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深淵の少女  作者: 高城ゆず
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経験の贈呈

 私はアンジェラ。アンジェラ・ホワード。わけあって私は今、三途の川に片足を突っ込んでいる。

 無機質な白色で覆われた長方形の空間に私はいる。床には四隅に排水溝が設けられており、中心から角に向かって緩やかな傾斜が作られていて、‘掃除’による排水が容易な構造になっているのがうかがえる。その考えを助長させるように排水溝にある金属に赤黒いものがこびり付いていた。

 身につけているレジスタンスの制服はほとんどが溶けてしまって、体に布切れが少し付いているだけだ。それに加えてインテリゲンツィアからの支給品まで溶けており、肌色の面積が増えている。しかしそれだけならまだよかった。体のいたるところが溶けて爛れており、血が滲んでいる。酷いところは皮膚の下の脂肪や筋肉まで到達しており、動かずとも激痛が走った。

 私の前で一つの大きな黄色いシャボン玉のようなものがふわふわ浮いている。その中には細胞核に似たものが入っている。これは──特異体[黄金の落とし子]だ。

 私はこの特異体から生み出されるエネルギーで装備を作ろうとしているのだ。エネルギーの生成方法は実に単純で、攻撃してダメージを与えればいいだけなのだ。だが──。

「……これは相性が悪いですね」

 ──それが上手くいかない。

「分かっていたことですが……」

 握っている得物が天井に埋め込まれている白いライトに照らされて煌めく。

 私が使っているのは短剣だからどうしても間合いを詰めなければならない。それだけならなんの問題もない。私はそれを承知の上で短剣を使っているのだから。問題はこの特異体にダメージを与えるためには本体を攻撃しなければならないことだ。その本体は──細胞核のようなものだ。

 私は踏み込んだ。握っている短剣をできるだけ長くなるように端へと持ち替えて、少しでも核が纏っている黄色い液体に触れる面積を減らそうとした。

 刃が液体を切る。そして続け様に手が、前腕が液体に触れた。瞬く間に皮膚が溶けていき、激痛が走る。それでも私は止まらない。

 剣先が核を切りつけるのと同時に私は大きく後方に跳躍して特異体の攻撃を躱した。危うく纏っている液体をかぶるところだった。

「……これ、規定のエネルギー量の生成が完了して生還できたとしても、前線に復帰できないんじゃないですかね」

 今まで意図的に視線を逸らしていたが、私の体は既にぼろ雑巾のようになっている。部位の欠損こそまだ起きていないから、インテリゲンツィアが手を尽くして治療をしてくれたら復帰できるかもしれない。しかしこれも──あくまで五体満足で生還した場合の話だ。

『アンジェラ、頑張りなさいよ。私たちはあなたを信じているわ』

 部屋に取り付けられたスピーカーから声が聞こえた。──シェリルだ。

『エネルギーの生成完了まであと少しだから。重要なのは特異体の動きをよく見ることよ』

「了解!」

 目の前でふわふわと浮遊している特異体が突然収縮したかと思えば、一気に膨張して黄色の粘液を撒き散らした。それを私はタップダンスをするかのように走って次々と軽やかに躱していった。幸いにも攻撃は単調で、この特異体自体もあまり動くことはないし、動いたとしても決して俊敏ではないのが救いだ。

 特異体がまた元の大きさに縮んでいく。

「──収縮したときなら上手く核にダメージを与えられそうですね」

 短剣を持つ手が溶けており、注意していないと得物が手から滑り落ちてしまいそうなのを必死に堪えて私は突き進んだ。

 私はぼろぼろになった手を支えるように両手を使って短剣を振り回した。収縮を誘発するように適度に手を突っ込んで核を切りつける。その度に皮膚が溶けていき、嫌な臭いが漂った。

 そしてその時は訪れる。

 特異体が収縮を始めた。その後に膨張して液体を撒き散らすことは分かっているから、それが起きる前に足りない分のエネルギーを生成しなければならない。

 上手く力が入らない手に気合で力を込めて核に向かって短剣を突き出した。剣先が刺さり、柔らかい感触が手に伝わる。それから刃を回して横に切って強引に刺さった短剣を抜いた。続けて再度、短剣を突き立てた。

 ──あと少し、あと少しでエネルギーの生成が完了する。

 状態が酷すぎてもう痛みも感じない。

 思えばここで一度退けばよかった。私は非常に強欲で、これでエネルギーの生成が完了すると思って、もう一撃を加えようとしてしまったのだ。

 剣先が核に刺さる刹那──特異体は先ほどの膨張よりも数倍の大きさに膨れ上がり、私を飲み込んだ。

 ──吸収される……! 逃げないと……逃げないと……。

 液体が体に纏わりついて離れない。もがくがまるで意味がない。手の力が抜けて握っていた短剣が手から離れる。それを特異体は異物を吐き出すように床に落とした。

『アンジェラ! アンジェラ! 精神力で対抗して! 絶対に挫けないで!』

 シェリルの声が遠くから聞こえる。

『大丈夫! 同化を選んで! あなたならできる! すべてを受け入れて! すべてを捧げて! 共有しなさい!』

 ──ああ……無理ですよ、私には。ごめんなさい、シェリル。

 全身の皮膚が少しずつ溶けていき、脂肪を、筋肉を晒す面積が増えていく。痛覚の神経を刺激し、悶絶しそうなほど強烈な痛みが走る。そしてとうとう骨まで到達した。本来見えてはいけないものが見えてしまう。

 ──ごめんなさい……お父様……お母様……私はあなた方の敵討ちはできそうにありません。

 そして意識は刈り取られた。


 次に意識が戻ったとき、そこは冥土ではなかった。病室のベッドで、私には酸素マスクが付けられて寝かされていたのだ。腕には点滴の針が刺さっており、近くに液体の入ったパックが吊るされている。不思議と痛みは感じなかった。

 私は目だけを動かして辺りを見る。しかしどこを見ても清潔感のある白だけで、人がいるようには思えなかった。

「…………」

 とりあえず私は上体を起こして体を確認する。病衣の袖や裾を上げて肌を見ると、そこにはなんの異常もなかった。肉が溶けていて骨が見えていたとはとても思えないほど綺麗な状態なのだ。

「同化が成功したんですかね……?」

 そう考えた次の瞬間、私は重大なことを思い出して病衣の上を脱いだ。腹部を触ると、なんとも言えない違和感があった。傷があるというわけではないから、完全にただの私感である。

 するとこの部屋の扉がノックされた。

『アンジェラ? 入るわよ』

 その声と同時に扉が開いた。まだ私は許可していないというのに、御構い無しに白衣を着た二人の女性が入ってきた。一人は見知ったシェリルだ。しかしもう一人の女性には見覚えがない。

 私が訝しげに知らない女性を見ると、その視線に気づいた女性が、

「私はインテリゲンツィアに所属する外科医です。今回、あなたの子宮及び卵巣、卵管の全摘出手術の主治医を務めさせていただいた者です」

 と口を開いた。その声には一切の感情がこもっていない。確かにこの職は情を持ってしまっては精神を病んでしまうだろうが、それにしたってこれはないだろう。

「……はあ……そうですか」

 特異体と同化した場合、有無を言わせずに生殖器を全摘出されるのは聞いていたが、まさか自分が同化するとは夢にも思っていなかった。

 私には子供を産む予定はないし、そもそも結婚することもないから、生殖器がないこと自体は問題ないが、それでも子宮を失ったことは少なからず精神を傷つけた。

 それからの話はよく覚えていない。女医からはホルモン剤の投与に関する説明を、シェリルからは特異体の装備及び同化による能力の一通りの説明をされたが、どこか別の世界の話のようで仕方がなかった。


 それから私は定期的に女性ホルモンを投与しながら任務を遂行することになった。

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