甥っ子の頭が悪い
姉のあかりが階段から落ちて、ケガをしてしまったらしい。入院期間は一週間。
「大丈夫? あかり」
私がお見舞に行くと、小説家志望の姉の旦那さんが居た。彼は姉の手を握りしめて、
「こんにちは、ゆりなさん。あかりは幸い、命に別状はないようです」
そう言った。姉は、「ふふふ。ドジっちゃった」と明るく笑う。腕には大きな青痣や、掠り傷が出来ていた。
手が小刻みに震えている。痛々しいなぁと思いつつ、甥っ子の方へ目をやる。彼は、姉のシーツを握りしめてこちらを睨んでいるように見えた。
「どうしたの。とうま君?」
「……ぼく。これから頭が飛び抜けて悪くなるよ」
「え?」
妙なことを言うものだ。そう思っていたら、姉の旦那が、
「とうまは昔から少し変なんですよ」
そう言って笑った。
「あかりが家に居ないと大変でしょう。家事くらいは任せて!」
「ありがとうございます。ゆりなさん」
次の日。
私は姉の家に行き、洗濯をしたり掃除機をかけたりした。姉は節約家なのかそれともずぼらなのか、ほつれた服ばかり着ているらしい。私は服を畳みながら、
(新しい服くらい買えば良いのに……)
そんなことを思った。
「ありがとう、ゆりなさん。もういいですよ」
姉の旦那さんが私に優しい声で言う。あとは自分でするそうだ。あまり強引に家事をするのも違うかと思い、帰ることにした。玄関先で甥っ子が私に突然こう言う。
「タイはおにくなんだよ」
は?
とうま君は、そこそこ頭が良い中学校に通っているはず。これは何かのクイズなのかな?
「ねぇとうま君。そういう謎かけ。流行ってるの?」
「スケトウダラはサラダなんだよ」
「えぇ……」
彼の目はどこか鋭かった。バカにしてるのだろうか。タイにスケトウダラに……魚の話?
この前言っていた『頭が悪くなる』ってこのことだったのかな?
考えていると、姉の旦那さんは、
「気にしないでください。この子は本当に変わっていますから」
そう言って、甥っ子を奥の部屋に連れて行ってしまった。
「また来てね」
甥っ子はそう言った。歓迎されてるのか、されていないのか……わからない。
(育児は大変ねぇ)
そんなことを思いながら帰宅した。夫にそのことを話したら、「からかわれてるんだろう」と一笑されてしまった。ぐぬぬ、悔しい。
翌日も姉の家に赴いた。
ほつれていた姉の服のボタンを縫いに来たのだ。姉の旦那が御手洗いに行っているとき、今度は甥っ子が走ってやって来た。やけに笑顔だ。ちょっとは好かれたのかな?
甥っ子は私に耳打ちするように言った。
「ケバブはさかななんだよ……」
んなわけあるか!
ツッコみたかったけれど、ここまで来ると、何か意図があるに違いない。タイにスケトウダラ。そしてケバブ。どれも頓珍漢な解釈がなされている。私が考えようとしたら、姉の旦那さんが御手洗いから出てきた。
甥っ子は走って自室に行ってしまう。
「……とうまは、なにか言っていましたか?」
いつもの優しい顔が、少しだけ緊張しているように見えた。直感で、さっきのケバブの話はしてはいけない気がして、「なんにも。ボタンを直すのを見ていました」とだけ答えた。
「そうですか……妙なことを言ってなかったら良いのですが」
「妙なこと?」
「いや、気にしないでください」
姉の旦那は、そう言うと早々に私を帰らせようとした。また玄関前まで甥っ子がやって来る。今度は、
「テントウムシは青いよね」
という言葉を私に掛けた。
夜。
家で夫に今日の違和感を話すと、「バカにされてるんだよ」と、ビール缶を開けながら笑いだす。なんとなくいら立って、夫に、「もー、もっと真剣に考えてよ。何かのクイズかもしれないじゃない!」と怒ってしまった。
夫は、「ひっく」と喉を鳴らしつつ、酔った頭で言葉を並べた。
「タイにスケトウダラ。ケバブにテントウムシ……全部解釈がおかしいんだもんな。頭大丈夫か?」
「大丈夫だとは思うけど、『飛び抜けて頭が悪くなる』って言ってた」
「じゃあ、意図的なんだろうなぁ」
夫は新聞紙を読みながら、「おー!」と声をあげた。
「見てみろこの番宣の縦読み、〈ハルですね〉だってさ! 粋だな!」
縦読み……?
(そうだわ!)
私は、夫の言葉をヒントに、二日間で貰ったおかしな単語を、縦に並べてみた。縦読みというのをやってみようじゃない!
タイ
スケトウダラ
ケバブ
テントウムシ
(!)
タスケテ=【助けて】
(頭が飛び抜けて……というのは、『頭文字を並べて』ってことだったのね!)
甥っ子は、何かに対して助けを求めているに違いない! そのことを夫に話す。
「でも何に対してだろう。イジメか?」
「……それなら父親やあかりに言うはず。私、心当たりがあるわ!」
姉の旦那さんだ。
甥っ子がわざわざ回りくどいメッセージを送ってきたのは、彼の存在があるからではないか。そう思ったのだ。私は明日も姉の家へ赴くことにした。
次の日。
「あれ、とうま君は?」
「寝ています」
姉の旦那はそう言って、私にハーブティを淹れてくれる。口を付けたふりをした。飲むのが怖かったから。しばらく二人で姉について会話をすることになった。
「あかりは何をしていて、階段から落ちたのですか?」
「あぁ……彼女はおっちょこちょいでね。出社前に躓いたんですよ」
「その時、あなたはどこに居たのですか?」
「……まるで尋問の様ですね」
「答えてください」
私の問いをはぐらかしてくる姉の旦那。しびれを切らした私は、とうま君に直接聞こうと考えた。
「私、とうま君と話がしたいです」
「どうして?」
「今どうしてるのかなって」
もしDVの類なら、痣や傷が体にある筈。それさえ見つけられれば通報できる。肝心なのは甥っ子が私に助けを求めてくれること。夫には念のため姉の入院先の病院に訪れてもらっている。
(念には念をってやつよ)
私が立ち上がり、甥っ子の姿を探し始めると、姉の旦那は、
「そういうのいいから。帰ってください」
と、声色を変えて私の腕を掴んだ。痛い。爪が食い込んでくる。きっと知られたくないことがあるのだろう。ここは引けない。姉や甥っ子を彼から守らなきゃ!
――――ぴろりん。
私の携帯機器のメール音が鳴った。私は、
「手を放してくれますか?」
そう言って、メールを開いた。夫からだ。
〈大変だ。お前の姉に多額の保険金かけられてるぞ!〉
(!)
メールの内容を見ていく。どうやら姉は、階段から落下した理由を夫に話していたようだ。旦那に突き飛ばされたのだという。不審に思った夫が、保険会社に問い合わせたら発覚した。
(これは保険金殺人の類だわ!)
私は携帯を鞄にしまった。姉の旦那は、問い詰めると白状するでもなくケロッとした顔で私のことを見ながら笑う。
「いいんですよ。言っても。まぁ信じてもらえるかは分かりませんがね」
「酷いわ! あかりは、夢を追って小説の公募をしているあなたを本気で好きなのに保険金殺人を企てるなんて!」
「夢にはお金が要るんですよ。あかりが死んでお金が入ったら、それで僕は満足。その次は……とうまかな?」
このクズ男!
私は、そのまま姉の家を出て直ぐに警察へ向かった。姉の旦那が、「クック」と意地悪く笑ったのを覚えている。
(必ず牢屋にぶち込んでやる!)
私には確かな自信があった。なぜなら携帯機器の録音モードで先ほどの会話を記録していたからだ。これが証拠になって、その日のうちに警察を姉の家の中に呼べた。
甥っ子には、背中と太ももに痛々しい青痣が複数あった。すべて姉の旦那がやったものだったという。
録音と痣が物的証拠となり、姉の旦那は、後日逮捕される運びとなった。
(ざまぁ見ろ!)
姉が退院した日。
とうま君は、
「ありがとう!」
そう私と夫に笑顔で言って、姉の背中を押しながら家に帰っていった。本当に賢い甥っ子だ。




