第八十話 帝国軍副将の憂慮
野営のために展開されたナダール軍の陣地にて、ギリス帝国東部方面軍副将、デュッセイア・ルバンカは曇天を見上げていた。
軍議の前にもかかわらず、相応の立場にある彼がこうして外に出ているのは、新鮮な空気を胸の中に取り入れるためだ。
幕僚はレオンを始めたばこを嗜む者が多いため、軍議となるとどうしても天幕内がたばこ臭くなってしまう。そのため、たばこはおろか酒も嗜まないデュッセイアは、時間がある場合のみに限るが、軍議の前はこうして新鮮な空気を補充しに外に出るのだ。
澄み渡った青空であれば、胸の内も清涼感で満たされるのだろうが、いまはあいにくの曇り空。ふと何か良くないものでも兆しているのかと考えてしまいそうになるが、すぐにそれを振り払う。
そんな中、ふいに背後から何者かの気配を感じた。
振り向くとそこには、士官の格好をした女が一人、敬礼姿のまま立っていた。
何があっても微動だにしないその様は、さながら石膏の彫像を思わせる。
前髪を真一文字に切り揃えた長い黒髪。
帝国北部に住む氏族に多い白皙の肌。
装飾品は華美に寄らず、余計な携行物は一切ない。
帝国士官の制服をきっちりと着こなし、革鞄と小ぶりの剣を一振り携帯している。
軍規を一から十まで守ったのなら、きっとこんな女ができあがるのではないかというほどの遵守ぶり。
兵学校で抜群の成績を収めて卒業し、先頃、王国内での任務から帰還した尉官だった。
――王国の怖さというものを、少しでも味わってもらわなければな。
それは、彼女の着任の挨拶が終わった際、レオンが発した言葉だ。
成績優秀者であり、規則に忠実。
軍人ならば……特に士官であるならこれ以上ない人材だろう。しかし、神経質な部分が目立ち、聞き取りの際は現場を考慮しない発言も多く、所作の端々からかなりの自信家であるということが窺えた。
それゆえ一度、現場の空気を味わわせようということになり、王国へと放り出されたのだ。
……その任務を終えて戻ってきたときには、随分と自信を打ち砕かれていたようだが。
いまはその試練を乗り越え、将軍付の副官の一人として働いている。
女尉官に答礼を返すと、彼女はきびきびとした態度で「気をつけ」を行う。
靴のかかとを地面に打ち付けて足を揃え、腰と肘を伸ばし、毅然としたまなざしをこちらに向けてくる。
そして、
「ルバンカ副将、ご家族の方が見えられております」
「家族だと?」
「は。そう伺っておりますが」
とは言うが、にわかには信じがたい。
「……尉官。それは本当に私の家族なのか?」
「は。確認は取れているとのこと。面会についても、グランツ将軍が許可したと」
「将軍が?」
「はっ」
ということは、これはグランツの計らいなのか。
作戦前や作戦中に家族の面会を許可するなど聞いたことがないが――グランツが部下に対して便宜を図ったり、融通を利かせたりすることはこれまでもよくあった。
そういった行動は将軍にあるまじき甘さと陰口を叩かれることもあるが、それゆえ部下からはよく慕われているという側面もある。
……やがて引き合わせられたのは、確かにデュッセイアの実の妹だった。
各所をたらい回しにされたのだろうか、着物はひどくくたびれており、疲労も溜まっているのか、どことなく俯いているようにも見えた。
「大丈夫か?」
「……はい。兄上様」
心配の声を掛けると、妹は気丈にも頷いた。
だが、故郷からこんなところまで来たということは、相当のことがあったはずだ。
「一体どうしたんだ? 何か大事でもあったのか?」
「大叔父様がお隠れに」
「……そうか。叔父上が、か」
「はい」
デュッセイアの叔父は、氏族をまとめる長だった。デュッセイアの父が帝国との戦で亡くなったあと、その役目を引き継ぎ、氏族長となって、これまで氏族をまとめ上げてきた。
その叔父が亡くなったということは、氏族にとって大事だ。
妹が無理を押してここまできたのも頷ける。
しばし叔父に思いを馳せていると、妹が再び口を開く。
「兄上様。すぐにお戻りになってくださいませ。叔父上様がお隠れになった以上、我が氏族の柱となれるのは兄上様しかおりません。どうか……」
確かにそうだろう。デュッセイアの氏族の長は、デュッセイアの家系が担ってきた。血筋の正当性を鑑みれば、デュッセイアが次の氏族長となるのが筋となる。
急いで戻り、氏族をまとめ、その方針を決めなればならない。
しかし、だ。
「これから戦だ」
「兄上様……」
言外に「無理だと」口にすると、妹はうつむいた。
そして嗚咽を漏らすかのように、訴えかけてくる。
「私は、兄上様に無理はして欲しくはありません。氏族の誇りや立場も大事かとは思いますが、故郷でひっそりと過ごすのも道ではありませんか?」
「それはできない」
「なぜですか?」
「我ら氏族はすでに帝国の一部となった。目に見えた結果を出すことができなければ、我ら氏族は帝国に呑まれて消えてしまうだろう。それは避けねばならないのだ」
デュッセイアの氏族は数年前の帝国の侵略に屈し、属州の一つと成り果てた。
すぐに降伏せずに抵抗していたため、帝国内ではいまだ立場は弱く、いつ他氏族に呑み込まれるかわからない状況にある。
それを避けるには、デュッセイア自身が、帝国軍で一定の地位に就く必要があった。
「ですが、それではいずれは、兄上様は皇帝にいいように使い潰されてしまうのでは……」
確かにそうだ。皇帝にとっては、弱小の氏族など、使い捨ての駒と同じだ。
だが――
「いまのは不敬だ」
「兄上様……」
「わかってくれ。これも我ら氏族のためだ」
そう、帝国に属することになった以上、氏族が生き残る道はもうそれしか残されていない。
いまだ不安そうに目を伏せる妹に、元気づけるように声を掛ける。
「何も心配することはないさ。私は負けないし、この戦も勝てる。必ずな」
「勝てる、でございますか」
「そうだ」
妹は不安そうに頷くと、目をつむり。
やがて、意を決したように豁然と目を見開いた。
「――兄上様、勝利を確信しているのならば、父上様のお言葉をどうかどうかお忘れなきよう。勝利の目前こそ、生死の境にございます」
妹が、そんな言葉を口にする。
それはいつか聞いた父の言葉だ。まだ故郷が帝国に属していなかったときの、まだ父が存命であったときに、彼がよく口にしていたもの。
いまも戦訓として、デュッセイアの胸中にしかと残っている。
「……わかっているとも」
「兄上様。差し出がましい口を挟んだこと、申し訳ありません」
「いや、それも私の身を案じてのもの。怒りなど抱くものか」
そう言って、妹共々黙り込む。
そんな中、先ほどの女尉官が控えめな様子で近づいてきた。
「副将。お話中申し訳ありません。そろそろお時間の方が……」
「わかった……ではな。戦が終わったらすぐに戻る」
「はい」
そんな短いやり取りを交わし、やがて妹と別れたあと。
先ほどの尉官に先導され、幕僚たちの集まる天幕へと向かう。
その途上でふと思い立ち、女尉官に訊ねた。
「……尉官、名前はなんといったか?」
「は。小官はリヴェル・コーストと申します」
「コースト尉官。先ほど妹が口にした不敬を聞いていたと思うが、あれは他言しないで欲しい」
「はっ」
口止めを理由に名前を訊き出し、再度天幕へ向けて足を急がせる。
やがて目的の天幕にたどり着き、入り口の覆いを開けると、葉巻やたばこの煙が混ざった臭気が顔にかかった。
堪らず顔を背け、咳を一、二度。
呼吸が落ち着いた折、リヴェル共々敬礼を行った。
……すでに天幕内には、今作戦で重要な位置を占める面々が集まっていた。
黒髪をワックスで固めた痩身の男、ギリス帝国東部方面軍所属、レオン・グランツ。
潰れたガマカエルと豚を足したような容貌を持つ王国伯爵、ポルク・ナダール。
そしてその従士である、バイル・エルン。
不気味な白仮面を貼り付けるローブの女、銀の明星の魔導師アリュアス。
天幕の端には、レオンの従者と直属の魔術師たちが幾人か揃っていた。
「……遅れてしまい申し訳ありません」
「いや、こちらもいまし方揃ったところだ。気にしなくていい」
レオンの言葉を聞いて、集った面々に視線を向けるが、遅参に苛立っている者はいないらしい。ポルク・ナダールも余裕そうにしているため、どうやら本当に揃ったところのようだ。
所定の位置に付くと、ふいにリヴェルが口を開いた。
「将軍閣下に一つご報告があります」
「なにがあった?」
「は! 討伐軍に潜ませていた間諜から、ガドウルド・ベルハーンがナルヴァロンドに赴いたという情報が先ほど届きました」
「む?」
「ですが、討伐軍には加わらず、そのまま取って返したとのこと。おそらくは、折り合いが付かず、そのまま王国王太子の要請を断ったのではないかと思われます」
リヴェルの報告を聞いた幾人かが、歓声を上げる。
感嘆の言葉を口にしたのは、主にバイル・エルンやレオンの従者は魔術師たちだ。
王国を攻めるに当たって、ガドウルド・ベルハーンという名前は見過ごせないものだ。
この老将軍はこれまで幾度も帝国の前に立ちはだかり、戦術、戦略の限りを尽くし、帝国の侵攻を阻んできた。
そんな大戦力が援軍の要請に応じなかったいうのは、いまのナダール軍にとってずいぶんと大きい。
「吉報ですね。これで――」
デュッセイアも彼らと同じく、喜び勇んでそう言いかけた途端だった。
「お前たちは何を安心しているのだっ! これで余計わからなくなったのだぞ!」
いまにわかに怒鳴り声を上げたのは、ポルク・ナダール伯爵だった。
焦っているのか、見れば顔が赤黒く変色し、その苛立ちぶりが窺える。
目を剥いて鼻息を荒くするポルク・ナダールに、訊ねた。
「……伯爵閣下、それは一体どういうことでしょうか?」
「ガドウルド・ベルハーン! いまはもう老齢とはいえ奇道のベルハーンと呼ばれた男だ! 表立って動かないときこそ恐ろしいわ! 裏に隠れて何をするかわからん!」
「伯爵閣下、その……何をするかとは、一体?」
「それがわからんから怖いのだ! そもそもその情報すらわざと掴まされた可能性すらあるぞ!」
ポルク・ナダールは、葉巻の先端を灰皿に叩き付けるかのように躙る。
声音には隠しきれない危惧がにじみ出ており、さながらそれは悪夢が現実となり得ることを確信しているような焦燥感の表れにも感じられた。
彼の動揺ぶりはひとまず置いておき、まずリヴェルに訊ねる。
「コースト尉官。それに関して、他に情報はないか?」
「は……。関係があるかはわかりませんが、ガドウルド・ベルハーンはナルヴァロンドを離れる際に、討伐軍の物資を運び出したと」
「物資を?」
「は。そう報告が上がっております」
……ベルハーン軍が自らの領地に帰るだけならば、討伐軍の物資を受領する必要などないはずだ。帰りの分の糧食が足りなくなったというのはまず考えられない話だし、もしそれが領地に帰還するまでに必要な量でないとすれば――
「閣下」
「……決まりだな。おそらくは伯爵の言った通り、表立って動かないことでこちらの不安を煽ろうというのだろう。戦に参加しないのにわざわざ物資を持って行ったという矛盾を作ったことがその証拠だな」
「では」
「一度座視して静観し、戦力が手薄になった場所を襲撃する。あのおいぼれに散々してやられた手だ。これで我らはベルハーンの動きを警戒せざるを得なくなり、城を手薄にできない。向こうは労せず、こちらの動きを制限できるというわけだ。まったくもって腹立たしい限りだよ」
つまりは、討伐軍の方から心理戦を仕掛けてきたということだろう。
こちらが深読みをして拠点に兵を配置すれば、戦力が分散してしまい、討伐軍に充てる数が少なくなる。その一方でこちらが深読みせずに、拠点に兵を配置しなければ、今度は手薄になった拠点が攻め落とされる可能性が浮上する。
もしそれで拠点を奪われてしまえば、こちらは物資や逃げ道を失うことにもなりかねない。
レオンの言うとおり、まったくやりにくい限りである。
姿の見えない老将軍に悩まされる中、ふと女の薄笑いが天幕に響いた。
「では将軍閣下、いかがするのですか?」
弄するような訊ねは、白仮面の奥から。
そんなアリュアスに、レオンが答える。
「まだ情報も少ない。不安に駆られて迷いのある動きを見せれば、相手の思うつぼだ。ゆえにこういった場合は、往々にして裏目に出るものと考えて動かなければならない。楽観は死を招く」
「ガドウルド・ベルハーンの動きも、単に偶然だったということは?」
「ないな。あのおいぼれに限っては特にだ。手薄にすれば必ず城を落としにかかるだろう」
だろう。事ここに至っては、どちらに転んでもいいように動いているはずだ。
この状況を打開するためには、ナダール領内に潜伏しているだろうベルハーン軍を見つけて撃破すればいいだけなのだが……現状ナダール軍には別働隊に人員を割く余裕はない。
ポルク・ナダールが、ひどく苦い物を口にしたかのように顔をゆがめる。
「ことは思うように運ばぬか……」
「いや、そうでもない」
「グランツ将軍?」
「こちらもくさびは打ち込んであるということだ」
伯爵の言葉に否定を返したレオンに、その真意を訊ねる。
「閣下、そのくさびとは一体?」
「こちらのルートを使ってグランシェルと氾族に働きかけた。これで王国は討伐軍に大きく兵を割けないだろう」
「おお! それは本当か!」
その話を聞いたポルク・ナダールが歓声を上げた。
王国も東側や南側から圧力が掛かれば、そちらに警戒を向けざるを得ない。
王国は他国からの侵略があると、まず地方の貴族たちに防衛を任せ、戦線が膠着している間に、中央の精鋭である国軍を増援として派遣するという形式を取っている。そのため、複数の方面で動きがあるときは、国軍を一カ所に集中することができないのだ。
これで、討伐軍にこれ以上の増援があったとしても、大規模なものにはならないということが確定した。
「当面の援軍がないというのは大きいぞ……」
「あとはもう一つ。討伐軍に誤った情報を流させた。おそらく、討伐軍はこちらが自分たちよりも少ない兵数で攻め上っているという認識で出てくるだろう」
「将軍は我らが少ないという情報を流したのか?」
「閣下、そのような情報を……一体なぜ?」
ポルク・ナダールに続いて、疑問の声を上げる。
見れば他の面々も同じなのか。レオンの打った手に対し不思議そうな表情を浮かべている。
そんな中、ふとレオンがリヴェルに視線を向けた。
「コースト尉官。これがどういうことなのか、貴官ならば答えられるはずだ」
「は……これは将軍閣下が討伐軍の動きを制御したかったからだと思われます」
「見事だ」
「ありがとうございます」
リヴェルがレオンに返答すると、またポルク・ナダールが疑問を呈する。
「将軍、制御とはどういうことだ?」
「伯爵。質問に質問で返してしまうことになるが、討伐軍にこちらの数が少ないという話を流せば、向こうはどうすると思うかね?」
「無論、向こうは数で有利となる戦いを選ぼうとするだろう。数が多くても兵を動かしやすい、広い地形で戦おうとする……こちらが城にこもればそのまま城攻めになるだろうがな」
「そうだ。こちらが籠城を選ばぬならば、緒戦は平地での決戦を選んでくる。数で上回るなら小細工など必要ないからな」
「……ということは何か。つまり将軍は平地で戦いたいからそのような情報を流したということか?」
ポルク・ナダールの問いに、レオンは頷き、
「おそらく討伐軍は今頃、自分たちの意思で戦場を選べるものだと考えているはずだ。数の利を十全に活かすため、討伐軍はミルドア平原で我らを待ち構えるだろう」
確かに、この速度で攻め上れば、討伐軍が決戦場をミルドア平原に定めるのは間違いない。
だが、それにはもう一つ条件が必要だ。
「ですが閣下。それは討伐軍がこちらの軍の目的を正しく把握していた場合に限るのではないでしょうか? もし我らがセイランを狙っていることに気づかずに、タブ砦にまで迫ってくるとしたら……」
「そんなことにも気づけない無能の集団なのであれば、行軍途中に仕掛けてやれば容易く済む。漫然と砦攻めをしようとする馬鹿共など、我らの敵ではなかろうよ……国定魔導師がいなければの話だがな」
「…………」
レオンが言い放った直後、天幕内が沈黙で満たされる。
国定魔導師。それは王国の力の象徴とも呼べる魔導師たちだ。その力は脅威という言葉だけでは片付けられないものであり、ひとたび戦場に舞い降りれば、劣勢さえ覆す力があるという。
すぐにポルク・ナダールが、口を開く。
「だがたとえミルドア平原での決戦になるのだとしても、こちらに利するわけではなかろう。結局は同数でのぶつかり合いになることに変わりはないぞ?」
「いいや。平原での決戦を選べば、伯爵にとっても都合がいい」
「どういうことだ?」
「決戦となれば大舞台だ。必ずセイランが前に出てくる。防衛戦や、策を弄して散発的に各個撃破していくよりも、討ち取れる可能性は確実に高い。セイランを討つために戦力を大きく投入できる」
「そ、それもそうか……そうだな。それはこちらにとって都合がいいな。うむ……」
確かにそうだ。
籠城戦は言わずもがな、小さな戦場での戦いになると、セイランが出陣しない可能性が出てくる。だが、決戦となれば、レオンの言う通り大舞台だ。今戦争が初陣であり、評価が必要となるだろうセイランは、確実に前に出てくる、いや、出ざるをえないはずだ。
しかも緒戦が決戦ならば、こちらも軍は十全、セイランを討ち取るために全力を注ぐことができる。
レオンがポルク・ナダールに言った通り、意味がないわけでは決してない。
ポルク・ナダールの血色が目に見えてよくなるが、だ。
まだ疑問に思うこともある。
レオンの思惑は、本当にそれだけなのか、と。
いまレオンがした話は、ポルク・ナダールにとって利するものばかりだ。
帝国にとっての旨味がまったくない。
果たしてレオンが、その程度の策のみで満足するのか。
……この男の打つ手に無駄なものは一切ない。
打ち出した策のすべてが、帝国のために捧げられる。
であればこの策にも、帝国にとってそうしなければならないことが含まれているはずなのだ。
思考を巡らせる中、レオンがリヴェルに報告を求める。
「尉官。現在の討伐軍の動きはどうなっている?」
「いまのところ先行している部隊などはないようです。哨戒、偵察部隊からは報告は上がっておりません」
「離間工作は?」
「それらしい書状がいくつか。ですが届く前にこちらで処分しています」
「勝手に兵を動かそうとしている者は?」
「いまのところいないようです」
「雇い入れた傭兵団の様子は? 不審な動きをしていないか?」
「は。特におかしな動きはありません。討伐軍から買収などの話もきていないようです」
「そうか。ふん……用意した金が無駄になったな」
レオンがため息を吐く。
彼の周りに漂っているのは、どこか残念そうな雰囲気だ。
確かに討伐軍はガドウルド・ベルハーンという重しを置いたものの、講じた策はそれだけだ。その程度のやり口など、レオンにとってはまだまだ甘いのだろう。
戦となれば、離間工作の限りを尽くすということを信条としている男だ。
そんな男からすれば、討伐軍の手ぬるい工作などは、手抜きのようにも感じるのかもしれない。
そんな中、ふと気づく。
(そういえば、レオン閣下は離間工作をしていない……?)
レオンにそんな信条があるならば、今作戦でも離間工作を行うはずだ。
にもかかわらず、そういった工作はポルク・ナダールに任せきりで、まったく手を付けていない。レオンが本気で動けば、討伐軍を分散させることは難しくても、討伐軍を準備不足でラスティネル領に足止めさせることもできるはずだ。
そうなれば、あとは攻め込むだけでいい。
討伐軍が討伐される側に攻められたという事実が付くことで、セイランの信用は地に落ち、それだけでも王国に痛手を負わせられる。
帝国にとってはポルク・ナダールがセイランの首を取ることなど、どうでもいい話なのだ。
帝国の真の目的は、王国の力を削ぐことにある。
しかし、そんな勝利が目の前にあるにもかかわらず、レオンは離間工作を講じない。
ということは、だ。
レオンはどうしてもミルドア平原で戦いたいということになる。
気づいたように視線を向けると、レオンは一瞬だけ不敵な笑み見せた。
やはり、彼には何か考えがあるのだろう。
すると、レオンは素知らぬ顔でポルク・ナダールに訊ねる。
「伯爵の方はどうだろうか? 討伐軍への工作はうまく進んでいるかな?」
「王家の威光を切り崩すのが難しいのは、将軍の方がよく知っているはずだ」
「そうだな」
「将軍の方はどうだ?」
「こちらもだ。でなければ長年王国貴族の結束に悩まされてきてはいない」
ポルク・ナダールの訊ねに、レオンは澄まし顔で答える。
これはさすがの面の皮の厚さと言ったところ。
一方ポルク・ナダールは、まだ表情に焦りがある様子。
「伯爵。気分が優れないようだが?」
「当然だろう! いまだ『これだ』という一手に掛けているのだぞ! なぜ将軍はそれほど余裕に構えていられるのだ!」
「当然、理由があるからだ」
レオンがそう言うと、ポルク・ナダールはぎょっとしたような顔を見せる。
そんな彼にレオンは不敵な笑みを作りながら、
「伯爵。喜びたまえ。こちらも援軍を呼んである」
「これ以上の援軍だと? 一体それは――っっっ!?」
レオンが、何かしらの合図を出した直後だった。
軍議を行っていた天幕の中に、突然巨大な影が現れる。
「ぶわははは! それでワシが呼ばれたというわけか!!」
天幕の入り口で、窮屈そうに身を屈めたのは、その背丈の高さゆえか。
現れたのは、二メートルにも届かんほどの高さを持つ巨漢だった。
毛髪は豊富で、もみあげも頬下まで伸びており、髭面。ファー付きのコートも相まって、顔が毛むくじゃらに見えてしまうほど。腕も足も丸太のように太く、手などは人間の頭を二、三個まとめて握りつぶせるのではないかというほどの大きい。
鼻息荒く現れたその様は、まるで猛牛とも見まがうほど。
まるまる太ったポルク・ナダール伯爵が、小さく見えて仕方がない。
しかしてその容貌には、みな見覚えがあるのか。
「これは……」
「な、なな! なぜこの男がっ……」
ポルク・ナダールはおろか、あのアリュアスさえも、猛牛の登場に驚いている。
ともあれ、天幕内に入ってきたのは帝国の人間。
それも、デュッセイアよりも遙かに上位にいる者だ。
相応の対応が必須であるため、すぐさま号令を行う。
「副官以下全員! バルグ・グルバ将軍閣下に敬礼!」
「うむ! うむうむうむ! 良い良い! 良い意気よ! 戦の前はやはりこうでなくてはな!」
レオン、ポルク・ナダールとその従士、そしてアリュアス以外の全員が一斉に敬礼を行うと、猛牛のような男は満足そうに頷いた。
そんな男に、改めて礼を執る。
「閣下」
「おお! お主は確か……デュッセイア・ルバンカだったな!? 久しいな!」
猛牛が、声を掛けてくる。
ギリス帝国中央軍所属、遊撃将軍バルグ・グルバ。帝国軍ではレオン・グランツと同じ位に就く軍人だ。
ふと彼は嫌みのない笑顔をこちらに向けると、
「確かぁ……以前お主と見えたのは、ワシがお主の故郷を滅ぼしたときだったか? ん? ぶはっ!」
バルグ・グルバはまるで面白い冗談でも口にしたかのように噴き出した。
ふいに投げかけられたあまりに苦い話に、歯が軋む音が口の中に響くが――しかし、顔には出すことはできない。
「……いえ、カシアでの戦いのときに、一度ほど」
「んぅ? そうかぁ? そうだったか。まあ別になんでもよいわ!」
バルグ・グルバはそう言って、豪快に馬鹿笑い。
笑い声は轟音さながらで、天幕の布が勝手に震え始めるほど。
正直な話、デュッセイアには複雑だった。
バルグ・グルバが口にした通り、帝国が故郷を征服する際に、このバルグ・グルバが将軍として蹂躙したのだ。苦くないわけがない。
ふとポルク・ナダールの方を見れば、バルグ・グルバを見たまま固まっている様子。
その理由は驚きだろう。当然、ポルク・ナダールも彼のことを知っているはずだ。
帝国にこの者ありと恐れられる猛者であり、これまで王国に何度も攻め入った将だ。
帝国との国境に領地を構える人間が、知らないはずがない。
そんなポルク・ナダールに、レオンがしたり顔を見せる。
「伯爵。兵一万の代わりに、万夫不当と謳われる帝国最強の兵が援軍だ。これほど心強い味方もいないと思うが?」
「あ、ああ……そうだな。うむ、そうだ! この戦、勝てる! 勝てるぞ!」
ポルク・ナダールの興奮が、一気に過熱する。
強大な戦力が加わったことで、勝利を確信したのか。
先ほどまでの焦りのあった顔は、一体どこへいったのかというほどの変わりよう。
だがこれで、戦は彼の思い通りに進むだろう。
平原まで軍を進め。
討伐軍と戦い。
セイランを脅かす。
すべてがレオン・グランツという男の手のひらの上だということに気づかぬままに――




