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深淵の少女  作者: 高城ゆず
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選択 前編

 清々しい朝、僕はいつも通りレジスタンスの食堂で朝食を食べている。だが緊張のせいか、食べ物は喉を通らない。

 咀嚼して嚥下する、という簡単なことができない。しかし食べなければ体に力が入らないのは事実だから、どうにかこうにか水と一緒に流し込んで無理やり胃に入れた。

 普段よりも少ないが、一応すべて食べ終えた僕はトレイごと返却口に返して食器を後にした。

 現在の時刻を確認すると、シェリルと約束した時間までまだあと一時間はあるから、僕は一度部屋に戻ってナスチャを撫でることにした。

 自室の扉を開けると、ナスチャは部屋の中央で、朝食前に用意しておいた皿に盛られた塩味のナッツをぽりぽりと音を立てながら食べていた。

 僕の存在に気がついたナスチャが、

「どうしたの? もう行ったんじゃないの?」

 と言って首を傾げた。鳥の首というものが一体どの範囲を指すのか定かではないが、頭と胴体の間で曲げたのだから、そこが首なのだろう。

「まだ定刻まで時間があってな。なんとなくナスチャを撫でておきたくなって」

 僕がはにかんで言ってみせると、

「…………」

 ナスチャは無言で僕を見つめてきた。

 ──そんなに見られちゃ恥ずかしいじゃないか。

「……仕方がないなぁ、きみは。可哀想だからなでなでさせてあげよう」

 ナスチャは食べるのをやめて僕の足元へとひょこひょこと跳ねながら近づいてきて、脛に体をすりすりと当ててきた。

 ──かわいいやつめ。

 僕はしゃがんでナスチャの頭を撫でる。毎日僕が洗っているだけあって触り心地は最高だった。

「……なでなで……なでなで」

「ふふーん」

 頭を撫でてやるとナスチャは気持ち良さそうな声を出して、更に僕の脛にすり寄ってきた。

「なあナスチャ、本当に僕は勝てるのか?」

 ポツリと言うと、

「なに言ってんの、きみなら大丈夫だよ。今まで幾度となく死にかけても死ななかったんだから、今回も死なないって」

 とナスチャは自信満々に答えた。

「ごめん、ちょっとその理論は理解できない」

「チッ、このダボ」

 ──この鳥ってこんなに口悪かったっけ?

 僕が睨んでナスチャの頭を撫でていた手でデコピンをすると、頬をハムスターのように膨らませながら、

「と、とにかく大丈夫なの! うんセシなら大丈夫!」

 と羽をバタバタとさせて言った。

「帰ってきたら、今度こそ焼き鳥にして食ってやるから覚悟しとけよ、この携行食め」

 そう言って僕は立ち上がり、部屋を出ようとすると、

「……本当に死んじゃダメだよ」

 とナスチャは寂しげに言った。

 ──こいつも分かってるじゃないか。こういうときに言うべき台詞を。

「ぼくにご飯をくれる人がいなくなっちゃうから」

 ──一瞬でも良いやつだと思った僕が間違いだった。

 すかさず僕はナスチャの尾羽を一本引き抜き、

「生きて帰って必ずお前を焼き鳥にして食ってやるからな。体を綺麗にして待ってろよ」

 と吐き捨てるように言って自室を後にした。


 レジスタンス本部──シェリルの執務室前。

 僕が扉をノックしようと手を伸ばすと、まるで僕が来たのを察知していたかのように扉は自動で開いた。そして執務室からシェリルがひょっこりと顔を出した。

「おはよう、セシリア。良い朝ね。よく眠れた? 朝ごはんは食べた?」

 シェリルは柔和に笑いながら話しかけて僕の頬に触れた後、目の下を引っ張った。

「うーん……まあ大丈夫かしらね。じゃあ行きましょうか」

 僕はシェリルに手首を掴まれて、強引にレジスタンスの駐車場へと引きずられていった。

 普段は見ない駐車場には引き込まれるような黒色で重厚感のある囚人を輸送するのに使いそうな箱型の車両が一台置いてあった。

「さあ、乗って乗って。インテリゲンツィアに行くわよ」

 シェリルは後ろの扉を開けて、僕の臀部を叩いて車に乗せた。

 ──そんなことをしなくても、口で言ってくれれば僕はその通りに動くのに……。

 座るように促され、僕は腰を下ろしてシートベルトを締めた。シェリルは僕と対面に座り、脚を組むと、手を振り上げた。すると車にエンジンがかかり、ゆっくりと加速していった。

 この車両に窓は一切ついておらず、扉の隙間から差し込む光によってかろうじてシェリルの表情が分かる程度の明るさしかなかった。

 そのような薄暗い空間にいるにもかかわらずシェリルは書類を取り出し、目を通し始めた。

 肉食獣の唸り声のようなエンジンの音だけが静かな車内を満たした。それから少しして紙が擦れる音も加わった。

「えっと……じゃあ改めて確認するわよ」

 顔を上げたシェリルは恐怖と罪悪感と興奮が混じったような感情を滲ませて、

「本当に遺伝子は残さなくていいのね?」

 と言って奥歯を噛み締めて無理やり笑顔を作った。

 僕はシェリルの言葉を飴玉を口の中で転がすように味わってからゆっくりと頷いた。するとシェリルは呆れたように笑って、

「じゃあここにサインして」

 と言って紙とペンを渡してきた。

 僕はそれを受け取って膝の上に置くと、慣れた手つきで自分の名を書いた。

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