第八十一話 ミルドア平原会戦
戦での主要人物
アークス・レイセフト。主人公。
ノア・イングヴェイン。アークスの従者。氷の魔法が得意。
カズィ・グアリ。アークスの従者その2。相手を捕縛する魔法を使う。呪文の構成が上級者。
セイラン・クロセルロード。王国王太子。
エウリード・レイン。セイラン付き近衛の統括。
ローハイム・ラングラー。国定魔導師第三席。通り名は水車。
ルイーズ・ラスティネル。ラスティネル領領主である女傑。馘首公と呼ばれる。
あとはディートとガランガ、ボウ伯爵とか。
帝国側。
ポルク・ナダール。王家に反旗を翻した貴族。豚とか蛙とか言われるけど無能ではない。
レオン・グランツ。ギリス帝国東部方面軍所属の軍人。将軍。
デュッセイア・ルバンカ。ギリス帝国東部方面軍所属の軍人。副将。
アリュアス。白仮面の女。銀の明星の魔導師で、帝国に新型の防性魔法をもたらした。
リヴェル・コースト。将軍付副官。倉庫襲撃の際は、被害者として逃げ出す。
バルグ・グルバ。ギリス帝国中央軍所属の軍人。遊撃将軍。
あとは伯爵の従者と、レオン麾下の魔導師が何人か。
討伐軍5500。
ナダール軍4500。
レオン麾下、帝国軍500。
軍議から数日後。
討伐軍は戦の準備を整えると、即座にナルヴァロンドから進発した。
ナダール軍の東進はやはり止まらず、ともすればラスティネル領まで迫る勢いだ。
悠長にしていれば、予想もしない場所での衝突も危惧される。
そのため討伐軍は予定通り、これをミルドア平原で迎え撃つことになった。
――ミルドア平原。
ここはナダール領の東部にある広大な平地のことだ。
ラスティネル領から続く街道を西進し、森を抜けると現れる、背の低い草で覆われた平原である。
ここはさながら決戦のために誂えたといっても過言ではないほど見通しが良く、これといった傾斜なども存在しない。さらに先に進めば小高い丘もあるが、これは丘というにはあまりに小さいため、防衛陣地を構築するには適しておらず、緊要な地形でもない。
数的有利を活かすならば、これ以上の場所はないという土地だった。
「――王太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます。此度の戦の原因は、もとをただせば王家が我が主であるポルク・ナダールに付けた不名誉な言いがかりが元であり、殿下の側には確固たる大義がございません。であればいますぐ兵をお引きになり、我が主であるポルク・ナダールを相応の待遇で迎え、交渉の席を用意することをお勧めいたします」
「大義だと? この場においては余の言葉こそが大義よ。戻ってポルク・ナダールに伝えるがよい。余自らそなたの首を取りにゆくとな」
戦の前にポルク・ナダールから使者が使わされたが、セイランはこれを一蹴。
一方で使者は「……後悔いたしますぞ」と、恨み節のような言葉を吐いて戻っていった。
現在、ミルドア平原には、討伐軍、ナダール軍共に集結済み。
天は快晴、風は北風。
両軍ともに、横陣を敷いて向かい合っている。
……兵士を集中的に配置して運用する密集陣形は、古代や中世の戦争など、原始的な戦いを思わせる。だが、男の世界の現近代の軍隊と違い、いまだ兵士逃亡の恐れがあり、銃などの火砲がない現状、これが現在の軍隊にとっての最善なのだろう。
横陣はその攻撃力の高さもそうだが、左右に長い隊列を作ることによって、敵兵が簡単に側面や背後に回り込めないようにするという面も併せ持つ。
何も考えずに軍勢を一個の塊にしていると、すぐに敵軍に包囲されてしまうことになる。
それゆえ、容易に包囲されないよう、こうして隊列を作るのである。
……討伐軍は歩兵で構成された横陣を敷き、その両翼に騎兵を配置して、側面を取ろうとする敵の騎兵に対応。弓兵、魔導師部隊を後方に配置して、前線の援護を行わせるという基本的な陣立てを採っている。
セイラン率いる近衛の部隊は最左翼に。中央をラスティネルの本軍や魔導師部隊を配置し、他の部分に比べ大幅な厚みを持たせてある。
「余が愛するライノールの兵たちよ! そして余の危機に立ち上がってくれた勇者たちよ! まずは余の願いに応じここに集ってくれたことに礼を言いたい! これより余は逆賊であるポルク・ナダールを討つべく、皆と共に戦場に出る! ライノールの臣民の幸福を掠め取り、醜く肥え太ったあの豚を決して許してはならん!」
馬上にて堂々とした口上を発したのは、王国王太子セイラン・クロセルロードだ。
まだ年端もいかぬ姿にもかかわらず、勇壮な弁舌と巧みな身振りを駆使して兵士たちを鼓舞する様は、さながら熟練の将のよう。
セイランが口上の締め括りに中華風の剣を高く掲げると、兵士たちから目眩を起こしてしまいそうなほどの鬨の声が返って来る。
それはまさに、地鳴りめいた音声だった。
局所的な地震でも起きたかと錯覚してしまいそうになるほど、多くの声が巨大な一つの塊となって押し寄せてくる。
……他方、ナダール軍はこれだけの鬨の声を前にしても、崩れる様子はない。
腐っても、辺境に領地を与えられた貴族は伊達ではないということだろう。
軍を構成するほとんどが徴発兵ばかりとはいえ、侮れないものがある。
ともあれ、セイランの仕事は兵士を鼓舞する口上だけでは終わらない。
(本当にこのまま先陣切って戦うのか……)
普通、指揮官など上位者は陣立ての最後列に控えたり、本陣に引きこもって指揮したりするのが当たり前だが……それは男の世界での話。こちらでは君主や諸侯はよほどのことがない限り、自らも将軍の一人となって兵を率い、戦いに参加するのだそうだ。
逆に本陣に引きこもっている方が珍しいとのこと。
しかも今回、こうしてセイランが前に出て戦うのは、確固とした目的あってのものでもある。
玉を策の中核に据えるとは大胆を通り越して無謀とさえ言えるものだが、近衛にとってはそれだけ余裕がある戦いということなのだろう。
対して、ナダール軍。
前衛は大楯や槍などを揃えているものの、全体的に装備が行き届いていないように見受けられる。これは、ナダール軍を構成する兵士のほとんどが徴発兵であるからだろう。
彼らは正規の兵士でないため、戦いの道具を持っていない者が大半だ。
剣や槍など最低限の武器は支給されているものの、防具は簡素な胸当て程度で、見えるのはさらけ出された頭髪ばかり。武装が行き届いた討伐軍と見比べると、やはり見劣りしてしまう。
これだけを見ても、討伐軍にかなり有利に働くだろう。
武器や防具を持つ者と、持たない者の戦いがどうなるかは自明の理。
これでは督戦している正規兵を一定数討ち果たすだけでも、軍が瓦解してしまう可能性すらあり得る。
だが予想外だったのは、ナダール軍の兵数だ。事前の情報では、ナダール軍は討伐軍よりも兵数が少ないと見られていたが、実際には討伐軍に匹敵するほどの数を揃えてきている。
兵数の誤認は、ときに敗北に直結するほどの手落ちになり得るものだ。
今回は同数程度であるだけマシだったと言えるが。
……ナダール軍の方も、兵を鼓舞する口上が終わったのだろう。
やがて、どちらからともなく、軍が動き出す。
歩兵隊の前衛が一定の距離まで進むと、魔導師部隊の射程に入ったらしい。
詠唱を済ませた魔導師たちが魔法を発動。
上空を【火閃槍】の魔法が一斉に飛んでいく。
炎の槍が天へと向かって放たれる様は、さながら夕焼けを思わせるほど。
空を赤く染め上げることはおろか、光量の差が激しいせいで、他の場所が暗くなったように錯覚してしまう。
普通に生活していては決して見られない、あまりに豪壮な光景だ。
それにわずか遅れて、ナダール軍側からも魔法が放たれる。
やはりそちらも、使用したのは火を扱う魔法だ。
火が不利をもたらす環境でない限りは、戦場で使用される魔法はほぼ火の魔法一択となる。
しかし、討伐軍の一斉射に比べて、ナダール軍の魔法行使にはムラがあった。
これは魔力計を用いた訓練の有無が理由だろう。ナダール軍は討伐軍に比べ魔法発動の足並み揃わず、一部では詠唱不全さえ起こしている始末。一方討伐軍は魔力計によって、魔法の訓練だけでなく、同様の魔力量、力量を持ち合わせた者までも揃えているため、それらの憂慮は克服している。
空から真っ赤なカーテンが垂れ下がると、最前線の兵士は刻印の施された盾を一斉に構えて防御。その合間を狙って、弓兵が刻印の施された矢を雨のように射かけるのが、基本的な激突直後の光景だ。
やがてある程度魔法や弓の打ち合いが終わると、今度は歩兵、騎兵の出番となる。
歩兵隊の前線が衝突し、一方で両横の騎兵部隊が横陣の側面を取るために、互いをすり潰しにかかるのだ。
討伐軍は魔導師部隊がナダール軍よりも多いため、常に援護が入る分優位だが、さすがにナダール軍もすぐさま崩れるといったことはない様子。ナダール軍も統制がよく取れているように見受けられる。
戦端が開かれた、そんな折。
「――エウリード、近衛たちへの細かい指揮はそなたに任せる」
「御心のままに」
セイランの指示に対し、すぐ側に控えた若い貴族が了承の意を示す。
近衛を率いる若き将、エウリード・レインだ。
現レイン伯爵家の当主であり、セイラン付き近衛を統括する近衛の隊長格の一人でもある。類い希な槍の腕前と冷静さ、そして軍を統べるに相応しい指揮能力を持つという、まさにエリートという言葉がふさわしい人間だろう。
見た目はさながら男の世界の少女漫画に出てくるようなイケメンのビジュアル。
近衛の証である赤マントを翻し、白馬に騎乗するその姿と相俟って、物語に登場する貴公子を想起させる。
……片手に携えた大槍がなければの話だが――それはともかく。
本来であれば、セイランの側近はもう一人、魔導師であるローハイム・ラングラーがいるのだが、こちらは戦が始まる少し前に、セイランの指示で離脱している。
「――我が師。そなたは魔導師の部隊を指揮せよ」
「殿下、よろしいのですか? 私がいなくなれば魔法の守りが薄くなりますが」
「ナダール軍の兵数が揃っているとわかった現状、我らには将を遊ばせておく余裕はない。それに、近衛にも腕のいい魔導師は揃っている」
「では、私にも暴れて来いとおっしゃるので?」
「いや。そなたは魔導師部隊の目付だ。魔導師部隊を掌握し、これまでの訓練の結実を評価せよ」
「承知いたしました」
「必要なら好きに暴れて構わんが、手柄は取り過ぎるな。行け」
そんなやり取りが終わると、ふとローハイムがこちらを向いた。
「ではアークスくん、ノアくん、カズィくん。殿下をよろしく頼むよ」
「はい」
「承知いたしました」
「は……」
声がけにそれぞれ返事をすると、ローハイムは魔導師部隊のもとへと馬を走らせた。
そのため、現在セイランの側に控えるのは、近衛たちと自分、ノア、カズィということになる。
馬上で緊張していると、エウリードが声を掛けてきた。
向けられるのは、整ったまなじりと、涼やかな声。
「アークス・レイセフト。君も初陣でしたね」
「は、はい」
「事情はすでに殿下から伺っています。あなたは殿下のお側で魔法を使っていればいい。迂闊な動きだけはしないように気をつけなさい」
「しょ、承知いたしました……」
落ち着かない心の内を見透かされたのだろう。
優しげな声に返事をすると、今度はセイランが口を開く。
「アークス。このような場所で死んでくれるなよ」
「……はっ!」
「うむ。よい返事だ」
緊張はいまだあれども、声を掛けてくれたセイランに、はっきりとした声を返す。
一方で黒馬にまたがるセイランは、いつもの黒い面紗をつけたまま、静かな様子。
こちらは敵軍を前にして心中穏やかではないというのに、セイランにはそんな素振りさえ見当たらない。本当にこれが初陣であるのかと疑いたくなるほど、落ち着いていた。
……そろそろ動き出す気配を感じ取り、馬の具合を確かめる。
今回の同行に当たって、近衛から軍馬を預けられた。
訓練が行き届いているため、大きな音を聞いても驚くことはない。もちろん、馬は総じて先の尖ったものを嫌うため、その辺りは気をつけなければならないだろうが――槍衾に突入することもそうそうないだろう。
「アークス・レイセフト。馬に乗って呪文を唱える訓練はしていますか?」
「はい。その辺りも伯父からしつこく」
「溶鉄の魔導師殿ですね。ならば問題はないでしょう」
エウリードの懸念は、騎乗中の呪文詠唱についてだ。
馬に乗って魔法を使う場合、慣れていないと舌を噛んでしまう恐れがある。
だが、クレイブから乗馬の訓練を受けたときに、その辺りのことを考慮した内容を組まれていたため、舌を噛まないための詠唱のやり方はすでに体得していた。
そんな話をしていた折、ナダール軍右翼騎兵に動き出す機微――
「では近衛全隊! こちらも動きます! 事前の打ち合わせ通り、正面の騎兵に一撃加えたあとは南進。ポルク・ナダールを釣り上げます! ナダール兵の追撃で殿下に傷一つ付けてはなりませんよ!」
近衛たちがエウリードの指示に「応!」と応じ、馬を動かす。
やがて敵騎兵部隊も動き出し、こちらに向かってきた。
騎兵部隊だけが。
(……?)
ナダール軍は右翼側にも魔導師部隊を配置しているようなのだが、なぜか魔法を撃ち出してくる気配がない。
セイランの部隊を前に、魔力を温存するというのもおかしな話。普通は騎兵が動く前か動くのに合わせてけん制の魔法を使用するはず。
そちらに動きがないのが不可解だが、その様子を見て、セイランが先陣を切った。
「近衛全隊! 余に続け!」
セイランが動き出すと、すぐに近衛たちも続く。
やがて、敵騎兵部隊との距離が、ある程度詰まったとき。
黒馬を走らせるセイランが、呪文を唱え始めた。
『――降り落ちる槍。殺意の閃光。眩き黄金。愚かなる者は地を這いつくばりては塗炭にまみれ、金色の槍が前にその身を捧ぐ。律せよ。滅せよ。天より下されし絶叫よ』
黄金の【魔法文字】が生まれると、それは金色の稲妻を帯びて互いに激しくぶつかり合い、セイランの右手に集っていく。稲妻が生み出す発光は甚だしく、ともすれば目を眩ませるほどの明滅が網膜を突き刺さんとするほど。
刺激に弱い者ならば、重篤な神経症状すら引き起こしてしまうのではないかというほど、現象の度合いは激しくある。
それを見た敵騎兵の部隊長らしき人物が、悲鳴にも似た叫びを上げた。
「気を付けろ! クロセルロードの魔法が飛んでくるぞ! 対魔法防御用意ぃいいいい!」
部隊長からの指示が飛んだ直後だった。
騎乗した魔導師が急いで簡易の呪文を唱え、防御障壁を展開。
一方セイランは黄金の右腕を掲げると。
空から閃光が振り落ち。
轟音が耳朶を激しく殴打。
衝撃波が生んだ風圧が駆け抜け。
辺りが白光に包まれた。
……やがて、周囲を眩ませた白光が収まる。
セイランの魔法は、間に合わせの障壁で防げるものではなかったのか。
見れば地面を這う白煙の隙間には、巻き込まれたらしき兵士たちが騎乗していた馬ごと黒焦げになって転がっていた。
「これは……」
「おいおいこれが噂に聞くクロセルロードの魔法なのかよ……」
ノアとカズィが、セイランの使った魔法の威力のすさまじさに、恐れるような呻きを上げる。王家の直系のみが使えるという特殊な魔法を前にして驚き、そしてどちらも、この魔法がなんの現象を引き起こしたのかを、わかっていない様子。
激しい閃光と轟音を伴うこの現象は果たして――
「……雷か」
これまで謎と言われてきた魔法の正体を、一人静かに看破する。
激しい閃光と音速を超える衝撃波が生む轟音、そしてふと漂ってきたオゾン臭からして、雷で間違いないだろう。
雷に打たれても人間は黒焦げになどならないはずだが、魔法であるため、結果が過剰なのはままあること。
特徴的で特定も簡単だが、その一方でこれが謎と言われていたのも頷ける。
この世界では雷を詳しく観察することなどそうそうできないだろうし、そもそもこの世界では電気の存在もまだ知られていないのだ。
……男の世界でも、雷が電気と認められたのは1700年代だというし、いまだ未知のエネルギーなのだと思われる。
セイランの魔法を受けて、騎兵部隊は混乱するものの、すぐに体勢を立て直す。
馬が大きな音に驚いて暴れ出し、騎兵は手綱の制御を失うはずなのだが、しかしてそうはならず。どうやら敵の騎馬も近衛の騎馬たち同様、馬用の耳栓を付けているらしい。
セイランと戦うための対策はきちんと取っているということだろう。
そのまま、セイランに続いて魔法でも使おうかと考え……すぐに「いや……」と考えを改める。
……そう、無理に何かしようと考えなくてはいいのだ。自分はセイランたちのように戦場で大きな活躍ができるほどの才能はない。この状況、下手に動けば孤立するし、張り切れば魔力だってすぐになくなってしまうだろう。
それに、むやみやたらと色気を出すのはセイランの意にそぐわない。
ならば、エウリードにも言われた通り、援護に徹するべきだろう。
セイランや近衛が戦いやすいように立ち回ることを念頭に、近付こうとする兵は魔法で倒し、魔法や矢玉が飛んでくれば防御の魔法で守ればいい。
それだけでも、働きとしては十分だろう。
「アークスさま」
「……ノアは自由に動いてくれ。ノアはその方が戦いやすいだろ?」
「遊撃ですか。楽はさせていただけないので?」
「楽したいって顔してないように見えるけどな?」
「かしこまりました。ではせいぜい働いてくるとしましょう」
伯父クレイブに付き従って戦場に出たことがあるノアならば、勝手にさせてもうまく立ち回るだろう。むしろ慣れていない自分が下手に指示を出す方が彼の枷になりそうだ。
「カズィさん。アークスさまをよろしく頼みます」
「こいつのお守りは手に余るんだがなぁ。まあいいぜ。キヒヒッ」
そんなやり取りのあと、ノアはカズィに馬の手綱を預けて、自分の戦場へと向かっていく。
そして、
「んで、俺は?」
「カズィは俺と近衛の援護を頼むよ。カズィは一人で動くよりもそっちの方が合ってるだろ?」
「まあな。じゃあ、任されますかね」
カズィは攻性魔法よりも、助性魔法や防性魔法をよく使用する傾向にある。ならば、ノアのように単独行動させるよりも、自分と一緒に近衛の援護をしてもらっていたほうがいい。
二人に動きを伝え終えると、セイランの指示にあった通り、その近くを並走。敵騎兵部隊からある程度距離を置いたところで一旦止まると、セイランが指示を出して、敵騎兵部隊に近衛をぶつける。
やがて先鋒同士が衝突し、槍の打ち合いに。混戦とまではいかないものの、敵味方が入り交じりつつある。
ならば、そこに向かって魔法を使うことはできない。
となれば、だ。
(そこに撃たなければいいだけだな)
そう結論を出して、動き始める。自分が行うのは援護だ。セイランや近衛の攻撃の助けになることをすればいい。
こっそりと馬を動かして近衛や敵騎兵の脇に抜け出ると、それを見咎めた敵騎兵が数騎向かってくる。
そちらはカズィに任せておいて。
行うのは呪文詠唱。
『――漆黒の羽は夜にも輝く。汝の蜜は黒鉄で、汝の敵も黒鉄だ。その羽ばたきは音もなく、鉄砂を散らして空へ空へと舞い上がる。菜の葉飽いた。桜はいらぬ。金物寄越せ。鉄を食わせろ。鉄呼ぶ汝は金物喰らいの揚羽蝶』
詠唱する中、生み出されていく【魔法文字】。それらは一つ一つ黒く変色しながら、やがて渦を巻くかのような挙動を見せる。その動きはさながら、砂鉄で目視できるようになった磁力線の如く。小さな黒い蟠りが差し出した手のひらの周りにいくつも生まれ、ふわりふわりと浮遊する。
「魔法だぞ!」
「チィ、下がれ!」
近づいてきた敵騎兵たちがそんな風に注意を呼びかけ合う中、
――【磁気揚羽】
呪文を口にし終えた途端だった。
手のひらを差し向けた先へと向かって、黒い蝶の群れが一斉に羽ばたき始める。
向かう場所は敵騎兵部隊の後方上空。黒い蝶たちはそこで一つに蟠ると、青々とした空に黒い孔が穿たれたように、黒い球状の力場が生み出された。
渦の中心のようにも見える磁力線の動きはあたかも、巨大なクロアゲハが羽ばたいているかのよう。
「こ、攻性魔法ではないだと? 助性魔法か?」
「黒い蝶? いや、渦? なんだあれは?」
困惑するのは、磁気揚羽の直下にいる敵騎兵たちだ。
魔法の効果が、直接的な攻撃でないためだろう。
自分たちを害することが起こらないため、当然回避にも動けないし、魔導師もそれが難なのかわからないため対処のしようもない。
その場しのぎに、防性魔法を使い始める者も現れるが――
そんな中、彼らが身につけていた武器や防具が、蝶の羽ばたきに合わせてかたかたと落ち着きのない挙動を見せ始めた。
「……なんだ?」
困惑に、視線を下げる敵騎兵。
そんな風に、敵騎兵が武器防具の震えに戸惑うのもつかの間。
劇的な反応が起こったのは、間もなくのことだった。
「か、身体が引っ張られっ……あ、あああああああ!」
「ぶ、武器が! 俺の武器が!」
「くそっ! なんだこれはぁああああっ!」
騎兵の後方から断続的に、そんな悲鳴が上がり始める。
磁気揚羽の周りに、砂鉄がさながら蝶の鱗粉のように漂い始めた直後。
鉄製の武器や鎧が、強力な磁力の力場に勢いよく吸い寄せられる。
剣や槍が磁界の向きに沿って並行に飛んでいき。
小手が手からすっぽ抜け。
力場の直下にいた者は、鎧ごと宙へと引き上げられる。
敵騎兵は武器を失うだけでなく、バランスを崩して落馬。
後方から将棋倒しのように、兵士の体勢はおろか隊列まで崩れていった。
頃合いを見て、魔法を終息させたすぐあとに行うのは――
『――貪欲なる回収者は物の卑賤を選ばない。落ちているものこそ彼らの宝。選り好みなく蓄えたるその右腕を受けよ……【がらくた武装】!』
使ったのは、武器となる右腕を作る魔法だ。
人が生み出したゴミやがらくたを集約するのを、この魔法の効果とする。
ならばそれが、敵兵が取り落とした剣や兜、小手などであるならどうなるか。
人が手放したものがゴミというならば、それらは右腕に集まるに相応しいか、もしくは否か。
しかしてその答えを示すように、武器や防具が恐ろしい勢いで飛んでくる。
当然その進路上にいた騎兵は直撃を受けるし、それが当たらずともこちらは武器が出来上がる。
鉄塊の直撃を受けた騎兵がまばらに倒れる中、鉄製の武器や防具が集まって生まれた巨大な右腕に、敵騎兵だけでなく近衛たちまでもが息を呑む中。
「カズィ!!」
「うおっ!? なんだそれ怖ぇ!」
カズィに注意を呼びかけると、彼は即座に馬首を返し、焦ったようにその場から離脱する。
そして、彼が足止めをしてくれてた騎兵に対し、これまでにないほど凶悪な右腕を振るった。
「う、うぁああああああああ!?」
騎兵の武器が、巨大な右腕の間合いに適うはずもない。
一騎を横薙ぎで馬ごと吹き飛ばし、もう一騎は拳を振り下ろす要領で、上がった悲鳴ごと叩き潰す。
刃物が交ざった鉄の塊の一撃をまともに受けた騎兵の惨状たるや……言うまでもないことか。すぐに『ぶっ飛べ』と口にして、右腕をあらの方向へと吹き飛ばした。
それを見ていたカズィが、眉をひそめる。
「敵に向かってぶっ飛ばしたりはしねぇのか?」
「そうすると近衛に当たりそうだからなぁ。近くにばらまくと馬の足の邪魔にもなるし」
「なるほど」
すぐにもとの位置へ戻ると、セイランの護衛をしていた近衛たちに称賛で迎えられる。
同じく、エウリードも、
「アークス・レイセフト。よい援護です」
「ありがとうございます」
「アークス」
「は!」
エウリードの称賛に礼を返した折、セイランからも声を掛けられた。
こちらも称賛をくれるのかと思いきや、だ。
突然、敵騎兵の上空に指を差す。
そして、何を言うのかと思えば。
「アークスアークス、先ほどの魔法はなんだ? どうして敵兵や武器があの黒い渦に引き寄せられたのだ?」
「え?」
「見れば引き寄せられたのは武器や防具、そしてそれらを身につけた者たちだけだ。馬やそれ以外の物は、なぜああやって限定される?」
「さっきの魔法はあれです。えっと……」
「いや、待て。まだ言うな。引き寄せられたものはすべて金属製なのだ……ではあれは磁石が関係している。そうではないか? そうであろう?」
答え待ちでわくわくしているセイランに戸惑いつついると、見かねたエウリードが止めに入った。
「殿下、いまはそのようなことを話している場合では……」
「む、そうだな。――よし、敵兵は体勢を崩した! 前衛を一気に蹂躙せよ!」
セイランが剣を空に向かって掲げると、今度はすべての近衛が一斉に動き出す。
敵騎兵は陣形を崩し、馬から落ち、武器を失い、いまだ混乱の渦中にある。
そんな死に体の部隊に、万全の近衛が負けるはずがない。
近衛が難なく蹂躙する様を、セイランの横で眺めながら、思う。
無理をしないことが肝要だろう。こうやって地味に適度にこ狡く戦い、セイランたちに活躍してもらうのが、ここでは一番いいはずだ。
そんな風に。