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1.悪魔を雇った日②

悪魔が間借りする部屋の様子。

いよいよ迎えたバイト初日。


悪魔vs雑誌編集者


建水は店の戸締りを終えると、カイムを二階の住居に案内した。

「ここが僕の部屋だよ」

 家主は、居候に靴を脱ぐように指示した。

「この上は物置部屋なんだけど、ベッドもあるし、そのうち片付けるからそこで寝てくれる?」

 二人は、三階へ上りドアを開けた。明かりをつけると、ベットとその枕元に出窓が一つ。右の壁際は一面棚で、いろいろな国の紅茶の空き缶が並んでいた。古くからあるブランドのヴィンテージ缶や、有名な絵画が印刷してあるのやら、本や家の形をした缶、サビが出て文字が読めなくなっているのもある。

 少年が熱心に眺めているのを横目に見ながら、建水は彼のコートをハンガーにかけてやった。

「気に入ったのでもあった? 好きなのあげるよ。それ、両親のコレクションだったんだよね。もう、二人とも亡くなっちゃったけど」

 家主は、ベッドを少し整えた。

「今日はこれで我慢して。明日シーツを洗濯するから」

「ありがとう。だが今夜は、私は徹夜だ。私が持っている日本の知識は約百年前のものだからなあ。五臓六腑(注6)にいる時は、暇にまかせて本ばっかり読んでいたから、ある程度は新しい知識もあるが。だが市中で生きるには、このままではまだ不便だ。pan cakeみたいなことがないように、一晩かけて調整しなければならない。」

「睡眠は大事だよ」

「いや、我々はそんなに寝なくて大丈夫なのだ。私は、最長で1年3ヶ月寝なかったことがある。まーあんまり暇な時は、毎日寝るが……」

「……ならいいけど」

「明日の朝には、最先端の日本人と変らない知識を持ってるはずだからな。喫茶店の業務も、完璧にこなせるだろう」

「あ……そうだ、制服……」

 建水は、男の子の服装を眺めた。

 黒とスカイブルーの一松模様の派手なシャツ。光沢のある何らかの革でできたパンツ。

「……あと、もうちょっと、普通の男の子らしい服も用意しておくよ」

 


 翌朝、カフェ・ベルメール店内。

「建水、これでいいかー?」

 臙脂色のネクタイを直しながら、悪魔が階段を降りてきたのを、建水は朝食の後片付けをしながら確認した。

「お、いいね。似合う似合う」

 次の日、喫茶店のオーナーは、新人に制服一式を貸与したのだった。カフスの白シャツに黒のスラックス、おそろいのベストと臙脂のネクタイと腰巻エプロン。

「それにしてもすごいな、ウォシュレットって!」

「朝から、もう十回くらい聞いたよ」

「ウォシュレットとドリンクバーとIT革命が、ここ百年間の日本における三大トピックだな」

「何でIT革命が最後なんだよ……髪の色もこげ茶に変えてくれたの?」

 悪魔は少し、自分の髪を撫でた。

「……ああ、なるべく喫茶店に馴染むようにな。油断するとすぐに戻るから、その時は注意してほしい」

「努力は認める……ちょっと笑ってみてほしいんだけど」

 彼は歯を見せて口角を上げた。

「ふぉうふぁ?(こうか?)」

「……その、大きくて尖ってる二本の犬歯、どうにかならない?……それから、勤務中はツノを生やさないようにね」

「しかしこれらは悪魔のチャームポイントだからなー」

「犬歯はともかく、昨日、ツノは出したり引っ込めたり、自分でしてたじゃん」

「基本的には自分でコントロールできるが、ちょっとした刺激で興奮すると、すぐ勝手に生える」

「……ま、いいか……目の色も変えらんないよね」

「無理だな。右目と左目、それぞれ別の理由で無理だ。黄色の左目は、実は私の目ではなく宝石でできているという理由で無理だ。青の右目は正真正銘、私の生体物質だが、そもそも目の色は自分じゃどうにもならん、という理由で無理だ」

「……そう……」

「よし、これで完璧だな。では、私はウエイターとして、ドアの近くに立って、お客を迎えるとしよう」

 そう言うと悪魔は、銀のお盆と日本刀を持ってドアに向かった。

「待て待て待て」

「どうした?」

「日本刀!」

「やっぱりダメか。これは大事なものだからなー。できればいつも手元に置いておきたいんだが……」

「ダメだね」

「仕方ない。奥の手を使うか……実は、前回この国にきた時も、すでにこんなもの持ち歩いてもいい感じの世相じゃなくなってて随分苦労したのだ。だから、今回は来る前に、アルファスとマルファス(注7)に改造してもらったんだ。いざというときに、コンプライアンスに引っかからないものに形を変えられるようにな」

 悪魔は柄の底を床に二回打ち付けた。二人が見守る中、刀は沈黙したままだった。

「あれ、どうするんだったかなー」

 持ち主は、今度は鞘だの鍔だの色んなところを叩いた。すると突然、刀が宙に跳ね上がり金属音を立てて床に落ちた。見ると、刀の代わりに裏蓋に蛇とヒナゲシの花が彫刻された、派手な金無垢の懐中時計があった。

「これならよかろう」

「子供の持ち物としては不自然だが、まあ許す」

 

 十時過ぎ。入り口のドアにかかった札が「open」になって約一時間後。新人は腕を組んでお盆を頭に乗せ、バランスを取りながら外の通りを睨んでいた。

「おい、ここは紅茶専門店で間違いないな」

「間違いないよ」

「ものすごくカレーの香りがするんだが」

「カレー作ってるからね」

 オーナーは、寸胴鍋のカレーをお玉でかき混ぜた。

「自分で食べるのか」

「この量、食べるわけないじゃん。ランチでカレーをやってるんだよ。紅茶を仕入れてるのインドやスリランカが多いから、香辛料も手に入りやすからね。カレーを食べに来た人が、紅茶にも興味を持ってくれるかもしれないだろ。だから、お客寄せの手段として、採算ギリギリで提供してるんだよ。

 もうすぐ近くの会社が休み時間だから、忙しくなるよ…」


 十一時半を回ると、スーツ姿の男性客の集団が一斉に入口から雪崩れ込んだ。彼らはオーナーに手を挙げて挨拶すると、あっけにとられている新人店員には目もくれず、思い思いの席についた。

 建水は悪魔を手招きして、ささやいた。

「その人たち、いつも案内しなくても勝手に自分の席に座るから、気にしなくていいよ。一応注文は聞きに行って。まー聞かなくてもカレーだけど」

 悪魔はうんうんとうなずくと、ゆっくり歩いてカウンター席を背にし、仁王立ちになった。そして、テーブル席全体に聞こえるようにどなった。

「注文はなんだ」

 一瞬沈黙。お客の視線が新人のアルバイトに集まる。

「カレー四つね」

「こっちは、二つ。一つ大盛り」

「君、新人? 高校生? ちょっと幼く見えるけど」

「いや、私は悪……」

 店主はカレーのお玉を放り出して、カウンター席につまづきながら店員と常連の間に立った。

「こいつ、親戚の子供なんですよ。今は夜間の高校に通いながら、昼間はここで働いてるんです」

「ふーん……」

 お客は、悪魔の顔立ちを仔細に見た。

「外国の子? 日本語はずいぶん上手そうだね……」

「え……あ、そう、こいつ、日本暮らしは長いんですが、母親が外国人なんですよ……父親は日本人で……母親はフランス……そう、フランス人なんです。な?」

建水が目配せをすると、バイトはうんうんと小さくうなずき、お客に向き直った。

「Je t'aime. mon Satan」

「……ふーん……」

 召喚者は悪魔の腕を掴み、引きずるようにしてカウンターの後ろに連れて行った。そして放り出したお玉でカレーを急いでかき混ぜた。

「なんとかごまかせた……とりあえず、お前の正体は黙っといてくれる? 話がわかりそうな人がいたら、ちょっとずつ話すということで……とりあえず、あの人たちはダメだな」

 カレー待ちのお客たちは、店主の横にたたずんでいる目新しい店員を横目に時間を潰していた。

「あの子見てるとさ、ロプロプ様を思い出すよね」

「うちの雑誌でも特集やったな。世界各地で目撃されている大量の鳥を使って、人を襲いまくる化け物だか妖怪だかでしょ。最近だと、日本の大正時代に、共通点のある企業の経営者に連続して起こった火災事件の原因が、当時は偶然だと報道されていたけど、実はこいつなんじゃないかって噂なんだよね。ロプロプ様の正体は、世界各地でいろんな説があって、妖刀とか、サファイア色の鳥とかいろいろ言われてるけど、その中の一つが、左右の目の色が違う銀髪の美少年っていう……」

「まー、あの子銀髪じゃないしな。そもそも、ロプロプ様がランチの注文を取りに来てくれるんだったら、こっちも取材の苦労はないわな」

 建水は、カイムに下洗いが終わった調理器具を食洗機に入れるように顎で指示した。

「あの人たち、『月刊都市伝説』の編集者さんなんだよ。世界各地の伝承や、カルト系の噂を追いかけて記事にしてる……お前の正体がわかったら、絶対いろいろ面倒なことになるし……なんか……悪魔がこんな所帯じみた感じで働いてるってわかったら、夢を壊すことになるかもしれないだろ……」

「で、あいつらは紅茶を注文することはあるのか」

「え? あるわけないじゃん。この店の創業以来一度もない」





 カレーが客席に行き渡った頃。

 ふと、一人の客がご飯粒を床に落とした。それを見た途端、新人店員はステンレスのお盆を音を立てて落とした。そしてその場に崩れ落ち、床に這いつくばって、そのご飯粒を見つめた。

「くっ……私の正体はつぐみの悪魔だ。人間に穀物を落とされると、ついばみたいという小鳥としての欲求が抑えきれない……」

 そんな彼の袖をお客の一人が引っ張った。

「ちょっと、店員さん」

 我に返った悪魔は、ご飯粒をすばやく拾って立ち上がった。そして片手でネクタイを直し、客を睨むように見た。

「なんだ」

 お客は、店員の顔をしばらく見つめた。

「……今、床から拾ったご飯、口に入れた?」

「いれれない(入れてない)」

「……モグモグしてるよね」

「しれない(してない)」

「……ま、いいや」

 お客はナプキンを取って口を拭いた。

「食後のコーヒーお願い」

 悪魔は、テーブルの伝票を取ったところで、「コーヒー」に気づいて手を止めた。

「……ここは、紅茶専門店なんだが……」

「え、いつも出してくれるよ」

 客は爪楊枝入れから、一本取った。

「紅茶なら、ランチにプラス三百円でつけられる」

「いや、コーヒーがいい」

「そんなにコーヒーがよければ出すには出すが、シルバーブレンド(インスタントコーヒーの商品名)だぞ」

「いいじゃん、おいしいやつじゃん」

「しかも一杯千円なんだが」

「知ってるよ」

 お客は、楊枝をくわえてふんぞり返った。

「一杯千円で、マスター(注8)のさじ加減で薄いかもしれないシルバーブレンドを、百円ショップのマグカップに……」

「いいよ、それで。早く持ってきてよ」

「俺、アイス」

 戻ろうとすると、別の声で背中に呼びかけられる。

 彼は、調理台の前に伝票を叩きつけるように置いた。

「おい、あいつらのがんこさはなんだ」

「いつもあんな感じだから……その前に、おまえはお客の前で自分の正体を叫ぶな」

「だが、誰も気にしている様子は無かった」

「落ちたご飯粒に動揺する、間抜けな悪魔なんて、さすがの彼らも聞いたこと無かったんだろ……」

「彼らが私に油断している隙をつき、私の呪いの力であいつらに無理やり、紅茶の美味しさを分からせてやってもいいのだが」

「それはいいや……」

 マスターは、すでに手元に用意していたインスタントコーヒーのふたを開けた。 

「……なんだかんだ言って、上客だから」

「確かにまあ、そうだな……」



6 五臓六腑


 この物語において、悪魔たちが住んでいる場所のこと。つまり地獄。

形而上学的事情により、当地における公用語は日本語である。



7 アルファスとマルファス


 手先が器用な悪魔。現在は、人間に召喚されていないため、五臓六腑の第四腑にある自宅で待機中である。色んなものを工作できる。特に、建築に才能を発揮しており、難攻不落の要塞作りから、集合住宅の換気扇の交換まで対応可能。また、巧みなノミさばきで彫刻も得意なため、悪魔界の運慶・快慶と呼ばれている。



8 マスター


あらためて指摘するまでもないが、彼は、悪魔として召喚者に対する敬意から「マスター」と言っているのではない。喫茶店の経営者の呼称として、そう言っている。



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