百年河清⑩
「おう、帰ってきたか。」
「お帰り、大丈夫?」
「うん、問題ない―」
弾かれた先は、うまいこと元の場所だった。もしくはローグ自身でコントロールしたのか。とりあえずは落下せずに済んだ。あれだけ飛んだり跳ねたりするのだから、屋上から落ちても無難に着地してしまうのだろうが。
「まぁ、焦んなって。じっくりいこうや。」
ガイアの助言に強張っていたローグの目つきがふと緩んだ。いつもののほほんとした感じに。
「うん、そうだね。」
どういう訳か突如イラついたローグではあったが、どうやら落ち着きが戻ったよう。ひとまずはそれで良かろう。
さて・・・と。さすがはラスボス。防御にスキなし。加えてやむことのない毒の雨。これからどんな攻撃を仕掛けてくるのやら。未だかつて竜族の攻撃が苛烈でなかった例なし。のっぺりと落ち着いている暇はないかもしれない。さぁ、くるぞ。
亡空が天に向かって雄叫びを上げつつ、その大きな翼をひとつ、ふたつ羽ばたかせた。まるで台風だ。大胆に喉という急所を晒してくれているにもかかわらず、竜がそれとなく作り上げた向かい風の前に、体を地面に固定するので精一杯、踏み出すことができない。それでも吹き飛ばされずに堪えている。ここで、どうにか対応できそうだという手応えごと灰にされそうな火炎攻撃。頭を振り下ろすとともに、亡空の口から業火が吐き出された。範囲は屋上全体。避けるとかかわすという選択肢はない。風にも乗って物凄い勢いで3人を飲み込んでしまった。真っ赤なテーブルクロスを華麗に敷くみたいに一瞬の、そして軽い出来事だった。
「スラ坊、下で待ってな。」
そう言ってローグがスライムを送り出した。亡空の吐き出した山火事のような火炎からはガイアが身を挺して皆を守った。盾を突き立て片膝立てて、炎に対して矢面に立った。現れた一枚の漆黒のベールがローグとティナも包み込み、2人はどうやら無傷のようだが、ガイアはそれなりに消耗させられた。火炎が過ぎ去るとすくりと立ち上がったが、肩で息をするまでに呼吸は乱れていた。そこでローグがスライムを屋上から逃がした。下で待ってろと。逃げろと、足手まといだと。正しい判断、的確な処置、素早い対応だった。普通のスライムには、とてもとてもついていかれる戦いではなかった。
待ち、受けは悪手。とてもじゃないが、相手の出方に合わせて反撃はできない。必然的に攻めの一択。単独攻撃ばかりだったパーティーが連携を見せる。まずはティナが前衛2人に補助魔法を掛けた。攻撃力アップと防御力アップとスピードアップ・・・天女様は何でもありのご様子。瞬時に2人のパワーアップを済ませると、そのまま次の法術の詠唱に入った。
後押しを得たローグとガイアは勇敢にラスボスへ立ち向かう。ドラゴンの顔面目掛けて一直線、と見せかけて、途中で左右に分岐した。2人で描いたT字路の先は両翼。ガイアが向かって左の翼、ローグは右。全くこの2人は大した打ち合わせもせず、性格だってまるで違うのに呼吸が同じというか、息が合うというか、きっと単細胞具合が一緒なのだろう。羨ましさを覚える。永く続いて欲しい。相棒と呼ぶそうだ。
狙いは翼。妥当だろう。崩しなくして敵を出し抜くことなどできはしない。ただし一筋縄ではいかない。ローグは翼に辿り着いたが、ガイアは途中で尻尾に弾かれてしまった。が、味方の被弾にいちいち動揺している暇はない。構うことなくローグが翼に斬りかかった。帰ってきたのはキンという金属音。通常攻撃では歯が立たない。攻撃力がアップしていても、だ。鱗の全てが銅の鎧。筋肉の全てが銀の帷子。それならばと、付け根の部分で刀を納めて半身の構えを取ったローグ。神経集中、精神統一。力の解放、技の解放―鞘が光り始めると同時に、亡空の尻尾が音を立ててローグを急襲する。しかしローグは動かない。構えを解かない。目を逸らさない、光を絶やさない。まるでその時を待っているかのように姿勢を維持していた。
ビリビリと振動だけがローグに伝わってきた。尻尾がローグに届く直前、間に割って入ったのがガイア。しっかりと盾で仲間を守ってみせた。
「行け・・・ローグ。」
訊こえない声で呟いた。黙って呼応するローグ。一太刀で亡空の左翼を真っ二つに斬ってみせた。強さの証明―互角以上に渡り合える、形勢を誰の目に見明らかなように逆転してみせた。割には不気味な静けさが雨音を強調する。雫が存在感を増す。痛みと怒りに満ちた絶叫は訊こえてこないし、血が噴き出ることもなかった。初期位置に戻った3人を何事もなかったように凝視するドラゴン、品定めでもしているようだ。その鋭い眼光に負けず劣らず睨み返す3人(主に目つきが悪いのはガイアだが)。両者譲らず、動かず、手は出さず。屋上の石畳は白から黒へ色を変えていた。
意外や意外、しばしの沈黙の後に動いたのはティナだった。仕込んでいた法術を解き放つ。すると、亡空の周辺に何体ものローグとガイアが現れた。人形か、そう認識した瞬間に体が反応できるのは若い証拠。その人形達の中に本物の2人も紛れ込んだ。対する亡空は実体を探そうとも人形を壊そうともしない。じっと視線を外さない。動かない。抵抗する素振りすらない。それならそれで好都合。人間を舐めるな―ローグが尾を斬り、ガイアが右翼を叩き潰した。これで鞭のように弾かれることはないし、台風のような突風に邪魔されることもない。致命の攻撃だった。同刻、亡空も小さな火球を吐き出していた。業火を凝縮した火球。狙いは最も非力で、最も抵抗力が低く、最も曲線的な攻撃を仕掛けてくる、最も厄介で、最も片付けやすい娘。ティナに直撃、屋上から落下していった。
「しまった!!」
ローグが身を翻してティナの救出に向かった。全力だ。ガイアの目にも止まらぬ、とんでもない瞬発力。そのローグを亡空は右腕で軽々と叩き落とし、右足で踏み付けた。力の差を見せつけるが如く、威風堂々と。思わず竜からっ離れ、間合いを取るガイア。またもや元の位置だが、今度は独り。回りには誰もいない。ローグはうつ伏せ状態でどうにか竜の足裏から逃れようとするが、◯(もがく)くことすら許されない。その体重差では、単独の脱出は難しい。動けない、ローグもガイアも・・・・・・亡空が別れの言葉を紡ぎ始めた。




