表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

自由(からっぽ)の空

「お嬢様? お嬢様ー?」

 私を呼ぶ声が聞こえる。でもそんなの関係ない。

 私はそのまま空を眺め続けた。

 抜けるような高い空。ただひたすら青いだけの、雲ひとつない空っぽの空。

「ああ、お嬢様。こんなところにおいででしたか」

 その声に視線を下ろす。ベランダの手すりに身体を預けるようにして、執事がこちらを見上げていた。

 コイツは私付きの執事だ。執事といってもまだ私と同じ位の年齢。

 それでも一人前の執事として周囲からも認められているのは立派というか、なんかムカツク。

 それにしても何故ここがわかったのだろう。見付かるはずはないと思っていたのに。

「そんなところにいては危のうございますよ?」

 その執事の声を無視して空を眺め続ける。

 この無駄に立派な屋敷の高い屋根の上に寝転がっていると、視界には空以外何も入らない。

 まるで自分が自由なのだという気になれる。

 私を縛るものは何もない、私に関わるものは何もない、空っぽの自由。

 自由だからこそ何もないのと、何でもあるが故の不自由。どちらが幸せなのだろう。

「お嬢様? 降りておいでにならないのでしたら、私がそちらに行きますよ?」

 ひとつ、ため息を吐く。

 いくら自分の分身と言っていいほど忠実な執事とはいえ、唯一私の自由の場所に侵入者を許したくはない。

「わかったわ、すぐに降りるから待っていなさい」

 下の様子を窺ってから、私はぴょんとベランダへと飛び降りた。

 翻るスカートを巧みに捌き、あくまでも優雅な仕草で。

 このくらいはレディのたしなみ。屋根から下りたら、私は『お嬢様』でなくてはいけないのだから。

「お嬢様! 屋根に上るなとは言いませんが、飛び降りるのはおやめください!」

「大丈夫よ、慣れてるから」

 あの屋根の上にはもう何度も上っている。

 飛び降りるのだっていつものこと。

「いくら慣れていても間違いがないとは言えないのですよ? このままでは私の心臓が幾つあっても足りません」

 止まってしまえ、そんなものは。

 それ以上お説教を聞きたくなくて話を逸らす。

「それはそうと、昨日はいなかったわね。どうしていたのかしら?」

「はい、昨日はお休みをいただいておりました」

 それは言いがかりだと分かっているけれど、いやわかっているからこそ続ける。

「誰に断って休んだのかしら?」 

「旦那様からお許しをいただいております」

 知っている。聞いたから。

 お父様が休みを許さなかったかもしれない、と思って確認しておいたから。

「用事を頼もうと思っていたのに。お前は私の執事なのよ。何より先に、私に断るべきでしょう」

 責める口調の私に、執事は憤る風もなく頭を下げた。

「申し訳ありません。すっかりと失念しておりました。以後気を付けますのでなにとぞお許しを」

 嘘だ。

 本当はきちんと一番に私に許しを求めに来た。忘れるはずがない。

 散々ごねて嫌味を言って、それでようやく休みを認めたのだから。

 それでも私の言うことには逆らわない。それがかえってムカツク。

「あのメイドと出かけていたのでしょう?」

 間違えるはずがない。昨日だって、屋根の上から仲よさそうに出かけていく二人の姿を見ていたのだから。

「いいわね、若いってのは。せいぜいよろしくやってなさい」

「え、いえ、彼女とはそういうのではなくて、なんというか、その、えへへ……」

 ムカツク。

 使用人同士が結ばれるのは決して珍しいことではない。住み込みだからずっと一緒にいて、そういう関係になるのは至極当然だろう。

 実際にそうやって何代にも渡って我が家に仕えている者も少なくない。そういう者は、繋がりが深い分だけより信用できる使用人として重宝する。

 だから使用人同士が結ばれるのは、主としても喜ばしいことなのだ。

 本当は。

「でも、それで仕事がおろそかになるのは良くないわね。私の用事とあのメイドと、どちらの方が大事なのかしら」

「世界で一番お嬢様が大切ですよ」

 躊躇など微塵もなく、心底邪気のない笑顔で言いやがる。

 ちょとどきっとしてしまったじゃないか。

 そしてその言葉は決して嘘ではない。本当に、私のためにならなんだってやる。

 ムカツク。

 私は自分で箸も持てないようなお姫様じゃない。思うこと全てが叶わなければ我慢ならないほど我侭でもない。

 自分のことは自分で出来るし、何を置いても一番、なんて仕えられ方をされたくはない。

「いえ、本当にそういうのではないのです。この間、ダンスのレッスンをする代わりに何か差し上げる約束をしましたでしょう? その買い物を手伝って貰っただけです」

 ……思い出した。ダンスのレッスンが面倒くさくなって、だだをこねたことがあった。そのついでにもっと困らせてやろうと、何かプレゼントでも買えと言ったのだ。

 そんな、言った自分でも忘れているようなことを律儀に覚えていたのか。

 ……ムカツク。

 それはつまり私をダシにデートしてたということか。

 私へのプレゼントを買うのなら、そこは私を連れ出す場面じゃないのか。

 言葉にならない私の様子に気付かないように、執事は小さな包みを差し出してきた。

「私に買えるものなどお嬢様のお気には召さないと思いますが、どうぞお受け取りください」

「……そうね、せっかく買ってきたものを無駄にするのもなんだし」

 複雑な気持ちだったけれど、とりあえず受け取る。

 中にあったのは、普段私が身に着けているものからすれば全然安物のネックレス。でもコイツのお給料からすれば、かなり無理をしないと買えないもの。

 もしかしたら、メイドとの結婚資金にと蓄えていた貯金を切り崩したりしたのかもしれない。

 ムカツク。

「……私の言うこと、なんでも聞くのよね?」

「はい、勿論です」

 あっさりとそう言う言葉すらムカツク。

「……だったら、ここから飛び降りて見せて」

 それは、ふと思いついただけのただの意地悪。『もう、仕方ないですね、お嬢様は』なんて困った顔をさせたかっただけなのだと思う。

 なのに。

「はい、わかりました、お嬢様」

 躊躇うことなくそう返事をすると、執事はすたすたと手すりの方へと歩いていった。

 それに手をかけて振り向き、背中をもたれかけるようにして私の方へと顔を向ける。

「それではお嬢様。長らくお世話になりました」

 そう言って、体重を後ろとへ移した。その足が床から離れ、その姿がゆっくりと……

「ダメっ!」

 慌てて抱きとめる。その身体を落ちないように引っ張ると、力の抜けていた執事の身体は意外なほどにあっさりと私の方へと倒れこみ、私達はもつれるようにして床へと倒れ込んだ。

「……本当に飛ぶとでもお思いになりましたか? そんなこと、あるわけありませんでしょう?」

 嘘だ。

 コイツは飛ぶ。

 私が泣きそうな顔をしているから、そう言わなければ私が泣いてしまうから、そう言っているだけだ。

「……だったら、さっさとどきなさい」

 押し倒された姿勢のまま、私は執事を睨みつける。

「え……あ、も、申し訳ありません!」

 執事が慌てて飛びのいた。

 自分でも頬が紅くなっているのがわかる。

 理不尽だと自分でわかっている。でもムカツク。

 助け起こそうと差し出された手を振り払いながら、自分で立ち上がった。

「もうしわけありません、お嬢様、その……」

「……いいのよ。今のは自業自得みたいなものだから」

 ムカついていても自分の非は認める。人の上に立つものとして、そのくらいは当然。

 ……そのくらい、当然なの。

「貴方も、いつまでも私にべったりくっついていないで、自分の為に生きなさい」

 さんざん我侭言っておいて今更何を、と自分でも思うけれど、一応言っておく。

「いえ。私はお嬢様にお仕えするために生きているのですから」

 昔からそうだった。まだ執事になる前から、物心付く前から、コイツはずっとそうやってきた。

 それがいくらかでも変わってきたのは、あのメイドと親しくなってから。

 その恋心は、私のためだけに生きてきた……そして今もそうやって生きているコイツの、初めて、唯一持った自分の心。

 でも、私のためなら、私の命令なら、それすらもあっさりと、まるで最初からなかったもののように投げ捨ててしまうだろう。

 ムカツク。ムカツク。

 だから。

 こんなヤツのコト、好きだなんて思ってなんてやるものか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ