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深淵の少女  作者: 高城ゆず
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第六のセフィラ戦 中編

「なーんちゃってェ」

 甲高い音が響いた。それとは対照的な鈍い音が纏わりつくように近くを漂い、間もなく消えた。

「あ、あぁ……! ああぁぁぁ……!」

 わたしの中にあるバケツに溜められた苦痛はかろうじて表面張力をもってして溢れずにいたが、それも限界を迎えた。ティファレトの一撃はそこにさらに滴下したようなもので、とうとう苦痛が溢れ出た。その結果──。

 ──まずい……早く体をくっつけないと……。

 わたしの体はみぞおちの辺りを境に、ティファレトのチェーンソーによって真っ二つにされ、切断面からドクドクと鮮血を噴き出させている。

 ──いくら同化しているからって……この出血量だと持って一分だ……。

 即座に残された上半身のわたしは近くに転がっている下半身に近づこうと、脳から両腕に命令した。できれば味わいたくなかった激痛に喘ぎながらも腕は命令通りに動き、芋虫と相違ない速度で動き出した。

 またしても嫌な笑みを浮かべながらティファレトは、

「うわァ、これはこれは痛そうだねェ。かわいそうにィ」

 と言語情報と非言語情報の乖離が著しい様子で言った。

「……誰……が……やった……と……思って……いる……んだ……」

 憎悪に顔を歪めて吐き捨てるように言ったわたしは、どうにか転がっている下半身に辿り着き、手を伸ばした。

 ──断面をぎゅって押し当てる……断面をぎゅって押し当てる……断面をぎゅって押し当てる……。

 これから行うことを反芻して自分のほうに寄せようと下半身に引っかけた指に力を入れ、いざ持ってこようとすると、

「おっと、そうはさせないよォ」

 とティファレトが妨害にとわたしの下半身をサッカーボールのように蹴り飛ばした。挙句──。

「痛い! 痛い! 離して!」

「んーっとォ……それは無理なお願いかなァ? 君にはこのまま出欠多量でお亡くなりになるまで離さないよォ、残念だしィ、かわいそうだけれどもォ」

 わたしは髪の毛をティファレトに掴まれて、彼の目線の高さまで持ち上げられたのだ。断面からは常に多量の鮮血が噴き出していたが、それは重力に従ってさらに増加していく。

 ──あ、あぁ……どうしよう……能力を使ったらなんとかなるか……? いや、ダメだ。能力が効いていたら、今頃こんなことにはなっていない……。じゃあ限界を超える……? そうしたら……こいつを葬って……皆を助けられる……けれど……。

「むむぅ……なかなかしぶといねェ、君もォ。もうとっくに失血死してもおかしくない量を垂れ流してるって気づいているのォ?」

 ティファレトは薄っすらと青筋を立てながら僅かに怒気を含んだ声で言った。しかし顔面には気味が悪いほどの笑みが貼りついたまま剥がれない。

 ──迷っている場合じゃない! どうせわたしの結末は決まっているのなら、多くの人を助けるべきだ!

 そっと目を閉じてわたしは祈った。

 ──もう誰一人だって失いたくない! お願いです! わたしに救済する力を与えてください!

 祈れば脳の奥深くがじんわりと熱を孕み、わたしから体のコントロール権を奪い取ろうと“それ”は動き出した。

「おい、ティファレト、死ぬ覚悟はできたか? 神への祈りは済んだか? 済んでいないのなら、とっておきの信仰すべき神を教えてやるよ」

 わたしは不敵に笑った次の瞬間、

「──チッ」

 とティファレトが舌打ちしたかと思えば、わたしを下半身が転がっているところとは異なる方向に放り投げた。次の瞬間、ティファレトの髪を掴んでいた手は末端からばらばらに崩れて消えていった。それは手だけでは収まらず、上腕にまで及び、そこでようやく止まった。そしてほぼ同時に彼の片足にも同様の事象が発生し、バランスを崩してその場に倒れ込んだ。

「あーあァ……それは聞いてないんだけどォ……」

 ティファレトは残った手で額を押さえて大きなため息をつく。

 刹那、空間にとてつもなく大きな振動が訪れた。空間の端が先ほどのティファレトの手足の崩壊と同じく崩れていくのと同時に暗くなっていき、やがてなにも見えなくなった。

 ──なんだ、一体なにがあったんだ……? 死んだ? んなわけない。こんなにも嫌な臭いがするんだ、ティファレトは生きている。……あぁ、でももうダメかな……下半身は見当たらない……それに血液の生産が追いつかないや……。……はぁ……思考が回らない……死ぬのか……案外死ぬのってあっけないんだな……。

 わたしが生きるのを諦めてそっと目を閉じた。しかし閉じた瞼に光が当たるのを感じてゆっくりと目を開けた。

 ──おいおい……向こう側ってのはもっと良いものなんじゃないのか?

 わたしのぼんやりとした視界には見覚えのある劇場が写っていた。一つ異なる点と言えば、最初に見たときにはなかったグロテスクさがあった。座席は破壊され、ところどころに鮮やかな桃色の肉片がくっついていたのだ。それに加えて、あちらこちらで瀕死の観客が転がっており、恐怖や苦痛に対して怯えたり唸り声を上げたりしている。

 ──元の空間に戻ってきた……? いや、この空間自体が異能力で作られているから厳密に言えば間違っている……いや、今はそのようなことはどうでもいい。

「それはないよォ……さすがに酷すぎるってェ、これはァ。俺はまだ一人も食えていないのにィ……」

 ぼろぼろと崩壊していた手足を完治させたティファレトがゆらゆらと気だるそうに立ち上がり、静かに言った。その視線はわたしに対して向けられてはおらず、別のところを恨めしそうに睨んでいた。しかしわたしのいる位置からは席があるせいで、そこになにがあるのかは視認できない。

「……まァいい。一人はもうすぐ死ぬしィ、そのお仲間さんも今すぐ復帰はできないだろうからァ。それにィ……そっちの鳥だってそうさァ。蒸し焼きになっているだろォ?」

 ティファレトは片足を引いて構えた。

「君ィ、今なら許してあげてもいいよォ。俺は今、とても気分が悪いんだァ。だからさァ、君が歯向かってきちゃうとォ、手加減せずにサンドバッグにしてェ、きっとものすごーく痛くてェ苦しい思いをさせてしまうだろうからァ」

「──答えはノーだ。僕の目的はお前を切ることだけだ」

 セシリアの声がした。しかしそこに感情はなく、プログラムされた機械のような人間特有の温かさのない、酷く冷えたものだった。

「僕はレジスタンスとしてお前を切る。容赦はしない。一欠片の慈悲も与えない。死をもって償え」

 刹那、空間を満たす空気が重く冷たくなった。

「うわァ……なんかァ、本気モードって感じがするねェ。……でも無駄だよォ。所詮は人間なんだからさァ。吸血鬼には敵わないんだよォ……」

 ティファレトが小さく息を吐く。目を細めて口角を上げて笑った。薄い唇の隙間から鋭い八重歯が覗いた。

 次の瞬間、空気が激しく振動した。

「ははァ! やるねェ、君ィ! 成長してるねェ!」

 ティファレトの拳とセシリアのクレイモアが衝突する。

 ──セシリア……!

 セシリアがティファレトに接近したことで彼女の姿が見えた。それは人としての形状こそ保ってはいるが、体のいたるところの血管が青黒く浮き出ており、血走った目は焦点が合っていないという異様な姿をしていた。獰猛に肩で息をするそれはまさしく狂気と形容するほかない。

 クレイモアと拳のぶつかる音が空間を満たす。その間、ティファレトは今すぐにでも電源を切ってやりたくなるほどよく喋るが、セシリアはうんともすんとも言わなかった。

「…………」

 互いの強大な力を交えつつ、二人はわたしのいる位置から少しずつ遠ざかっていく。

「ねェねェ、どうやって君は俺の首を切るのォ? 今のところ全部防がれているよォ?」

「…………」

「寂しいなァ、話しかけても無視されるってェ」

「……ナスチャ! やれ!」

 セシリアが叫んだかと思えば急に動きを止めた。

「ん?」

 ティファレトが首を傾げたとき、二人のいるところの床から青色の触手が無数に飛び出してティファレトに巻きついて表面から侵食していった。

「うわァ、これは気色が悪いねェ。しかも体内で細かく枝分かれしているせいでなかなか抜けないしィ……」

「ナスチャ! 急いで!」

 セシリアが叫んだ。

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