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第九十五話 お寝坊しました



 目が覚めたのは、チェインの頼み事に応え、意識が遠のいたその直後だった。



 覚醒後の意識は随分とはっきりしており、往々にして抱く気怠さもまったくない。

 図らずも寝起き直後とは思えないほどに、清々しい目覚めを体験することができた。

 前を見れば、味気ない布の天井がある。

 おそらくは、天幕の中にいるのだろう。

 身体は簡易のベッドに寝かせられており、周囲は白いカーテンで区切られている。

 枕元に置かれた簡易の台には小さめの【輝煌ガラス】が設置され、日の光を取り入れていなくても、中は随分と明るい。



 そのまま、ベッドから身を起こそうとしたのだが――



「うごっ、身体が、動かな、い……」



 身体を動かそうとするも、思うように動いてくれない。

 いつもより力を込めないと、転がることすら困難だった。



 自分の体調に戸惑い、四苦八苦する中、ふいにカーテンが軽くめくられる。

 そこから顔を出したのは、白いローブをまとった女性だった。



「これは……お目覚めになりましたか」


「え? あ、はい……」



 女性の落ち着いた声に、つい間の抜けた返事をする。



「そのままで結構です。無理をしてはいけません。いいですね?」


「わかりました……」


「よろしい」



 女性は、満足げにそう言うと、カーテンの内側に入ってくる。

 白いローブをまとった、細身の女性だ。年のころはだいたい三十代ほど。

 金の髪を後ろで簡単にまとめて縛っており、全体的に清潔感が漂う。

 立ち入る挙動や周囲の物への扱いは丁寧だが、どことなく所作の内に尊大さが垣間見えるのが不思議なところ。

 キャリアウーマン、働く女性という印象を持ってしまうのは、男の世界の前時代的な感覚が抜けきらないからなのか。



 ……ともあれ白いローブを着ているということは、討伐軍に従軍する医療魔導師だろう。

 気を失う前は傷だらけであったため、おそらくはその治療を行ったのだと思われる。

 そういえば、と、部屋の中に薬草の臭いが充満していることに、いまさらながら気がついた。



「おはようございます」


「……おはようございます」


「ご自身のお名前はわかりますか?」


「はい。アークス・レイセフトです」


「よろしい。一時的な記憶の混濁もなさそうですね」



 医療魔導師とそんな会話をする中、意識回復の知らせを聞いた他の医療魔導師が仕切りの中を慌ただしく出入りする。

 天幕の外と連絡を取りに向かう者。

 水差しを持ってきて、水を飲ませてくれる者。

 脈を取ったり、首や顔を拭いたりしてくれる者など。

 みなやたらと甲斐甲斐しい。



「なんかすごく丁重といいますか」


「王太子殿下から、そうご下命されていますので」


「そ、そうですか……」



 随分と優遇してくれるのは、そういう事情があるためか。

 ともあれ医療魔導師の女性は、問診票のような物を手に取って、キビキビと質問を進めていく。

 質問の波に流されるまま、その後いくつか問診を受けたあと。



「左腕は動きますか?」


「左腕? あ……」



 彼女にそう言われて、やっと気がついた。

 そういえば、デュッセイアと戦ったとき、【輪転する魔導連弾(スピニングバレル)】限界を超えて使用し、左腕に無視できない負荷をかけた。

 もしやもう動かせないのでは……そんな憂慮を抱きながら、左腕や手を動かしてみようとする。



「う……」



 やはりというべきなのか、指や肘をわずかに動かせるだけで、手や腕は思うように動いてくれない。



(これはやっちまったか……)



 医療魔導師に、これ以上は動かないということを目で伝えると、彼女は神妙な様子で「そうですか……」と口にする。

 そして、



「治療についてはこちらも最善を尽くしました。ですが動かせるということは、完全に動かせなくなったというわけではないと思います。完治まで、これから根気よく治療を続けていく必要があるでしょう」


「そうですか」



 魔法での治療を受けきって治りきっていないことは不安だが、完全に使い物にならなくなったわけではないのなら、むしろ上出来だと言えるだろう。

 動くならば、神経の伝達がダメになったわけではない。

 まだまだ治せる余地はあるだろうし、治せる余地があるのなら、どうにでもなるだろう。



 そう、だって自分は、魔導師なのだから。



(今後は、治療の魔法にも力を入れなきゃだなぁ)



 ほとんど動かせない左腕を見ながら、そんなことを意気込んでいると、カーテンに外側からごつい手がかけられる。



「――おう、どうやら本当に目が覚めてるみたいだな」


「伯父上……」



 頼もしい声と共に現れたのは、伯父であるクレイブ・アーベントだった。

 肩に軍服を引っ掛けた、普段と同じスタイルのまま。

 誰の了解も取らぬままに、仕切りの内に入ってくる。

 漂ってくる、葉巻の匂い。

 医療魔導師は無遠慮な侵入を咎めるか。

 顔をしかめつつ、クレイブにじとっとした視線を向けるも、しかし彼は誤魔化すように苦笑するだけ。



 クレイブのあとに続いて、ノアとカズィも顔を出す。

 彼らもいつものように、執事服姿だ。

 二人共クレイブよりも清潔にしているためか、特に文句や非難の視線も受けなかった。



「伯父上、おはようございます」


「おはようってな、お前……」


「……?」



 クレイブが呆れた顔を見せたため、医療魔導師の方を向くと、彼女は知らぬ存ぜぬという風にそっぽを向いた。おはようございますと確かに言ったはずだが、実際は時刻とそぐわなかったのか。

 医療魔導師が最初の挨拶をなかったことにしようとしする中、ノアが現況を伝えてくる。



「アークスさま。もうお昼ですよ。しかも気を失われてから一週間後のです」


「いや人間ってのはここまで寝られるモンなんだな。ご主人サマのお寝坊ぶりにはまったく感心するぜ。キヒヒッ!」



 ノアもカズィからも、いつもの軽妙な言葉が返ってくる。

 それがあまりに普段通りすぎたせいか、何故かこちらの方が安心してしまった。

 彼らとの入れ替わりで、医療魔導師たちが出て行くと、クレイブが簡易の椅子にどっかりと腰掛ける。



「一週間ですか」


「ああ。このまま目覚めねぇんじゃねぇかって心配してたところだ」


「いろいろとご心配をおかけしました」


「まったくだ。いつもいつも騒ぎばっかり起こしやがって」


「あ、あはは……」


「笑いごとじゃないんだぞ? 人間死んだら終わりだ。やりたかったこともできなくなる」


「はい。それはよくわかっているつもりです」


「なら、いいんだがよ」



 説教のようなことになったが、お小言程度で済ませてくれるのは、あの状況では選択肢すらなかったということを、きちんと理解しているためだろう。注意してくれる親心を、つくづくありがたいと感じる。

 そんな風に、感じ入っている中、



「そろそろ心労に関するお手当の方も請求しないといけませんね」


「……心配かけたのは申し訳ないと思うけどさ、それは執事の発言としてどうなんだよ?」


「肉体的な仕事と心にかかる負担はまた別ですので」


「お前俺からどれだけむしり取るつもりだよ……」


「ま、慌ただしく動いたんだ。それくらい色を付けてもらわないと割にあわないぜ?」


「そう言っていろんなところから手当をふんだくるつもりじゃないだろうな?」


「お! それはいい手だな。さすがウチのご主人サマは考えることがあくどいぜ。キヒヒッ!」



 執事二人とそんな他愛のない会話をかわしたあと、気になっていることを訊ねた。



「伯父上。戦の方はどうなりましたか? 一週間も経っているなら、決着までとは行かずとも、趨勢は決しているはず」


「最初に聞くのがそれかよ。まあ、お前としては気になることだろうが」


「はい。是非に」


「先に言うと、すでに決着は着いている。討伐軍の勝利って形でな」


「そうですか、よかった……」


「ま、俺が来た以上は負けなんてあり得ねぇからな」



 クレイブはそんなことをうそぶきつつ、胸を大いに張る。

 一方でノアが、副官よろしく眼鏡の位置を直す仕草を見せて、詳しい補足を挟む。



「平原での決戦のあと、セイラン殿下率いる討伐軍は撤退したポルク・ナダールを追撃。最後は籠城戦となりましたが、平原会戦と追撃戦で消耗しきったポルク・ナダールに勝ち目はなく、ナダール本城は二日もかからず落城。首級はルイーズ閣下が挙げました」


「何事もなくそれらしいところに落ち着いたってわけか」



 なんというか、ディートの「カーチャンずりー!」という拗ねたような声が頭の中で再生される。

 その一方で、カズィが居心地悪そうに後頭部をぼりぼりと掻いた。



「もう一、二波乱起こりそうな気もしてたんだがよ」


「なかったのか?」


「ああ。まったくなにもな。帝国兵がいたからもっと噛み付いてくるかと思ったんだが、平原での戦いのあとはあっさり撤退していったらしいぜ?」


「それが引き際を弁えてるってことだな。大将軍殿もそっちに網を張ってたらしいが、捕まえられなかったそうだ」



 大将軍。そう言えば、謁見の際にそう呼ばれていた者がいた。



「ガドウルド・ベルハーンでしたか? 確かそちらは動かないって……」


「討伐軍内の間者の存在を疑って、そういうことにしたんだろう。嘘の情報をわざと流したのさ」



 確かにそうすれば、敵に誤った情報を掴ませられる。動く動かないにかかわらず、不安を煽ることができるというわけだ。

 ふいに、クレイブが快活な笑みを向けてくる。



「にしても、随分と奮闘したらしいな。近衛の連中も褒めちぎってたぜ?」


「え? いや……」


「帝国兵、しかも黒豹騎を相手にド派手に立ち回った。そうそう出来るもんじゃない」


「いえ、あれは夢中だったからで……それにあの場には殿下もいましたし」


「夢中でもなんでも、あの窮地を切り抜けたのはたいしたもんだ。しかも、殿下に傷を負わせることなく守り通したんだ。上出来以上、大手柄だぞ?」



 いつもは厳しい伯父が、こうして手放しで褒めちぎる。

 訓練のときはいつも怒られてばかりな身としては、なんとも面映ゆかった。

 なので、



「……こんなに褒めるなんて、伯父上らしくない」


「これはもしやクレイブさまを騙る悪党なのでは。正体を表しなさい」


「真面目に言ってるんだ。ふざけるなこのバカたれ共」



 使い古されたお約束のボケをかますと、すこん、すこんと軽いげんこつが落とされる。

 それを見て「キヒヒッ!」と笑い転げていたカズィにも、おまけにすこんと理不尽が落とされたのは、なんともとばっちりだとは思うが。



「ひねくれやがって」


「いえ、なんか伯父上にそんなに褒められるのが新鮮だったものでつい」


「褒めるときはきちんと褒めてやらねぇとな。事実、お前は活躍したんだ。こういうときは称賛されてしかるべきだ」


「は、はい……」



 照れ隠しがしたくなって、別の話題を投げかける。



「それにしても、どうして伯父上が援軍に?」


「それは陛下のご命令だ。帝国の方でキナ臭い動きがあるから、ちょっと行ってこいって言われてな」


「なんか散歩に行ってくるみたいですね……」



 まあ、クレイブはあれほどの力を持つ魔導師なのだ。

 一軍団を打倒するという大業にも、かける労力は散歩程度のもので大丈夫なのだろう。



「というか最初に来た魔導師たち以外の援軍は、(ハン)族やグランシェル警戒のため割けないのではなかったのですか?」


「そういう風にしたのさ。動きがどこにも知られてなけりゃ、誰も察知できないからな」



 つまり、それは。



「敵を欺くにはまず味方から……」



 男の世界では、よく聞くにもかかわらず、正しく使われることはまず皆無という言葉だ。

 実際にこれを実感できたのは、これが初めてではないだろうか。



 ……討伐軍に援軍があるということになれば、討伐軍全体の動きにその影響がにじみ出てくる。行軍や戦場での軍の展開も、援軍がくる前提の動きになるし、その動きを見た敵が援軍の到来を察知する可能性も否めない。

 それを回避するために、国王はあえてセイランにも知らせないという手に出たのだろう。



「――ほう? 面白い言葉だな。確かに父上の策を表すにはこれ以上ない言葉だ」



「――!?」



 ふいにカーテンの外から、そんな声が飛び込んで来る。



 途端、クレイブやノア、カズィが、その場で即座に立ち上がった。

 そして、高貴な身分の者を迎えるように、腕を胸に当てて礼を執る。

 全員が背筋に鉄の芯棒を入れられたかのように、直立不動。

 正面を向いたまま、目線は少し上にして、声の主を出迎える。



 やがて、こちらとあちらを仕切っていた白いカーテンがめくられると、そこにはセイランの姿があった。

 いつものように、黒の面紗(ベール)をかけた覆面姿。沢山の装飾で飾り立てたかぶり物は、さながら中華風の仏僧帽子に黒衣(くろご)の面の部分をあてがったような見た目をしている。

 耳も髪も横顔も、すっぽりと覆われて見えず。面紗の編み込みの薄くなった口元だけが、光の加減で時折わずかに見える程度。いまは金糸の龍が描かれたきらびやかな中華風の袍服に身を包み、荘厳な気配をまとっている。

 思いも寄らぬ人間の登場に、驚きを隠せない。



「で、殿下……」


「うむ。そなたの意識が戻ったと聞いてな」



 それで、こうして足を運んでくれたのか。

 まさか、直々に見舞いに来てもらえるとは思わなかった。

 普通はこんなことなど、あり得ないことだ。

 エウリードがカーテンをめくり、その開かれた道をセイランが通る。

 セイランはクレイブから差し出された席に、自然な様子で腰掛けた。



「殿下。このような格好で、申し訳ありません」


「構わぬ。余を守るために負った怪我で自由が利かぬのだ。余がそれをどうして咎められようか」


「ご高配、かたじけなく存じます」



 頭を下げることすらできないことを、もどかしく思う中、セイランが顔を近づけてくる。



「ところで、身体の方は大事ないか?」


「痛みはありませんが、長く動かしていなかったせいか思うようには動かせません」


「左腕はどうだ?」


「こちらはほぼ動かない状態ですが、医療魔導師の言うとおりであれば、今後の治療次第だろうということです」


「そうか……」



 セイランは何かを言いたそうにしていたが、声は出さず。

 なんとなくだが「すまない」と、口に仕しかけたのはそんな言葉のような気がしたが、立場上、セイランがその言葉は口にしてはいけない。

 王家の人間――特にセイランやシンルは、王国では絶対的な存在だ。

 ゆえに、彼らは謝罪という「失敗を認める言葉」を口にすることはできないのだ。

 神霊や精霊が間違いを犯すことのないように。

 同列視される彼らもまた、間違いを犯すことはない。

 それに反して間違いを認めたが最後、神霊、精霊と同列ではなくなり、その権威が失墜してしまうから。



 ふと、エウリードに訊ねる。



「レイン閣下。一緒にいた近衛の方々はどうなりましたか?」


「はい。あのあとすぐに魔法での治療を受けたおかげで、あの場で生き残っていた者はみな一命を取り留めました。復帰については今後の治療次第でしょう」


「そうですか……」



 良かった。あの場にいた近衛たちの容態は、気になっていたことの一つだ。

 生きている者も総じて深手を負っていたはずだが、命を取り留めたのならば幸いだろう。

 安堵の息をつく中、エウリードがセイランに言う。



「殿下、そろそろ」


「そうか。もうそんな時間か……余は一足先に王都へ戻るが、そなたはゆっくりと養生するといい。医療魔導師たちには、このまま丁重に扱えと申し渡しておくゆえな」


「お心遣い、感激の極みにて」



 そう言うと、セイランは静かに笑う。



「くく……さすがのそなたもそろそろ感謝の言葉が尽きてきたようだな」


「は。謝意を表す言葉が重なってしまいそうで、ちょうど背中が冷えてきたところです」



 セイランの軽口に乗っかると、セイランは一転、語調と態度を変化させる。

 その後背に背負うのは、王者の威厳か。そんな威風をまとったまま、口を開いた。



「アークス。改めて礼を言う」


「お言葉、もったいなく存じます」


「謙遜せずともよい。そなたがいなければこの勝利はなかっただろう」


「いえ、御身がご無事で何よりです」


「ふふ、そうだな。そなたとは、また改めて話すとしよう」



 セイランはそう言って立ち上がると――



「アークス。これからもよろしく頼む」


「は。殿下のご期待に添えるよう、今後も精進して参ります」


「うむ。期待しているぞ」




 セイランは満足げに頷くと、エウリードとローハイムを連れて天幕から去って行った。

 なんとなくだが、以前よりも緊張しなかったように思う。

 そこでふと、セイランが口にした言葉が、頭の中に蘇った。




 ――これからもよろしく頼む。



 そう、確かにそう口にしたはずだ。

 ならば、その言葉が意味するものとは一体どういうことなのか。



「…………え? これからもってどういうことなん?」


「そういうことだろ?」


「そういうことですね」


「話題に事欠かねぇご主人サマだぜホントによ。キヒヒッ!」



 三人と顔を見合わせると、そんな呆れたような言葉が返ってくる。

 どうやら今後はいま以上に、忙しくなるのかもしれなかった。



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