強靭な精神 前編
体の制御が効かない。脳が全力で指示を出すが、体は糸で操られたかのように勝手に動いていく。
──クソ、なんでだ。なぜ体が思い通りに動かないんだよ!
繰り返し指示を出すが、神経の回路は途中でプツンと切れているようで一切の指示を受け付けない。
錆びのある年代物の機械を強引に動かすようにぎこちなく関節が曲がり、膝から崩れ落ちた。反対に手は掲げられ、意識とは反して目の前にいる白い人間に対して偶像崇拝を行なう。
──違う、違う、違う!
抵抗するが、手がプルプルと震えるだけで逃れることはできない。全身の筋肉にくまなく力を入れて抗い続けていると、次の瞬間、一気に全身の力が抜けた。
呪縛のようなものから解放され、僕の体は前のめりになってうつ伏せで倒れた。あまりにも突然だったもので、手を出すことができずに顔面から地面に激突した。
じんじんと鈍い痛みがする鼻を撫でていると、生暖かいものが手に伝わった。確認すると、それは鼻血であった。今さら鼻血程度で慌てるような僕ではないが、痛いことに変わりはない。
「……まったく、お前はまるでなってないな。あの二人にポンコツって言われていた理由がよく分かった。今日からわたしもポンコツって呼ぶからな。分かったらさっさと立って抗え。このポンコツ」
とため息をついてから凄んで、こちらを睨みつけたのは、ホロコースト部隊所属、エスター・ホワイトだった。雪のように純白の髪に白磁の肌、赤色の宝石を埋め込んだような瞳の小さな女の子だ。喋らなければ人形のようで可愛らしいが、口を開いた瞬間、そのイメージが音を立てて崩れ落ちるのだ。
──小さい。白い。可愛い。柔らかそう。触りたい。ぷにぷにしたい。抱きしめたい。
僕が欲望を膨らませながらエスターを凝視していると、
「…………ん? おい、なに見てんだよ。ぼーっとしてないで早く立てよ」
と悍ましいものを見るような目つきで僕のみぞおちに蹴りを入れた。胃が抉られるような痛みと共に僕の体が後方に吹っ飛ぶ。
どうにもエスターを見るとヴィオラを思い出してしまう。小さくて白くて愛らしい姿をしているのだから仕方がないだろう。
「なにも蹴らなくてもいいじゃないですか!」
僕が痛むみぞおちを押さえながら声を荒げると、
「お前が聞いてないのが悪い! ほら、早く立て! もう一度やるからな! だから今度こそ落ちないように全力で抵抗しろ!」
とエスターも同様に言った。
──どうして僕の周りの人間には人の心がないのだろうか。……僕が言えたことではないけれど。
渋々立ち上がると、エスターが自慢げに笑ってから目を見開いた。
「ひざまずけ!」
咆哮にも似たその声と同時に、僕の体にかかる重量が何倍にも増したように感じた。──エスターは特異体の能力を使ったのだ。
エスターの同化した特異体は[神の子]で、エスターを中心とした半径十メートル以内に存在する生命体に対して発動する。効果は一言で言えば、エスターを偶像崇拝するというものだが、細かく言うと、エスターに視線を釘付けにし、先ほどの僕のようにひざまずかせるのだ。
──抗え、体に力を入れろ。頭に明確な意思を持て。
脳にインクを零したように思考が侵食されていく。
これに対抗する手段はただ一つ──強靭な精神力だけだ。それさえあればこの特異体が持つ特異性などまったくもって恐ろしくもなんともない。
「……まだ持つのか、さっきよりは成長したな」
コクコクと頷いて僕を見つめるエスター。それもそのはず、一度目は三秒でひざまずき、二度目は十秒も保たなかった。そしてこれは三度目で、視界の端にある壁掛け時計の秒針は三十秒の経過を示していたからだ。
「ほら、もっと耐えろよ」
エスターは僕に対して手を掲げ、拳を作った。刹那、僕の体は一切の指示を受け付けなくなり、瞬く間に膝から崩れ落ちて拝んでしまった。
──それは聞いてないって。まだまだ全然力を使っていないじゃないか。
「……やっぱポンコツだな、お前」
能力を解除されると、僕の体を操っていた力も消失し、僕は前のめりになってまたしても顔面から着地した。鈍い音がして、地面に血液が付着する。
「それに加えてまるで学ばないヤツだな。咄嗟に受け身も取れないとは……」
エスターはこの上ないほど大きなため息をついた。肺にある空気すべて吐き出しているのではないかと思うほどだ。それから眉間を押さえて唸っている。
僕はすぐさま立ち上がり、鼻を押さえながら口を開く。
「そ、そりゃあ……同化している人と同程度の力なんてあるわけないじゃないですか! 僕、悪くないですよ、絶対!」
そうやって僕が言うと、次の瞬間には宙を舞っている。エスターの蹴りがまたしてもみぞおちを捕らえて、僕の体はあっけなく数メートル後方に吹っ飛んだ。地面に背中から叩きつけられて肺の空気が押し出される。
「いっ……たぁ……」
何度か咳き込んで息がしづらい中、再度立ち上がると、
「よし、もう一回だ!」
というエスターの声と共に特異体の能力が発動した。それだけではなく、容赦のない拳が飛んできた。あいにくエスターの指示で素手で戦っている僕には反撃する方法がなく、能力に屈しないように抵抗しながら拳を躱すほかなかった。




