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八十八話 水車の呼び名、その所以



 近衛が部隊を分け、アークスやセイランが動き始めた頃。

 アークスたちの他にも、戦場の異変に憂慮を抱いている者がいた。



「……崩れたか」



 そんな、憂いと諦観がない交ぜになったような一言をこぼしたのは、ローハイム・ラングラー。国定魔導師としては、筆頭ゴッドワルド・ジルヴェスター、第二席ガスタークス・ロンディエルに続く第三席に位置しており、代々、王家に魔法を指導する立場にあるラングラー家の当主でもある。



 ……痩身を黒い長着に包んだ、一見して年齢のわかりにくい男。表情は常に静謐を保ち、口を開けば穏やかな声音が響き、さながら教師を思わせるその口ぶりが特徴的。

 しかし、ふとしたときに佇む姿、孤影には、どことなく影を感じさせる部分がある。

 謎めいた部分が他の国定魔導師よりも際立つ、いかにも絵に描いたような魔導師というのが、彼ローハイム・ラングラーに対する周囲の認識だろう。



 戦端当初より、セイランから討伐軍魔導師部隊のお目付役の指図を受け、現在も中央後方で魔導師部隊を監督している。

 そんな中、バルグ・グルバの襲撃によって味方右翼は痛打を被り、混乱、損壊。

 当然、部隊崩壊の情報や、不穏さを帯びた空気が彼に伝わらないはずもなく。

 いまは部隊からわずかに離れた場所で、馬と共に孤立。その切れ長な目を細め、戦場の奥にある何かしらを読み取ることに腐心している。



 そんな彼のもとに、魔導師長が馬を駆って近づいてくる。



「ラングラー閣下」


「報告を」


「は! ……突如として右翼側に現れたバルグ・グルバは、横陣を構成する歩兵部隊と最右翼の騎兵部隊を蹴散らし、そのまま戦闘を続行中。現在、シャールマン伯爵、ローネル男爵がそれに対応し、現場は膠着しているとのこと」


「シャールマン伯にローネル卿……どちらも西側諸侯の中では武勇を奮う貴族たちだが、さすがにバルグ・グルバは荷が勝ちすぎるか」


「は。右翼側の状況も気になりますが、目下の問題はやはり、ダウズ・ボウ伯爵の脱走だと愚考いたします」


「そうだね。確かにそれは問題だろう。魔導師長、君ならどうするかな?」



 ローハイムが尋ねると、魔導師長は緊張を持ったまま応える。



「は……では、恐れながら。今戦場の趨勢はすでに決していますので、右翼は時間稼ぎと割り切り、穴埋めに入ったラスティネル兵たちの援護に入ります。あとはラスティネル兵が迅速に敵部隊を蹴散らしてしまえば、ナダール軍は軍団のていを保つことはできないかと」


「軍というつながりを壊してしまえば、兵は自然と逃げていく。ナダール軍が撤退すれば、バルグ・グルバ――帝国も退かざるを得ない、と。確かに、それは正しい答えだ」


「では」


「いや、こうして尋ねておいてなんだが、君には兵を率いて、右翼に向かってもらおうと思う」


「我らが右翼へ……でありましょうか?」


「魔法で右翼の味方を援護しつつ、現状を維持に勤めて欲しい。それが私から君たちに与える指示だ」


「ですが閣下、まだ前方には敵兵が残っています。ここは穴埋めに動いたラスティネル兵たちの援護を行わないといけないのではないのでしょうか?」


「そうだね。君の言うとおり、それも大事だ。打つ手としても、それが善手だと私も思う」


「では、閣下のお考えは別にあるということでしょうか?」


「ええ。君が口に出しにくい策が、私には打てるからね」


「それは?」


「簡単なことだよ。ここを私が一人で受け持てばいい」



 ローハイムの言葉を聞いた魔導師長は、驚きの表情を見せる。



「かっ、閣下お一人でですか!? それは……」


「ふむ。問題などどこにあると? そうだろう? だって――」



 ――私が本気を出せばいいだけなんだからね。



「ほ……っ!!」



 魔導師長は、戦慄にごくりと唾を飲み込んだ。

 本気を出す。国家の大戦力である国定魔導師が、そんな言葉を口にしたのだ。その力の絶大さを正確に理解できる存在、魔導師ならば、恐れを抱かないはずがない。



 端正な顔に浮かぶのは、獲物をねぶる猟欲か、それとも戦いへの昂揚か。

 戦端が開いた当初から常に穏やかだった痩身の男の表情には、一転して薄い笑みが張り付いていた。

 魔導師長が畏敬によって絶句する中、ローハイムは伝令兵を呼びつける。



「穴埋めに入ったラスティネル兵たちに、言づてを一つ」


「はは!」


「国定魔導師、ローハイム・ラングラーが下命する。至急その場から離脱し、本隊に合流せよ。命に背きその場に留まった場合は、命の保証は致しかねる、と」


「は! 閣下のご下命、確かに承りました!」


「よろしい。では、行きなさい」



 伝令兵は一度頭を下げて、ダウズ・ボウ伯爵の穴埋めに入ったラスティネル兵たちのもとへと馬を走らせた。



「……では閣下、『水車』をお使いに?」


「ああ。これでナダール軍中央正面に大穴を開ければ、もうナダール軍の横陣に憂慮を抱く必要はない」


「承知いたしました」


「ことが終われば私もすぐにそちらへ向かう。バルグ・グルバの対処をしないといけないからね――ああ、あと、バルグ・グルバを右翼に釘付けにしつつ、手は決して出さないように。いささか無茶を言うようだが、これは厳命だ。いいね?」


「はは!」


「魔導師長、そして、王国の魔導師たちに、武運があることを」



 ローハイムが武運を祈る声を掛けると、魔導師長は礼を執り、魔導師部隊を動かすために去って行く。

 その後、ローハイムは魔導師部隊が右翼に向かって離れていくことを確認してから動き出した。

 馬を急がせると、すでに開いた穴から敵兵士たちが攻め上ってきているのが見えた。

 これは先ほどの命令のせいだろう。|押さえ込んでいた蓋(ラスティネル兵)を外したため、そこから敵兵士が流れ込んできているのだ。



 ……指図通り、ラスティネル兵の姿はない。ただの一兵たりとも。

 別の指揮系統からの命令でも、状況を察して迅速に行動できることに、自然と称賛が湧いてくる。

 一方で目の前の敵兵士たちは、先ほどまで横陣を構成していた部隊に比べ、動き方に自信が感じられる。徴発兵のするような間に合わせの動きではない。おそらくはナダール軍が雇った傭兵団だろうと思われる。

 装備に統一性はなく、しかしみな一様に、戦いに身を置く者だけが持ち得る剣呑さをまとっている。周囲を威嚇しているのか、士気の低下を誤魔化しているのか、野卑な叫び声を上げながら、討伐軍横陣を貫かんと攻め上ってきていた。

 戦場で喚き散らすなど、まったく荒くれども集まりではないか。その点、いつかの国王シンルやクレイブ・アーベントを思い出すが、それに比べれば随分と可愛いものではある。



 そんな傭兵たちの姿を見て、知らず知らずに鼻で笑ってしまう。

 たかだか金に釣られてクロセルロード王家に刃向かうなどと、愚か以外の何物でもない、と、そんな風に。

 ローハイムの目前まで迫った戦闘の騎馬兵が、ふいに馬の足を止める。

 孤立した姿から、策を疑ったのか、罠を感じ取ったのかは定かではないが――



「む――? たった一人だと?」


「ああ。ここには私一人しかいないね」


「ということは……貴様は兵に逃げられた指揮官かなにかだな?」



 傭兵団の団長は、手柄に値する首級と思ったのか。

 確かにローハイムの首級(くび)も、手柄になり得るものではある。



「我は、ダムズ傭兵団団長、ガロ・ダムズなり!」


「そうか」


「……貴様、我ら傭兵団を前にしてよくもまあそんな調子でいられるものだ。図太いのか、それとも状況がわからないくらいに鈍いのか?」


「さあ、どちらかな?」


「は――だからこそ、一人でこんな場所に取り残されているのだろうが! 貴様の部下ども同様、ラスティネル兵もいましがた我らの猛攻を逃げ出したばかりよ! なりふり構わずな! ははははははは!」


「それは恐ろしい」



 部下と共に品性下劣な笑い声を上げる団長ガロ。どうやらダウズ・ボウ伯爵の退却やラスティネル兵の撤収を、自分たちの猛威のせいだと勘違いしているらしい。

 そんな状況の見えない様は、まったく三流と言っていいだろう。



 無知蒙昧な男に対し、ローハイムが人差し指を立てて問いを投げ掛ける。



「――さて、ここで一つ。君に問題を出そう」


「なにぃ!?」


「こんな場所に一人残った私が、一体誰か、ということだよ。どうかな? 君たちはこの問題に答えることができるかい?」


「そのような問答などで時間稼ぎか! 姑息なことを!」



 凄みを利かせる団長ガロに、しかしローハイムは顔色一つ変えぬまま。



「答えたくないのなら結構だよ。別に私も答えも必要としていないし、結局のところこれは、私の繰り言に他ならないのだからね」


「胡乱な男め! おい、馬で挽き潰してやれ!」


「やれやれ、まったく……」



 ローハイムはそう言うや否や、立てた指を戻し、ゆっくりと右腕を持ち上げ、挙手の状態を作った。その様は、先生の指名を待つ生徒の姿か、それともどこかの国の敬礼姿か。

 彼はそんな動きを見せると同時に、体内に溜め込んでいた魔力を一気に解放。一瞬、弾けるような火花がローハイムの周りで閃いたかと思うと、消費されるべき魔力が暴風を伴って噴出する。

 彼の魔力に囚われて色づけされ、可視化された空気は流れを持ち、荒れ狂う気流のように彼の周囲を駆け巡る。そのせめぎ合いであぶくが生まれ、魔力を伝って空へ空へと昇っていった。



 しかして、その直後だった。ローハイムの発した魔力の圏内にいる者の身動きに、総じて支障が出始める。



「な、なにぃ!?」



 突然、その場でもがく傭兵たち。腕を動かし、足を動かすが、遅々としていて思うように動かない。それはさながら、深く仄暗い水底に沈められてしまったかのよう。

 傭兵たちが丘の上で溺れているそんな中、再びローハイムが口を開く。



『――回れ回れ、水車よ回れ。ヴァーハの大海のいと深き水底より、始原の混沌を掻き混ぜる蒼き螺旋よ舞い降りよ。寄せては集まる者どもには、永久(とわ)の巡りのただ中を。満ちては消えゆく者どもには、久遠に終わらぬ響きの中で。寄せて平らげ圧して帰す。割れて砕けて裂けて散る。天地開闢に記されし、言理の極致をいまここに……』



 戦場全体を震撼させる、大地を揺るがす巨大な震動。

 海溝型の地震を想起させる震えのただ中、ローハイムの口が紡ぎ出した呪文が、オリオンブルーの【魔法文字】を生み出していく。彩度の高い青色の文字は限度を忘れて増殖し、天へ延び、地へ広がり、さらに戦場を縦に割るかのように延長。やがて横長に延びた膨大な【魔法文字】が、ローハイムの真横でぐるぐると渦を巻き始めた。

 それは干満差に寄って生まれた激しい潮流が作り出すうず潮のように、飛沫(しぶき)のような魔力の飛散を伴いながら回転。徐々にそれは水気をまとい、瞬く間に本物の渦へと転化する。



 戦場で横に寝そべる巨大な渦巻き。その直径は、20メートルを優に超える高さ。常に回転しており、跳ね飛ぶ水飛沫の一つ一つの質量は、それこそ小さなバケツ一杯分にも相当するほどある。



 ……対峙する傭兵たちは、さながらモーニンググローリーの中心を覗いているかのような錯覚に囚われているだろう。見ようによっては、巨大な蛇を従えているかのようにも見えるかもしれない。

 その圧倒的な災害を目にした団長ガロは、ローハイムが生み出したそれを絶望の表情で見上げる。そして、呆然としながら、まるで油を差し忘れたブリキ人形のようにぎこちなく首を動かして口にする言葉は。



「水車の、魔導師……」


「正解だ。だが、その答えを出すには遅きに失したね。もう少し早ければ、万に一つ、私の水車から逃げおおせることもできたかもしれない」



 ローハイムは団長ガロの絶望に容赦ない追い打ちを掛けたあと、ため息のように言葉を零す。



「彼我の戦力から見ても、少々過剰すぎるとは私も思う。だがね、王家の威光を示すには、これくらいのことはしておかないといけなくてね――さあ喜ぶがいい。クロセルロードの新たなる王統の礎になれることを」


「ひ、ひぃっ!」



 あまりに絶望的な状況に、傭兵団は残らずその場から逃げだそうとする。なりふりなど構わずに。しかし、ローハイムの暗渠に囚われている以上は、彼らが逃げ出せる可能性など微塵も残されていなかった。



 そして、



「……王家に逆らう愚か者どもよ。遥か彼方の言理の螺旋に還るがいい」



 ――【水車操者(ヴァーハ・レイ・ディーネー)




 ローハイムが、掲げた手のひらをゆっくりと振り下ろす。

 鍵となる言葉が放たれると、それに合わせて、巨大な渦が一度だけ大きく震動。螺旋の口がその大顎(おおあぎと)を開けたまま、直線上にいたすべてを飲み込みに走り出す。



 容赦も仮借もなにもない災害。

 わずかな暇もなく到達する渦の端。

 戦の激しさを耐え忍んでいた草が根こそぎ引き抜かれ。

 踏み固められていた地面さえ軽々しく抉られて巻き上げられる。

 当然、ひとところに根を張らぬ傭兵団などに、それを耐え凌ぐ術はない。



 傭兵団はおろか、その後方一帯にいた兵士たちまでもが、永劫とも思える巨大な水車の回転に呑み込まれたのだった。




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