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 すっかり見限られたか……最早、この場にいる必要も無いのう。


 尚も引き留めようとする藤吉郎に耳を貸さず、利家は広場を横切り、生駒屋敷から離れようとしていた。


 ずっと胸に描き、敬い続けていた信長像が揺らぎ、生涯を捧げると誓った嘗ての情熱も虚しく思えている。

 

 誰か、俺の腕を欲しがる奴でも探してみるか? そう思った時、広場の外れに立つ少女の姿が目に入った。


「前田様、御待ち下さい」


「ねね殿だったな。藤吉郎なら舞台の側におるぞ。それとも俺への文句を蒸し返しにきたか」


「いいえ、そのような……」


 戸惑うねねの背後、薄絹で半ば顔を隠した女が進み出、利家に語り掛ける。


「どうか、ねねさんを責めないで下さい。私があなた様にお会いしたいと申したのです」


 薄絹を取ると、そこに生駒類の真剣な面持ちが見えた。


「類様、か」


「はい」


「先程は御無礼を致しました。だが、某は尾張を離れる所存。最早お会いする事もありますまい」


 不愛想に会釈し、去ろうとする利家の前へ出て、類は行く手を阻んだ。


「どうぞ、御考え直しを。信長様には、あなた様のような方の助けが必要なのです」


「俺を要らぬと言うたは、信長様じゃ。それに、あの方には本来、誰の助けも要らぬ」


 利家は舞台の方を振り返り、剽げ踊りの輪の中心へ戻った主を見た。


 相変わらずの自由闊達な踊りっぷりで、少し前まで襲撃者と争い、その命を奪った動揺など感じられない。

 

 利家はしばし、その華麗な舞に魅入られていた。

 

「何と気持ちの強い方だ。今川との戦いを迷っておられると思うたが、今は微塵も感じられぬ。これからも己一人を信じ、どこまでも遮二無二突き進まれるのだろうな」


「いいえ、あの方は確かに迷っておられました」


 類は即座に言い、兄・八右衛門から聞いた事実の詳細を語る。






 それは戦略上の必要性と、部下への情のせめぎ合いであった。


 今川義元がこのまま進軍した場合、丸根、鷲津の砦を最初に攻略してくるのは間違いないが、これを見殺しにした場合、敵の油断を誘える。


 丸根、鷲津に織田家家臣の中でも古参の重鎮が詰めているのは今川方も掴んでいる筈であり、ここへ援軍を送らぬとしたら、抵抗を諦めたのでは、と敵側は考えるだろう。後に奇襲を仕掛ける際、その油断こそが勝機を導くかもしれない。


 しかし、本当に見捨てるのか?


 己を信じて砦を守る将兵を一人残らず死なせ、尚、勝ちを望むのか?


 その迷いを信長は抱え続けており、漸く気持ちは固まった様だが、それでも苦悩を拭えないままなのだと言う。


「私には、舞い踊る信長様の姿がとても悲しく見えてしまう。泣き、むせぶ様にさえ時に感じてしまうのです」


「あの方が泣くものか」


 利家は呆れた口調で言ったが、類は静かに言葉を継いだ。


「荒々しく猛る心、それに対し、おそらくは生来の細やかで優しい心根が信長様の中で常に相争っている。そう感じた事はございませんか」


 すぐには答えられなかった。猛々しい信長なら利家は良く知っている。しかし優しい側面など記憶に無い。


 いや、敢えて目をそらしてきたのかも知れない。


 つい先程知ったばかりの、藤吉郎とねねに示した温かい配慮も又、確かに信長の中に存在する一面なのであろうから。

 

「私が初めて生駒屋敷で信長様にお会いした時、ひどく荒み、憔悴しておられました。小見の方様と帰蝶様を失った心の傷が疼いていたのでしょう」


 利家は、語る生駒類の面持ちを見つめた。


 美濃部久ノ進という男の言葉が事実なら、義母と正室を死へ追いやった張本人こそ織田信長だ。


 それを知っているのか、否か?


 心の中を覗いてみたいと思った。


「あの方は、女ではなく母を望んでいるのではないかと思います。幼い頃、望んでも届かなかった情けや温もりを、今でも何処かで求めておられる」


「俺にはそうは思えん。冷たく、突き放す扱いを女子へ示し、術策の道具扱いした事も一度や二度では無い」


「確かに、胸に宿した夜叉が荒れ、朝と夕べの振る舞いが、全くの別人に思えた日もございました」


 主君の二面性なら、利家も十分知っている。


 いや、思い知らされていると言っても良かろう。大いなる矛盾の塊、それこそ利家の仕えてきた男の本質なのかも知れない。

 

「だからこそ、あの方のお気持ちに沿い、癒せるものならと努めてまいりましたが、私では役不足。到底、叶いません。望む姿を演じれば演じる程、何かがずれてしまう」


 見つめる内、美しい女の頬を涙が伝っているのに気付いた。


「利家様、先程、あなた様に睨まれた時、わかったのです。己の立身、出世ではなく、真情から信長様を慕っておられる。今川との戦を乗り越えるため、強くなればなるほど独りになっていくあの方の為、あなた様が必要なのだと」


 深く頭を下げる類の姿が、とても儚げに見える。


 信長と関わった女はみな幸薄いが、この人もいずれ陽炎の如く消えていく運命ではないのか。

 

 そんな感慨を振り捨て、利家も深く一礼を返し、外への道を歩き出した。そして広場を出る前に、もう一度だけ振り返る。

 

 独り舞う信長が遠くに見えた。猛々しく自由である反面、今にも闇に呑まれそうな、危うい舞姿……。

 

 その時、利家は心を決めた。


 たとえ織田への帰参を許されまいが今川との決戦に赴き、信長の為に戦う。その先に何があろうとも、身を焼き尽くす狂舞の辿り着く末を必ずや見届けるのだと。


読んで頂き、ありがとうございます。


生駒類という女性の事、今も調べておりまして、何時の日か長編で描いてみたいと言う願いがあります。

以前に短編で取り上げた人物には佐々木小次郎もおり、そちらも一歩踏み込んだ形を構想中ですので、どっちが先になるかわかりませんが……

良かったら、又、お読み下さい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お、おう、桶狭間の戦いまでは行かないのね。 前田利家、豊臣秀吉、織田信長も良く書かれていて、帰蝶の生存なんかもおおって思わされました。 面白かったです。
[良い点] かって、文藝春秋で、信長を、「天才か狂人か」と言う命題で論じていた事があります。この小説には、その信長の、天才と狂気を見事に描いています。流石ですね。私の尊敬する先生の筆力に脱帽致します!…
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