長い長い一日と始まり
なめしとボディの残りは……まだある。
あとは汚れないようにエプロンを着ける。
よし、仕事の始まりだ。
今回の作品は剥製。長持ちするけどエンバーミング程の美しさはないが、これの方が長持ちする。
昨日の続きだが、皮革と残しておいた骨格に鞣して、防腐処理をする。あとは元々あった内蔵に沿ってボディを詰める。外見が崩れやすいからしっかりと整える。彼女は女の子だし、綺麗に可愛くしないとこの子が可哀想だし作品にも売り物にもならない。
しっかりと丁寧に外見を整えたら完成。
僕の新しい作品が出来た。
いつものクセなのか興奮して、手が震えて、変な笑いがこみ上げて来る。我慢せずに大笑いした。
体感時間5分。笑いが収まった。
そろそろ時間的に仕事仲間のザックが来そう。
と、思っていたらチリンチリン、と玄関の鈴が鳴った。
エプロンを取って、玄関に向かう。
「よぅ、ミミ」
「ミミって呼ばないでよ…ザック」
「お前だってそうじゃねぇかよ。俺の名前はアイザックなのによ」
いつもみたいにヘラヘラと笑って。
「僕だって名前はミシェルなのにミミ、とかミッシーとか言うじゃないか」
「ま、お互い様、だろ?」
話しながらリビングへ向かう。
沸かしていたお湯をポットに入れて、紅茶を淹れる。シュガーポットから角砂糖を4つ入れて、ティースプーンで軽くかき混ぜてからザックに差し出した。
Thanks.と言って紅茶を啜る。
「いつも通り、朝からシュミをやってたのか?」
「嗚呼、勿論」
「今日やったのは男か?女か?」
「今日は女性さ。とても綺麗なブロンドカラーの」
「へぇ…。なぁ、くれないか?」
紅茶を飲んでから言った。
「え、嫌だよ。俺の作品だし」
「ケチだな…」
「お金払ってくれたら考えないこともない」
精々…100フランはほしい。
「金払えってな…。お前が買えないような機材とか代わりに買ってやってるだろ?だから…なぁ?」
友人料金で無性に、か。まぁ……礼としてやっても良いかな。
「まぁ…良いよ。いつもの礼って感じでさ。中身は要るかい」
「いや別に」
「何だよ…。中身も良いのにさ。
とりあえずまだまだ出来てないから今日はもう帰って」
「はいはい。じゃ、頼んだぞ」
紅茶を飲み終えた後、ザックは帰ってった。
ザックに渡すあの子、剥製には出来たが服と髪のセットがまだやってないんだよね。
あの子に着せる服は…赤…いや、青だ。
この子は、青のワンピースが良い。赤はトクベツな子に着せるんだ。
名も知らぬ作品となった女の子に青の清楚なワンピースと黒いパンプスを履かせる。
よし、できた。
あとは髪のセットだけ。
この子の髪は天パのミディアムショート。ちょっと髪をアップするだけが良いかも。
それで白いアネモネの造花を髪飾りに付けた。
これで、この子は立派な作品になった。
(これからザックのものになるが)
☆
作品が完成して、また作品のアイデアを得るために街に出た。
この子は欲しい、あの子は要らない…と様々な人を見ていると、路地に一人の少女が座り込んでいた。
遠くから見てもわかるBellaだ。
髪はホワイトブロンドで瞳は明るめの紫。赤のカチューシャとリボンをつけている。大体16歳くらいだろうか。それくらいの子が路地に座り込んでいた。
興味を持ったから話しかけようかな。
「ねぇ、君。一人かい?いや、一人か。何しているんだい?人待ち?」
人の良さそうな笑みを浮かべて話しかけてみた。
「うん…一人。別に何も…逃げてきた…だけ」
「逃げて…?……嗚呼」
多分おそらくこの子は…
「ね、行くとこ無いなら僕んとこ来ない?」
「…うん」
これは別に誘拐じゃない。合意の上だ。
ゆっくりと十分くらい歩いて僕の家に着いた。
アトリエは…見せないでおこう。作品は見られても良いか。
兎に角彼女を家に入れた。
「此処が僕の家さ」
玄関から見て正面には大きな振り子時計と僕の作品が飾ってある。髪の長い女性が手にフェイクリンゴを持ち、それをじっと眺めている、という姿にしている。この子は驚くかな。
「此れは…?」
「僕の作品さ。こうゆう人間の…模型で作品を作っているんだ」
「へぇ…。綺麗だね」
綺麗に見えたか…。ちょっと変わった子なんだな。まぁ、僕が言えたことじゃないが。
「玄関で立ち話もあれだし、リビング行こうか」
リビングに向かい、椅子に座らせて、僕はお茶の用意をする。
「名前、聞いてなかったね。僕はミシェル、君は?」
「名前はない。何時もおい、とかお前とか…」
やはり、この子は虐待にあってたのかな。顔ばかり見てたから気づかなかったけど、着てるエプロンワンピース、継ぎはぎだらけ。ただの貧乏かと思ったが、カチューシャはボロボロだが高そうだった。
「んー…じゃあ、僕が名前を付けてあげるよ。…………ヴァネッサとか如何かな。蝶って意味なんだけど」
「蝶…うん。ヴァネッサが良い」
「よし、じゃあ決まりだね。…あ、お湯沸かさないと」
ポットに水を入れて火にかける。ポットは五年くらい使っているから底が少し焦げている。
「君は…なんであんな路地に居たの?」
「家から、逃げてきたの…。今度は、その……」
目が凄く泳いでいる。怖かったんだろう。
「嗚呼、大丈夫。言わなくて良いよ。その…僕から言えることは、君に酷いことをしようとしてない。口で言ったことだから信用ならないかもだけど…」
「有難う。…ミシェルさんって優しいね」
「優しい?そうかな」
初めて言われたな。前にザックからは人間になり切れてない人間だと言われたのに…。
「うん。優しい。私に今優しくしている。あと…お菓子もくれようとしてくれてる」
僕が棚から出したマドレーヌを見てそう言った。
話していたら、ポットが悲鳴を上げ始めた。お湯が沸いた。
「やっとお茶にできるね」
茶葉は、アールグレイにしよう。
「アールグレイ?」
「Oui.よくわかったね。好きなの?」
「うん。お紅茶好き」
"お紅茶"…可愛い。この子、今お紅茶って言った。さっきまでニコリともしない不愛想な子だったけど、ギャップって言うのかな。それを感じた。
「…くれないの?お紅茶」
「あ、嗚呼。どうぞ。砂糖は其処だから」
ティーポットにお湯と茶葉を入れてから、百合の花が描かれているカップに注いで出す。
テーブルの中央に置いてあるシュガーポットから角砂糖を四つ出してカップの中へ。
僕はそっと彼女の前にマドレーヌを出す。
「はい。どうぞ」
「有難う」
僕も席のつき、紅茶を飲む。
成り行きで連れてきちゃったが、保護者とか来ないか心配だな。そう思い、改めて彼女の着ているものを見る。
継ぎはぎのエプロンワンピース、だいぶ汚れた木靴…。この格好だからおそらく来ないだろう。そう自分を安心させる。…僕んところ来ない?と聞いて了承を得たから一緒に暮らしても良いだろうな。そうなったらこの子の部屋と洋服、あとお風呂も用意しないとな。
☆
他愛のない話をして、お茶を終えたら長針が六を指示している。もうすぐで四時。この後は家の案内をしよう。アトリエを除いてね。
「ヴァネッサ、部屋の案内をしようか。僕の家に慣れてもらうためにね」
そう言ったらヴァネッサは目を見開いた。
「え…。住んで、良いの?」
「勿論。住んでいたところの方が良かったらね?」
そう言ったら瞳をうるうるさせて、有難うって言ってくれた。とっても、可愛い。
席を立って、まずは一階から案内しようと思って玄関へと歩き出し、ヴァネッサもついてくる。
「此処が玄関。玄関から見て右手の手前からトイレ、リビング、お風呂場。左手にはアトリエ。危ないし、壊れちゃうかもしれないから絶対、絶対に入らないでね」
ヴァネッサが不思議そうに聞いてたが、ちゃんと頷いた。
「次は二階に行こう」
階段を一歩一歩ゆっくり上がって、二階に。空いてる洋服の収納室代わりにしている部屋を彼女のへやにしようかな。
そう思って、右手側にある収納室の扉を開けて、彼女に見せる。
「はぁ…!凄い……!広いお部屋にお洋服が沢山!」
「此処を君の部屋にする予定だけど…如何かな?着たい服があるなら好きに着て良いし…」
彼女は「こんな素適なお部屋良いの?」と言いたげに喜びと驚きの目で僕を見る。
正直、僕も驚いている。全く所縁のない女の子に可愛いという感情を抱き、同居しようとしている。いつもの僕ならあり得ない。頭でも打ったのだろうか。
そう考えていたら、彼女がギュッと抱き着いてきた。
「ど、如何したんだい?」
「ミシェルさん、有難う…!」
紅茶を出した時よりもっと愛想良くて、もっと人間らしく、もっと幸せそうな顔で僕に感謝した。
"可愛い"またそう思った。
今まで、愛とかそんなものは知らなかった。お金はあっても、父や母に愛された感じを得られなかった。いや、出来なかった。そもそも、生者に何の魅力を感じなかった。
僕は死者、死体しか愛せなかった。そんなフィリアがある僕が何で———。
「あ、嗚呼…。喜んでもらえて良かったよ」
反応するのに五秒くらいかかったのかな。ちゃんと反応できた。
「この隣が客間、向かいが倉庫と僕の部屋だよ。案内はこんなもんだね。僕は自室に行くから好きに過ごして良いよ」
そう伝えて部屋から出て自室に入って、扉を閉める。
"愛おしい"
僕にはあまり縁のない感情だ。
そう思うのは作品、作品にする生者の抜け殻。
綺麗な女の子や男を見ても全く魅力を感じない。
僕は勉学も運動も出来たが、愛に関する感情、恋情持っていない欠陥品。
「そう思っていたんだけどな…」
そう口から零れた。
生まれた時から錆びていて動かなかった心の歯車が、空いていた空洞が、油をさされて動き出し埋まり始めた。
もしかすると、この感情は————。
扉が開く。ヴァネッサが顔をひょこっと出す。
「ん?如何したんだ」
「あの…お風呂入っても良い?」
「嗚呼、お湯は入ったまま使ってないから入って来なよ」
「うん。…有難う」
優しく扉を閉め、着替えを持ってお風呂に行った。
彼女の顔には先程の喜びの笑みが残っていた。
"人生って何が起きるかわからないな"
そう思い、考えるのをやめてベットに寝転んだ。
☆
「…ん」
「…さん」
「…ミシェルさん!」
呼ばれて目を覚ます。
ヴァネッサがベットの横から僕の顔を覗き込んでいる。起き上がって、髪を軽く手櫛で整えながら彼女を見る。
あの継ぎはぎだらけのエプロンワンピースから裾にレースがついた可憐な水色のワンピースに変わっていた。
「其れを選んだんだ。とっても可愛いし似合っているよ」
「えへへ、有難う」
ヴァネッサは恥ずかしそうに笑った。
「そろそろ夕食を作ろうか。お腹空いたでしょ?」
「うん。お腹空いた。…何作るの?」
「んー…ラタトゥイユを作るよ」
献立を決めて、一階へと降りて、キッチンへ向かう。
キッチンでトマト缶、人参、ピーマン、玉ねぎ、ズッキーニ、茄子、ニンニク、タイムにローリエを出して、あと塩コショウ、白ワイン、ソイソース、砂糖。此れで材料が揃った。
まずは、野菜たちを乱切りにして、深めのフライパンにオリーブオイルをひいて、ちょっと温めてから玉ねぎを入れ、軽く炒めた後に茄子を入れて炒める。…あまり水分が出なかったから、オリーブオイルが少し足りないから少し足して炒め直す。
ピーマンを入れて、トマト缶を開けて、トマトピューレを入れて混ぜる。そして、皮付きニンニクとタイムとローリエをのせて、軽く塩コショウをやって、蓋をして弱火で二十分煮る。
ヴァネッサは…窓の外から庭を眺めているようだ。
「何を見てるの?」
「百合。あの白い百合」
「百合か…。君にピッタリの花だね」
花言葉がふと思い出して、微笑んだ。
「良かったら、一輪取って来ようか?」
ヴァネッサは小さく頷いて、欲しい。と言った。リビングから庭に出て、ヤグルマギクとアイリスの間の道を進んで、十字路で左に曲がったところにある百合畑からなるべく綺麗な百合を一輪取って、リビングに戻る。
「取って来たよ」
「有難う。…甘い匂い」
「部屋に生けて置くなら花瓶を用意するよ」
と、提案していたらヴァネッサが、
百合を食べている。
「え、ちょっと何で食べて…?」
「食べても甘いかなって…でも、あんまり味がしなかった」
「え、ええと…甘いのはあまり無いと思うな。百合よりラタトゥイユ食べよ?そっちの方が美味しいし」
そう言ったら食べるのをやめてくれた。
キッチンに入って手を洗い、蓋を開けて、ローリエたちを取り除いて少し深めのシンプルな皿を出して、ラタトゥイユを溢さないように二つ持ってテーブルに持って行く。
「よし、食べよっか」
「うん。いただきます」
少し祈りを捧げてから食べ始めた。
我ながらとても美味しい。
ヴァネッサの様子も見た。とても美味しそうに食べてくれている。初めての一緒の食事、気に入ってもらえたかな。
特に会話らしい会話もなく、食事は終わり、其々部屋に戻って、僕は風呂にも入らずにその日は寝た。