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深淵の少女  作者: 高城ゆず
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第六のセフィラ戦 後編

 叫ぶセシリアに気を取られたが、気がつけばわたしの体に切断されていた下半身が宛てがわれていた。脚に赤色の触手が絡みつき、切断面に押し当てられている。

「ナスチャ……!」

「急いで! 早く体をくっつけてよ! セシリアはちょー弱いの! よわよわのよわなの! ティファレトと一対一なんてすぐに負けちゃうの! だから早くくっつけて復帰してよね!」

「……あ、ああ、分かった!」

 わたしの体は見る見るうちにくっついていく。切断面同士の細胞が修復されながら互いを繋ぎとめていく。

 距離が離れていても耳をつんざくほどのティファレトが叫ぶ声がした。

「どけェ! どけよォセシリアァ! せっかく戦力を削いだってのにィ! また振り出しに戻るじゃないかァ!」

「たとえ僕の命が失われようとも! エスターを復帰させる!」

「異能力──」

 セシリアは腹部から青い触手をさらに出してティファレトの顔面を捕らえて首を折りにかかった。

「絶対に妨害はさせない!」

 セシリアが力を加える。次の瞬間、

「……まァいいやァ」

 というティファレトの声とともにグキッという折れる音がした。しかしそこでセシリアは攻撃をやめなかったために頭部がもげた。胴体と離れ離れになった頭は重力に従って床に転がる。一拍置いてティファレトの体が崩れ落ちてうつ伏せに倒れ込んだ。

「……やったか?」

 ようやく体がくっついたわたしは双剣を手に取り、セシリアのところに駆けつけた。

「セシリア、今ならまだ間に合う。解除するからな」

 そう言ってわたしはポケットから一本の注射を取り出した。心ここに在らずと言った具合に立ち尽くしているセシリアの首に迷いなくその注射を刺した。刹那、セシリアは口から赤い泡を吹いて脱力し、わたしの腕の中に倒れ込んだ。

「…………はぁ、わたしがいながらここまでさせてしまうとは……ごめんな、セシリア」

 わたしはその場にセシリアをそっと寝かせ、ナスチャに容態が安定するまで見ているように告げると、振り返った。

「はははァ、君は復活しちゃったけどォ、セシリアはこれでしばらくは動けないからァ、仕切り直しだねェ」

 とどこからともなくティファレトの声がした。

「俺は割と慎重な部類の人間だからァ、多少の手間がかかっても確実に殺すよォ」

「なにが慎重な部類の人間だ、お前は吸血鬼だろ」

 わたしは虚空に対して言う。

「えっ……ツッコむところそこォ? まァいいやァ、とにかく君を殺さないことにはどうしようもないからねェ。セシリアを殺すのはァ、それからにしてあげるよォ」

 わたしは双剣を構えた。神経を集中させてティファレトの気配を探る。しかしそれらしきものを感じ取ることはできなかった。

 ──どこだ……? そこに転がってる死体ではないのは分かる……本体をどこに逃がしたんだ……?

 双剣を握る手にジワリと汗が滲む。脈が高まり、緊張から吐き気がやってくる。先ほどの断面の修復に力を使ったせいで精神も擦り切れて今にも気が触れそうだった。

「俺がどこにいるかァ、分からないようだねェ。いいよォ、俺は優しいしィ、今はとても気分が良いからァ、教えてあげるねェ」

 ティファレトの言葉が途切れる。その代わりに周囲に転がっている瀕死状態の観客たちがゾンビのようにゆっくりと立ち上がった。観客の中には骨が見えていたり、臓腑をこぼしたりしている者もおり、とてもではないが動ける状態ではないのは明白だった。

 観客の一人が口を開く。

「セシリアと戦っているときに俺の体の細胞の一部を観客らに侵入させておいたんだァ。これも俺の異能力の一つでェ、侵入されると操れるようになるんだよねェ。……まァ、厳密に言えば操ると言うよりもォ、侵入した体が俺の体になるって感じかなァ?」

「……なんてことを…………」

 また別の観客が、

「侵入した人間の体を内側から食ってェ、食ってェ、食ってェ、俺の細胞を増やすんだァ。そしてェある程度成長したらァ、また元の姿に戻るだけェ。そうしたらより強くなった俺のできあがりィ。いいねェ、我ながら素晴らしい異能力だと思うよォ」

 と言った。

「……今すぐその人たちの中から出ていけ」

「いやだなァ、今出ていったら俺は死んじゃうんだよォ? そんな自滅行為をするわけがないじゃないかァ」

「…………」

 背中を嫌な汗が伝う。

「まァでも? 俺の細胞はまだまだ成長できていないからァ、今なら俺に侵されているこの子たちを殺せばァ、俺の細胞も死ぬかなァ?」

「…………」

 ──こいつを殺すには観客も殺さなければならない。しかしそれは絶対にしてはいけない……なにか良い方法はないものか……。

「…………」

「いいよォ、いっぱい考えればァ。いっぱい考えてェ、納得する答えを出すといいさァ。まァでもォ……その選択をするときが遅すぎないといいのだけれどもねェ」

 ──こいつはまだ元の状態には戻れない。そして観客たちに入っているのがそれぞれ独立していると仮定すれば上手くいくか……? しかし彼女には期待できないから後がない……。

「…………」

 ──考えても無駄だ。成長しきる前に行動しろ。このまま待っていたって状況は好転しない。セシリアの復帰は絶望的だし、アンジェラも難しい。ナスチャと組んだってできて延命程度だなんだ。

 そしてわたしは祈った。すると‘それ’は深層より這いずり出て、今度こそわたしの体の支配を奪取した。

 ──もう戻れないが、仕方がない。これで皆を……アンジェラを助けられるのなら……。

 脳を侵食し、四肢の末端が麻痺したように感覚を失い、それが体の芯へと伝播していった。

「へェ、なにをする──」

 観客たちの顔が一気に青ざめ、一斉にわたしを押さえようと飛びかかってきた。それぞれがわたしを絶命させようと寄ってたかって首を狙ってくる。

 体はわたしの意思では動かなくなったが、本能がそれを破って掴みかかってきた観客を蹴り飛ばしていった。それも最悪の場合は生涯足を引きずることになる程度の損傷だけで、極力致命傷にならないように威力を調節した。

 ──あと少し、あと少しで完全に同化できる……。

 そこでわたしの意識は途切れた。


 悲鳴が響き渡る。鼓膜が破れそうなほどの大音声だ。しかし僕の体表には膜が張ってあるような感じがして、こちらには届かず、どこか別の次元で発生しているような気がした。それに加えて体は非常に重たいように感じられた挙句、猛烈な倦怠感を覚えているせいで目を開けるのは億劫に思えて、そのまま目を閉じたままもう一度意識を手放した。

 それから間もなく地面が揺れ、轟音がした。

 一体なにがあったのかと気にはなかったが、上体を起こすことはできなかった。だから目だけを動かして周囲の状況を探り出した。

 ──おいおい、一体今はどうなっているんだよ……。

 そこは劇場ではなく、一般的な家の様相を呈しており、そこに所狭しと数えるのも億劫なほど多くの人間が倒れていた。その近くでエスターがへたり込んで俯いている。それを抱きしめては子どものようにわんわんと声を上げて泣いているアンジェラがいた。そのアンジェラの体はあちこちが溶けて皮膚がただれており、見るも無残な状態であった。

 ──異能力の空間から解放された……? だとしたら倒したのか……? ああ、ダメだ……なにも思い出せない……。

 僕の記憶は、冷たい水の中に閉じ込められていたところで終わっていた。それ以降のことはまるで映像の編集のように切り取られており、少しも思い出すことはできなかった。

 目をパチパチさせてしばらく思考していると、ナスチャが僕の腹に乗ってきた。

「起きたんだね、よかった。おはよう」

「……ん? ああ、ナスチャか。おはよう。ところで今、どういう状況か教えてくれないか?」

「あー……うん、えっとね……」


 エスターは膝から崩れ落ち、首から胸にかけてを掻きむしった。爪を立て、力の制御ができていないせいで既にそこは血にまみれ、制服に染みを作っていた。口角からは涎を垂らし、瞳孔は開ききっていて、過呼吸を引き起こしていた。その姿は薬物を乱用した哀れな人間の成れの果てそのものだった。

「「「クソがァ! クソがぁぁぁァァ!」」」

 エスターに蹴り飛ばされても何度も何度も起き上がっていた観客たちが絶叫しながらひざまずいて、エスターを拝み始めた。

「「「途中まで上手くいってぇぇぇェェ! いたじゃないかぁぁぁァァ! それなのにぃぃィィィ! クソがぁぁぁァァ!」」」

「「「ホロコーストぉぉぉォォ! ふざけんなぁぁぁァァ!」」」

「「「こんなぁぁぁァァ! ことがぁぁぁァァ! あってたまるかぁぁぁァァ! 俺はぁぁぁァァ! まだやらなければぁぁぁァァ! ならないんだぁぁぁァァ!」」」

「「「もっとぉぉぉォォ! 美しくぅぅぅゥゥ! いなければぁぁぁァァ! ならないのにぃぃぃィィ!」」」

「「「お前がぁぁぁァァ! お前がぁぁぁァァ! 邪魔するからなぁぁぁァァ!」」」

 観客の体表から黒い煙が上がり、やがて空に消えた。


 そして静寂が訪れる。

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