11.リトルエルフ、後悔のあと
私は、運が良かったのだろう。
排水溝を落ち、集合管へと合流したあと、汚水の溜まった地下下水道へと叩き込まれた私は、水によって衝撃が緩和され、下水の床に叩きつけられて死ぬ、と言う結末を免れた。
そして、そのまま流されれば、ゴミと一緒に汚水の底に引きずり込まれ、溺死するしかなかったのだが、手入れが行き届いていない地下下水道の、ゴミ詰まりに引っかかる事で、意識を取り戻すまで、生き延びる事が出来たのである。
目が覚めた直後は、あちこち痛すぎて、呼吸もままならなかったが、フェアリーの特技である、羽根の鱗粉を使った小回復を繰り返す事で、瀕死から、重傷ぐらいまで回復すると、ようやく周囲を見回す余裕が生まれた。
まず、物理的な衝撃すら感じる強烈な悪臭に、明かりひとつない真の闇。
私は、深く考えずに、生活魔法の明かりを生み出したのだが、その瞬間、周囲から黒くて平べったいアレが、大量に逃げ出す、カサカサという音に包まれ。心の底から恐怖と嫌悪の叫びを上げてしまう。
生前でも、一匹程度なら、殺虫剤やスリッパ片手に討伐する事は出来たのだが、軽く2桁とかは居ただろうカサカサ音はもう、恐怖と嫌悪感しか生まなかったし、何の心の準備も無かったので、私はしばらく恐慌を起こし、叫び続けた。
私の叫び声と明かりに驚き、連中が周囲から居なくなったことに気が付いたのは、たっぷり5分は叫び続けた後だった。
痛みと叫んだ疲労で回らない頭を、気合を入れて無理やり覚醒させ、自分の状態を確認する。
汚水に落ち、下水を転げまわった私の体は、服はもちろん髪の毛まで汚れきって、ここを出たら真っ先に服を焼き捨て、体を徹底的に洗浄することを決意した訳だが、幸い、荷物は全てショートカット装備欄に入っていたので、そちらは汚れる事は無かったようだ。
問題は、叩きつけられた衝撃で折れてしまった羽根で、左右2対4枚の羽根の内、右側の2枚はボロボロになってしまい、小回復でも治らなかった。
恐らくは、ゲームでもあった、部位欠損状態になっているのだろう。
この回復の為には、高ランクの回復薬か、部位復元効果のある神聖魔法を使うしかないだろう。
フェアリーにとって羽根が使えないという事は、飛べないという事でもあった。
飛べないフェアリーは、ただの小さく脆弱な人でしかない。
予定では、安全な国まで移動してから、垂直進化してリトルエルフになり、種族レベルを上げるつもりだったが、この地下下水道から脱出するにあたって、飛べないフェアリーのままで居るのは、とても高いリスクになる。
いくら魔法が強くても、耐久値が著しく低いフェアリーは、大ネズミの群れと遭遇するだけで、詰みかねないからだ。
もちろん、リトルエルフに進化したところで、別なリスクが発生するのだけれど、少なくとも耐久値はフェアリーの数倍になるし、人間用の装備を一部利用する事も出来るだろう。
何より、風の精霊がほとんど居ない地下や屋内フィールドでは、風魔法は大幅な弱体化、または使用不可能になる。
風魔法特化のフェアリーにとっては、最悪のフィールドと言える。
私は、周囲のゴミでバリケードをの様なものを作り、僅かでも安全を高めると、ステータス画面を開いて、レベルの横にある進化アイコンを見る。
種族レベルは、これまでの旅の間に少し増え、一五を示している。
アイコンは点滅しており、タップすると、ハイフェアリー、リトルエルフ、リトルホビット、リトルケット・シーが並んでいる。
水平進化先は、ハイフェアリーで、更に進化する事で精霊系統へと再回帰できる進化ルートがあるが、あまり意味は無い。
垂直進化先は、エルフ、ホビット、ケット・シーの三種族へと分岐する進化ルートで、最初はお約束のリトルからのスタートになる。
リトルケット・シーは超かわいい子猫なのだけれど、戦闘力はお察しだし、元々私の進化予定にない。
リトルホビットは、小人族…ケモっぽい毛の生えた耳を持つ子供の様な見た目の種族で、天性の盗賊と言われるほど手先が器用で、素早い。
ホビット族が早熟なので、リトルホビットに進化した時点で、殆ど成熟体と変わらない体格だし、能力的にも、この三つの進化先の中では優秀なのだが、逆に言えば伸びしろが無い。
もちろん、私の進化予定にない。
何より、ケット・シーは猫又への垂直進化ルートがあり、更に猫娘という人型へと進化する望みがあるのだが、ホビットには水平進化先であるエルダーホビットしかない。
地下下水道での生存率が多少下がっても、リトルエルフになるしか、私に選択肢が無いのだ。
私は、迷わずリトルエルフを選択する。
その瞬間、私の意識は暗転した。
そして、目が覚めると、生活魔法の明かりで照らされた、子供エルフの裸身が目に入った。
進化に伴い、怪我や部位欠損も消えたのか、体のどこにも異常は感じられなかった。
フェアリーの時に着ていたボロボロ服は、進化に伴い着れなくなったので、近くに落ちていた。
私は、ステータス画面の種族名をタップし、フレーバーテキストを見た。
「リトルエルフ。エルフの未成熟体。中立神陣営種族に属しており、物質界に適応し妖精としての性質が減少した分、フェアリーの様な純妖精の様に、直接精霊力を操る魔法は使えないが、精霊魔法を生み出した準妖精の亜人種。平均五〇〇年ほどの肉体寿命を持ち、五〇年ほどかけて肉体的には成熟体となる。ただし集落によって多少異なるが、成人として扱われるのは、一〇〇歳以上かつ成人の儀式を終えた者だけである。」
年齢一桁の私は、成人の儀式を終えても、成人として扱われないのかー…。
スキル欄を見ると、フェアリーの時に使えた風魔法や透明化は灰色になっていた。
二つともフェアリーの固有スキルなので、使えなくなってしまったのは仕方ないが、精霊魔法で、殆ど同じような魔法効果を得られるので、あまり問題が無い。
そもそも精霊魔法というのは、フェアリーの風魔法、ファイアーピクシーの火魔法、アクアスプライトの水魔法、ノッカーの土魔法を、準妖精の足りない精霊力を、魔力を余分に使う事で、再現する魔法体系なのだ。
フェアリーは風魔法以外使えないが、エルフは全ての精霊から力を借りる事が出来るので、魔力が余分にかかる事を除けば、汎用性は圧倒的にエルフが使う精霊魔法の方が上になる。
本来、リトルエルフの魔力は、肉体相応に少ないのだが、種族レベルを上げ、何度も垂直進化を繰り返した私の魔力は、モンスターレベル三のリトルエルフとしてはあり得ない量を誇るから、精霊魔法を使うのに、とても適しているのだ。
…が、問題は、精霊魔法には幾つか制限と言うか、使用条件がある。
まず、精霊の力を借りて現象を引き起こす魔法体系なので、精霊が居ない場所では、精霊の力を必要とする魔法が使えない。
具体的に言うと、水の中では火魔法は使えないとか、いうアレ。
例外や抜け道はあるのだけれど、ほぼ絶対的と言って良い制約だろう。
次の問題として、精霊魔法スキルには、耐性スキルと同じように、スキルレベルが存在すること。
実は、風魔法、火魔法といった、種族の属性に直結したスキルには、レベルと言う概念が無く、スキルを得た時点で、スキルに内包される全ての魔法が使用可能になる。
フェアリーの時に、透明化や飛行といった風を利用した高度な魔法が、最初から全部使えていたのは、そういう事なのだ。
精霊魔法を取得したての私は、最低限の精霊魔法しか使用できないから、風の精霊に頼んで空を飛ぶことはもちろん、透明化する事も出来ないし、風の攻撃魔法も範囲攻撃は出来ず、単体攻撃魔法が精いっぱいだ。
ついでに言うなら、この地下下水道には、闇、水と土の精霊以外は、ほとんど居ないから、今まで愛用してきた、風の攻撃魔法が使えないという、オチまでつく。
余談だけど、周囲を照らす生活魔法の明かりは、立派な光源なんだけど、実は精霊とは無関係の、純粋な魔力光なので、光の精霊の力を借りる事が出来ない。
つまり、私はレベル一の精霊魔法で使える、水作成、転倒、石弾、撹乱の四つの魔法を駆使して、この窮地を脱するしかないのである。
ここまで考えた所で、私はとある設定を思いだす。
リトルエルフへ進化した理由は、部位欠損して飛べないフェアリーは、多数の敵に囲まれると逃げ切れない可能性が高く、耐久力に難がある為、少しでも打たれ強いリトルエルフになった方が生存確率が上がりそうだったのと、地下下水道は風の精霊がほぼ居ないので、フェアリーがいかに強力な風魔法を使えるとしても、汎用性の高い精霊魔法には及ばないだろう、という二点だった。
しかし、前世のゲームでエルフ歴が長く、無意識に精霊魔法と風魔法を殆ど同じもの、として考えていたから、地下や屋内フィールドでは弱体化する、と思い込んでいたけれど、風魔法は、精霊に近しい存在だけが操る事が出来る、固有スキルなのだ。
つまり、フェアリーは、風の精霊に近しい存在だから、自分が居るだけで、周囲の精霊の有無に左右されず、風魔法を使える。
風魔法は地下や屋内フィールドでも弱体化しない。
となれば、範囲攻撃魔法が使える風魔法があれば、多数の敵を相手にしても、攻撃を受ける可能性は低く抑える事が出来るし、むしろ精霊魔法で単体攻撃魔法である石弾しか使えなくなった今の方が、総合的に見て弱体化している、と言って良いかもしれない。
私は、怪我や困難な状況に加えて、大量の黒くて平べったいアレに囲まれるという窮地に、冷静さを欠いていたらしい。
これからの道行きの困難さを考えて、深く強く後悔するのであった。
2020/01/08 レベル1精霊魔法の名称を「混乱」→「攪乱」へ変更




