第九話 二年後
アークスがクレイブから魔法を教わるようになってから、二年の歳月が経った。
アークスの現在の年齢は八歳。背丈も男の世界の単位で十センチ以上は伸び、この世界でもおおよそ平均的な身長になっている。
しかし、
「顔が……やっぱり女の子っぽいよなぁ」
頬っぺたを手でぐにぐにと揉みながら、憂鬱な吐息を漏らす。
鏡に映った自分の顔は、軽くクセのある銀髪もあいまって、随分と女の子らしかった。
男であるため、成長するにつれ輪郭もそれっぽくなるはずなのだが、その当たり前に反して、顔は少女のように可愛らしいまま。まだ八歳であるため、これから変わっていくと思われるが、鏡を見るたびに不安しか覚えない。
それでも一応、身体の成長は順調、あとは魔法の勉強の進み具合だが、そちらはと言うと、以前にも増してかなり進んでいる。
これまでほとんどの時間を【魔法文字】や【古代アーツ語】を覚えるのに充てたため、文字や言葉に関してはかなりの量を覚えることができていた。
その辺りは、男の世界の言葉……概念を知っているのが大きく影響していると思われる。
この世界は魔法に関連することを除いて、男の世界と同様の現象が発生し、またメカニズムも酷似していた。そのため、現在では読み解けていないと思われる単語や成語についても、それらと照らし合わせることで解読することができているのだ。
【電気】
【朧げ】
【磁力】
【零】
等々。
男の国の言葉が、他の国の言葉よりも細かい機微があったことも、一役買ったものと思われる。
この辺り、男が本の虫で助かった。
ともあれ伯父が言うには、いまの自分の知識は魔法院の生徒並みのとのこと。
この歳でここまで覚えているのは、結構異常なことらしい。
それも、父や母を見返すという思いがあればこそのものだろう。魔法の勉強が面白かったということももちろんあるが、原動力には廃嫡のときから受け続けたイジメに対する執念が、少なからずあった。
だが、魔法でのし上がった家の当主を見返すには、まだまだ勉強が足りない。努力を欠かすことなく続けていかなければ、ジョシュアやセリーヌを悔しがらせることも、レイセフト家を……いや、レイセフト家の因習を叩き潰すこともできないだろう。
そして、魔法の実践に関しても、かなり前から行っている。
クレイブが暇なときに、彼の屋敷の庭で魔法を使うというのがほとんどなのだが、いまは、基礎的な魔法はほぼほぼマスターしたと言っていい。
つい少し前に、彼の前で魔法の一通り使ったときだ。
「よし、じゃあ使ってみろ」
「はい」
クレイブの指示のもと、魔力を必要な分量に分けながら、単語や成語に合わせて用意する。
『――この身に埋みし怒りは火に変じよ。天を焦がす唸りを上げて、一切を焼却する一条となれ』
呪文を詠唱した直後、宙に【魔法文字】が浮かび上がる。
やがてそれは複数の魔法陣を形成し、その中心を貫くように炎の槍が燃え上がった。
火の攻性魔法【火閃槍】。その呪文をクレイブが使いやすいように改良した発展型、【火閃迅槍】である。
炎の槍が魔法陣から撃ち出され、的を貫く。
直後、的が一気に炎上した。
魔法は対象を燃やし尽くすと、やがて魔法文字となって砕けて散る。
「よしよし、いい感じだぞ」
「ありがとうございます」
クレイブの称賛に、頭を下げる。
初めの内はどの魔法も魔力量の込め具合がわからなかったが、何度も試すうちにこうしてできるようになった。
だが――
(効率は悪いよなぁ……どうにかして魔力を測れるようになればいいんだけど)
やはり、魔力の数値が出せないのがネックだ。慣れてきたとは言え、クレイブの言う通り、単語や成語への魔力の込め具合は勘でどうにかしないといけないため、いくら口頭で伝えられても把握できない。
魔力を測ることができるようになれば、もっと効率よく魔法を実践することができるようになるのだが。
ふと、クレイブが頭を乱暴に撫でてくる。
どうしたのかと思って見上げると、
「まさかこの歳で【火閃迅槍】まで使えるようになるとはな。こいつが使えれば、戦場でも真っ当に戦えるぞ?」
「そ、そうなんですか……?」
「そうだ。いっちょオレにくっ付いて初陣ってみるか? なんてな?」
「ええっと、機会があれば……」
「ははは!」
「ははは……」
豪快な笑声に、及び腰な笑いを返す。
というか初陣ってみるかとかどんな言葉だ一体。散歩程度の気軽さで戦場に出されるとか気が気じゃない。
ともあれ、男の世界にあった銃火器がないこの世界、確かにこれだけの火力を発揮できれば、戦場で活躍できること間違いなしなのだろう。しかも、この世界は年端もいかない貴族や独立君主の跡取りがポンポン戦場に立たせられるような文化を持つのだから、クレイブが冗談を言ったのか本気なのかその辺り判然としない。
(でも、いつかは行かなくちゃならないんだろうな……)
この世界の情勢は男の世界に比べるとかなり不安定だ。国家同士の小競り合いは当たり前のように起こり、国によっては同じ王を戴く諸侯同士が争うこともしばしば。いつ戦争に巻き込まれるかわからないような状況にあるのだ。
覚悟だけはしておいた方がいいだろう。
…………と、クレイブの屋敷の庭でそんなこともあったわけだが、もう一つ、やり始めたことがある。
それが刻印だ。これは、特殊な道具を用い、対象物に呪文を刻むことによって、魔法の効果を発現させるアイテムを作り出す技術である。
たとえば何の変哲もない置物にこの刻印を施すと、光源になったり、暖房器具になったりと、便利なアイテムと化す。そのうえ刻印を施したものは呪文を唱えなくても使えるため、この世界では魔導師や一般人にかかわらず、幅広く使われているのだ。
家や軒先に設置して使用する照明器具、【輝煌ガラス】。
男の世界で言うライターのような着火器具。
武器に刻めば、刻印武器として高値で取引される。
アークスが刻印を始めた理由は、魔法技術の向上の他に、お小遣い稼ぎといった面もあった。このアルバイトは刻印の勉強と共にクレイブから勧められたもので、刻印を彫ったアイテムを作り、それを懇意の商会に渡すことで、報酬を得ているのだ。
クレイブ曰く、金銭が関わるので技術もすぐに上がるとのこと。確かに金が動くので気合が入るし、下手なものは作れない。
と言っても、作っているのはこまごまとした部品程度のものなのだが。
最初の内は文字を綺麗に彫り込むことができず出来は散々だったが、いまではそれなりに様になっている。継続は力だ。
アークスはこの日も、刻印を彫り込む道具を持って、惑星記号や星座記号に似た文字と格闘する。
(硬質化系の効果を上げるとそのぶん脆くなるし……でも強靭の単語を使うのはなぁ)
憚られるのは、男の国の言葉でいう【強靭】に相当する言葉の使いにくさだ。
確かに【強靭】の言葉は、施したものの強度と粘りを向上させるため、強化に使う言葉としてはこの上ない。だが、そのぶん言葉の力が強く、組み合わせた他の言葉に影響を及ぼしてしまうため、扱いづらいのだ
この辺りが、呪文の難しいところだ。大きな力を持つ言葉は他の言葉に影響するし、不用意に組み込むと思ってもみない効果を叩き出してしまうため、使うときは細心の注意を払わないといけない。
よい効果を発揮する反面強すぎて制御しきれない単語については、威力を弱める単語を重ねなければならないため、何度も試行が必要だ。
【炎】に相当する言葉は強すぎるためほぼ呪文に使われないとか、【雷】などの言葉も未発掘。
【殲滅】【怒涛】などはあまりに強力すぎて、術者の命を奪うだけではなく、災害まで引き起こした事例もあるという。
しばらくいつものように刻印を彫り込んでいると、ふと材料がなくなっていることに気付いた。
「……あ、もう使い切っちゃったか」
刻印を刻むには、呪文を彫り込むのに使う小刀の他に、魔法銀と呼ばれるものが必要だ。なんでもこれは、銀を特殊な魔法で加工したもので、まるで水銀のような振る舞いを見せる。これに顔料や特定の金属粉を混ぜて、小刀の先に着けながら彫り込むと、刻印としての効果を現すのだ。
これがなければ始まらない。
「買いに行くか」
アークスは部屋での作業を中断して、外出の準備に取り掛かった。