砂と水の踊り子 前編
時がゆっくりと流れていく。たかだか二秒か三秒程度の時間が何倍にも引き伸ばされたようだ。
沸騰する血液のように赤い刃が水の吸血鬼の腰を薙ぎ払う。それは決して柔らかくはない吸血鬼の体を簡単に切断してしまった。
切断面から鮮血が噴き出した。一拍置いて、切り離された下半身の力が抜けて膝から崩れ落ちる。
遅れて宙に取り残された上半身も重力に逆らうことなく地に落ちた。
「……セシリアを返してよ」
声はテントの方から聞こえた。感情を押し殺しながらも殺意と憎悪が確実に込められた声。この場にいる存在は誰一人としてその声に聞き覚えはなく、声のするほうを一斉に見た。
テントの中から白くて丸々と太った鳥がひょこひょこと跳ねて出てきた。腹にある赤い模様は実体化しており、鋭利な刃を形成している。
「セシリアを返してって言ってるじゃん!」
辺りが凍りついた。ただでさえ寒い砂漠の夜が一層冷え込み、皆が雪像のように動きを止めた。
それを溶かしたのはカルヴィンだった。
「嘘でしょぉ……! なんで鳥が人の言葉を喋ってるのぉ……もう嫌なんだけどぉ……助けてぇ……神さまぁ……」
絶叫したり絶望したりと忙しい。
「ていうかさっきからさぁ……ずっとぉ……言わなかったけどぉ……吸血鬼ってなんなのぉ……? 助けてぇ……死にたくないよぉ……」
それによって現実に引き戻されたヴェロニカが非現実的な生命体を目の前にして叫ぶ。
「ただの鳥なんじゃないの? 普通よりも随分と大きくて重いとは思ったけれどね、こういう鳥もいるんだなぁ、って納得のいくものだったのに! どうして喋るの?」
「鳥が喋っちゃいけないなんてルールはないよね」
あっけらかんと言いのけたナスチャはヴェロニカの横を通り過ぎて、二体の吸血鬼の前で止まった。
「もう一回言うね」
愛らしい姿のまま怒気を含んだ声で、
「セシリアを返して」
と言って睨みつけた。
「セシリア? あの黒髪の子? へぇーあの子、セシリアって言うんですね」
上半身だけで地面に転がったままの水の吸血鬼は腕を組んでコクコクと一人で納得するように頷き、
「まあ、返してあげないんですがね。あの子は今、私のお腹の中にいるようなものですから、自力で脱出は不可能でしょう。それにただの特異体を持った鳥程度、私たちの敵ではないですから」
とナスチャを蔑むように言った。
「そう言うなら早く上半身と下半身を繋げたら? みっともないからさ」
「──ではそうしますね」
水の吸血鬼は近くに転がっている下半身を取ろうと手を伸ばした。しかしそれを掴むよりも早くナスチャの腹部の模様から先ほどと同じ刃を生み出して腕を叩き切った。
続けて下半身を原型を留めないほどズタズタに切り裂いて、
「ほら、早く治しなよ」
と深層にある悪意を滲ませて言った。
「お姉様! ──この鳥! お姉様になんてことをしてくれるの! 絶対に許さない!」
声を荒げた砂の吸血鬼が憎しみに顔を歪ませると、手を刃のようにして空を切った。同時に水の吸血鬼が異能力を発動して波を空中に生成すると、そこに上半身を沈めた。
その攻撃をナスチャは躱すことなく筋肉を硬直させ、少し後ろに重心を傾けるだけで受け止めた。
切り裂く音とともに前面を切りつけられたが、後ろまでその攻撃は届いていなかった。
放射状に血液が散る。
「それは慈悲のつもり?」
ナスチャは羽を開いてバタバタとしてやれやれと言わんばかりに砂の吸血鬼を見据えた。パックリと割れた傷は瞬く間に修復されていき、完全に元に戻った。
「それとも──切れなかったとか」
砂の吸血鬼の顔が曇る。
「図星だね。きみの能力を当ててあげよう。──ほら、ヴェロニカも聞いておいたほうがいいよ」
ナスチャはにっこりと柔和な表情で続けた。
「きみの能力は砂嵐を発生させるような単純なものじゃない。かといって風を操るわけでもない」
「じゃあなんなの?」
ヴェロニカが首を傾げた。
「それはね……特定の位置に衝撃波を発生させる、って感じのじゃないかな。そうすると今までに起きたことに辻褄が合うと思うよ」
砂の吸血鬼は唇を噛み締めてナスチャを睨んだ。しかしナスチャはまったく動じずに続けて、
「さっきモニカがカルヴィンを庇ったとき、外傷はなかったけれど、確かに攻撃は通っていたよね。かわいそうに。きっと内臓がぐちゃぐちゃに裂けているよ」
と小さくため息をついた。
「きみの攻撃は発動する瞬間と当たる瞬間に僅かにインターバルがある。その間に避ければ当たらない。だからぼくはさっき少し後ろに動いたんだよ。そうしたら案の定、きみの攻撃は途中で止まって、ぼくの体を切断するに至らなかった」
一呼吸置いて、
「──違う?」
としたり顔で言った。
「正解ですよ」
それは異能で生成した水で傷を癒していた吸血鬼の声だった。
宙に浮いている水の球体から弾き出されるように飛び出した。先ほど切断した下半身は綺麗に治っており、いつでも戦えるといった決意のこもった表情でナスチャを見据えた。
「二対二。これで平等ですね。では本番と参りましょう」
次の瞬間、ヴェロニカは拳銃を構え、ナスチャは腹部の模様を蠢かせた。
互いに発する殺気のせいで空気が凍てついた。どちらかが動けばそれに反応してこの場は一瞬で血と火薬の臭いが漂う死線となるだろう。
そして今、戦いの火蓋が切って落とされた。




