上司の務め
私の隣でアンジェラが、コンピューターの液晶画面を黙々と眺めている。私もそれを横からアンジェラの邪魔にならない程度にチラチラと見た。画面に映し出されているのは、文体の整っていない粗雑な文章だったが、これは遺書だということを思い出し、気になるのをぐっと抑えて内容を読み進めていく。
窓から日が差しているというのに部屋は地下室のように肌寒く感じられ、遺書を読み進めていくにつれてアンジェラのマウスを動かす手は震えていき、表情が石膏のように強張っていった。いつも浮かべている笑みはとっくに消えて、深層から溢れてくる感情を必死に外に出さないように抑えているように見えた。
──そりゃ恋人が死んじゃったんだもの、相当なストレスよね。さてと……今回はどうやって慰労しようかしら。
当然ながら私にとってもエスターの死は悲しい。しかしそれ以上に、ホロコースト部隊の戦力が一部失われたことのほうが悲しい。それに加えて一名が精神的な疲労によって、とてもではないが前線に出られる状況ではないのだから、途轍もなく悲しい。
エスターの遺書を読み終えたアンジェラは、ずっと堪えていた涙をポロポロとこぼした。咄嗟にハンカチで拭うも、それは止まらず、すぐにシミだらけになってしまった。それから嗚咽する声を抑えようと努力しているが、それも虚しく漏れてしまっている。
──人の死なんてものに悲しんでいる暇はないのよ、アンジェラ。死は平等に与えられるもので、何人たりとも逃れることはできないの。もちろん吸血鬼がいなければこのような結末にはならなかったかもしれないけれど、エスター・ホワイトという人間の寿命は変わらない。だから、なんらかの原因で死んでいることに違いないわ。
一瞬のうちに思ったことを今のアンジェラに伝えたかったが、それは死体蹴りに等しい悪行になってしまうから、私は喉まで出てきていたそれをぐっと呑み込んで、アンジェラを抱き寄せた。
私の腕の中でアンジェラは柄にもなく泣きじゃくっている。だから私はその背中を優しくさすって落ち着かせようと試みた。するとアンジェラは泣きながらも言葉を紡ぎ始める。
──思ったこと、感じたこと、全部を吐き出して共有すればいいのよ。そうすればきっと軽くなるわ。
「……守れ……なかっ……た……」
縋るようにアンジェラは私の白衣を引っ張った。
「……エス……ター……守れ……なかっ……た……」
「ええ、たしかにそうかもしれないわね」
「……わた……し……が……守る……って……約束……した……のに……」
「でも一度考えてみてほしいの。どうしてあなたが彼女を守らなければいけないのかしら? それが私には理解ができない。自分と市民が助かればそれでいいでしょう? 同志は目的のために命を賭して戦い、生き残った者は目的を達成すべく同志の屍を踏み越えていく。それを賢いあなたが理解していないとは到底思えないのだけれど……」
アンジェラは人を欺くことはないにせよ、非常に合理的な思考をする人間──それこそマキャベリズムのような思想に限りなく近いから、使える人間は片っ端から利用していっていた。だからこそ、このようなことを言うとは思わなかった。一瞬、アンジェラの脳に蛆虫でも湧いたのかと思うほどだ。
「……約束……した……から……だか……ら……守る……」
──蛆虫なんて湧いていない……ただ律儀なだけだったわね、これは。
「エスターと?」
肯定されると分かっているが、私は喋らせようと試しに訊ねてみた。近しい存在であるから、情が湧くのは理解できるし、愛おしいのならば守りたいという思いも芽生えるだろう。すると、
「…………違う……エスター……じゃ……ない……」
と想定外の答えが返ってきた。
「…………」
──わー、それは意外ね。だとするとアンジェラは一体誰と約束したのかしら……。
私は昔に見たアンジェラとエスターの身辺調査の内容を思い出した。どちらも身寄りのない子どもで、出身はまったく異なっているから、とてもではないが二人を仲介してまでそのような約束をする人物は思い当たらなかった。
「じゃあ誰と約束したのかしら?」
「…………言わない……内緒です」
落ち着いたようで、アンジェラは普段とほとんど変わらない心中を隠すように微笑を浮かべて言った。しかしどこか儚げで、海辺に作られた砂のお城のように簡単に壊せてしまいそうな気がした。
「………………分かったわ」
眉を下げていかにも残念そうに言うと、アンジェラは立ち上がり、
「お見苦しいところをお見せしてすみません。もう大丈夫です。コンピューターを使わせていただきありがとうございました」
と言って一礼すると、部屋を出ようとしたから、それを呼び止めて、
「少し呑みに行かない? ちなみにこれは命令ではないわ」
とジェスチャーして誘った。
「……あまり強くないですから、ほどほどにしてくださいね」
「分かってるわよ。そんな潰そうなんて酷いこと、思っていないから」
「そう言っておきながら過去に三人くらい病院送りにしたのを、私が知らないとでも思っているんですか?」
「……気をつけるわ」
──このように部下を労わるのも、上司の務めよね。これで少しでも彼女を縛っている鎖が解けたらいいのだけれど……。




