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深淵の少女  作者: 高城ゆず
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彼女もまた人間ではなくて 前編

 モニカの意識が覚醒した。目を開くが視界に入るのはどこもかしこも真っ黒で、辺りはまるで見えやしない。しかしその空間で立ち上がることはできた。

 顔はとても人間のものとは思えないほど白くなっていて、額には脂汗が浮いている。腹やお尻が痛くて今にも再び失神してしまいそうだった。

 それをどうにか抑え込むと、モニカは手を伸ばして辺りを調べ始めた。しかしなにかに触れた感覚はない。

 とりあえず小さく一歩進み、また手を伸ばした。そこでモニカは思い出した。自分がサーベルを持っていたということを。

「あれ、どこにいっちゃったんだろ……」

 きょろきょろと辺りを見回すが、真っ暗なこの空間では当然ながら見つかるはずもない。

「ないじゃん! ……どうしよう。っていうか、そもそもここってどこなのさ」

 モニカは頭を抱えてうずくまった。

「──えっと……確か……あの吸血鬼と繋がって……セシリアに剥がされようとしたら痛かったんだよね……」

 必死にここに至るまでの過程を思い出そうとした。

「……でも今は痛くない」

 立ち上がって自分の腹を見た。暗いからどうなっているのかは分からないが、触っても表面に痛みがないことから外傷はないことを知った。しかし内部のほうは相変わらず激痛が走っている。

 少しして急に足に鋭い痛みを感じた。

「痛っ!」

 足の裏がジンジンと痛み、モニカはなにか刺さったのかと思って患部に触れた。粘液が手に付着して不快に思った次の瞬間、そこを触れた手にも足と同じような痛みが走った。

「なにこれ──」

 モニカが手に付着した粘液の臭いを嗅ぐが、無臭だったからそれがなにかは分からなかった。しかし触れた部分の肉が溶ける吐き気を催すような臭いと血液が滲み出ていることによって鉄の臭いがしたのは感じた。

 ここが吸血鬼の異能の世界だということは理解できるが、どういう構造なのかは分からない。だからここを脱出する良い策も思い浮かばなかった。

 手も足も痛みは増すばかりでモニカの体を蝕んでいく。

「……どうすればいいのさ」

 真っ暗な空間でひとりぼっちのモニカの目には涙が浮かんでいた。声は震えて途切れ途切れに言葉を発した。

 それでもモニカは歩いて周囲がどうなっているのかを知ろうとした。すると伸ばした手がなにかに触れた。それは壁のようで、感触はヌルヌルしていて人間の体温よりも少し高い温度だった。

「……どこかのおとぎ話にあったっけ。脱出するには内部で暴れたらいいはず……」

 モニカのいつの日かの記憶が鮮明に蘇る。

 痛みに支配されたボロ雑巾のような体に力を込めて、大きく踏み込んだ。腰を捻って拳に力を乗せて壁に渾身の一撃を加えた。それだけではなく、続けて蹴りを放った。

 痛みに負けないかつ体力の続く限りモニカは打撃を加え続けた。しかし対象はぐにゃぐにゃと軟体生物のように形を変えて攻撃を吸収していく。

 そして攻撃はピタリと止んだ。まるで台風一過のように空間に静寂が訪れた。そこにいるのは肩で息をして今にも倒れてしまいそうなほど体を酷使したモニカが立っていた。手足は既に皮膚が溶けて筋肉や骨を露出するほどぼろぼろになっているが、それでも意地で倒れることはなかった。

「……私は……まだ……生きている……負けていない……だから……せめて……」

 モニカの足は鉛が付けられているのかというほど重い足取りで先ほどまで殴っていた壁に近づくと、

「……道連れにしないとね……」

 と言って壁に噛みついた。歯を立てて粘液を食いちぎると嚥下した。唇が歯が歯肉が舌が喉が焼けそうなほど熱く、激痛を感じたがモニカは諦めることなくそれを繰り返していた。

 ──モニカは驚異の悪食だった。貴族の養子だった頃も食事が満足に与えられなかったことが多かった。そういうときは残飯だろうとハエがたかっているゴミだろうと食べられるものは片っ端から食べてきたのだ。それで食中毒を引き起こしたことはない強靭な消化器の持ち主だからこそできる芸当だった。

 粘液を剥がし終えると、ようやく壁に到達した。そこはブヨブヨしていて弾力があり、ゴムのような肉だった。

「……まだまだいける」

 肉に爪を立てて繊維を切って一部を剥ぎ取ると、それを食べ始めた。噛み切るのが難しいからモニカは丸呑みをしていた。

 胃は詰められた悍ましい肉によって膨張しているのが体の外から見ても分かった。膨らんだ胃は臓器を外へと押し出そうとしており、背中は不気味に盛り上がっていた。

 それでも食べることはやめなかった。それどころか食べる速度は食べ始める前よりも格段に上がっていた。その頃にはかなり壁が凹んでいて、僅かな希望が見えた。

「……あと少しで」

 一心不乱に吸血鬼に食らいつくモニカの姿はもう人間ではなかった。人の形をした名状しがたい生命体でしかなかった。

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