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深淵の少女  作者: 高城ゆず
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無意識の少年 前編

 白化した吸血鬼は僕目がけて飛びかかった。僕はそれを認識していた。確かに吸血鬼は床を蹴って跳躍し、拳を作って僕の顔面を殴り飛ばそうとしている。だが次の瞬間には僕の前から姿を消して、来たのは左頬への衝撃だけだった。

 僕は大きく仰け反り、よろめきながら数歩後退し、体勢を立て直そうとすると、次は下腹部に衝撃を受けた。すると体は簡単に宙に浮き、吹っ飛んで数メートル後方に転がった。

 咄嗟に受け身を取ったが、それでも完全に勢いを殺すことはできず、体の節々が痛んだ。即座に立ち上がり、次の攻撃に備えて集中するが、吸血鬼を視認することができない。

 ──どこだ、どこにいる? 姿を消す異能力なんて傍迷惑も甚だしいものを使いやがって。

 目を凝らすのと同時に空気の揺らぎを感じ取ろうと感覚を鋭くさせていると、自分の頭上の空気が揺らいだのを感じ取った。

「そこか──!」

 足を振り上げて吸血鬼を迎え撃つ。爪先が顔面に刺さる鈍い音と骨が砕ける音がした。一拍置いて、吸血鬼が姿を現して床に転がった。ゆっくりと立ち上がると、鼻から血液をだらだらと流しているのが見えた。

 吸血鬼がこちらを殺意に満ちた目つきで睨みつけ、

「なんで反応できるんだ……? 俺の異能は完璧なはずだ……見つけられるはずなんかない……」

 とうわ言のように言った。

「ただ透明にするだけで実体を消せないんじゃ、そりゃ見破られるに決まってるだろ。常識的に考えてみろよ。レジスタンスである僕がインテリゲンツィアに来ているってことは、相応の力があるって認められたから──」

 言葉を区切ると踏み込み、吸血鬼との距離を詰めると、

「──なんだよ!」

 と片膝をついていた吸血鬼の顔面に膝蹴りを決めた。またしても鈍い音がして、鮮血を噴水のように辺りに散らせて吸血鬼は後ろに倒れ込んだ。しかし吸血鬼は即座に起き上がり、後方に跳躍して僕との距離を置いた。

 吸血鬼は鼻を拭って澆薄に笑うと、

「お前は一つ間違えている……俺の異能はただ透明になっているわけじゃないんだよ!」

 と言い切って姿勢を低くすると、一気に僕との距離を詰めようと踏み込んだ。二歩目が着地するのと同時に吸血鬼の姿は見えなくなった。

「またかよ!」

 三度目ともなれば慣れてくる。僕はラインに流れてくる部品を組み立てる流れ作業のように反撃をする。片足を引き、もう片方の足を軸に回転して頭を狙って回し蹴りを放った。

 しかしそれは空を切る。それと同時に僕のがら空きの背中に衝撃を受けた。鉄パイプがひしゃげるように背中が折れて、壁に顔面をぶつけた。

 鼻から生温かいものが垂れてくるのが分かった。

 ──確かに僕はあいつが来る位置を特定した。動いているとはいえ、視認できる程度の速度で動く物体に反応できないようなポンコツじゃない。なのに……なんで……なんで……。

 両手で壁を押して廊下の中央に戻ると、それをまるで知っていたかのように脇腹に攻撃が入った。体は宙に舞い、床に転がる。すると間髪いれずにみぞおちに攻撃が入り、またしても僕の体は吹っ飛んで、壁に激突した。

 連続して加えられる攻撃に僕は翻弄されていた。吹っ飛び、壁や床に叩きつけられ、また吹っ飛び、壁や床に叩きつけられる。それの繰り返しで、あたかも自分がピンボールのボールになっているような気がした。

 ──それにしても同化による効果は凄まじいな。骨の何本かが折れていてもおかしくないのに、まだまだ余裕がある。

 いつもならこれほどまでにダメージを受けていたら内臓が燃えるように痛むのだが、今はそれがない。もちろん攻撃を受けたときや着地したときの痛みはあるが、それさえもすぐになくなるのだ。

 僕は致命傷にならないように最低限の受け身を取って身を守っていると、遠くから声が聞こえた。

「セシリア! 対抗しなさいよ! 対抗!」

 シェリルの言葉に対して僕は、

「対……抗……?」

 と首を傾げた。

「そいつの異能はエスターみたいに精神に干渉してくるものよ! だから特別訓練を受けてきたあなたなら対処は簡単なはず! だから頑張りなさいよ!」

 ──透明になる能力じゃないってことか……?

 僕はシェリルの言う通りにしようと試みた。

 吹っ飛ぶ最中に猫のように体を捻って足から着地すると、僕は肺いっぱいに空気を取り入れ、少しずつ吐き出した。

 ここで一つ大きな問題が発生した。

 ──精神の対抗って具体的にはどうやってするんだっけ?

 僕は頭を抱える。

 ──とりあえずエスターを思い出せばなんとかなるか? ……あの偶像崇拝から逃れる方法は……。

 僕は脳の全体に酸素が多量に含まれた新鮮な血液を行き渡らせて抗った。それから全身を流れる血液を沸騰させ、体に力を込める。

 すると糸がプツンと切れる音がした。

 次の瞬間、吸血鬼の鋭そうな爪が僕の首を掻き切ろうと薙ぎ払われるのが見えた。空気を切り裂く音が聞こえる。

 ──見えているのならいくらでも対処のしようはある!

 僕はその場で横に回転すると、爪が到達するよりも早く肘関節に右足で後ろ回し蹴りを入れた。

 聞きたくない骨が折れる鈍い音と共に肘は曲がってはいけない方向に曲がり、吸血鬼は数歩後退した。

 僕は首や腰、指をポキポキと鳴らして、

「お前の動きは見えてるよ」

 と言って跳躍すると、壁を蹴って呆然としている吸血鬼の顔面に膝蹴りを決めた。

 吸血鬼はよろよろと立ち上がり、こちらを心底憎々しそうに睨みつけている。

 ──どうしよう、今武器がないから吸血鬼を殺せないじゃないか。すべてかすり傷になっちまう……なにか代わりのものはないだろうか……。

 思考を巡らせていると、腹が中に芋虫でもいるかのようにもぞもぞと蠢くような気味の悪い感覚を感じ取った。

「……それをするのは気が引けるんだが……今はそうも言っていられないよな」

 ──やったことも教えてもらったこともないが、見よう見まねでやるしかないか。

 僕は腹を決めると、おもむろに制服を脱ぎ、近くに放り投げた。それから吸血鬼のほうを見据えて、

「これでも食らえよ」

 と怒気を含んだ声で言って、腹部の青い痣のような模様に指を沿わせた。

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