも私の代わりに『帰らずの林』の神様に、供えてきてくれないかしら……」

 カイムは即座に答えた。

「それは、おまえの身体が戻ったら、自分で行ったほうがいい。我々では、おまえの代わりはできないんだ」

 人間は、関心したように少年の悪魔を見た。

「……言われてもみればもっともだね。神様へのお参りを他の人に任せるなんておかしいものね」

 それからせんべいの袋を取り上げると、その中に親しい人でも宿っているかのように見つめた。

「……ついつい、私がこんなに楽しく過ごしているのに、あの神様はずっと一人だと思うと、かわいそうになってね」

「あと……残念ながらあそこに祀られているのは、神様じゃない、おまえが言うところの悪霊だ」

「あの御堂の悪い伝説は私も聞いてるよ。でも、世間的に彼がなんと呼ばれていようが、私はいいのよ……」

 葉子は、アイスティーに浮かべたレモンに目を移して続けた。

「……バスの事故で家族を亡くして一人になって以来、私が孤独を少ししか感じずにすんだのは、建水さんの喫茶店と『帰らずの林』で孤独に暮らしている誰かのおかげだったのは、間違いないんだから。それが誰であろうと、私にとっては神様みたいなもんよ。人も寄り付かない小さな御堂で暮らすのは、さぞかし寂しかろう、私ぐらいは通ってあげなくちゃ。そうやって孤独な誰かを気遣うことで、私は自分の孤独も癒やしていたんだよ」

 悪魔二人は、顔を見合わせた。

「葉子は、悪魔とともに自分の孤独と向き合い続けてきたのか……孤独を知り、悪魔を必要とする人間……召喚者としての条件を満たしている……」

「これは……ちょっとしたきっかけさえあれば、悪魔召喚が起っても不思議ではないですね……」

 二人は、人間に向き直った。

「……もしも……おまえは……その悪霊がおまえのそばに来たいといったらどうする……」

「そばに来るもなにも、私は初めてあの御堂にお参りした時から、いつもあの神様と一緒にいるつもりだよ。自分の進路を決めた時も、結婚した時も、新しい命を授かった時も、また一人になってしまった時も……ずっと私に寄り添ってくれたのは、他でもない『帰らずの林』の神様だけさ……私はあの人と、人生をともに生きてきたんだよ。

 ただ……私がこの世からいなくなってしまったあとが心配だね。またあの神様は、一人になってしまう。私を引き継いで、お参りをしてもらおうにも、私には子どもがいないし……それだけが心残りだわ」

 クロセルは、部屋を見渡した。

「物理的にも……この家……広そうですし、あと一人くらい増えても十分暮らせそうですよね……」

 この家の主も、つられて部屋を見渡した。

「たしかに、一人暮らしでは持て余す広さだけど、家族の思い出があるからなかなか引っ越せなくてね……」

「……もしも……もしもの話だが、おまえが善良な悪霊となら、同居してあげてもいいと思ってくれるのであれば……次に『帰らずの林』に行った時……ためしに、ラーメンとつぶやいてくれないか……」

「ラーメン?」

「カイムさん『ラウム』ですよ……」

「ラウム? 一体なんの呪文?」(注2)



 それから六日後。葉子はカフェ・ベルメールでお茶をしに行く前に『帰らずの林』に寄った。午後三時。雑木林は相変わらず人気がない。小学校が夏休み中のため、いたずらに来る子どもの足も、ここのところは途絶えていた。彼女は差していた日傘を首と肩ではさみ、紙袋を探った。取り出したのは、二つの包みのうち、小さい方である。両方とも中身は水ようかんで、大きい方の包みは、行きつけのカフェへの手土産だった。

 セミの声。彼女は、見慣れた小さな御堂を見た。それは、夏の白くて強い日差しの中ですら、厚く茂る青葉に覆われて薄暗かった。参拝客は、階段を登ってようかんを供えると、何十年もそうしてきたように手を合わせた。手を合わせている間、しばらくは黙っていたが、やがて唇をはっきり動かして短い単語を唱えた。

 相変わらずセミの声。ふとそれに混じって「くう……」という誰かの唸り声がした。

 葉子は顔を上げて辺りを見渡した。すると少し離れた雑木林の木陰に、白い着物を着た黒髪の男がうずくまっていた。

「あんた、『帰らずの林』の神様かい?」

「……」

 男は黙ったまま、泣いているのか肩を震わせている。

「そんなところにいないで、こっちに来たらどうだい」

「……」

 男は時々嗚咽を漏らしながら、その場から動こうとしない。

 それならと葉子が、彼の方へ一歩近寄ると大きな声がした。

「こっち来ないで!」

 彼女が驚いて立ち止まると、彼は続けた。

「……俺……すごい臭いかもしれないので……一回地獄へ帰って、体を洗ってから、もう一度出直します……」



 それから一週間後のカフェ・ベルメール。

 この日、店を訪れた常連の葉子には、連れが一人いた。紺に染めた綿ちじみの浴衣を着たその男は、雑に揃えた黒髪の一部を紫に染め、金色の目をしていた。

 席についた二人は、夏摘みのアッサムティーと、ダージリンの水出し紅茶、それからパンケーキを一つと取り分け皿を頼んだ。

 注文を聞きに来たカイムは、二人を交互に見つめた。

「……葉子……本当にこれでよかったのか……追い出すなら、今のうちだぞ……」

「余計なこと、言うんじゃないよ」

 葉子の答えを待たずに、ラウムは声を上げた。

「何言ってるんだい。よかったに決まってるでしょう」

 老婦人は、目を細めて彼を見つめながら答えた。悪魔は思わずうつむいて、顔を少し赤くした。

 カウンター席からクロセルが口を挟んだ。

「あなた、葉子さんの家に居候するつもりなら、毎月、家賃と食費くらい入れたほうがいいですよ」

「おまえらに言われたくないわ」

 ゴモリーも口を挟んだ。

「髪、染めたの?」

「地獄に帰ったら、あまりにも誰も俺のこと覚えてなかったから、目立つようにイメージチェンジしたの!」

 指摘されたことで、似合っているのか急に心配になって前髪を気にしだした悪魔を見て、葉子は少し声を出して笑った。

「このカフェの人たちには、本当に感謝してるよ。お陰様で、また私に家族ができるなんて……」

 フォルカスは、三週間しゃぶっていた梅干しの種を吐き出した。

「ラウムは封印を解いてもらえて、葉子殿には新しい家族ができて、このお客の少ないカフェには、お金を落とす貴重な常連が一人増えて、今度こそ、めでたし、めでたしじゃな」

 その時、レジを確認していたマスターは、アルバイトに声をかけた。

「カイム、銀行に行って両替してきてくれない?」

「あ、カイムさん、出かけるならついでにチョコモナカアイス買ってきてください」

「わし宇治金時」


 店を出たカイムは、自分用のアイスは何にするか考えながら銀行へ向かって歩き始めた。そしてもぬけの殻になった『帰らずの林』の鳥居の前を通りかかった。

「おい」

 かすかに聞こえた見知らぬ声。同時に、背中を誰かに叩かれた感触もある。

 カイムが振り返っても、そこには誰もいなかった。








2 ラウム? 一体なんの呪文?


 本来、悪魔召喚において、実際に口に出して悪魔の名を唱えることは必須ではない。そもそも彼らの本当の名は、人間には発音できない。今回は、あとちょっとで召喚が起こりそうな場合の、引き金とするための処置である。




 

 


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