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深淵の少女  作者: 高城ゆず
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出会えたこの幸運に 後編

 あの惨状から約一ヶ月が経過した。私の怪我はとっくに完治して、いつも通り任務に従事している。いつも通り、そう、いつも通りだ。なんの変哲もない日常。夜警を行い、被害報告を受ければその地に向かって敵を討つだけだ。そのようなある日、私のところに一人の人間がやってきた。

「アンジェラ」

 私を呼び止めたその声は酷く冷たくて、人の温もりというものは一切感じられないものだった。

 振り返ると、そこには先日会ったインテリゲンツィアの唯一非武装だった職員が立っていた。非番なのだろうか、着ているのはインテリゲンツィアの制服ではなかったが、人に会う、という目的には適した、上品な灰色のパンツスーツを着こなしていた。

「はい? 私になんのようですか?」

 私は普段通りの笑みを浮かべて訊ねる。すると職員はジャケットのポケットからハンカチを取り出した。それはなにかを包んでいるようで、僅かに膨らみがあるのを見て取れた。

「……これを──」

「なんですか? それは」

 圧力をかける目的で食い入るように訊ねたが、職員は一切動揺を見せず、淡々とハンカチを手の上に乗せて、広げていった。

「…………」

 そこには一本のネックレスと五センチメートルほどの大きさのカプセルがあった。咄嗟に私は自分の鎖骨に触れたが、一ヶ月前の出来事を思い出す。

 ──あの吸血鬼に溶かされたんだ……。

「こちらで回収したエスター・ホワイトの遺品です。本来なら持ってきてはいけない規則なのですが、そちらの上司の命令で持ってきました」

「…………シェリルに言われましたか?」

「……確か、そのような名前でしたね。脅されたので、もう二度と会いたくはありません。だからこれを受け取ったことはあなたが彼女にお伝えください。私はもう二度と会いたくありませんから」

 心なしか、二度と会いたくないという部分だけはしっかりと感情がこもっているような気がした。

「分かりました。……ちなみに、どのように脅されましたか?」

 そう訊ねると職員は私から目を逸らしたが、私の無言の圧力に屈して話し始めた。

「…………わ、私は言いましたよ、これが発覚したら私はインテリゲンツィアに処分されてしまう、と。しかし彼女は、持ち出さないと今ここでクビ(物理)にすると言って仕込んでいた短刀を抜き、私の首に宛てがいました。確信しましたよ。これは頸動脈を傷つけるだけで済ませるつもりはないって。この人は首を短刀で切り落とすつもりなんだって」

 職員は頭を抱えてぶつぶつと独り言のように言った。

 ──非武装で遺品を拝借できる立場……そこそこ出世しているみたいだけれど、シェリルに目をつけられてはその道は潰えましたね、かわいそうに。

「せっかく、せっかく! 薬も使わずにここまでやってきたのに、こんなことで退職とか! ふざけんな!」

 職員は人目をはばからずに声を荒げた結果、近くを通っていくレジスタンスの部隊所属、リストア、事務員たちは例外なく、何事かと思いながら職員を一瞥してはわざとらしく視線を逸らして横を通っていった。途中、シェリルの名を聞いた者は、職員に対して同情の視線を向けていたのを見ると、やはりシェリルの頭に刺さっているネジの本数が残り少ないというのがよく分かる。

 半ば愚痴になっていた職員が言い終えたときに私の口から出たのは、

「…………ご愁傷様です」

 という一言だけだった。

「な、なんかあなたすごい他人事のような言い方しますね!」

「そ、そりゃあ……私には関係のないことですから」

 職員は私の手を取ると、

「…………まあとにかく、こちらの二点、確かにお渡ししましたからね。ちゃんと彼女に報告してくださいよ! 私の首が放物線を描かないように!」

 とハンカチに包まれていたエスターの遺品を無理やり握らせて踵を返そうとしたが、それを私が止める。

「分かりました。ところで──あなたには私が嵌めようとする悪人に見えますか?」

 すると職員は面倒くさそうに振り返り、

「見えますよ、ええ! 上司があれな時点で、部下もまともなわけないでしょうよ!」

 と力強く言い切った。

 ──私はまだ常識人の部類だと思ったんだけどなぁ……。

 私は握らされた遺品と去っていく職員の背中を交互に見てため息をついた。


 自室に戻り、私はエスターの遺品を確認した。ネックレスは私が最後にエスターに贈ったものだった。お揃いの、それもティーンエイジャーが背伸びして買う、少しだけ高級なものだ。

「……ネックレスは戦うときに邪魔だって言っていたじゃない」

 手に取れば、冷たいはずの金属が僅かに温かいような気がした。

「……素直じゃない、そんなところが私は好きだよ」

 私は自分の鎖骨辺りを指先で押し当てるように撫でた後、制服の襟近くのボタンを外し、ネックレスをつけた。金属が擦れる音がする。

「……あなたの意思は私が戦場に持っていく。ちゃんとレオンをぶちのめして、あなたの仇を必ず討ってみせるから」

 ネックレスを制服の下に隠すと、私はもう一つの遺品に視線を向けた。カプセルを手に取り、全体をくまなく確認した後、匂いを嗅いだ。犬のようにすんすんと鼻を鳴らして、これまでに嗅いだ匂いと一致するものを探した。

 目を細めて思考する。

 ──僅かに鉄の匂いと……あと……肉……? それも嫌な、できるだけ嗅ぎたくない人間が焼けたときに発する…………。

 そこで私は思い出した。帰還してからシェリルに頼まれたことで、一つまだしていないことを。

 私はすぐさま立ち上がり、カプセルをポーチにしまうや否や自室を飛び出してエスターの部屋に向かった。

 エスターの部屋に鍵はかかっておらず、ドアノブを回せば簡単に開いた。古くなった蝶番がキイと耳障りな音を発して動く。

「……お邪魔しま……す……」

 部屋は最低限のものしか置かれていなかった。備え付けの家具と、私が選んで買ってあげた私服の一式、それから替えの制服に、私が買ってあげた部屋にある唯一の本とマグカップ。

「シェリルも私にエスターの遺品整理を任せないでそちらで手配すれば済んだんじゃないですか……それもこんな少ししかないんですし…………」

 ため息をついて私は部屋に放置されたエスターの遺品を──洋服を手に取った。おもむろに私は、──決して、断じて、下心などなく──それで身を包んだ。エスターの体には少し大きい洋服をぴったりと着た私は少々躊躇いながらもベッドに潜った。

 枕に顔を埋めて肺いっぱいに空気を吸い込み、自分を慰めた。

「ごめんなさい、私のせいで……あなたを守れなくて……先に死なせてしまって……」

 罪悪感に苛まれながらも私はふしだらに頬を紅潮させて下半身に手を伸ばした。涙をこぼしながら水音を立て、息を吸う。

「最低な人間ですよね、私は。あなたの想いにはとうの昔から気付いていましたし、それを利用もしていました。それでもって回答ははぐらかして…………」

 指が締め付けられる。

「すべきことをし終えたら、すぐにそちらに向かいます。そのときちゃんと、誠心誠意謝罪しますから、今はどうか許してほしいです」

 吐く息は熱っぽく、艶やかであった。

 体は熱を孕み、下半身は堕落してとろけていき、いつしか窓から差す光は赤くなっていた。

「…………はぁ」

 目を覚まして下半身の妙な冷たさの不快感に眉をひそめながらも私は立ち上がり、ベッドのシーツを剥がした。それと枕、それからエスターの持ち物のすべてをどうにか両手で抱えると、私は自室に戻った。

 持ち帰ったものを適当に自分のベッドの上に置くと、私はポーチからカプセルを取り出し、再度眺めた。

「一体なんですかね、これは……」

 真中に一本の溝が入っており、私はそこに爪を立ててこじ開けようと試みた。

 体液が溝に染みた挙句凝固したせいでなかなか開かなかったが、それでも諦めずに力を加え続けていると、ようやく開いた。

「おおっと!」

 勢いよく開いたカプセルからは真空のパックに詰められた一枚のメモリーカードが出てきた。それはなんの変哲もないメモリーカードで、穴が開くほど注視しても、新たな発見は得られないのは容易に想像できた。

「……新手の遺書でしょうか、これは?」

 私はコートの模様の菱形から特異体の武器である短剣を手に取ると、中のメモリーカードを損傷しないように真空パックを切って取り出した。

 兎にも角にもこの中身を見るにはコンピューターが必須であるから、私はメモリーカードを持って自室を飛び出し、シェリルの執務室へと向かった。

「シェリル、入りますよ」

 私が執務室の扉を叩くと、間髪入れずに、

『どうぞー』

 というなんとも間の抜けた言い方でシェリルが返事した。

「失礼します。シェリル、少々コンピューターを貸してもらえないでしょうか? どうしても閲覧したいものがありますので……」

 私は用件を伝えながらポーチにしまっていたメモリーカードを親指と人差し指でつまんでシェリルに見せた。するとシェリルはほぅ、と言ってから少しの間を置いて、

「…………私にも見せてくれるならいいわよ」

 と条件を提示してきた。

「……分かりました。しかし──」

「──あなた宛だったら見ないわよ」

 私の言葉を遮ってシェリルが言った。目を閉じて、やれやれと言わんばかりに微笑を浮かべている。

「はい、どうぞ。破壊しないように使いなさいよ」

「私を誰だと思っているんですか? 彼女ではないんですから、ブルーからブラックのコンボは決めませんよ」

「…………その話はタブーよ。思い出させないでちょうだい」

「ふふ、すみません」

 口元を手で覆い隠してクスクスと笑うと、私は借りたコンピューターにメモリーカードを専用のアダプタに差し込んだ。

「さてさて、一体エスターはどのようなことを遺しているのでしょうかね」

 心中に土足で踏み入るような気がして僅かに罪悪感を覚えたが、その反面、禁忌を犯すことに対しての名状しがたい背徳によって、いくばくかの高揚感が得られ、胸が躍った。

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