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第九十七話 皇帝と獅子


 中心足る玉座の間は、煌びやかに彩られている。


 いたるところに金銀宝石をあしらった宝飾品が据えられており。

 絨毯は海洋国家グランシェルで作られた最上級の織物が使用され。

 天井からは薄絹のヴェールがカーテンのように仕切りとして垂れ下がる。

 鉢植えには南国はハナイ諸島から取り寄せた品。鳳梨(ほうり)を思わせるソテツにも似た植物が鉢植えに飾られ、異国情緒を醸し。

 色とりどりのクリスタルがちりばめられた発光石による、淡く頼りない輝きが、室内を明らかにする。

 妖しさを際立たせるのは、オイルランプから立ち上るアロマの香りだろう。

 全体的に幻想的な雰囲気が漂っている。



 これを玉座の間というには、華美に寄りすぎ、いささか威厳に乏しく思える。

 本来ならば、国家や王家の権威を示すものが置かれるのが普通だが、部屋の奥に赤い軍旗を背負ってはいるものの、玉座のあるべき段上には大型のソファが置かれており、東西南北、珍種と呼ばれる獣の毛皮が、その形を保ったまま敷かれているという有様。

 まったく、この世の贅のすべて尽くしたと言っても過言ではない一景だろう。

 金も物も、何もかもを手に入れたと、この部屋の在り方で物語っているかのよう。



 ソファの上にいるのは、ひどく線の細い男だ。

 怜悧という言葉よりも、痩せ型という言葉の方が先に思い浮かぶような痩身。

 しかし確かに痩せてはいるものの、そこに病的な不健康さはない。

 身体には活力が満ちており、瞳には常に銀色の光が、刃に反射(はね)たかのようにぎらついている。

 白絹のまといに身を包み、金の腕輪や首飾り、足にはサンダルをあてがう。

 指は細く、まるで女の細指を見ているかのよう。

 肌は白く、まるで白磁の人形を誂えたかのよう。

 切り揃えられた金の髪には月桂樹の冠が乗せられ。

 顔は、まるで十代の少年を思わせるほどにあどけない顔立ちだが、決して少年とは思わせない威厳が備わっている。



 ――ギリス帝国帝都アウレラ、ハーゼス宮、御座所。



 東部方面軍所属レオン・グランツは、ギリス帝国皇帝リヒャルティオ・ギルランディの前にいた。

 リヒャルティオはソファに身を預けながら、静かに白の子虎を撫でている。

 しかしその銀の双眸は、レオンに対して向けられたまま。

 いまはナダールでの戦の顛末を報告したあと。

 やがて結ばれていたその口が、開かれる。



「――負けたか。まさか常勝たる貴様が、龍のせがれに敗北を喫するとはな」


「皇帝陛下より襲撃のお許しをいただけたにもかかわらず、策を成せぬというこの失態。まことに申し訳ございませぬ」



 レオンは膝を突いた状態から、さらに深く頭を下げる。

 すると、リヒャルティオの脇に控えていた禿頭の男が、怒鳴り声を上げた。



「申し訳ないでは済まされんわ! 陛下からそれほどの裁量を願い出ながら、襲撃に失敗しただけでなく新型魔法を覚え込ませた魔導師部隊の半数までもを失ったのだぞ!」


「それついては、返す言葉もございません。もし皇帝陛下がお望みとあらば、この首いつでも差し出す所存にございます」


「当然だ! なんらかの沙汰が下ることはかくご――」


「まあ、待たれよ」



 宰相がしきりに責め立てる中、レオンの隣にいた者が声を上げる。

 それは、ギリス帝国中央軍所属、バルグ・グルバだ。

 立てば見上げるほどの巨躯。

 髭面と、やかましいほどのもみあげ。

 毛むくじゃらな顔は、さながら猛牛(バイソン)を思わせる。

 そう、ミルドア平原の衝突では、アークスやセイランをあと一歩のところまで脅かした万夫不当の兵である。



 いまは皇帝の前にもかかわらず、不遜にもあぐらをかきながら、その視線は宰相へと向けられており。

 一方で宰相がぎょろりと目玉を動かすと、バルグ・グルバは自分を指して物申した。



「宰相。レオンが処罰の対象となるのならば、ワシも処罰の対象だろう」


「ぐ、貴様は……」


「そうではないか? 敗戦の責を将が負うなら、ワシも責を負わねばなるまい? ワシも将軍位であれば、同じことだ」



 バルグ・グルバはそう言って、宰相に迫る。

 立場が同じであれば、罰は自分も受けるべきだと。

 罰を寄越せというにもかかわらず、しかし歯の根を鳴らすのは宰相の方だ。

 これでは逆だ。立場が上の宰相の方が、追い詰められているかのよう。



「バルグ、よせ」


「しかしな」


「いいのだ」



 座したまま、宰相に静かに詰め寄るグルバに、レオンが諫めの言葉を掛ける。

 そんな中、黙っていたリヒャルティオが口を開いた。



「我が宰相」


「は」


「よい。この失態を我は許そう」


「おそれながら、皇帝陛下に意見具申をお許し願いたく」


「よかろう。差し許す。我が宰相、何を申すか」


「は……失策には罰を与えねば、信賞必罰の原則にもとります。皇帝陛下の御座を盤石にするためには、グランツ将軍には何かしらの沙汰はあってしかるべきかと」


「ふむ……罰か」


「ははっ」



 しかし、リヒャルティオは考え込むような間も置かずに答える。



「今回の仕儀については、罰を与えねばならぬほどでもあるまい。此度のことで我が最も重視したのは、新型魔法の運用実験と、王国の魔導師の情報だ。それらを滞りなく手に入れているのであれば、策は成ったと言える」


「しかし銀の明星からもたらされた魔法を覚えこませた魔導師のほとんどを失ったのは、手痛い損失ではないでしょうか?」


「新型の魔法については子爵に押さえさせているはずだ。その点、レオンがぬかることはあるまい。そうだな?」


「は。それについては、すでに」


「ならばよい。あとは他の魔導師に覚えさせればよいだろう。戦の結果については、龍のせがれがそれだけの器だったというだけよ。それは軍を集める手腕からも知れることだ。今回は龍のせがれの器の一端が知れただけ、ここは良しとするべきだろう。むしろ結果としては上々だ。被害らしい被害はすべて向こうのものなのだからな」



 そう、結果を見れば、王国が寝返った味方を討っただけなのだ。

 確かに帝国も魔導師と黒豹騎を失う結果になったが、その数はわずかであり、多くの人材を抱える帝国としては痛くもかゆくもない。

 皇帝リヒャルティオは「それに」と付け加え、



「我が獅子に罰を与えるのであれば、これまで王国攻略を失敗してきた他の者にも罰を与えねばならぬ。ならば、それを改めて蒸し返すこともないだろう」



 リヒャルティオはそう言うが、しかし宰相が懸念点を口にする。



「陛下、今回の出兵に対して王国が文句を付けてきたらどういたします?」


「それに関しては問題ない。デュッセイアとポルク・ナダールの間に契約があった。デュッセイアはそれに則り兵を出しただけ、本国はあずかり知らぬことと、使者にはそう申し付けておけ」


「今回の企みはすべてデュッセイアの独断にする、というのですな? では彼の氏族は」


「生贄にしてしまうのがよかろう。一族のそのことごとく首を狩って、シンルのもとへ送るがよい」


「…………」



 リヒャルティオの冷徹な言葉を聞いたレオンは、沈黙する。

 あの若い将が何を思い戦っていたかを知る以上、その無慈悲な指示は胸に来るものがあった。



 しかし、皇帝はレオンの心配を別のものだと思ったようで。



「我が獅子。そう心配せずともよい。いずれにせよ、離反があったいまの王国には外に兵を向けるほどの気概はあるまい。そうであろう?」


「……は」



 リヒャルティオの言葉に、レオンは頷く。

 言葉が掛けられたが、当然、負けて死んだ者にそれが向けられることはない。



 ――皇帝は、カラクリ仕掛けでできている。



 ふとレオンの脳裏に、そんな言葉が思い起こされた。

 それは帝国内外で囁かれる、皇帝リヒャルティオへの悪口(あっこう)だ。

 皇帝には、他者にかける情がない。

 情がなければ、血がないのと同義。

 ゆえにその中身は、ゼンマイと歯車でできている絡繰人形と同じであり。

 だから、皇帝は絡繰り仕掛けでできているのだ、と。



「陛下、絶対にあり得ないとは言い切れないのでは? たとえセイランを討ち取っていないにしても、王国が報復に出ることも考えられましょう」


「いや、我が獅子はそれがないことを承知の上で動いたのよ。そうであろう?」


「は、此度のことで王国と戦になるは避けられないでしょうが、あっても小競り合い程度のもの。大規模な戦に発展することはまずないでしょう」


「そうだな。シンルもそういった格好を国内外に見せなければならない。だが、シンルも大きな衝突はしたくないということで我と考えが一致しているはずだ」



 だろう。

 辺境守護の要である貴族が謀反を起こした時点で、外征など不可能だ。

 王国は改めて自国の貴族の引き締めに力を入れなければならず、大規模な報復戦に踏み出すことはまずできないだろう。

 あっても報復と称した小さな戦い程度のもの。

 どう転んでも、予定調和じみたもので終わるのは間違いない。

 申し合わせの如何にかかわらず、どちらも戦をしたくないのなら、この件が自然消滅するのは必定である。

 当然それは、どちらの首脳にも理性が働いている場合に限るが――



「宰相。シンルは感情で戦をするような男ではない。勝ち目のない戦を仕掛けるような愚か者であれば、すでに我に傅いていよう」


「は」


「たとえセイランが討たれていたとしても、用兵の要点を理解しているあやつなら、そうする。必ずな」



 そう、戦では兵や将のまとまりだけでなく、国全体の団結が必要だ。

 戦の要は、好機である天運も地の理には及ぶことがなく、地の利は人心や軍の団結には及ばない。天の運、地の利は人の手で制御することは不可能だが、人間ならばどうにかできる。

 王国の戦は、貴族たちの引き締め、諸侯との意思の確認があって、初めて全力を引き出せる。

 ならば、国に団結がないいま、軍を動かすべきではないのだ。



 そんな折、部屋に官吏が入ってくる。

 なにか急ぎの報告でもあるのか。

 やがて官吏はその場で膝を突き、深い礼を執った。



「一体何事か」


「ははっ。ご報告致します。皇太子殿下、ご帰還なされました」



 官吏が報告を行ったあと、やがて部屋の扉が大きく開かれる。

 玉座の間に入ってきたのは、リヒャルティオと同じ金の髪を持った少年だった。

 従者を後ろにぞろぞろと引き連れながら、足取りは軽く。

 歳の頃は、十代後半。

 その容姿は、皇帝リヒャルティオと兄弟と見まがうばかりの似通いようであり。

 違いと言えば、目尻がわずかに、顔立ちを柔和に思わせる程度に垂れているくらいのもの。

 見る者によっては、どちらが兄か弟で意見が食い違いそうなほどだ。

 しかし、れっきとしたリヒャルティオの子息である。



 ギリス帝国皇太子、エルネスト・ギルランディ。

 エルネストは部屋に入ると、大仰な礼を執った。

 そして段の近くまで歩み寄ると、今度は膝を突いて深く頭を垂れる。



「皇帝陛下、皇太子エルネスト、北部ダンバルードよりただいま戻りました」


「せがれよ、戻ったか」


「はい皇帝陛下。ご無沙汰しております」


「うむ」



 リヒャルティオの言葉のあと、ふとエルネストは周囲を見回し。



「取り急ぎ報告だけとは思いましたが……お邪魔でしたか?」


「いや、構わぬ」


「一体なんのお話をなさっていたので?」


「東部の作戦について、我が獅子より報告を受けていたところだ」


「東部の? では王国の……」


「そうだ」



 エルネストは、深く思案したように目をつむると、やがて口を開く。



「いま我が国に王国と争う利はないはず……ならば何か秘密作戦でも行っていたのでしょうか?」



 しかし皇帝リヒャルティオは答えず。

 エルネストはそんな父の調子にも慣れているのか、今度はレオンの顔を覗き込んだ。



「ふむ、獅子殿もいつも以上に神妙とした様子。ということは、だ。あなたにしては珍しいことだ」


「面目次第もございません」


「いやいや。戦は勝ちと負け、残りは痛み分けしかないのだ。仕方ないでしょう。それに、獅子殿ならば、痛みもさほど少なく済ませているはず」


「ははっ」


「そうでしょう」



 レオンが肯定の返事をすると、エルネストは屈託のない表情で満足げに頷いた。



「せがれ」


「は。皇帝陛下」


「報告せよ」


「ははっ――此度の決戦にて、北部ダンバルード、我が軍に全面降伏いたしました」


「うむ。そうであろうよ」



 リヒャルティオはさも当然という風に、さらりと言って退ける。

 一方エルネストは、そんな皇帝の態度が不満だったらしく。



「えっと……勝利したのですから、お褒めの言葉の一つも欲しいところなのですが」


「せがれよ。称賛とは身の丈を超える大功を上げた者にこそ相応しいものだ。そなたの、こなせる仕事に、いちいち称賛など必要あるまい」


「はぁ……信頼されているのやら、どうなのやら」



 エルネストは大仰に肩をすくめて、首を横に振る。

 ……たとえ実の息子とはいえ、公の場で最高権力者である皇帝を前に飄々としているのは、褒められたものではない。

 だが、誰もエルネストの態度を咎める者はいないのは、その関係性をわかっていてのものか。



「せがれ、兵たちの様子はどうだ?」



 リヒャルティオが訊ねると、エルネストは困った様子で、



「あのそれが……みな勝利の酒で溺れかけている始末でして」


「ダンバルードの攻略は長かったからな。駐留している兵は里心が付く前に、今一度兵の心を引き締めよ。降伏したとはいえ、残党に寝首を掻かれるような失態などあれば、状況は容易にひっくり返る」


「御心のままに」



 リヒャルティオの指示に対し、エルネストはやはり大仰な礼を執る。



「これで残りはメイダリアのみか」


「ははっ。抵抗はこれまで以上に激しいものとなるでしょうな」


「……殲滅だな。降伏したダンバルードとメイダリアには、扱いに差があるということをよく知らしめよ」


「そうなりますと、時間がかかりますね」


「構わぬ。王国と戦うには相応の準備が必要だ。王国はメイダリアと同時に相手取れるほど、甘くはない」


「そうでしょうね。王国は国定魔導師に十君主、地方の貴族たちも侮れません」



 そんな中、リヒャルティオは子虎を撫でる手を止め、思い出したというようにレオンに視線を向ける。



「して、我が獅子よ。デュッセイアを討ったのはやはりセイランか?」


「は。ただ……」


「なんだ?」


「アリュアス殿からは、従者の多大な尽力があったからだと聞いております」


「従者?」


「は。セイランには近衛の他に銀の髪の少年が付き従い、己の身も顧みず最後まで守り通したと聞いております」


「ほう……」



 リヒャルティオがそんな声を出す一方で、当然、心当たりがあるのはバルグ・グルバだ。

 当時のことを思い出したように、膝を叩く。



「おお! あの若武者だな! うむうむ、やはり若者は侮れんなぁ……」



 バルグ・グルバはそう言って、感心した様子。

 皇帝はそんなバルグ・グルバの態度に、食指が動いたのか。



「ほう? 貴様の印象に残る者というのも珍しいな」


「はは。セイランと近衛の前に迫った折、立ちはだかったのがその者にございます。国定魔導師以外では久々に魔法で痛みを与えられましたな」


「貴様にか」


「は。年のころはセイランと同じくらいでしたので、よく覚えております」



 バルグ・グルバの言葉を聞いて驚いたのは、宰相だ。



「馬鹿な! セイランと同じ歳だと!? それでは十やそこらといった年齢ではないか!?」



 まるで信じられないというように仰天する彼に、さらにレオンが補足を挟む。



「デュッセイアと黒豹騎の精鋭二十人。セイランがいたとはいえ、ほぼ一人で倒したとのこと。その手際は、あのメガスの高弟の一人アリュアスをして見事なものであったと言わしめました」


「なんと……」



 宰相は、そのまま絶句する。

 いくら魔導師とはいえ、十才前後の少年が帝国の精鋭を倒してしまうなど、まったく信じられないことであった。

 一方で皇帝は、神妙に目を細めて、



「龍のせがれが、得物を得たか……して、その者の名は?」


「は。アリュアス殿より、アークス・レイセフトと」


「レイセフト……ライノールでは有名な武門だったな」


「出奔していますが、溶鉄の魔導師クレイブ・アーベントもレイセフトの出でございます」


「ふむ……」



 リヒャルティオは頷くと、何事かを思案するように固く目をつむるのであった。




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