6.レッドキャップ出撃す
私は、チュートリアルダンジョンを出た所で、塒である洞窟に帰る必要性が無い事に気が付いた。
この魔の森は、中立神陣営種族にとって完全な敵地であり、春になれば危険性は増す事はあっても、減る事は無い。
食料など財産と呼べるものは、全てショートカット装備欄に入っており、洞窟に残っているのは、安全に眠れる場所としての拠点機能しかない。
そして、フェアリーとしてはあり得ない量の魔力を保有している私は、透明化の維持に必要な魔力は自然回復だけで賄えるので、外でも安全に眠る事が出来る。
加えて、春が近いとはいえ、まだ夜は冷え込む時期ではあるが、転生知識のお蔭で、風の魔法で断熱圧縮をして温風を作れるから、防寒着も必要ない。
これはむしろ、さっさと魔の森を抜けるべきではないだろうか。
幸い、冒険者たちを追跡して殲滅したお蔭で、人類領域の方角と、最寄りの村までの距離も大体理解している。
ゴブリンの足で五日程度なのだから、ゴブリンとフェアリーとの体格差や、移動の合間に行うエネミー狩りの時間を考えても、七日もあれば、魔の森を抜ける事が出来るだろう。
やる事が決まれば、あとはさっさと実行に移せば良い。
私は、チュートリアルダンジョンの入り口から、全滅した最初の集落跡を経由して、森を出るべく移動を開始した。
一方、その数日ほど前の事である。
魔の森中層における、ホブゴブリン最大の集落、その主が棲む館で、一匹のホブゴブリンキングは、帰って来ない部下の事を考えていた。
「あいつらめ、しくじりおったか…たかが小規模ダンジョンの攻略に失敗するとは、存外使えぬ奴らよ」
そして、ゴブリン献上の濁り酒を呷りつつ、唸り声をあげる。
入手予定だった大魔石の数が減った事で、進化予定が狂ってしまい、不機嫌な姉のゴブリンクイーンを宥める為、人間から奪った宝飾品でご機嫌を取る羽目になったからだ。
「冬ももうすぐ終わる。なるべく早くに次の回収部隊を送り込みたいが…」
前にも少し説明したが、ゴブリンやゴブリンの進化個体であるホブゴブリンは、集団規模が上がれば上がる程に、文明度が上がっていく。
この集落は、既に三〇〇年以上に亘って魔の森中層で歴史を積み上げた結果、ホブゴブリンだけで五〇〇〇匹以上、奴隷のゴブリンやコボルド、用心棒のオークやトロールなどの異種族も含めると、約一万の人口を誇る、集落と言うより、ちょっとした都市国家に近い規模と文明レベルに成長していた。
その為、ホブゴブリンキングだけで十匹近く居て王家を形成しており、このホブゴブリンは末の三男として一軍を率いている。
自己の強化だけでなく、魔力リソースとしても、素材としても価値の高い大魔石は、戦略物資であり、常日頃から情報を集め、小規模ダンジョンを見つけては、攻略部隊を派遣して大魔石を回収する、というのはある程度の規模の陣営なら、どこでもやっている事だった。
それだけに、長く放置すれば、浅層のゴブリン集落辺りが大魔石を回収してしまう恐れもある。
深く考え込んでいると、部屋に、薄汚れたフルヘルムをかぶり、その上に血塗られた帽子をひっかけた、大柄なレッドキャップが入って来た。
「久しいな、バルマ」
レッドキャップは、ホブゴブリンキングに向かって、親しげに声を掛ける。
「いよう、ジャオ。聞いたぞ。お前らしくも無いな、変異種トロールに梃子摺ってたんだって?」
レッドキャップ変異種にして、バルマの親友、ジャオは、秋口に出現した謎の変異種トロール討伐に向かい、幾人かの部下を失って戻ってきた、と言う報告を受けていた。
「言うなよバルマ。いや、ソド第四軍団、バルマ・ソド軍団長とお呼びすべきかな?」
ジャオは、人間の騎士から奪ったフルヘルムの隙間から、血のように赤い瞳をバルマへ向け、追従の言葉を並べた。
追従に気を良くしたバルマは、懸案の事項を片付ける妙案を思いつく。
「そうだ、ジャオ。任務失敗の罰という訳ではないが、一つ頼まれてくれないか?」
嫌な予感を感じたジャオは、警戒した様子を見せたが、頼み事と言う体を取った命令である事は明白。
断ると言う選択肢は無かった。
「もちろんさ、バルマ。あの忌々しい化け物トロールの相手以外ならね」
「ああ、もちろん違うさ。浅層で見つかった小規模ダンジョンの攻略に、マヌケな部下がしくじってね。君に一働きして貰いたい」
レッドキャップ自体は、モンスターレベル四でしかないが、種族レベルを上げて変異種となったジャオのモンスターレベルは六相当。
このホブゴブリン集落でも、上から数えた方が早い強者であり、派遣したホブゴブリンソルジャーのモンスターレベルが四であった事を考えれば、小規模ダンジョンの攻略なんて雑事に投入するには、過剰戦力である事は明白だった。
「構わないが、斥候を一人連れて行きたい」
「ああ、適当なゴブリンシーフを連れて行け」
「了解した。バルマ。早速、小規模ダンジョンに向かう」
片手を上げて、了解の意を示したジャオは、その日の内に、ゴブリンシーフを連れて、指定された小規模ダンジョン…チュートリアルダンジョンへと急ぐのであった。
そして、時間軸は元に戻る。
私が、チュートリアルダンジョンを去って数時間ほど過ぎた辺りで、大柄で、古びたフルヘルムを被り、その上に血塗られた帽子を乗せた奇妙なレッドキャップと、ビクビクと周囲に怯えながら歩く、ゴブリンシーフの二人組がダンジョン入り口に到着した。
「…ダンジョンの気配が無い。どうやら誰かに討伐されてしまったらしい」
レッドキャップが悩ましげにそう言うと、周囲を探索していたゴブリンシーフが報告する。
「ジャオさま、周辺の足跡は、ゴブリンが多数と、ホブゴブリンの物が一つです。ゴブリンは近くの集落の連中だと思いますが…ホブゴブリンの物は、仲間の物ではないです。川の方に何度か往復した形跡があります」
「確認と情報収集を兼ねて、そのゴブリン集落へ向かう。もし連中が持っているなら、素直に渡せばよし、でなければ力づくだ」
レッドキャップ…ジャオはそう言うと、近くのゴブリン集落へと急いだ。
交渉と言う名の、一寸した暴力を見せてやるだけで、ゴブリンどもは素直に情報を吐いてくれて、彼らが大魔石を持っていない事、そして秋口からこの辺りに、ハグレのホブゴブリンが住み着いていて、河近くに住処を構えているらしい、という情報を得る事に成功する。
「そのホブゴブリンが怪しいな。そいつの棲家を探すぞ」
そうゴブリンシーフに宣言すると、ジャオはゴブリンシーフと協力し、わずか半日も掛からず、河の近くにあった炊事場の跡を見つけ、そこから足跡追跡で岩場に雪で半ば隠された、洞窟を発見する。
入り口を柵と草木と雪でカモフラージュされた、明らかに何者かが棲んでいた塒である。
「ほう、ハグレのホブゴブリンにしては上等な棲家だ」
洞窟内に生命の気配を感じなかったジャオは、ゴブリンシーフに罠探知させたあとに、洞窟内へと侵入した。
「…綺麗すぎる。引き払った後かもしれない」
ジャオは、寝床の藁束の臭いを嗅ぐ。
「フェアリーの鱗粉…?、もしかすると、ホブゴブリン単独ではないのか」
ゴブリンシーフも、藁束から僅かなフェアリーの鱗粉を感じ取ったのか、深く頷く。
「ハグレと言う事は、俺たちの集落には近寄らないだろう。大魔石を人間に売り捌く気か?」
この塒を放棄して、明らかに数日が経過している。
今から追いかけて、追いつける可能性は低い。
しかし、大魔石は重く、収納袋のようなアイテムが無ければ、いくら力の強いホブゴブリンでも、雪の中持ち歩くのは、重労働である。
対して、身軽で素早いレッドキャップなら、ホブゴブリンより素早く移動できる。
「ここで追跡もせずに還ったら、言い訳も出来ん。私は先行する。お前はここから人間の村まで、痕跡を探しながら来い。見つけたら、狼煙で知らせろ」
ゴブリンシーフを、後ろから追跡させ、ジャオは、森の外縁、人間の村へと最短距離をひた走る。
大魔石は、剥き出しで持ち歩けば、巨大な魔力を垂れ流しているから、それなりに離れていても、魔力を感知できる。
もし人間の村に大魔石が持ち込まれてしまっているなら、「追撃が間に合わなかった」と報告できるだろう。
そして、もし、村に大魔石が無いのなら、まだハグレのホブゴブリンが森の中に居る、と言う事になる。
そうしたら、ゴブリンシーフと挟み撃ちで、魔力感知で外縁から森の中を探し回ればよい。
ジャオは、ニヤリと口の端を歪め、凄まじい勢いで走り出した。
その速度は、普通のレッドキャップの三倍はあろうか、と思える神速であった。
レッドキャップ変異種であるジャオは、普通のレッドキャップではない。
数多の戦いを繰り返して種族レベルを上げ、その中で積み上げた戦闘経験の結果として、ある一つの特殊スキルを手に入れていた。
その名も「三段跳び」。
これは、一度のジャンプのあと、空中に見えない足場があるかのように、追加で二回まで空中を蹴る事が出来る特殊スキルで、熟練すれば、空中をある程度自在に動く事が出来る事すら可能となる。
ある程度の地形を無視して、空中を移動できるのであれば、険しい地形自体がその歩みの障害となっている魔の森では、大きなアドバンテージとなる。
また、このスキルを利用した空中殺法は、レッドキャップのモンスターレベルである四という枠を大きく飛び越えさせる原動力となった。
「モンスターレベルの違いだけが、戦力の決定的差ではないと言うことを教えてやろう」
残雪残る、白く染まった森の中を、ジャオは赤い彗星のように駆け抜けていくのだった。
2019/05/21 字下げ処理