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一方、舞台の中央では、
「さぁ、次は皆の番じゃ。今宵は無礼講。存分に舞い、騒ぐが良い!」
荒い呼吸を整え、信長は一声高らかに叫んで舞台を降りていった。
変わって化け物に扮した武士達が、賑やかに囃し立て、踊りを引き継ぐ。
この夜、信長に随行する家臣の一部は趣向を凝らした面で仮装しており、平手内膳配下は赤鬼役、浅井備中守の家来は黒鬼、滝川一益が率いるは餓鬼の一団である。
そんな恐ろしげな奴等に加え、地蔵や鷲など妙な役回りもいて、挙句、武蔵坊弁慶に扮した武者が四名もいる。
更に見物の農民達が舞台へ飛び入り、でたらめな身振りで踊りだした。
最早、勢い任せの馬鹿騒ぎ。
その有り様を信長は満足げに見やり、屋敷の門手前に配した酒席へ向った。
そこでは近隣の村長らしき連中が座を占め、生駒八右衛門と艶やかな打掛姿の女が一人、接待役に相勤めている。
天女の衣装のまま、軽やかに歩み寄った信長は村長へ自ら酒を注いだ。
苛烈な武勇でなる尾張の覇者が愛想を絶やさず、扇で村長を仰ぐ真似さえ厭わぬのだから、滅多に見られぬ光景と言えよう。
その光景を遠目に、利家は眉間へ皺を寄せて溜息交じりに呟いた。
「やはり、あの方は変わられた」
「おいおい、信長様の型破りなら、毎度のことじゃろう」
「武士が、それも尾張の領主ともあろうものが百姓に気を使うなど」
「あの方がそうするからには、そうするだけの深謀をお持ちなのじゃ」
藤吉郎は、相変わらずの飄々とした口ぶりで事もなげに言い返す。
「出陣の意図をはぐらかすのも、ああやって剽げ踊りに興じて見せるのも、今川を打ち倒す為の方便と、わしは思うがの」
「ここへ来る前は俺も同じ思いだったが、藤吉郎、お主はその狙いが何処にあるや、見当がついておるか」
「わし如きが判ろうかい。判らんで結構。我が殿の御采配にどこまでも従うのみ」
藤吉郎の言葉には一切の淀みが無い。その主への信頼の強さは、利家にとっても快い友の長所に映ったが、
「変わったと言うは、殿の百姓への接し方より、むしろ」
利家が指さす方角、信長は村長から離れ、先程まで接待に勤めていた女と差し向かいで親しげに語らっている。
「俺には、あの女子の方が気になって仕方ない」
「あの御方は……お主も存じおろう。生駒殿の妹御、類様ではないか」
「ああ、名前だけは前から知っておった」
「戦で荒む殿へ寄り添い、時に御心を慰め給う御方じゃ。誇り高く、強い気質の持主であらせられる御正室・帰蝶様とでは気の休まらぬ事もあろうし、殿の様な御方には得難い側室じゃぞ」
「では聞くが、貴様は存じおるか、生駒類の名が巷で大層な噂となり、民草の間で半ば汚名と化しておる事を」
「何だと!?」
「夫を失って間もない身上でありながら、御正室から信長様を奪い、腑抜けにした毒婦だと言うのよ」
吐き捨てるように言う利家に、藤吉郎は青ざめ、息を呑んだ。
「利家、幾ら何でも不敬が過ぎるぞ。そりゃ、まさに下衆の勘繰りというもんじゃ」
「俺が、下衆かよ」
「いや、その噂を広めた輩が、な」
「では貴様、近頃、帰蝶様の御姿を清洲城で見た覚えがあるか」
「いや……元来あまり体の強うない御方ゆえ城の喧騒よりしばし離れ、何処ぞで療養中だと聞いておる」
「つまり、ずっと御正室を直接御見かけしていない訳だな」
「うむ」
「その辺りも噂の筋と相違ない。誰ぞ、城の内情を外へ漏らす奴がおるのかも」
「まさか、そんな」
言葉を濁す藤吉郎から目を逸らし、利家は信長に酒を注ぐ女……既に家中では側室筆頭の扱いを受け、清州城にも自室を持つと言う生駒類を睨んだ。
遠目にも良い女だと判る。
ふくよかでおっとりとした容貌に優しげな微笑を湛え、信長は膝枕などしてすっかり寛いでいる様だ。
長年連れ添った夫婦の如き睦まじさにも見える。しかし実際にはこの時、二人の出会いからさして長い日々を経ている訳でも無い。
織田信長と生駒類(吉乃の名でも知られる)を繋いだ契機は、これより四年前、弘治二年九月に起きた美濃国可児郡・明智城の攻防戦とされている。
当時、隣国・美濃の国主たる斎藤龍興は、織田家傍系に甘んじて不満を募らせている信長の異母兄・織田信広と密かに通じ、尾張侵攻のきっかけを伺っていた。
美濃領内にありながら信長と誼を結ぶ明智城主・明智入道は、龍興からすると実に目障りな存在に映っていたであろう。
帰蝶の実母であり、信長にとって義母にあたる小見の方は明智の出である為、前領主・道三亡き後は同城に身を置き、美濃と尾張を結ぶ架け橋の役目も果たしていた。
龍興にとって一刻も早く潰しておきたい目の上の瘤である。
三千の兵を送って強硬に攻め立てたのは、中々覚悟の定まらない信弘へ早々の謀反を促す狙いもある。
明智城は規模こそ小さいが、堅固な作りで明智入道も非力な将ではなかった。一朝一夕では落ちず、攻防は熾烈を極めていく。
当然、信長の元には援軍を要請する書状が届いたが、何故か、尾張から兵が送られる事は無かった。
兄・信弘の動きを抑え込む必要があり、美濃領内の戦いまで手の回らない状況にあるというのが信長側の弁明である。
万策尽きた明智城は陥落し、明智入道は自害した。小見の方については消息不明と伝えられるが、まず生きながらえてはいまい。
この戦いに、生駒類の夫・土田弥平次は、明智家の家臣として参戦していた。
当初は城の防衛に当たり、攻め手の乱れを誘うべく果敢に城の外へ打って出て、壮絶な最期を遂げている。
報せを聞き、類は一時取り乱し、夫の後を追おうとしたらしい。
しかし、弥平次との間には二人の男子をもうけており、思うまま死を選ぶ訳にもいかなかった。
自害を断念、子を連れて美濃領から逃げ、小折村の実家へと戻る。
その後、生駒屋敷に隠棲、暫く夫の菩提を弔う生活を送っていた類だが、そこへ信長が足繁く通う様になった。
何やら長い密談を交わした後、繰り返される弥右衛門との宴で、類は自然に接待役を引き受ける。
信長が求めるまま、夜伽に至ったのは当時ありがちな話と言えよう。
ありがちでなかったのは、信長が一夜限りの気晴らしにせず、それからも類との仲を深め続けた事である。
読んで頂き、ありがとうございます。
史上、「織田信長最愛の人」と呼ばれる事さえ有るのに不明な点が多い生駒類、興味深い人物だとは思いませんか?