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深淵の少女  作者: 高城ゆず
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少女誘拐事件 中編

「本当にこの地区で合っているんですか、エスター?」

 僕は困惑したように眉間にしわを寄せ、頭に乗るナスチャを撫でながらエスターを見た。それもそのはず、昼頃に現地に到着した僕たちは腹ごしらえもほどほどに早五時間、街を歩いては市民の片っ端から聞き込みをしているが、未だに有力な情報が得られずに疲労だけが蓄積していくからだ。

「……合っている」

 エスターは吐き捨てるように言った。彼女のただでさえ血色の悪い白磁のような肌からは血の気が引いて青白くなっていて、精神的に余裕がないのが見て取れた。

「そうですか、それならいいです」

 僕は歩幅を狭めると、エスターの数歩後ろを歩いた。

 ──始めて会ったときからそうだけれど、エスターはアンジェラと仲が良いからなあ……だから心配になるのも無理ないか。それに……ホロコーストが梃子摺るって相当強い吸血鬼だよなあ……もしかして、セフィラか? それも中層以上の……もしもそれが合っていたら、僕にはどうすることもできないじゃないか……。

 色々と思考していると、前を歩くエスターが足を止めた。僕はそれに気がつかず、エスターにぶつかった。

「──痛い……なんで急に止まるん……です……か……?」

 エスターの発する気配が変わった。ただでさえ重く近寄りがたい雰囲気がさらに悪化していて、纏う空気は酷く冷え切っていた。

「エスター?」

 呼んだが、エスターは返事をしない。だから僕は彼女から、彼女の視線の先に目を向けた。

 そこには深くフードを被った、僕と同じくらいの年齢の少女が立っていた。腰ほどまでの丈のポンチョのようなコートを羽織り、ふんわりと広がる豪奢なレースがあしらわれたスカートの裾からは人形のように細く白い足が覗いていた。

「……どうぞ」

 少女がポツリと言う。手には二枚の紙切れが握られており、その内の一枚をぶっきらぼうにエスターに渡していた。それから僕にも押しつけるように手渡す。

「はあ……どうも……」

 いきなり渡されたこれが一体なんなのか分からないから、なんとも言えない表情で歯切れが悪そうに礼を言って受け取った。

 渡し終えるや否や少女は踵を返し、脱兎の如くこの場を去った。

「なんだよ、これ」

 少女が路地に入っていくのを確認した僕は渡された紙切れを眺める。それは真ん中に点線が入っており、二、三度折り曲げたら簡単にちぎれそうな作りになっている。それから紙切れに印刷された文字を読むと、これが演劇のチケットだということが判明した。

「──もしかしてこれが件の劇場のやつですか?」

 僕は思い出す。着いて早々にこの地区の観光案内所に足を運んで開催中のイベントの情報を調べたが、演劇の類いは一切なかったことを。

 ──これが正解っぽいな。

 持っているチケットを再度眺めて開催場所を確認する。そこにはこの地区にある閑静な住宅街の番地が書かれていた。

 ──待て待て、この住所ってどう考えても普通の住宅街だよな。しかも小一時間前に聞き込みに行ったところだった気がする……そのときに簡易的な劇場と思しきテントなんて設営されていなかったぞ。

 考えたが、答えは見つからなさそうだから、僕は諦めてエスターに指示を仰ごうと視線を彼女に向ける。

「……エスター?」

 僕は恐る恐る名を呼ぶ。なぜならエスターはどす黒く暴虐の限りを尽くすであろう殺気を噴出させ、青筋を立てていたからだった。

「…………」

 なにも言わない。その代わりにギリギリと歯を軋ませ、腰にある白く輝く双剣に手を宛てがっていた。

「……行こう、そろそろ上演時刻だ」

 チケットを握りしめて一人でエスターは歩き出した。

 慌ててそれを僕は追いかける。


 チケットに書かれた住所を目指して歩いている最中、僕たちは一言も交わさなかった。作戦会議をしようにも、情報が少なすぎるせいでなにもできない。しかしそもそもエスターの発する殺気に僕は気圧されており、話しかけることは疎か、呼吸をすること自体が困難だったから、ある意味では問題ないだろう。

 ──アンジェラの身の危険があるから、エスターも気が気じゃないのは分かるが……。

 少し前の事件を思い出す。それは対特異体訓練をエスターにしてもらっていたときのことだ。彼女にある、なんらかの地雷を踏み抜いたせいで、彼女は能力を暴走させ、僕は死にかけた。

 ──頼むから暴走は勘弁してくれよ。もうあんな目には遭いたくないんだ。

 心の中で呟くと、ナスチャはそれを聞き取ったように僕の頭の上でもぞもぞと動いては羽を広げて、僕の側頭部を撫でるように動かした。

「…………」

 視線を上に向け、ナスチャに心中で礼を言う。するとナスチャは鳥にもかかわらず心底意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 ──お前のナッツにタバスコかけてやろうか。

 そう思いながら睨むと、ナスチャはバタバタと羽ばたかせて僕の顔面を叩いた。

 ──僕の心が読めるのかよ。

 するとナ今度は非常に癪に障るしたり顔をしてみせた。

 ──変なことを考えるのはやめよう……こいつに寝ている間に顔面にうんこされたらたまらないからな。

 ナスチャは満足げにコクコクと頷いて羽を畳んだ。

 そうこうしている内に僕たちは会場に到着した。なんの変哲も無い住宅で、とても演劇が見られるような建物には思えなかった。

 ──こんなところで本当にやっているのかよ。……ましてや吸血鬼なんて……気配はしないじゃないか。

 僕の態度とは対照的に、

「……絶対に助け出してみせる」

 とエスターは感情を抑えながらも怒気の混じった声で静かに言い、踏み出した。扉がゆっくりと開かれる。

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