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深淵の少女  作者: 高城ゆず
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愛の需要と供給 中編

 あれ以来、わたしはむやみやたらに喧嘩して相手を病院送り、酷いときは病院を通り越して火葬場まで送るということを頻発していたが、それはなくなった。わたしは約束を守るのだ。──というより、もう二度とあのような地獄は見たくないから、自然と大人しくなった。

 しかし変わったのはそれだけではない。

 わたしはかなりの頻度で耳を掻くようになったのだ。それはふとしたときにあの日のことを思い出して、その度に身震いをしては耳の周りを飛び回る羽虫を振り払うように掻いている。

「ああ、もう! さっさと消えろよ!」

 こうして今日もわたしは耳を掻く。

「…………今から大事なことをするんだから」

 わたしは佩用している一本の剣に手を宛てがった。

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出しながら片足を引いて姿勢を低くすると、

「エスター・ホワイト、参ります!」

 と腹の底から声を出して、目の前の敵に飛びかかった。金属が擦れる音を立て、研がれた銀の刃が空間を切り裂いた。

 今日は待ちに待った特異体のエネルギーを生成する日だった。レジスタンスに入隊後、親の仇かと思うほど片っ端から吸血鬼を殺して任務を遂行していった結果、階級はすぐに上がった。その成果も相まって、アンジェラの推薦が得られたわたしは、レジスタンスに所属する者なら誰もが望む特異体の装備生成が承認されたのだ。

 正常な思考が汚染され、首から下が自分の体のはずなのに、他人のもののように感じられた。押し潰されそうな、もしも逃げられるのならば今すぐにでも逃げ出したいほどのプレッシャーをかけて、わたしの体を奪おうと特異体は能力を発動している。

 ──絶対にやってやる。何があろうと絶対に、絶対に……こんなところでくたばるわけにはいかない……!

 何十年も雨風に晒され、緑がまだらに巻きついた錆びたブリキのロボットのように動かない四肢を強引に動かして立ち向かう。筋肉には過剰な力が入り、悲鳴をあげる。

 ──戦え、戦え、戦え……!

 特異性に暴露して自我を失ったにもかかわらずわたしは立ち続けて、剣を振るう殺戮マシーンと成り果てた。


 次に自分を感じたとき、そこは病室であった。全身に無数の管を取り付けられ、体を動かすのは危ぶまれたが、そもそも脳が命令を出しても、肝心な体はうんともすんとも言わなかったため、ある意味では問題はなかった。

「…………」

 白色のなんの変哲もない天上を見つめ、眼球の乾きから瞬きをする。するとそれを見た人──アンジェラがナースコールを押した。

「おはようございます」

 柔和に笑うアンジェラに、わたしは心底鬱陶しそうに、そして訝しむような視線を向けながらも返事をしようとしたが、上手く発声することができない。くぐもった言語になっていない音を発するばかりだ。

「酸素マスクを取ってもいいですか? 多分、もうなくても問題はないでしょうし」

 わたしがコクリと頷くと、アンジェラはそれを取ってくれた。

「……おはよ、アンジェラ」

「はい、おはようございます、エスター」

「……んで、わたしって今、どういう状況? なんかいまいち記憶ができていないんだ……」

「そうですね……あなた、特異体と戦ったことは覚えていますか? ほら、エネルギー生成のために」

「ああ、うん、なんとなく……薄っすらと……剣を振るっていたことは覚えているよ。でも、どんな見た目の特異体なのか、どんな特異性を持っているのか、とかは覚えてないよ」

 そう答えると、アンジェラは口元を手で隠してうーん、と唸った。そうこうしているうちに、先ほど押したナースコールによってナースステーションから看護師がやってきた。

「意識が戻ったんですね。では医者を呼んできますので、少々お待ちください」

 わたしの顔を見るや否や看護師は踵を返した。

「これも一種の特異性なんですかね……そのようなこと、資料には書いていなかったのですが……」

 アンジェラは眉間を押さえながら小さくため息をついた。よく見れば目の下には決して濃くはないが、隈ができていた。

「まあそれはさておき、今のあなたの状況を説明しますね」

 アンジェラ曰く、わたしは同化しており、事前にあった説明の通り、生殖器官の摘出手術を終えたところとのこと。しかしわたしとしてはそのような感覚はまったくと言っていいほどなく、説明されなければきっと気づかなかっただろう。生殖器官を失ったところで、それは体内で起きたことかつ、同化による治癒能力向上によって、いまひとつ実感がわかなかった。

 この後看護師が医者を連れてきて、その医者と面談をした。アンジェラから聞き知った内容を、さらに細かく丁寧に説明された。


 暇な入院生活を終え、わたしは無事にレジスタンスへと復帰を果たした。すると早速わたしに任務が出され、それに従事するときには階級が上がっていた。できあがった真新しい特異体の装備を身につけたわたしは、アンジェラと共に本部を出発した。

 それからもずっと、わたしはアンジェラと組んで任務に従事していた。なぜこうもアンジェラと組まされるのか理由は分からないが、なんだかんだで一緒にいて気を遣うことがないから、わたしとしてはありがたかった。

 そして今回も無事に任務を遂行した。消えていく吸血鬼の死体を忌ま忌ましそうに一瞥すると、わたしはポーチからタバコを取り出して一本咥え、オイルライターで火をつける。そして煙を肺いっぱいに吸い込んで脳に幸福感を供給すると、ゆっくりと吐き出した。するとそそくさとアンジェラはわたしの風上に行き、距離を置いた。

「なあなあ、アンジェラ」

 昇る紫煙を眺めながら、大した思考もせずに言葉を発した。

「なんですか?」

「…………やっぱなんでもない」

「なんでも言ってくださいよ。だって私はあなたのパートナーなんですから」

「ぱ、パートナーって……」

「なにをそんなに驚いた顔をして……一体なにを考えているんですか? もしかして、配偶者の意味でとりましたか?」

「……だって…………あんなこと……されたら……そう勘違いしたっておかしくないだろ……」

 わたしは数日前のある出来事を思い出し、顔はもちろんのこと、耳まで真っ赤にさせた。そのことを考えるだけで唇が震え、下半身が疼き、体の芯は熱を孕んだ。それを払うようにタバコを吸う。

「ふーん……」

 普段とは一風変わった不敵な笑みを浮かべるアンジェラはつかつかと歩み寄り、わたしが咥えているタバコを奪い取ると、今度は彼女が吸い始めた。そして紫煙を吐き出しながら、わたしのポーチを漁り始め、慣れた手つきで残りのタバコを取り出した。

「うわっ、ちょっと! 返せよ!」

「未成年の喫煙は禁止されていますから、これは私が没収します」

 この国での飲酒、喫煙は十八歳以上と規定されているから、アンジェラの行動は一応間違ってはいない。だが──。

「お前だってまだ十七だろ。アウトじゃないか」

 ──何を隠そうアンジェラ・ホワードという人間は、出生時から戸籍を持っており、今年でようやく十八歳になるのだ。

「もうすぐ誕生日で十八になるんでいいんですー。子どもじゃないんですー。お胸だってちゃんと成長していますからー」

 ドヤ顔で胸を張るアンジェラに、

「そ、そこでその話はなしだろ!」

 とわたしは自分の断崖絶壁を撫でた。

「ふっふっふ……エスターはまだまだ子どもですものね。どこがとは言いませんが。『どこがとは言いませんが』」

 嫌味ったらしく繰り返して言うアンジェラに、わたしは苛立ちを隠せずにいると、

「ほら、日の出ですよ。後片付けはリストアに任せて戻りましょうか」

 とアンジェラは言ってわたしの手を掴み、そして指を絡めた──いわゆる恋人繋ぎというものをして、荷物を置いてある近くの宿泊施設へと向かう。アンジェラの細くてガラス細工のように簡単に折れてしまいそうな指にも関わらず、手は少女のものとは思えないほど無骨で冷たかった。

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