12.ニンゲンの脅威
一度、垂直進化してしまった以上、元の種族に戻ることは出来ない。
水平進化なら、上位種から下位種、下位種から上位種、どちらも進化できる方法はある…ただし、簡単に、とは言ってない…のだけれど、種族自体が変わってしまう垂直進化は、完全に不可逆である。
僅かな例外の一つとして、妖精から下位精霊、下位精霊から妖精への垂直進化が出来るので、その2種族間では進化ループが出来るのだけれど、私には関係の無い話である。
とりあえず、裸のままでは不味い。
私は、生活魔法の浄化を使いまくって、汚れていない床を確保すると、ショートカット装備欄から収納袋を取り出し、人間の冒険者から奪った装備類の中から、貫頭衣の様な上着を取り出して身に着ける。
大人用の貫頭衣は、リトルエルフにとって、胴体だけでなく、膝辺りまでの長さがある為、腰を紐で締めると、ワンピースの様な見た目になった。
続いて、剥ぎ取り用のナイフと、フェアリーの時には装備できなかった、3つの魔除けを装備し、最低級の回復ポーションを1本だけ取り出して、ポケットに入れる。
最後に、ゴブリン時代には不要だった、金属製の小型ランタンを取り出して、腰に下げた。
エルフには温度感知知覚があり、暗闇でもある程度の視界を得られるし、生活魔法の明かりがあれば、ランタンは不要なのだけれど、ランタンに火を灯せば、火の精霊魔法が使用可能になる。
これで、石弾だけでなく、火矢の魔法も使えるようになった。
…使うと、ランタンが壊れるけど…。
いやいや、換気の悪い地下下水道で、炎が燃えていられる間は、呼吸できる空気があるという事なので、空気が悪い場所をいち早く察知できる可能性が高まるので、無駄ではない。
最後に、保存食…焼き固めた硬いパンと削った干し肉、水樽から取り出した、少し臭い水でお腹を満たすと、再び不要な荷物を収納袋に戻し、ショートカット装備欄へ入れる。
まずは、地下下水道から脱出する。
実の所、これ自体は、それほど難しくは無い。
世界有数の大都市と言われる王都ラオヤンでも、下水道が整備されているのは、王城区画から街の外までの排水を行う、主水道と、第2郭の公共建築物間だけであり、迷路になっている訳ではない。
基本的に直線で構成されており、水の流れに沿って行けば良く、迷う余地は無い。
一旦主水道まで出る事が出来れば、あとはメンテナンス用の出入り口が複数設置されているので、扉を壊して出てしまえばよいのだ。
いっそ、主水道は街の外まで続いているのだから、出口の鉄格子さえ壊せるなら、そっちから出た方が、危険な街中を経由しなくて良い分、マシまである。
問題は、こうした地下下水道には、大ネズミや吸血コウモリといった野良エネミーが存在する事と、運が悪いとスライム系のエネミーが蔓延って居たりして、戦闘になる可能性が高い事だろう。
そして、想像するのも嫌だが、黒くて平べったいアレの巨大種かも居る可能性は高い。
私は、周囲を警戒しながら、下水道を歩いていく。
すると、一見普通の薄汚れた水たまりが通路一杯を汚している場所に出た。
人間にはわからないかもしれないが、エルフの温度感知知覚を見れば一目瞭然、明らかに水たまりだけ水温が高い。
精霊力を確認してみれば、水たまりから命の精霊力を感じた。
スライムだ。
ランタンの油壺から、少し床に油をこぼし、火打ち石で火を付ける。
スライムには、物理攻撃は殆ど通用しない為、魔法で倒すのが一番なのだが、石弾は物理攻撃なので、効果が落ちる。
しかし、火矢なら効果的にスライムの生命力を削ってくれるはず。
私は、床で燃える炎から、火矢を呼び出し、スライムへと飛ばした。
すると、それまでただの水たまりにしか見えなかった床の水の表面が、急にさざめいて、火矢から逃れようと動き出した。
しかし、火矢は追尾して、見事命中する。
ジュッという肉が焼けたような音と、酸性の刺激臭が立ち上った。
スライムは、逃げ出すより、小癪なエルフを食い散らかす事を選んだようで、さざめくままに、こちらへとにじり寄って来る。
私は、距離もあるので焦らずに、火矢を連打。
5発ほど叩き込むと、スライムはその粘液の大半を焼き飛ばされて、動かなくなった。
その水たまりからは、もう命の精霊力は感じられない。
ステータス画面を確認すると、種族レベルが早速三まで上がっていた。
…もしかして、ここで少し種族レベルを上げておいた方が、良いんじゃない?
と欲が出たが、敵地と言うべきこの央華国で、一方的に攻撃されて死にかけた事を思えば、透明化と飛行と言う2つのアドバンテージを失った私が、長居して良い事があるとは思えない。
ここでは、エネミーよりニンゲンこそが、脅威なのだ。
私は、戦闘もそこそこに主水道まで抜けると、下水の流れを確認して、下流…つまり、王都ラオヤンの外に向けて移動を続ける。
途中、大きなゴミを溜める為か、鉄格子が作られている場所もあったが、リトルエルフの小さな体が幸いして、通り抜けできたので、ほとんど一直線に主水道を抜けて、ラオヤンの外へと繋がる出口に辿り着いた。
進化に掛かった時間は不明だが、外は真夜中であった。
外部からエネミーの侵入を避けるため、鉄格子の間隔は狭い物が使われていたが、リトルエルフなら通り抜ける事が出来る。
私は、少し悩んだ後、通り抜けて河へと飛び込んだ。
王都ラオヤンの生活用水であり、下水の流れ込む先になっているのは、大河ヨウロウ。
軽く百メートルはあろうかと言う川幅を持つ大河であり、物流の大動脈としても使われているので、昼間は沢山の河船が行き交っているのだが、夜は人の目が無いので、水棲エネミーにだけ気を付ければ、逃げるのは容易だろう。
なるべく、岸に近い場所を泳ぐようにしながら、少し下流で上陸できる場所を探す。
フェアリーの時に比べると、精度が大幅に悪化してしまったが、エルフも種族的に魔力感知が出来るので、水棲エネミーやニンゲンの居ない場所を探すのは、難しくない。
私は、適当な場所で河から上がると、枝ぶりの良い木を探して登り、脱いだ服を軽く絞って、そっと干して、裸族のまま就寝する。
フェアリーの時も、そうだったのだが、亜人がのんびり寝ていて無事で居られるほど、央華国は治安がよろしくない。
透明化できたフェアリーの時は、まっ昼間から空を飛んで移動して居ても、あまり問題は無かったが、リトルエルフが一人で昼間の街道を歩いていたら、あっという間に奴隷商に攫われてしまうことだろう。
幸い、エルフはニンゲンより夜目が利く方なので、夜中に移動して、昼間に寝る、と言う行動パターンが一番安全と思われた。
そもそも、央華国を出るまで、亜人である事がメリットにはならないので、街や村は全スルーするしかないし、街道で野営する隊商にしても、野営中は火を絶やさないので、夜中に先に見つける事は難しくない。
問題は、夜行性のエネミーとの遭遇率が上がってしまう事だが、央華国が定期的に討伐しているので、街道沿いに出るようなエネミーは、そう強力な個体は無い。
むしろ、経験値の足しになるだろう。
私は、油断によって得た痛みと、当初の想定より困難になった道のりを胸に刻んで、安全圏に至るまで、油断しないように、気持ちを引き締めるのであった。
そして、三日が過ぎた。
徒歩移動速度は、フェアリーの時に比べると、格段に落ちた。
フェアリーの時なら、多少の森や岩場、河と言った地形は、無視して飛び越える事が出来たので、街道に固執する必要は無かったのだけれど、エルフと言っても子供で、しかも土地勘の無い森では、それほどニンゲンと比べて優位性がある訳でもなく、移動距離を稼ぐなら、街道を使う方が断然早かった。
しかし、夜中にしか移動する事が出来ないのと、リトルエルフの脚では、徒歩旅の人間の7割も移動できれば恩の字。
エルフは森歩きが得意、と言われるが、それは自分たちが住んでいる森で、数十年も暮らしているエルフの話であり、垂直進化してエルフに成った私は、森歩きの経験なんて、ゴブリン・ホブゴブリン時代に経験している分しかない。
魔の森と、ニンゲン達の領域の森とでは、植生も違えば、セオリーも違う。
ショートカット装備欄に十分な水と保存食が無ければ、最初の数日で倒れていたかもしれない。
加えて、歩きやすい街道には、ニンゲンが居るのだが、昼間だけでなく、夜行性のニンゲン…主に犯罪者…が予想より多く、逃げ隠れする時間が思ったより多い。
何度かは戦闘になったが、農民崩れの野盗ならともかく、傭兵崩れの山賊には勝ち目が薄い。
央華国は周辺国との戦争はもちろん、内乱も多く、治安がとてもよろしくない国だ。
央華国では、エネミーよりニンゲンこそが、脅威なのだ…。(大事なことなので2回言いました)
不定期投稿、大変申し訳なし…。




