与えられたから、与えよう 前編
私はよく後輩の頭を撫でる。年下はもちろん、年上の人でも、その人が頑張ったのであれば頭を撫でる。するとその人たちは決まって困惑した表情で、『ヴィクトリア、どうしたんですか?』と訊く。しかし私はなぜそれをするのかはよく分からない。強いて言えば、今までそうされてきたから、そうするまでだ。
私はあの人──ミルドレッドに頭を撫でてもらうのが好きだった。三度の飯より好きだった。砂糖が大量に使用されたスイーツよりも好きだった。
ミルドレッドは私が頑張ったら褒めて頭を撫でてくれた。それはたとえ結果が伴っていなくとも、だ。
『大切なのは結果だけではないよ。──もちろん、結果を出すことができれば最高だけれど、その過程だって重要だよ』
私はこのミルドレッドの言葉が好きだ。幼少期──まだ両親が生きていた平穏な生活を思い出せるからだ。似たような言葉を母はよく言ってくれた。私が母の手伝いをしたもののうまく行かなくてケーキを黒焦げにしてしまったときや、掃除をしていて箒で窓ガラスを叩き割ってしまったときなどに、だ。
だから私は感傷にひたるためにもミルドレッドを好いている。それは出会った直後から彼女が任務の最中に命を落とすまで、そして今もずっと、この思いは変わらない。
私は心の中で涙を流す。それは心の器を徐々に満たしていき、とうとう溢れ出た。感情のダムが決壊し、私は膝から崩れ落ちる。
そよ風が手に持っている花束を揺らし、香りを漂わせた。
「……ミルドレッド……私は……頑張れて……いますか……?」
人気のない家の広い庭の片隅に設置された墓石にすがりついて言葉を漏らした。
「……私は……あなたの……ように……なれて……いますか……?」
答えは返ってこない。
「……今は……まだ……戦果を……あげられていない……だけれど……いつか……きっと……いつか……あなたの……ように……なって……みせます……だから──」
私はゴクリと喉を鳴らして唾液を飲み込んで一拍置く。
「──そのときは……たくさん……褒めて……ください……頭を……撫でて……ください……それはもう……頭皮が……輝いてしまう……くらいに……」
私は持っていた花束を置くと、そっと立ち上がってその場を後にした。
──私がもっと強ければ、もっと早くに到着していれば、ミルドレッドは死なないで済んだのに……。
私は得物であるハンマーに触れた。それは酷く冷たく感じられ、皮膚が一瞬で再起不能になってしまいそうなほどだった。
ミルドレッドが死んだのは自分のせいではないと心のどこかで思い、救済を願い、赦しを乞うていたが、私は日々罪悪感に蝕まれていた。その思いは日に日に増していき、体に鉛をくくりつけられているような気がした。
『あなたのせいで私は死んだ』
『この役立たず』
『結果を出せ』
夢の中で私はミルドレッドにそのように何度も何度も責められた。その度に心臓が握り潰されるような本能が拒む恐怖を味わい、過呼吸になりながら冷えた体で目を覚ます。寝具は汗でびちゃびちゃに濡れて染みができていた。
その度に私はアルコールを多量に摂取して前後不覚の酩酊状態に陥っては眠りについて、変わらない現実と私の無意識が作り上げた幻覚から目を背けようとしていた。
そして今日も真夜中にベッドから飛び起きた。するとすぐさま枕元に置いてある特に度数の高い蒸留酒が入った瓶を手に取ると、震えた手で必死に蓋を回した。金属が擦れる音が少しした後、ようやく蓋が取れた。そして恐る恐る瓶に口をつけ、傾けた。
中の液体が口腔に流れ込んでくる。一瞬で顔が発火したように熱くなり、粘膜が抉れるように痛んだ。
三度ほど喉を鳴らしてアルコールを嚥下すると、瞬く間に思考が鈍り、苦痛から解放された。体が火照りながら脳からの指示を受け付けなくなり、私はベッドに倒れ込んだ。
まもなく意識を手放して深い眠りへと落ちていった。
窓から差す朝日で目を覚ました。鈍器で殴られたような断続的に響く痛みに呻きながらよろよろと立ち上がり、覚束ない足取りで小さな台所に行って鍋で湯を沸かし、朝食用の即席麺を準備した。その間で制服に着替え、得物を佩用する。コンディションが最悪でも、装備を整えるのは慣れたもので、即席麺ができあがるよりも圧倒的に早かった。
できあがった即席麺の蓋を剥がして放り捨てると、引き出しから使い捨てのフォークを取り出して食べ始めた。
食欲は疎か、吐き気さえあるのにもかかわらず私はとにかく麺を胃に詰めた。込み上げてくるものを気合いで押さえて麺を口に運ぶ。咀嚼するのが辛いから、そのまま噛まずに飲み込んだ。幸いにも麺は即席麺だけあって柔らかく、舌と上顎で挟むだけで簡単に潰れた。
──またあなたが作る粥を食べたいです……。
まだ私がレジスタンスに入隊する前のミルドレッドと同居していた期間で、体調を崩したときに作ってもらった妙に甘い粥を思い出した。
──あれはあれで美味しかったけれど、今度は塩と砂糖を間違えないでほしいです……。
なんとか完食した私はそれらをゴミ箱に投げ捨て、部屋を出た。そしてレジスタンス本部に向かい、これからの任務を受けようとした。すると途中、背後から私の名を呼ぶ声が聞こえた。
振り返るとそこには見知った女性──シェリルが立っていた。
「……どうした……ですか……?」
首を傾げる私に対して、シェリルは言葉を続けることなくカッと目を見開いて私につかつかと歩み寄ると、顔を近づけて鼻をすんすんと動かして臭いを嗅いだ。
「……また夢を見たようね」
シェリルは眉をひそめ、吐き捨てるように言った。
「……はい……」
「……薬は? 睡眠薬、とびっきり強いものを処方してもらっていたでしょう? ちゃんと飲んでいないのかしら?」
「……飲んでいます……飲んでいますよ……それでも……」
言葉を紡ごうとした次の瞬間、頭を金槌で叩き割られたような激痛が走り、ダムが結界して多量の水が流れ出るように体の力が抜け、前のめりになってシェリルのほうへと倒れ込んだ。
「あらあら……これはマズイわね……」
シェリルの声が遠くで聞こえる。
私はうわ言を口にしながら意識を失った。




