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第九十四話 ゆめまくら



 ――ふと気がつくと、見知らぬ場所で、一人ぼうっと立ち尽くしていた。



「あれ……?」



 目が覚めたばかりで、まだ頭の中は漠然としているのものの、探るように周りに目を向ける。


 立っていたのは、通路のような場所だ。

 横幅は大人が二人横に並べれば上出来というほどに、窮屈でしかたがない。

 陽の光は高い壁面に阻まれて遠く空にあり、薄暗がりの狭い路地、という言葉がぴったり合う。

 木箱や紙箱が乱雑に重ねられ、隅にはゴミが溜まり、随分と埃にまみれている。

 古ぼけた室外機に、シャッターの下ろされた窓。メンテナンス用のはしごは錆びてボロボロ。足下を見れば泥に汚れて真っ黒になった水溜まり。そこを剥き出しの配線が蛇のようにのたうっているという有様だ。



 はて、ここは一体どこなのか。

 確か、クレイブがアリュアスを追い払い、自分はノアに抱えられていたはずだ。

 しかし、そこからの記憶はまったくなく、いま自分が置かれたこの状況とも繋がらない。

 そこから、どこぞの路地に迷い込むなど、あり得ないことだ。

 そもそも、舞台を彩る設置物からして趣が違う。



 置かれているものは自分のいた世界の品ではなく、男の世界の品ばかり。

 決してこの世にあるはずのないものだ。



 考えてもわからないゆえ、その答えを求めて路地の先の光明に向かって歩き出す。

 路地と通りの明暗の差のせいで眩しさを感じ、手のひらを額に添えてイタチの目陰を作る。

 やがて目が明るさに慣れると、そこには、やはり見覚えのある光景が広がっていた。



 コンクリートでできた高層建築物と、色とりどりの電灯。

 自動車がエンジン音を響かせて道路を駆け抜け、向こうに見える高架橋の上には、電車が騒音をまき散らしながら走っている。

 足下を見れば、タイル敷きの歩道や、アスファルトで埋められた車道がある。



 間違いなく男の世界だ。

 ということは、だ。自分は、またあの男になった夢を見ているのか。

 そう考えて、通りにあったショーウィンドウのガラスに自分の姿を写してみると、そこに写っていたのはあの男ではなく、アークス・レイセフトの姿だった。



「これは、一体……」



 これがあの夢ならば、自分はあの男になっているはずだ。

 にもかかわらず、自分がここにこうしているのはどういうわけか。

 それがまったくわからぬまま、漫然と歩道を進んでいると、やがて交差点に差し掛かる。

 交差点には多くの人々が立っており、信号が青に変化するのを待っていた。



 その顔は――ない。のっぺらぼうか、それとも影に隠れて見えないだけなのか。覗き込もうとするも杳として知れず。

 やがて信号が青く変わると、顔のない人々がアスファルトに描かれた白線に沿って歩き始めた。

 みな、一つの流れに向かって。サラリーマンも、主婦も、学生も、だれであろうと。川の流れに流されていくかのように。



 その流れに沿って、自分も歩いていると、やがて一軒の店にたどり着いた。

 そこは、どこの街にもあるような小綺麗なカフェだ。

 ガラス張りで店内が良く見えるタイプ。壁紙は白系で統一されて明るく清潔感が際立ち、椅子とテーブルは木製のもの。オープンテラスを持つ、小洒落た佇まい。



 ふとテラスを覗くと、顔のない人々が座る席の中にたった一人だけ、はっきりとした容貌を持つ者がいた。



(え――?)



 それは、一人の少女だった。

 歳の頃は十代半ば。流れるような黒い髪を持ち、瞳は青玉をはめ込んだかのように青く輝いている。肌は新雪のように白く、唇は淡い桃色につやめき、まるで等身大の精巧な人形が座っているかのような錯覚さえ覚えてしまう。

 なんとなくだが、彼女がスウに似ているような気がしたのは、気のせいだろうか。

 服装は、白いハイネックのジャケットと黒のパンツ。どこか未来的な趣のある服装で統一されているが、気になるのは身体のいたるところにあしらわれた鎖だろう。

 動けば擦れてじゃらじゃらと音がしそうなほど、いくつも服から垂れ下がっている。

 傍から見れば縛られているようにも見えるが、鎖の縛めにも重みにも、囚われている様子はない。



 向こうは自分に気付いていたようで、にっこりと微笑みかけて来る。



「どうぞ、こちらに」



 少女の口が響かせたのは、穏やかな声だ。

 一切の雑味が取り払われた声音は、透き通り過ぎて、逆に恐ろしさを覚えてしまうほど。

 彼女に勧められるがままに店に入り、その対面、木製の椅子に腰掛けた。



「私はチェインと申します。どうぞお見知りおきを、アークス・レイセフト」


「チェイン?」


「はい」



 ――チェイン。

 その名前は、あちら世界では知らない者がいないほど有名なものだ。

 それは、紀言書は第二、【精霊年代】に登場する双子の精霊の片割れで、まだ世界が混沌のただ中にあった時代に、姉であるウェッジと共に、世に安らぎと平穏をもたらすべく、世界中を旅して回ったという超常的な存在である。

 旅の途中、ときには怪物を倒し、ときには災害を鎮め、人々を導いてきたという。

 そのため、絵本やおとぎ話には必ずといっていいほど登場し、彼女たちへの信仰もまた篤い。



「まさか俺の夢にそんなすごいのが出てくるとはなぁ」


「確かにこれは夢ですが、単純に夢だけというわけではありません」


「じゃあこれは一体?」


「そうですね。夢の体裁を取った思念の共有……とでも言えばいいでしょうか。ここはあなた方人間が見るような、模糊で曖昧としたものではなく、普遍的な心象空間というものです」


「なんか言い様が急にSFっぽくなったなぁ」


「それでもあなたにならわかることでしょう。彼の記憶と経験を得た、あなたなら」


「彼……? ――!?」



 ふいに横を向いた夢の登場人物に釣られて、首を動かす。

 そこにあったのは、陽の当たるテラス席に設えられた木製の丸テーブルと椅子二つ。

 そして、確かに見覚えのある男の姿があった。



 あれは、あの男だ。あの世界で生き、道半ばで夭折した一人の青年。

 頭脳明晰で、運動神経も抜群。読書だけでなく、武道にも通じているという、まさに天から二物も三物も与えられた英才だ。

 誰からも、その活躍を期待されていたが、それにもかかわらず、あっけなくその命を落としてしまった。

 いまは恋人と二人、たわいもない話で盛り上がり、穏やかな笑顔を見せている。



 まさに幸せの絶頂。そんな言葉がよく似合う。

 これは、婚約直後の一幕だろう。

 聞こえてくる声は、希望と幸福で満ちている。だが、それを聞く方は心穏やかではいられない。「式場はどうしよう」「人はどれだけ呼ぼうか」その弾むような声の数々に、堪らないほどの悲しさを覚えてしまうのは、その結末の一端を知っているからだろう。



 そんな思いを抱く中、突然二人の顔に影が落ちる。まるで切り絵の本の登場人物のようにその表情は見えなくなり、やがて雑踏を歩く人々と同じようになってしまった。



 チェインから、そっとハンカチが差し出される。

 そうされてやっと、自分が涙を流していることに気が付いた。



「――津ヶ谷さん。あのあと、どうなったかな?」


「あなたがそれを知る必要はないでしょう。ただ、悲しみが深くなるだけです」


「…………そうか、そうかもな」



 そう、確かにそうなのかもしれない。彼女が悲嘆に暮れていると聞けば、やはり申し訳ない気持ちになるだろうし、逆に新しい恋人を見つけたとしても、それはそれで悲しくもなるのだろう。

 自分は彼ではない。彼ではないけれども、彼であったことがある。悲しみに心が寄り添う理由は、きっとそれだけで十分なのかもしれない。



 気分が落ち着いたあと、核心に迫る。



「さっきチェインって名乗ったけど、やっぱり、あの?」


「ええ。あなたが考えている通り、私はあのチェインです」



 やはり彼女は、双精霊の片割れ、くさりの精霊チェインらしい。

 まさか本当に、こうして目の前に出てくるとは夢にも思わなかったが。



「そうなると、あー、やっぱり言葉遣いとかきちんとした方がよろしかったりします?」


「いえ、このままで結構ですよ。その方があなたもお話しやすいと思いますし」


「えっと……じゃあ、大変恐縮ですけど」


「はい」



 そう言って、にこやかに微笑みかけてくるチェイン。そんな彼女の顔を見て、少しだけ面映ゆくなり、誤魔化しの咳払い一つ。

 すぐに、質問に移る。



「ええと……要するにこれは、現実に話をしているのと同じなんだよな?」


「はい。そうです。あ、あちらの世界でもお話することはできるんですけどね。いまはちょっと遠くにいて会いに行けないので、こうして夢の中でという形を取らせていただいています」



 つまり、彼女は現実に存在しているということか。

 男の世界では、神や精霊は物語の中にしか登場しない存在だが、あの世界ではそういったことも当たり前なのだ。自分もこの世界の人間であるにもかかわらず、さすがファンタジーなどと思ってしまうのは……男の世界に毒されすぎているためか。



「一体なんで、こんなことを?」


「あなたに一つ、お願いしたいことがあるのです」


「俺にお願い……」


「はい。これより先、クラキの予言書に描かれたいくつかの事柄が現実のものとなります。あなたには、それを食い止めて欲しいのです」


「へ? は?」


「私の用件はこれだけです」



 チェインはそう言って、話を締めてしまおうとする。

 しかし、話の内容があまりに突然すぎた。



「い、いや……いやいやいや! ちょっと待ってくれ!」


「焦る必要はありませんよ? これはまだ先の話ですから、時間には余裕があります」


「そういうことじゃなくてだな!」


「ちゃんとわかっていますよ。突拍子もなさ過ぎて、話をきちんと呑み込めていない、ということですね」


「わかってるならさ……」



 一方で、チェインは「ふふふ」としとやかに笑っている。

 この精霊さま、以外といたずら好きなのか。



「すみません。ですがあなたにそうしていただかないと、私たちも困るのです」


「言いたいことはわかったけど、まず、なんで俺なんだ? 他にも適している人間はいるだろ? むしろ俺じゃない方がいいまであるぞ?」


「いいえ、アークス・レイセフト、あなただから頼んでいるのです」



 チェインは、自身を持ってそう言う。その根拠の出所は一体どこにあるのか。

 まったくもってわからない……というわけではないが。



「……それは、これが関係しているからか?」



 そう言って、周囲を見回す。理由があるとすれば、これしかない。男の人生を追体験したときの記憶、つまり男の世界の知識があるから自分を選んだ、ということだ。

 訊ねるように視線を向けると、チェインは「それも、理由の一つではありますね」とだけ口にして、あとはなにも語らず。

 追及しても答えてくれなさそうなことを悟り、話の路線をもとに戻す。



「予言の結果を変えてくれってことだけど、それはできることなのか?」


「出来ないことではありません。クラキの予言書の記述はいわば指標、目安のようなものです。これは悠久に繰り返されるべきものであり、結果はその都度変わります。当然これまでも、努力によって変わったことがいくつもあります」



 らしい。精霊が不可能ではないというなら、できることなのだろう。



「どうです?」


「……そりゃあやれと言われれば、やらないわけにいかないだろ」



 精霊から直接そんなことを言われたのだ。自身も信心深いわけではないが、この世界を生きる者の一人として、知らぬ存ぜぬなどできはしない。

 だが――



「俺にはやるべきことがあるんだが」


「その合間でよろしいですよ」


「無茶苦茶言うなぁ……」



 合間でどうにかできる事柄ならばいいが、こうして精霊が動いている以上、まず些細なことでないのは想像するに難くない。



「肝心のその中身については?」


「それは私が語るべきことではありません」


「語るべきことではないって……教えてもらわなきゃ、何をどうすればいいのかわからないだろ? 世紀末の魔王とやらが復活するのか、馬鹿でかい怪物でも出てくるのか、それとも精霊年代に出てくる、人間の手には負えない頭のおかしな存在が出てくるのか」



 食い止めなければならない……という話でまず想像が及ぶのは、大きな厄災や災害だ。

 中でももっともそれらしいものは、第六紀言書【世紀末の魔王】にある、四つの魔王の存在だろう。魔導師たちの挽歌の後年、現代との狭間の時代に、世界を滅ぼそうとした強大な力を持つ怪物たちだ。

 もしこれらの復活があるのならば、当然【クラキの予言書】にも記述があるはずである。



 あとは、呪詛(スソ)から生まれる魔物もそう。

 魔導師たちの挽歌の時代に、魔法文明を一掃した直接の要因がこれだと言われている。

 当時はいたるところで魔法の技術が使われており、そのせいで多くの呪詛(スソ)が生み出されたのだが、結果、世界各地で魔物嵐が発生し、スソノカミと呼ばれる存在が出現した。

 魔物やスソノカミは急速に増え続け、人々の生活圏を圧迫。やがて魔王の出現に至るまで、多くのものが失われたという。



 しかも精霊年代で語られる怪物たちは、これらのものとはまた別だ。

 海を飲み干すと語られる巨大な魔。

 気に入った人間を結晶に閉じ込めるという水晶の女王。

 悪魔が造り出したという心のないブリキの兵隊たち。

 見た者を黒鉄に変える、大きな一つ目の怪物。

 宿り木の騎士フロームと幾度も戦いを繰り広げた首なしの騎士。



 こうなるともうすでに人の手には負えない領域のものになる。

 その辺りを詳しく教えて欲しかったのだが、しかし精霊さまはにべもない。



「それは、ご自分で読み解いて、ご自分で判断し、止めていただいて欲しいとしか」


「手伝ってはくれないのか?」


「精霊が主立って困難を解決しなければならない時代は、すでに終わったのです」


「うーん……」



 それを無責任……とは言うまい。彼女は自分が生まれるずっと前から、この世界を守ってきた存在なのだ。すでに役割を終えたというのなら、感謝こそすれ、文句を言うなどおこがましい限りである。

 にしても、



「なんかやたらと厳しいなぁ」



 そんな言葉が口をついて出る。

 教えられない。

 手伝えない。

 自分のことだけですでにいっぱいいっぱいな自分に頼むには、随分と難易度が高くはないだろうか。



 チェインはそんな内心を、読み取ってくれたのか。



「そうですね。では、一つだけあなたに、いいことを教えてあげましょう」


「それは?」


「エメラルドを探しなさい」


「エメラルドを?」


「そうです。それを見つけたとき、また一つ、あなたの道が開けるでしょう」


「は、はあ……?」



 そうは言うが、どうにもピンとこない。エメラルドを見つけると、道が開けるとは、一体どういうことなのか。宝石一つ手に入れることなど、この世界の文明レベルではそう難しいものでもないはずだし、そもそもエメラルドが一体どんな働きをして自分の道を切り開いてくれるのか。これがわからない。



「大丈夫です。それを手に入れれば、きっとわかるでしょう」


「それも詳しくは教えられないって?」



 そう訊ねると、チェインはまたにこやかに頷く。



「用件はそれだけです。アークス・レイセフト、どうかよろしくお願いします」


「まあ、やれと言われれば、なるべく努力はするとしか」


「いまはそれで十分です。では――」



 チェインがそんなことを言った直後だった。



「う……ん」



 突然、眠気のようなものが襲ってくる。夢の中にいるのにもかかわらず眠気とはこれ如何にだが。ならば、これは覚醒の予兆なのか。



 しかして意識が落ちるその間際、耳に届いたのは。



「――導士アークス・レイセフト。願わくばあなたに、良い出会いと結びつきがあらんことを」



 そんな、くさりの精霊が口にするに相応しい言祝ぎだった。



戦争の結果とか論功会とかまだですが、これで一応ひと区切りということで、感想欄とか解放しようかと思います。

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