魅力的なのは 中編
──暗転。
吸血鬼特有の嫌な臭いがわたしの鼻腔を抜けていった。
わたしはすかさず立ち上がり、二本の白く輝く剣を抜いて構えた。真っ暗闇にもかかわらず、わたしの得物は白光していて、とてもよく見える。
ゆっくりと呼吸して感覚を働かせて周囲の状況を把握する。自分の鼓動以外の音は聞こえないが、相変わらず吸血鬼の臭気は漂っていた。それに加えてプニプニと柔らかい、名状しがたい感触が足から伝わる。
──なんだ、この気色悪いプニプニ感は……!
「セシリア! 構えろ! 襲撃だ!」
わたしは声を荒げて警告するが、返事がない。
「おい、セシリア! 答えろ! 無視するな! 命令に背くな!」
シェリルに言われたことを思い出す。
──精神に作用する異能。
「……違うな。そんなものがわたしに効くわけがないだろう」
──だとしたらこれは一体、なんなんだよ……吸血鬼の臭いはするのに……距離が掴めない……どこにいるのか分からない……。
思考をしていた次の瞬間、周囲が明るくなり、視覚から情報が流れ込んできた。
「…………な、なんだ……これ……」
双剣を握る手に汗が滲む。体内に手を突っ込まれて鷲掴みにされたように心臓がキュッと縮み上がって全身に巡らせる血液が沸騰したかと思えば、急激に冷やされ、末端の感覚が薄れていった。
緊張感がわたしを包み込んでから締め上げた。
震える手に過剰なほど力を入れて緊張を掻き消すと、一度大きく息を吸い込んだ。全身くまなく酸素が回り、幾分か落ち着きを取り戻し、現実を見た。
わたしがいるのは、粘膜のようなピンク色でプニプニしていて、体内を連想させる非常に悍ましい空間だった。空間はそこそこの広さを保っているが、消化器官の類のようにところどころに膨らみがあったり、狭まっていたりして常に形状を変えている。それに加えて、触手のようなものがうねうねと
「…………助けないと……」
気味の悪い異能力で作られた空間にわたし一人が閉じ込められているのならまだしも、そこには他の観客もいたのだ。しかも揃いも揃って触手に捕らえられて、酷い場合は壁や床、天井と融合しかかっていた。
顔だけ表面に出ている人間の苦痛と絶望の混じったそれはわたしの精神を蝕んでいく。
「…………」
大きく息を吐き、再度双剣を握る手に力を込めると、肉食獣のように体勢を低くして踏み込んだ。
弾丸のようにすさまじい速度で飛んで、観客を捕らえている触手を連続的に切りつけた。次々と触手を切断していき、観客たちは床に転がった。
しかし救出したのもつかの間、触手はすぐさま再生して再び観客めがけて飛んできて、絡め取っていく。
「ああ、もう! 再生早すぎ!」
わたしはそう嘆くと、効率よく切りつけられるように双剣を持ち替えて、もう一度同じことをした。幸いにも触手は柔らかく、切りつければ簡単に切断できた。
しかしやはり触手は即座に再生し、観客を捕らえることを諦めなかった。
──これにも効くのか……?
周囲を見て、この空間のおおよその大きさを把握した。
──とりあえず試してみる価値はあるな。
わたしは双剣を地面に突き刺して、手を大きく広げた。
「神の子よ──崇拝されし神の子よ、今ここで救済したまえ!」
次の瞬間、触手は一斉に動きを止めたかと思えば、重力が何倍にも増したかのように床に叩きつけられた。
──よし、効いた!
わたしの能力は自分を中心とした半径十メートル以内に存在する生命体に対して効果を発揮する。空間は目測では発動条件をギリギリ満たすかどうかの広さだから、壁近くまで力が及ぶかは分からない。しかしないよりはマシだというのは確かだ。それに加えて、わたしの能力が吸血鬼の異能力で生み出された触手を生命体と認識してくれなければ、そもそもどうにもならなかっただろう。
──しかし……どうしたものか……あの融合しかかっている人たちも助けないといけないのに……。
まだ融合していない観客への時間稼ぎはできているが、既に壁と一体化しているほうにはなにもできていない。このままではなにもできずにそのまま完全に融合してしまうのを、指を咥えて見ているしかない。
「……やらないと」
わたしは床に突き刺した双剣を引き抜くと、一度目を閉じて恐怖を鎮めようとゆっくりと呼吸をし、前傾姿勢になって構えた。
「……もう誰も死なせない」
呪文のように唱えると、白光する刃に力を込めて踏み込んだ。
床が軋み、わたしの体は恐ろしいほど速い速度で宙を舞った。まるで細胞のひとつひとつを壊すかのように細かく壁を傷つけていき、捕らえられた観客たちを壁から剥がしていった。
次々と解放された観客が床に転がった。しかし転がるばかりで起き上がる者はいなかった。
「大丈夫か! 無事な者は返事をしろ!」
わたしは吠えるように訊ねるが、誰一人として答えない。──それもそうだ。解放された観客は揃いも揃って体の表面の肉が溶けていたからだ。中には白いものが見えている者もいて、とても無事には見えなかった。
「…………」
──どうしよう。助けないと。
わたしの心臓は今にも死神に握り潰されそうだった。いくら普段からこのようなものを見ているからと言って、悍ましいものを目の当たりにすることに変わりはない。しかもそれがここに至るまでにいくつも重なってきたから、わたしの理性のバケツに満たされた液体は今にも溢れ出てしまいそうだった。
──ダメだ、全員は助けられない……でも……わたしがなんとかしないと……皆死んじゃう……。
自身の主導権を恐怖と勇気が奪い合う血みどろの争いを繰り広げる中、わたしはその場で呆然と立ち尽くしていた。
──どうしよう……どうしよう……どうしよう……。
次の瞬間、あるものがわたしの視界に入った。それを認識した途端、恐怖心は跡形もなく消え去り、わたしの体は動いていた。
「さっさと解放しろぉぉぉ!」
咆哮にも似た声を上げ、わたしは奥の壁を切りつけた。




