第八十三話 レオン・グランツの戦場
――レオン・グランツ率いるナダール軍援護の帝国兵は、ミルドア平原西部にある小高い丘に陣を構えていた。
前線に出ず、未だこうして後方にいるのは、作戦のためだ。
ナダール軍としてのではなく、帝国軍将軍としての。
開戦前、ポルク・ナダールには手柄を奪わないためと言い訳しつつ丘に居残り、実際は動き出す機会を窺っているという状況にある。
ここは背の低い丘であるため、すべてを見渡すことは出来ずとも、ある程度戦場の把握は可能。まずは新型の防性魔法を覚え込ませた魔導師部隊をポルク・ナダールに同行させて、その報告を待ちつつ、いまは丘の上から両軍の中央部分を監視している。
特に気にしているのは、王国軍の魔導師部隊だ。
もともとレオンがポルク・ナダールに接触したのは、王国軍の魔導師部隊の練度が急激に上がったという報告が入ったからであり、その戦力を知りたいがためのもの。
そのため、こうして魔導師部隊の動きを注視しているのだ。
デュッセイアが、訊ねるような視線を向けてくる。
「閣下」
「……やはり、いままでよりも魔導師部隊の攻めが機敏だ」
レオンが口にしたのは、そんな所感だ。
魔導師部隊を運用するときに、どうしても付きまとうはずの動きの鈍さが、いまの王国軍の魔導師たちには見受けられなかった。
……魔導師部隊は移動に関してもそうだが、攻撃時、攻撃力を集中させるため、魔法を同時に発動させる傾向にある。そうなると魔法発動の時間を部隊全員で一致させなければならず、そこである程度の時間を要してしまうのだ。
選択された魔法に対する『魔力の調整』。
魔法発動の時間に関わる『詠唱の時機』。
それらを踏まえると、時間の浪費は他の兵科よりもさらに大きくなる。
だがそんな常識に反して、王国軍魔導師部隊の動きは機敏であり、足並みも揃っていた。
それがよくわかるのが、歩兵部隊が衝突する前の、最初の魔法行使のときだろう。
呪文の詠唱はナダール軍とほぼ同時だったはずなのにも関わらず、発動は討伐軍側の方がわずかに早く、魔法使用時にたびたび起こる詠唱不全など、不備による失敗も少なかった。
確かに中央本隊と地方の私設部隊という差はあるだろう。
だが、それでも同じ王国の魔導師。超えがたい差があったとは思えない。
にもかかわらず、いまこの場で、ここまでの差を目の当たりにさせられたということは。
「魔導師部隊の練度を向上させた何かがあるのは、まず間違いないだろうな」
「やはり、ですか」
「ああ。そう考えると、今回の戦は僥倖だったな。王国軍の中でもこれだけ力量差があることが知れたというのは随分と大きい」
「では、今後も探り続ける必要がありそうですね」
「そうだな――それで、尉官。記録の方はどうかね?」
「は。そちらはご命令通り、事細かに」
リヴェルの返事を聞いたレオンは、今度は別の方を向く。
「ならば、あとはこちらの魔導師部隊の報告だな――アリュアス殿。期待しても?」
「もちろんです。博士も此度の魔法は力作だとおっしゃっていましたので、閣下のご期待に添えるものと思いますよ?」
こちらは、件の防性魔法のことだ。
あの銀の明星の使途、メガスの高弟のお墨付きがあれば、まず間違いないだろう。
そんな中、戦場を見ていたデュッセイアが、
「閣下はポルク・ナダールがセイランの首を取れると思いますか?」
そんな、わかりきったことを訊ねてくる。
「無理だろう。奴はセイランの首に執着するあまり、兵をセイランの方へ偏らせている。一方でセイランは……あの豚の狙いがなんなのかしっかりわかっているのだろうな。自分の守りを固めつつ、囮となってナダール兵をうまく誘導している。ふ、あれではまさに目の前に餌をぶら下げられた豚だろう」
ふと笑みと共に口を衝いたのは、そんな皮肉だった。
ポルク・ナダールは、セイランにばかり気を取られ、他のことは皆目眼中になし。
その様はまさに、餌を目の前にした豚さながらだろう。
まだピンと来ていないデュッセイアに、戦場のある部分を、手に持った杖で指し示す。
その先は、戦列中央から右翼側にかけて。
討伐軍歩兵部隊前面を支える、ナダール軍歩兵部隊だ。
「見ろ」
「は!」
「……伯爵はセイランを討ち取らなければならないからな。ああしてセイランを追いかけるしか道はない。だが、討ち取るためには相応の数を用意しなければならないため、前面を支える歩兵を割る必要がある。しかし、横陣の側面を取られるわけにいかないし、伯爵と横陣の間に敵兵を割り込ませるわけにもいかない。だから、横陣はああやって際限なく横に延びていく」
側面を敵兵に取られれば、戦列はそこから切り崩されるし。
横陣とポルク・ナダールの部隊の間に穴が空けば、そこから敵兵がなだれ込み、ポルク・ナダールが挟み撃ちにされてしまう恐れも出てくる。
だからこそ、セイランを追って南進するポルク・ナダールとの間に間隙が出来ぬよう、前面を支持する歩兵部隊は横陣を無理矢理右翼側に延ばす必要があるのだ。
ポルク・ナダールの意思にかかわらず。
「横陣もある程度兵数が揃っていれば、敵歩兵を支えられるだろうが、ナダール軍は寄せ集めもいいところだ。装備も万全ではなく数も少ないため、それもままならない――中央を見ろ、横陣がいまにも引き千切れそうだ」
右翼側への兵の集中だけでなく、横陣を引き延ばして対応しているため、最初に作った横陣は、どこも縦が薄くなっている。
俯瞰していれば、一目でわかる危うさだろう。
「討伐軍とナダール軍の数に、そこまで大きな差はなかったはず」
「同数だったのは戦端が開いた当初の話だ。討ち取られてしまえば数は減り、向こうはその分の補充も考えて後方に控えた部隊を穴埋めに使っている。しかも、あのラスティネル兵をだ」
戦列が横に延びれば、相手も戦列を延ばさざるを得ない。
しかし、討伐軍は戦列が横に延びて縦深が浅くなることを想定し、横陣中央部分に、精強として知られるラスティネル兵と、中央からの援軍である魔導師部隊を食い込ませた。
あれでは早晩、ナダール軍は戦列を食い破られてしまうことになる。
横陣が薄くなれば、あとは引き裂かれるだけなのだから。
「戦術さえ間違わなければこの戦い、討伐軍が負けることなど決してないのだ。数は揃えても、兵の練度と装備が違う。だが――」
やはり恐るべきは、それを実行できるセイランの才覚だろう。
敵の目的を見抜いたうえで、自らを囮とし、戦場を掌握する。レオンも予想はしていたが、まさかここまでうまくやってのけられるとは思わなかった。
こちらの考える最善を過たず選ぶ将は、まったくもって有能だろう。
紙たばこに火を付けて、その煙をくゆらせる。
「……セイランの歳は十かそこらだったか。その幼さでここまで戦上手とはな。紀言書の記述や演目を見せられているようだ」
「龍の子は龍ということでしょう」
「こちらの期待通りとはいえ、こうも見事にやってのけられるとはな。やはり王国は侮れぬよ」
「ここまでが、閣下の予測通りでも、ですか」
「そうだとも。この策は、討伐軍が最良を選ぶことを想定して講じたものだ。その想定通りにことが運んだのだ。侮れぬというほかあるまい」
策というものには、往々にして多くの手落ちが重なるものだ。
戦争という事象に多くの人間が関わっている以上は、失敗、遅れ、行き違いなどの事柄からは逃れられないし、すべて最善手を選び取れるなどまずあり得ない。
ならばそれらのことを避け続けてここまで至れたということは、脅威足り得ると言えるだろう。
「陛下は、ダンバルード、メイダリア両国の攻略が終わったら、次は王国だと息まいていたが…………厳しくなるやもしれん」
「やはり、育ち切る前に刈ると」
「その方がいい。龍が龍王に育ち切る前に、我らの手で刈り取るのだ」
そこでふと、アリュアスが疑問の声を上げる。
「閣下、私にはそこが不思議に感じられます。相手は王国の王太子なのですから、殺すよりも捕えた方がよいのでは? 虜囚の身とすれば、今後の王国との交渉にも有利に働くでしょう」
「人質か」
「ええ」
確かにアリュアスの言う通り、それも一つの手だ。
だが――
「話題を変えるようで申し訳ないが、アリュアス殿はヤンバクラの王様の話を知っているか?」
「……紀言書は第二、精霊年代に登場する王の話ですね。民間では、双精霊の片割れであるチェインを害そうとした愚かな王として伝わっています」
「そうだ。ヤンバクラ王はその権威を揺るぎなきものにするため、双精霊の片割れである『くさりの精霊』チェインを鉄鎖で縛り付け虜囚とするが、逆に王は災禍を被り、その身を滅ぼした。人の身で扱えぬ大きなものに手を出そうとする愚かさと、相手のことをよく調べもせずに安易に手を出す愚かさ。それらの教訓を語った古史古伝だ」
「確かにおっしゃる通り、身に余る行為は自身に跳ね返ってくるのが世の常でしょう。しかし、いくら相手が強大な力を持っていても、皇帝陛下はセイランの身柄を欲するのでは?」
「いや、陛下からは討っていいとすでに下知されている」
そう、セイランの身柄に関しては、すでにレオンが打診していたことだ。
しかし、そのとき皇帝から返ってきた言葉は、
――ライノールを、クロセルロードを決して侮るな。
――危険を冒してまで虜囚とする必要はない。
――できるなら、そのまま殺してしまえ。
――歴代皇帝がライノール相手にわがままを言わなければ、すでにライノールの半分は帝国のものとなっているはずなのだ。
皇帝はそう、レオンに釘を刺したのだ。
欲を出すなと、ヤンバクラ王になるなと、そう。
討ち取れるときに討ち取っておかねば、余計な災禍を被るぞ、と。
「陛下はそのとき、果たして首を斬った程度で死ぬかどうか……と冗談めかして言っていたがな」
「首を斬れば人は死にます」
「であればよかろう。そうでなくば、皇帝陛下と同じく人ではないということだ」
「では、皇帝陛下は首を斬られても死なないと?」
「宮廷雀どもはよくそんな風に囀るな」
いくら人知を超える力を持っているとはいえ、まさかそこまでではないだろうが……あの皇帝だ。あながちあり得ないとも言い切れない。
そんな風に、レオンがアリュアスと話していた、そんな中だった。
「で、伝令! グランツ閣下に急ぎの一報っ!」
情報を携えた兵士が、こちらに向かって息せき切って駆け込んでくる。
どうしたのか。その随分と激しい取り乱しよう。
「どうした? 何か緊急の事態でも?」
デュッセイアが訊ねると、伝令はまるで予期していない一報を口にする。
「第一魔導部隊が、セイランの麾下の近衛に食われ、か、壊滅っ!!」
「な――!?」
「む……」
「それは……」
その報告で、辺りが緊張に包まれる。
伝令が口にした魔導師の部隊は、ポルク・ナダールに付けていた三部隊の内の一つ。
それが――
「か、壊滅した!? あれは伯爵に追随させていた部隊だろう!?」
「は! ポルク・ナダール伯爵がセイラン率いる近衛部隊を追う中、近衛の守りを崩すために第一魔導部隊を投入! しかし、部隊は敵魔導師の魔法を受け壊滅! 現在は第二、第三部隊が合同で対処しておりますが、敵の魔法の威力があまりに苛烈で、防御に苦慮している模様」
「【第一種障壁陣改陣】はどうした! アリュアス殿からもたらされたあの新呪文なら……」
「それが、敵魔導師の攻性魔法は新型の防性魔法を容易に貫通する魔法でして……」
「バカな……束になった【火閃槍】をも凌ぐことも可能な防性魔法のはずだぞ」
デュッセイアが絶句する中、アリュアスに視線を向ける。
「アリュアス殿」
「……あれはそう簡単に破られる魔法ではないはずですが」
破られたことは、本人も想定外だったのか。一段低くなった声音からは、戸惑いのようなものが感じられた。
「【第一種障壁陣改陣】は【火閃槍】をさらに強めた魔法を受けた場合まで想定したものです。よほどの魔法でない限りは、容易に抜けるものではありません」
「しかし、現に覚え込ませた魔導師部隊は障壁を破られ壊滅した」
「…………」
これにはアリュアスも言い返せないか。
しかしレオンとて、【第一種障壁陣改陣】の防御力の高さはすでに知っている身だ。彼女から呪文をもたらされたあと、その効果や性能の高さを確認している。
だが、実戦投入された矢先にこうも簡単に破られてしまったことには、やはり失望を禁じ得なかった。
「伝令殿。それはクロセルロードの魔法でしたか?」
「いえ。セイランが魔法を使ったのは最初きり。見たところ使ったのは近衛の人間かと思われます」
「近衛の人間ということは、部隊全体の魔法攻撃ではないのですね?」
「はい。使ったのは一人。身なりからして貴族の子弟。それも、幼い少年のように見受けられました」
「こ、子供だと!? 子供の使う魔法に破られたのか!?」
伝令の話を耳にしたデュッセイアが、驚愕の声を上げる。
セイランや国定魔導師相手ならまだしものこと、まったく無名の子供に【第一種障壁陣改陣】が破られたなど、信じられる話ではない。
アリュアスからも、どことなく驚いているような雰囲気が感じられる。
「その魔法はどんな魔法でしたか?」
「おそらく、黒い飛礫をばらまくように発射する魔法なのかと」
伝令の言葉に疑問の声を上げたのは、デュッセイアだった。
「そんな魔法で? 飛礫を撃ち出すだけの魔法であの防性魔法が破られたというのか?」
「は。それがあまりに苛烈なもので……先んじたポルク・ナダール麾下の騎兵は馬ごとバラバラに吹き飛び、さらにその後ろの防性魔法を貫通して、第一魔導部隊を、げ、撃滅……その惨状たるやすさまじく、その魔法一つで暴走気味だったナダール軍が恐れ慄き、足を止めてしまうほどでした」
口にした伝令の兵士は、青くなって震えている。
自分がその魔法に晒された場合と置き換えてしまったのだろう。
レオンはそこでふと、伝令が口にした言葉が気になった。
「しかし、なぜ説明の前におそらくと付けた? 間違いなく見たのならば、そんな言葉が付くはずはない」
「それが……発射された飛礫があまりの速度だったので、何を射出する魔法なのか判然とせず……」
「その速さはどれほどだ?」
「弩から撃ち出された矢玉よりもさらに速かったと思われます。そのため、騎兵の機動力を以てしても回避は間に合いませんでした」
そこで、アリュアスが声を上げる。
「弩より速い魔法? そんな馬鹿な……」
「アリュアス殿?」
レオンは訊ねるように声を掛けたが、一方のアリュアスは答えない。
呆然とした声を怪訝に思ったのだが、当の彼女はあり得ないことでも耳にしたかのように、伝令の話を聞いて固まったまま。
しばし考え事をするかのように黙ったあと、やがて口を開いた。
「……閣下。我ら銀の明星が持つ魔法の知識の中に、【隼の急落】という法があります」
「それは?」
「内容はさほど難しくはありません。隼の速さを超える速度の魔法を生み出すことはできない、という魔法的法則です」
アリュアスはそこで一度区切ると、説き明かしに入る。
「隼の速度を超えることができない。主に、射出系の魔法を生み出す際に、魔導師はその法則に阻まれます。これは、術者自身が隼の急降下以上の速度を想像することができないため起こるものです」
「想像できない?」
「そうです。攻性魔法を思い浮かべてみてください。射出系統の攻性魔法は、大抵が弓矢や投げ槍、投石などを模したものではないでしょうか? 射出系統の魔法がそういったものを模しているのは、人間の想像力に限界があるからなのです」
アリュアスはそう言って、神妙な声音を出す。
「見たことのないものを想像するというのは、実に難しい。たとえ魔法として具象化出来たとしても、想像が曖昧では効果も安定しません。それゆえ魔導師は魔法を想像するために、観測と経験を以て補うのです。物事よく観察し、経験し、その事象をよく理解して初めて、安定した魔法を生み出すことができる」
「ふむ……私は魔導師ではないゆえ、その辺りわからぬことだが」
そう言って、直属の魔導師に確認の視線を向けると、その魔導師はアリュアスの話を肯定するように頷いた。
「もちろん、すべてに当てはまるわけではありません。風などそれ自体が速さを持つ魔法は除外されますし、想像しやすい事柄、連想しやすい事柄であれば、想像のみでも構築することは可能です。ただ効果が高くなるにつれ、難しくはなりますが……」
「つまりアリュアス殿は、射出する魔法のほとんどは、先ほどあなたが挙げたものを模していると言いたいのか?」
「はい。そしてそれを踏まえると、我らが見られるものでもっとも速いものが、隼が地上の獲物を狩るための急落であり、それに準ずるもので広く見ることができる機会のあるものが、弩から発射される矢玉となります」
「そして、それ以上の速さを持つ物を人は見ることができないため、生み出す魔法はそれ以上の速さを出すことができない。だから【隼の急落】という名が付けられた」
「閣下のご推察の通りです」
「なるほど、人の想像力の限界か……」
現に、国定魔導師の一人である溶鉄の魔導師クレイブ・アーベントは、彼の異名のもととなった魔法を生み出すために、身体中に火傷を負うことになったのだという。
これは、体感したがゆえに、想像の限界を突破したという例になるのだろう。
「伝令殿のお話では、確かにそれだけの速度が出ていた。その法則を突破したということであり、その魔導師が【隼の急落】を超える速度の何かを知っていることになります。具体的には……」
「現象もしくは、弩よりも射出速度のある飛び道具が存在する……」
「然り」
アリュアスが肯定すると、デュッセイアが愕然とした様子で、
「馬鹿な! そんな物があるなど、魔法よりも脅威ではないか……」
「ええ。ですから私も、副将殿と同じことを言ったのです」
「閣下」
「……これに関しては、早急に調べる必要がありそうだな」
見過ごせない事実に一同が唸る中、再び伝令が陣内に駆け込んでくる。
「将軍閣下! ポルク・ナダールより援軍要請が!」
「……予定よりも早いな」
「閣下、いかが致しますか?」
「そうだな……」
いくら作戦のためとは言えど、さすがに伯爵の要請を無視するわけにはいかない。伯爵が我が身かわいさに撤退する可能性も捨てきれないため、ある程度、協力者のていを保つ必要がある。
だが、もう少し待っていたいのも事実だ。
……時間はある。ことは予定通りに進んでいるし、討伐軍への援軍の影もいまだにない。
盤面に慮外の闖入者が入ってこないのならば、あとは機を待つのみなのだ。
伯爵への援軍は、ギリギリまで待つか、出したとしても遅らせるのが肝要だろう。
(援軍……?)
そこで、ふとしたおかしさを覚える。
それは、伯爵への援軍に対してではなく、討伐軍への援軍のこと。
――いまだ、援軍がない?
そう、討伐軍に援軍有りという報告が、いまだにないのだ。
そんなことなど、あるはずものないのに。
「コースト尉官」
「は!」
「伯爵の援軍要請以外に、報告は入っていないか?」
「は。どのような報告でありましょうか?」
「討伐軍への援軍だ。王都や他の都市から兵が送られた様子はないのか?」
「そちらは音沙汰ありません」
「少しもか?」
「はい。まったく」
「…………」
おかしい。討伐軍への援軍がないように工作を仕掛けたのは自分だが、援軍が最初の魔導師部隊だけで打ち止めということはないはずだ。
氾族やグランシェルが王国に軍事的圧力を掛けたとしても、王国には国軍だけでなく地方貴族の防衛力もあるのだ。援軍をまったく出せないということはまずあり得ない。侵攻の備えとして確保しておくにしても、余裕がないわけはないのだ。
……伯爵に援軍はないとは確かに言った。
だが、ある程度は援軍を捻出するだろうということも想定している。
そう、王国は兵を大規模に動かさずとも、大戦力である国定魔導師を単独で動かすだけでもいいのだ。そもそも国定魔導師を数人動かしただけでも、ナダール軍など些末な軍勢、容易に消し飛ばすことができるはず。
武官貴族に褒賞を分け与えなければならない以上、そんな事態の治め方などできはしないだろうが。
それでも一人、二人は動かすはずだし、それすらしないというのは状況的にもあり得ない。
ふいに、リヴェルが口を開く。
「閣下にはなにかご懸念がお有りなのでしょうか」
「援軍がないのが気になるのだ」
「討伐軍や王国各所に潜ませた間諜からも、そのような報告は上がってきておりません」
やはり、援軍はない。
だが、相手はあのシンル・クロセルロードだ。状況が動いていないならまだしものこと、ことが及んだ状態でそのような怠惰を見せるものだろうか。
こちらの意図を正しく読み取ることはできないだろうが、帝国がポルク・ナダールの背後に付いている可能性を考慮しないはずがない。
ならば、状況がどう転んでもいいように策謀を巡らせるはず。
考えられるとすれば、討伐軍にも秘密にして兵を動かす、か。
そして、
(……劣勢を覆せるほどの戦力を、相手に悟られぬよう短期間で一気に強行させる)
だろう。現状は討伐軍有利だが、不利になったときのことを想定しているならば、そうするはずだ。
別働隊を動かして、後方に回り込ませることもできるだろうが、そうしてしまうとセイランの手柄が減る可能性がある。ならば、大きな戦力を討伐軍に加えさせて、セイランの指揮下に置くというのが最もいい。
おそらく現在は、すでに強行進軍の段階に入っているはずだ。
手に持っていた杖を、手のひらに打ち付ける。
「――デュッセイア。予定よりも早いが、お前に動いてもらうことにする。このままでは間に合わなくなる恐れが出てきた」
「将軍……」
「お前は隊を率いて大きく迂回し、討伐軍背後の森へ回り込め。決して気取られるな」
「背後の森ですか? ですがそれでは……」
おそらくはその間にナダール軍が壊滅してしまうとでも思ったのだろう。
彼に説明をしようと考えた折、背後から豪快な笑声が聞こえてくる。
「ぶわはははっ!! そこでワシの出番というわけだな?」
……どうしていつもバカの極みであるのに、こういったときだけは嗅覚が鋭いのか。
呆れ交じりにそう思いながら、バルグ・グルバの方を見る。
「バルグ。お前にはナダール軍の敗勢が決してから動いてもらいたかったのだがな……しかたあるまい」
「なんじゃあ。崩れてしまっては終わりではないか?」
「ナダール軍はな。だが、我らはどこの軍だ?」
「そんなもの……ああ、なるほどの。つまりはもとよりナダールなどどうでもいいということか」
「そういうことだ」
「それで、ワシは何をすればいい?」
「お前にはこのまま前線の歩兵を蹴散らしてもらいたい」
「うむ。良き良き。ワシにはそちの方が性に合っている。あの豚を助け出せなどと眠たいことを言われなくて安心したぞ」
「お前にそんな仕事などさせられるものか」
「ぶわははははっ!!」
バルグ・グルバは自身の得物である二本の戦斧を担ぎ上げて、地響きのような笑い声を上げる。
そして彼に戦場の左側を指し示した。
「バルグ。左翼敵戦列を崩せ。頼むぞ」
「おお! 任せい!」
バルグ・グルバから頼もしい声が返ってくる。
しかし、一方でデュッセイアは落ちつかない様子。そんな彼を近くまで呼び寄せる。
「デュッセイア、少し耳を貸せ」
「は……」
デュッセイアに作戦の肝を伝え、しばし会話。
やがて彼は驚いたように目を見開いた。
「それは……」
「つまり、すべてが私の想定の範囲内というわけだ。よいな?」
念を押すと、デュッセイアは毅然とした素振りで「は!」と了解の意を示す。
すると、予期せぬ人間が声を上げた。
「――では、私も同道させていただきましょう」
「アリュアス殿。なぜあなたが? 積極的に関わる気はなかったのでは?」
「軽く手をお貸しするだけです。もしかすれば、博士の作った【第一種障壁陣改陣】を貫いたという魔導師に会えるかもしれませんしね……こちらも、ただ貫かれました。という報告をするだけでは体裁が悪いのですよ」
勝手に動いてもらっては困ると言いたいが、彼女に動いてもらえるのはありがたいというのも、事実ではあった。
「……では、国定魔導師が現れた折はよろしく頼みたい」
「わかりました。国定魔導師が現れた際の対応は私にお任せを」
そんなやり取りをかわしたあと、デュッセイアに向き直る。
「行け。デュッセイア・ルバンカ。貴様の武勇を以て必ずライノールの王太子を仕留めろ。成功すれば、セイランの首はお前のもの。そうなればお前の望みも叶うかもしれん」
「……よろしいのですか?」
「部下の手柄を奪う趣味はない。行け」
「っ、閣下の仰せのままに! 帝国の精鋭たちよ、私に続け!」
デュッセイアの目に、火が灯る。それは、己が氏族を背負っているからこそのもの。
レオンとしても、彼には今後も活躍して欲しいところではあるのだ。ここで手柄を上げることが出来れば、氏族の置かれた微妙な立場に対する憂慮も、払拭できるかもしれない。
そんな憂いを排除できて初めて、彼は将への道を歩むことができるだろう、と。
そんなことを思いながら、騎馬を駆って出撃したデュッセイアの背を見送った折。
リヴェルが泡を食ったように声を上げた。
「しょ、将軍! グルバ将軍が!」
「ヤツがどうした? ――む?」
「て、左翼ではなく右翼に! セイランの近衛部隊の方へ馬を走らせています!」
「っ、あの底抜けの大馬鹿者……右も左もわからんのか。これではデュッセイアが回り込む前に取り逃がしてしまうぞ……」
レオンはバルグ・グルバの行動に頭を抱えながら、部下に止めに向かうよう指示を出した。
……挿絵の方は、だいたいこんな感じで動いているという風に考えていただければ幸いです。




