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第九十六話 北部ダルネーネス



 そこは、軍事施設のとある一室……いや、一室というにはいささか以上に広い空間だった。



 室内は数十人の人間が一度に集まれるほど広く。

 高い天井はいくつもの太い柱によって支えられ。

 奥には二つの大きな暖炉が設置されている。

 部屋の四隅には、部屋の温度を保つための刻印が施された金属製の設置物が置かれており。

 天井からは、王国から輸入された輝煌ガラスをふんだんに用いたシャンデリアが吊り下げられているという金のかけよう。



 壁からは紀言書に語られる怪物を模した彫刻が頭を突き出し。

 垂れさがるバナーは黒く、タペストリーも黒ばかり。

 中央奥は三段ほど高くなっており、玉座が置かれ。

 その背後には、瞳を紫色に妖しく輝かせた三つ首の蛇が描かれた軍旗が、交差して設置されている。



 ――北部連合ダルネーネス領、複合要塞都市エルダイン中央、玉座の間。



 いまここに、一人の女と一人の男がいた。

 片や女の方は、玉座に腰かけ、ひじ掛けに頬杖を突き。

 片や男の方は、段の下で、資料を持って立っている。

 その態度や立ち位置だけでも、二人の関係性が知れるだろう。



 女の方は、ここエルダイン要塞の主であり、国内外から【(くろがね)の薔薇】と呼ばれるメイファ・ダルネーネス。

 年のころは、二十になったばかりのあどけなさの残る顔立ち。

 髪はなだらかに波打つダークブロンドが肩下まで伸び。

 紫の瞳は光輝くアメジストか、それとも後ろの三つ首蛇の双眸か。

 日焼けとは無縁の、新雪さえ欺くほどきめ細かな白い肌を、黒いギャザーグローブと黒いドレスで包み込んでいる。

 いまは眠っているかのようにまぶたをピタリと閉じたまま、何かを考え込むように、玉座で静謐さを保っていた。



 対する男の方は、彼女の部下の一人である、情報を取りまとめる男だ。

 国内、国外にかかわらず、あらゆる情報を集める役を担っている。

 腹心にしてはいささか軽薄そうであり、顔は無精ひげ塗れ、気だるげ、疲労のためか下まぶたは薄く黒みがかっているという有り様。

 ところによってはやる気がない、覇気がないと追い出されてしまいそうなほど。

 メイファの言葉を待つ間、やはり気だるげに頭を掻いており、フケがパラパラとこぼれ落ちた。



「――ふむ、結局例の企みは失敗したのだな」



 そんな堅苦しい言葉を発したのは、玉座に座る女メイファだ。

 彼女のハスキーさを備えた美声が届くと、部下の男はかったるそうに資料をめくりながら答える。



「ええ、そうです。ライノール王国王太子セイラン・クロセルロードは、ポルク・ナダールが用意した網に捕らわれる間際でその企みに気付き、ラスティネル領に入ってそのまま討伐軍を結成。その後は…………ええっと、待ってくださいね。蜂起したナダール軍とミルドア平原で衝突し、これに勝利した…………ってのが今回の顛末ですね」


「ふむ」


「まあなんともよくできた話ですよ。セイランはよほど運がいいのか、何かしら未知の力が働いてるのか、もしくはその勝利があらかじめ用意されたものなのか…………ともかく出来過ぎじゃないかっていうくらいよくできた勝利です。よくもまああの状況から巻き返せたもんだって称賛を贈りたいくらいですよ」



 部下の男がへらへらと笑うと、メイファは同じような話を何度も聞かされたときのように、辟易とした息を吐く。



「まあ、当然の結果……というところに落ち着いたのだろうな」


「ということは、メイファ様はこの結果を予想してたんで?」


「そうだな。企みに事前に気付いて引き返したのは予想外だったが、横流しや横領などという小狡い真似しかできないような者が、主導でクロセルロードを倒せるわけがない。そうでなければ、リヒャルティオもバルバロスもこうまで王国の攻略に手こずってはいないだろう」


「豚の群れの中に獅子が紛れていてもですか?」


「率いている兵がすべて帝国のものなら話は別だが、大半はナダールの兵だろう。それでは獅子の指揮があろうと力を十全に発揮することはできまい。豚は豚だ。獅子がいようと龍には勝てぬ」


「なるほどねぇ。いやこれは一本取られました」



 などとうそぶく部下の男。そんな男に対し、メイファは冷たい視線を向ける。



「それだけか? ならば特に時間を取る必要もなかったと思うが?」



 彼女がそう言うと、部下の男は一転、軽薄そうな態度を潜め、



「いえ、まだです。これとは別に、少しばかり耳にお入れしたい情報が」


「まだなにかあるのか?」


「むしろこの件はこっちが本題ですね。平原の衝突で、なんかすげえ魔法が使われたらしいんです」


「ほう? 魔法か。魔法ならば王国の得手だろう。特に驚くような話でもない」


「なんでもその魔法、帝国の最新鋭の防性魔法を容易に突破して、魔導師部隊を騎兵ごと一掃したとか」


「それが驚異的だと言うのか?」


「見て来た密偵の話を聞く限りでは、ほんとスゲー苛烈な魔法だったらしいですよ? 魔力の飛礫を撃ち出して、人も馬も鎧ごと穴だらけにしたとか」


「聞く限りでは、ありそうな魔法ではある」



 メイファはありふれたものと断じるが、しかし部下の男は首を横に振る。



「それが密偵は、あんな恐ろしい魔法が部隊規模で使われたら、兵はすぐさま壊滅するとか言ってましたね。現にごく短い時間の間に魔導師部隊が殲滅されているようです」


「……?」



 部下の男はその脅威のほどをどうにか伝えようとするが。

 しかしメイファには、その凄みがいまいち伝わらない。

 魔法の威力の基準は、どれだけ派手で規模が大きいかが判断の材料となる。

 話を聞く限りでは、強力な魔法であれば不可能ではない程度だし。

 それくらいなら北部連合の抱える魔導師でも、使える者を揃えている。

 新型の防性魔法がどれほどの防御能力を持つのかがわからないゆえ、断じることはできないが。

 国定魔導師を擁する王国ならば、むしろその程度の魔法も使えて当たり前だとも思えてしまう。



 それゆえ、この危機感の正体が掴めないのだ。



 一方で、部下の男はそんなメイファの困惑を察したのか。



「ぬかりはないですよ。ナダール側に潜ませていた魔導師を連れてきていますんで」



 部下の男はそう言うと、部屋の外に連絡を発し。

 やがて玉座の間に一人の魔導師が入って来る。

 魔導師は部下の男のもとへ着くと、メイファに向かって膝を突き、深々と頭を下げた。



「して、魔導師。戦で使われた魔法とは、どういったものだ?」


「はっ! その攻性魔法は、拳大ほどの黒い飛礫を絶え間なく連続で撃ち出すというものでした。恐るべきはその速度と貫徹力で、王国の主力魔法である【火閃槍(フラムルーン)】でも貫けなかった防性魔法を貫き、後ろの魔導師ごと穴だらけ――いえ、砕き殺してしまいました」


「ふむ、【火閃槍(フラムルーン)】を凌ぐ防性魔法か。それなら、確かに脅威ではある」



 メイファの言及は、防性魔法に対してか、それともそれを貫いた魔法にか。もしくはそのどちらもか。

 【火閃槍(フラムルーン)】は、王国の主力魔法だ。戦場においては王国の魔導師が一律に使うため、これを防御できる防性魔法があれば、王国との戦では優位に立てる。

 だがこの話の中身は、【火閃槍(フラムルーン)】で貫けなかったという結果を、さらに覆す魔法があるということだ。



 メイファは髪色と同色の眉をわずかに動かして、先ほどよりも話に興味を示す。



「威力の高さで言うならば、国定魔導師の魔法の方が強いはずだ。それでもそうして恐れを抱かずにいられないということは、だ。他の部分が驚異的だったということだな?」


「は。おっしゃる通りにございます。細かくはわかりませんが、魔力をそこまで多く使ったようには思えませんでした。おそらく、一般的な魔導師の魔力量でもまかなえる程度のものではないかと」


「……その魔法の呪文は聞き出せたか? もしくは再現は可能か?」


「申し訳ございません。呪文を聞くことはできず、我々ではあの黒い魔力の飛礫すら再現することができませんでした」


「……そうか」



 メイファは視線の向かう先を、魔導師から部下の男へと移す。



「それならば部隊規模で使用される可能性もある。それで【火閃槍(フラムルーン)】よりも強力となると、確かに脅威だな」


「ええ。うちの防性魔法を刷新したのがつい最近で、それも基準は王国の【火閃槍(フラムルーン)】や帝国の【火者の暴走(フラムラフター)】に対してですので、さらにそれを凌ぐとなると……」



 部下の男はそう言うと、疲労に満ちた大きなため息を吐く。

 そうなると、また新しい魔法を作るため、情報を集めなければならない。

 そのため、頭が重いのだろう。



「やはり新しい魔法だと思うか?」


「おそらく秘術の類かと推測します。他からの報告でも、その魔法はその者しか使っていなかったと言っていましたし、正式に採用されているものではないと思われますね」


「その魔法を使った者のことは特定できているか?」


「そこもぬかりありません。名前は……ええと、これです。アークス・レイセフト」


「レイセフト……あの東部のレイセフト家のか? 確かあそこはクレメリア傘下の貴族家だったはずだが?」


「は。そうなんですけど、なんでしょうね。討伐軍に参じた理由まではちょっとよくわからないですけど、銀の髪と赤い瞳だったってことなんで、まず間違いはないと思います」


「本家の嫡流か? それともあの溶鉄の?」


「調べたところによると、本家の子息にそれらしい歳の子供がいます。歳は……なんと十二」



 アークスの歳を聞いたメイファは、驚きで上まぶたをぴくりと動かす。

 そして、真偽を訊ねるように、その魔法を見ていた魔導師に視線を向けた。



「はい、間違いございません。歳も若く、見た目は同年代の子供よりもさらに小さく見えるほどでした」


「若いな。成人前の戦は貴族や君主の子弟にはよくあることだが、自作の魔法で活躍は聞いたことがない」


「恐るべき才能です。ただ……」


「ただ?」


「なんかよくわからないんですけど、どうもこのアークス・レイセフトっていうのは本家から廃嫡されているらしいんですよね。ほんとよくわからないんですけど」


「……そんな逸材を? 一体何故だ?」


「それがですね、魔力がレイセフトの基準に満たなかったとかで……」


「そんな馬鹿な――」


「話が、本気で実際あるみたいなんですよね……まったくもってよくわからないんですけど」


「成人前までなるべく情報を隠していたいがための偽情報……か?」


「そう思っていろいろ調べたんですけどね、調べれば調べるほど事実であることを示す情報しか出てきませんでした」



 部下の男はそう言うと、もうお手上げといわんばかりに両手を挙げて降参の意を示す。

 そして、もう一つ、伝えるべきことがあったというように。



「それと、ナダールの蜂起にいち早く気付けたのも、このアークス・レイセフトが動いたからとのことですよ? 各領主の顔合わせのときに、セイラン自らそれに感謝の言葉を述べたそうで、その流れで戦地にいる間は常に手元に置いていたようです」



 それにはさすがのメイファも、唖然とした様子を見せる。



「レイセフトの本家は一体なにをしてるのだ……そう言えば先代のレイセフトの当主も、凡庸だったという話だな」


「それで溶鉄も廃嫡されたって話もありますね。ま、その辺は凡庸ゆえ、本質が見えなかったってことでしょう。魔力の量ばっかり崇める連中にはありがちな話ですよ」



 部下の男はそう言うと、ふと背後を振り返る。

 そして、扉に一番近い柱を睨み付けた。



「……おい、誰だ?」



 刃が交じったような鋭い気迫が、柱の裏側に差し向けられる。



 やがてそこから、一つの影が現れる。

 柱の裏からひょっこりと現れたのは、チューリップハットをかぶった若い男だった。

 外套をまとい、腰には大きく湾曲した刀を携え、背中には背嚢を背負っている。

 目は糸のように細く、それゆえ一見して何を考えているか判然としないところが胡散臭さを助長させる、そんな男。



 こちらもメイファの部下の男に負けず劣らず、へらへらとした様子。



 それは、アークスたちがラスティネル領にある村で出会った男、ギルズだった。

 メイファがギルズに紫の視線を向ける。



「ギルズ」


「毎度おおきにメイファはん。もうかりまっか? どないでっか?」


「相変わらず貴様はどこにでも現れる」


「ええ加減ぼちぼちでんなって返して欲しいんやけどな。あと、こっちが「邪魔するで」って言ったときもな……」



 ギルズは能書きを垂れるように構わず続けるが、一方のメイファはとりつく島もなく。



「与太はいい」


「怖いわぁ。金玉縮みそうやで」



 ギルズは両肩を抱いて身を震わせ、怖がっているような仕草を見せる。

 場を無視しておどけ始めた彼に、メイファの紫の瞳が妖しく輝いた。

 それにギルズが顔を引きつらせ、焦ったように飛びのいたその直後。



「うおわぁっ!」



 ギルズの足下にあった床が、酸化した鉄のように黒くなった。

 黒く硬化した床はパキパキと音を鳴らし、わずかに盛り上がっている。

 さながらそれは真っ黒く凍りついたかのよう。

 一方で間一髪それを回避したギルズはと言えば、硬化した床を覗き込むように見下ろす。



「はー。これが紀言書に語られる、【(くろがね)縛瞳(ばくどう)】なんか。おっそろしい技やで」



 床の状態を確かめるように、つま先でちょいちょいと突っつくギルズには、危機感などまったくないのか。メイファの力に対して感心した様子で唸るばかり。



 そんなギルズに、メイファが訊ねた。



「ギルズ、今日は一体何用だ?」


「いやな、特に用らしい用はなかったんやけどな、なんやアークス君の話をしてるみたいやから、ついつい聞き入ってしもて、出て行く機会を見失ってもうてな」


「勝手に入ってこられると困るんだがなぁ」



 ギルズの勝手な立ち入りに、部下の男が困ったように頭を掻く。

 その一方で、メイファが目を細めた。



「貴様、そのアークス・レイセフトという者を知っているのか?」


「そりゃ、今度の旅で会って来たしな」


「ほう?」



 メイファが興味を示す声を発すると、ギルズは食い気味に煽り始める。



「お? 気になる? 気になるわなぁ。そりゃそうやわ。アークス君はおもろいもんなぁ」


「いいから話せ」


「いやな、最近王国の魔導師の質がやたらと上がったって話は、メイファはんも知っとるな?」


「無論だ。今回ナダール側に間者を紛れ込ませたのは、それを確かめるためでもある」


「なるほどな。で?」



 ギルズの訊ねに対し、メイファは部下の男に目配せして、答えさせる。



「事実、王国の魔導師部隊の練度は以前に比べて格段に向上してたらしい。それはこっちでも確認している」


「せやろなぁ」


「で、それがどうアークス・レイセフトと関係しているのだ?」


「その、練度向上の要因を作ったってのが彼やって話や。ま、裏まではとれへんかったけど」


「おいおいおい……そんな話一体どこから手に入れたんだ」


「さあてなぁ。わいの秘密は持ってきてる売りもんよりも高いで?」


「その情報、詳しく聞きたい。いくらだ?」


「ざんねんやけど、これは売りもんやないさかいに」


「ほう? それだけのもの、かなりの利益になると思うが?」


「せやな。せやけども、ワイとアークス君はしんゆーやで? ワイは心が、クロス山脈の雪解け水並みに清らかやからな、しんゆーを裏切ることなんてできひんなぁ」


「そんなことを話している時点で、随分な裏切りだと思うがな?」


「まさか。要因の正体を売り渡さな、大丈夫やって」


「…………」



 この男は、それがなんなのかを知っている。

 メイファがそう考える一方で、ギルズはメイファのそんな内心を察したのか。



「なに、今日こうして教えに来たんは、いつも御贔屓にしてもらっとるからってだけや。あとは自分で、外交なりなんなりで手に入れたってや。ワイはこれからアークス君とのわくわくどきどきな商談があるさかいに」



 ギルズはそう言うと、背中の背嚢を背負い直すように、ひと跳ねして。

 手をひらひらと振りながら、玉座の間の扉を開けて出て行ってしまった。



 ……メイファが、部下の男に告げる。



「王国の論功会には予定通り、使者に戦勝祝いの祝辞と贈り物を持たせて向かわせろ」


「了解しました」


「あとはそのときでいい、シンル・クロセルロードに会談を打診しろ。北部の他の者には気取られるな」


「承知しましたけど……こっちの手札はどうするんで?」


「さあ、なにがいいか。悩みどころだな」



 メイファはそう言うと、また眠りについたかのように、頬杖に頭を預けて、再び目を閉じたのだった。


 


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