忘れ去られるまで生きている 後編
抱き上げられていた手が離され、俺の消えかかった体は重力に従ってゴトンという音を立てて床に転がった。消失は胸あたりまで進んでおり、その姿はまるで胸像のようだった。
──ごめんな、でもそんな言い方はないじゃないか。あんまりだよ。俺だって好き好んでこんな状態になったわけじゃないんだからさ。
ノエルは消えつつある俺の体を見ながら慣れた手つきで二丁のレーザーガンのリロードを済ませると、ジャケットの下の両脇に収納した。
──俺だって……俺だって……お前に不自由なく幸せな生活を送らせてやりたかったよ。それで一緒に笑いあって、そしていつかお前は家を出て、それから婚約者を連れてきて、『お兄ちゃん、私、この人と結婚するの』とか、『妹さんを僕にください』とか定番の台詞を聞きたかったんだよ。
ノエルは俺をカラスにつつかれてゴミ袋からこぼれ出てぐちゃぐちゃになっている生ゴミを見るような目で見ている。
消失は胸から首へと進んでいき、喉も消えつつあるというのにもかかわらず、
「……許してくれとは言わない。お前に数えきれないくらい多くの迷惑をかけたことも謝る。だが、最後にこれだけは言わせてくれ」
と発話ができていた。一体自分がどのような身体構造をしているのか大変疑問だが、今はそれを考えている場合ではない。
「なんなの……そんな真剣な顔して……お兄ちゃんらしくないよ……」
ノエルは顔に寂しさと罪悪感を滲ませながら俺の頭を撫でた。
もう思考は働かない。感覚も失われ、外部から得られる情報はなくなった。
「……誰……よりも……幸せに……なって……くれ……よ……」
言い終わると同時に俺はこの世から消滅した。
左耳に付けていた金属製の銀色のピアスが高い音を立てて床に転がり、今まで静寂を保っていた廊下に響き渡った。
「そ……んなの……分かってる……よ……ちゃんと……私は幸せになる……だから……私を……嫌いに……ならない……で……」
ノエルは目から大粒の涙をポロポロとこぼしながら、幼い子どものようにわんわんと泣いた。今まで深層に沈めていたものが火山が噴火したかのように表層へと溢れ出している。
「お兄ちゃん……愛してる……」
目元を拭い、床に転がっているジョシュアが付けていたピアスを拾い上げた。そしてそれを自身の右の耳たぶに付けた。ホールは既に完成しており、スムーズに付けるとノエルは立ち上がった。
それから、
「……シェリル、いつからそこにいましたか?」
とノエルが面倒くさそうに口を開いた。
するとどこからともなく、
『そうねえ……あなたが切れていたところから……だったかしら?』
とシェリルの声がした。一拍置いて、ノエルの背後にある壁の扉が横に機械音と共にスライドして、その部屋からシェリルがヒールのコツコツという音をさせながら出てきた。
「運良くレジスタンス入隊試験を突破しただけはあるわね。私の指示通りに、完璧に演じて自分の兄を殺すことができて素晴らしいと思うわ。てっきりあなたはあのときのように……怖気付いて使い物にならないと思っていたのだけれど……成長したようで私はとても嬉しいわ」
シェリルは心中を隠すような柔和な作り笑いを浮かべ、軽やかな足取りでノエルを抱きしめようと腕を広げた。しかしノエルはそれを手で鬱陶しそうにペチっと払いのけて、
「私はあなたのことを恨んでいますよ。これまでもそうでしたが、今回の件でその思いはより一層強くなりました」
と軽蔑の視線を向けた。
「ありゃりゃ、なんか私、随分と嫌われているわね。そんなに恨まれるようなことをしたかしら? 記憶にないわよ?」
シェリルは両手をひらひらと動かし、余裕のある表情でいつも通りの声調で言った。
「……ならいいですよ。もう二度とあなたと会うこともないでしょうし」
ノエルは吐き捨てるように言うと、一人で廊下を歩き始めた。この騒動がひと段落ついたから、自分の持ち場に戻るためにこの場を去ろうとすると、シェリルが、
「スタッフ・ノエル!」
と呼び止めた。
「なんですか、私は忙しいんです。あなたのせいでこれから引き継ぎもしなければならないようですから」
ノエルは心底面倒くさそうに首を捻ってシェリルを見る。
「それなのだけれど、セシリアに撃たせるための方便だから気にしないで。この職場で半年以上生き残っている時点で、あなたは出世コースを歩んでいるからそう簡単には解雇されないわ」
そう言ってシェリルは満面の笑みでサムズアップしてみせた。
「──そ、そうなんですか! よかったぁ……ようやくこの職場にも慣れてきた頃だったし、今から放り出されたら仕事どうしようって考えていましたよ」
ノエルはそっと胸を撫で下ろして安堵の息を漏らした。
「それで……要件は? 私になにか言うために呼び止めたのでしょう?」
眉間に皺を寄せて困惑した表情をして訊ねると、
「そうそう、私はどうやらあなたに恨まれているようだけれど、私はあなたを愛しているわ。──もちろん、恋愛的な意味ではないわよ」
とシェリルは愛する子どもを包み込む母親のように柔らかな笑みを見せた。
「分かってます。……要件はそれだけですか?」
「ええ、それだけよ。だからあなたはもう持ち場に戻ってもいいわ」
「……本当に?」
ノエルが怪訝そうにシェリルの目を見つめる。
「あなた、セシリアになにか伝えることはないかしら?」
「……ないですよ、別に。彼女とはただの同期で、一緒にレジスタンス入隊試験を突破したってだけで、職場も違いますし、私が手紙を出したのにもかかわらず返事をしてこなかったような人ですから」
「いいの? 本当に?」
「……じゃあこう伝えてください。『ありがとう』って」
「はいはーい、りょうかーい。ちゃんと伝えておくわ」
シェリルは踵を返して、片手を白衣のポケットに入れるともう片方の手を上げてひらひらと左右に動かして去っていった。
こうしてまたインテリゲンツィアに日常が訪れる。




