第七十五話 軍議、前編
※援軍関係の部分を削除しました。
諸侯たちのセイランへの謁見が終わったあと。
ナルヴァロンドに集まった兵の大まかな数字が計上された。
討伐軍は、貴族および地方君主など諸侯軍合わせて五千と、そしてセイラン自身が引き連れていた近衛が50騎。周辺から民を徴発すれば兵はさらに増えるが、今後も中央からの援軍が見込めるため、そちらは見送ったという。いまのところ数が足りないということもなく、精強無比と名高いラスティネルの家臣とその兵士がいるためだろうと思われる。
一方で、ナダール軍はと言えば、
「――カーチャン、ナダール軍は称して一万五千だってさ」
「それは……こちらの三倍とはナダール伯も随分と数を盛ったもんだね」
「だよなー。いくらなんでもそこまで集めるのは無理だろ」
「そうだね。周辺貴族が味方をしていない以上は、流れの傭兵を雇ったとしてもその数は無理がある」
らしい。
男の世界でも、どこぞのデモ隊が集会に集まった数を十倍以上も盛ることがあるが、これも似たようなものなのだろう。テレビやラジオが情報収集の主たるものだった時代。大衆はそうして発表された数を鵜呑みにするしかなく、大抵の人間がそれを真実だと思い込んでいた。
話を鵜呑みにすれば、兵士は浮足立つし。
数を誤認すれば、作戦に影響が出る。
相手側の正確な数を知ることさえ難しいこの世界だ。
このような単純極まりないハッタリの応酬でさえ、戦略の一環になり得るということだろう。
「戦、楽しみだなー」
「そうだね。久々の戦だ」
……そんな話をしながら、親子並んで、猟欲が滲んだどう猛な笑みを浮かべている戦闘狂共には、相手の数などあまり関係ないような気もするが。
(こえー。物騒な話しながら笑ってるよあいつら……)
周囲によく通る声で、家臣共々和気藹々。あの二人ならば敵軍の数が額面通りだったとしても、こうして笑うのではなかろうか。そんな気がしてならない。
ともあれ意外だったのは、討伐軍に国定魔導師が一人いたことだ。
短めに切り揃えた黒髪。
上から下まで黒一色で統一された立ち姿には、装飾の類いは一切省かれており、貴族にしては質素過ぎると言える風体。
一見してその年齢は定かではない男。
【水車】の通り名を持つ魔導師、ローハイム・ラングラー。
魔力計を発表した際、最も多く核心的な質問をしてきたので、アークスも彼のことはよく覚えていた。
ラングラー伯爵家は代々王家の魔法指南を務めている。
そのため、今回のセイランの視察に付いてきていたのだとか。
彼と会ったのはセイランへの謁見が終わってすぐ。
「君とは魔導師ギルドでのあれの発表以来だね」
「はい、閣下。いつも多大な援助をしていただき、感謝しております」
「いや、私もあれの恩恵をあずかっている身だ。おかげで魔法もいくつか改良に成功することができたし、生徒への呪文の伝達も潤滑にいっている。お礼を言うべきはこちらの方だよ」
「閣下の一助になったのであれば、いち魔導師として嬉しく思います」
……そんなやり取りをしたあとは、先方の都合もあってあまり長く話すことはできなかったのだが。
●
現在、ナルヴァロンドの城にある作戦室で、軍議が行われている。
作戦室には方形の卓が設置され、それぞれ主立った貴族や領主たちが就き。
そこから少し離れた場所に、セイラン・クロセルロードが腰を据えている。
近衛を統括する若き俊英、エウリード・レイン伯爵、国定魔導師は第三席、水車の魔導師ローハイム・ラングラーがその両脇を固め。
セイランに次いで位が高い大領主ルイーズ・ラスティネルがすぐ近くに。
戦のときには兵を動かす立場にある者たちが、みなこの場に揃っている。
そしてそこには、なぜかアークスも。
兵を動かす立場ではないため、彼らと同じ席に着くことはできないが、ノアを伴い、立ちながらの見学。同じく見学のため参加したディートには席が用意されているため、いまはその横に立っている。
……ちなみにカズィはといえば、そういうのはめんどくさいと言ってパス。軍議に参加するのは場違いだと思っているようで、さっさと別の仕事を見つけてそちらに行ってしまった。
ともあれ、だ。
大領主ルイーズの子であるディートははともかくとして、アークスとしてはなぜ自分がここまで特別扱いされているのかというのが大きな疑問だった。
たとえ王太子のナダール領脱出に大きな貢献をしたとはいえ、立場は下級貴族の息子であり、廃嫡もされている。
戦のときに側に控えさせるという話も破格の扱いであり。
普通はこうして軍議を聞いていることさえ許されない立場のはず。
だが、セイランから「聞いていろ」と言われれば、選択の余地はない。
場違いさを自覚しつつ、気まずさを味わう中。
一方でそんな命を下したセイランはといえば、軍議の内容を聞きつつ、異議を呈したり、諸侯の提案を採決したりしている。
事細かに口出しはせず、時折目的について確認を促す。
うまく軍議の音頭を取っているといった印象だ。
(あれだっけ? 一番偉い人間は作戦の立案に口出ししてはいけないとかそういうの)
それは、男の世界で最も有名な兵法書に書かれていたものだ。
その書によると、戦に勝つためには、君主が、将軍の立てた作戦に口出ししてはならないという。
軍議に、君主が積極的に参加したとしよう。
当然、最大の権力を持つ君主の発言が一番に優先されるため、いちいち口出ししてくれば、作戦を立てる将軍との間には不和が生まれるし、君主は軍事作戦を立てる専門家でないことがほとんどであるため、君主が作戦を立てても失敗する可能性が高い。
そのため、嘴を挟むのは厳禁だと書かれていた。
その点、クロセルロード家はもともと軍家であるため、諸侯と同じく立場としては専門家だ。
軍事的な教育が手堅くなされているのであれば、作戦に異を唱えても不和は生まれないし、おかしな策を提示することもない。むしろセイランは軍議には参加しているものの、諸侯の意見をきちんと尊重しているため、軍議は円滑に進んでいるといった印象だ。
ともあれ、その軍議自体はと言えば――
「この機に乗じて帝国が派兵する可能性は?」
「それはないかと。帝国は現在二つの戦線を抱えている状況です。おそらくこれ以上戦線を増やす余裕は、人員的にも物資的にもないでしょう」
「ナダール側の正確な兵数はどうなっている? いまのところ討伐軍よりも少ないという報告が入っているが?」
「間違いないのか?」
「徴集兵や雇い込んだ傭兵団などの数を考慮しても、それが妥当かと思われます」
現状の確認から始まり、議題はやがて実質的な作戦へ。
――ではどう攻める。
――ここはまず足場を固めてはどうか。
――中央からの援軍を待つのも手ではないか。
そんな風に、貴族たちが軍議を進める中。
セイランがひとまずの戦略目標を提示する。
「――まずはナダール領の端、タブ砦を奪取するのが我が討伐軍には肝要だろう。いまは可能なことを、一つずつしっかりと潰していくのが盤石な歩みに繋がるはずだ。それについて、皆に腹案はあるだろうか?」
タブ砦。
そこはラスティネル領からナダール領に入った場合、真っ先に立ちはだかる砦だ。
セイランがひとまずの目標を示すが、それについて、側近であるエウリードが補足を入れる。
「それなのですが、ナダール軍の動きが予想以上に速いという報告が入っています」
「ほう」
「ナダール軍がこのままの速度を維持するとすれば、タブ砦の奪取には間に合わないかと思われます」
「先行部隊を送っても、か?」
「守備兵を撃破して奪取できたとしても、一時的なものでしょう。すぐに本隊に奪い返されてしまうと思われます」
「そうか。防衛が整っていないうちに砦を奪っておきたかったが……ではもしこちらが軍を進めた場合、衝突はどの位置になるか?」
「こちらがミルドア平原に差し掛かった辺りで、ナダール軍はタブ砦に陣を敷くものと思われます」
集まった諸侯たちが「早い」「そこまでか……」などの声を上げる中、セイランがエウリードに訊ねる。
「ではエウリード。緒戦は本格的な砦攻めになる、ということか?」
「その可能性も捨て切れないかと」
砦攻め。その可能性が示唆されると、一部の貴族たちが呻き声を漏らす。
守備兵を蹴散らすだけならいざ知らず。
もしナダール軍本隊が布陣した本格的な砦攻めとなれば、攻める側はそれ相応の兵数が必要になるし、兵の損耗も激しい。抱えている手勢が少ない男爵、準男爵などの下級貴族は、こうなるとあまりうれしくないのかもしれない。
「やはり砦攻めか……」
「ナダールの本城でないだけまだマシと見るべきだろうな……」
……討伐が目的であるため、そもそも城攻め自体予期できていたはずだが、蓋を開ければこの呻吟ぶりだ。軍家ならば当たり前のように、戦術的、戦略的な知識に明るいものだと思っていたが、この場を見るにどうやらそうでもないらしい。
そこでふと、ラスティネル領へ来る切っ掛けになった日のことを思い出す。
スウと共に店から出て、彼女が戦略的な話をしてくれたときだ。
――え? なに? レイセフトにそんな戦略的な指南書なんてあったの?
兵法書の存在を匂わせるような発言をすると、「そんなはずはない」とでもいうような趣旨の発言をしていた。
彼女の認識が正しいのであれば、軍家といえども、そういった知識にはあまり明るくない可能性がある。
そもそもの話、本屋にさえその手の書物は売られていないのだ。
この場合は、秘儀である兵法書が一般的に流通していた男の世界がおかしかったと言うべきなのだろうが――
卓から消極的な呟きが聞こえる中、それを聞いていたボウ伯爵が口を開く。
「なにも怖れることはない。砦攻めがなんだというのだ。こちらは兵の数が揃っているのだぞ。立ちはだかる者は力ずくですべて撃滅してしまえばいい。そうではないか? 方々」
伯爵の勇ましい発言を聞き、それに賛同する者がちらほら現れる。
「確かに、兵数もこちらが上回っているしな」
「正面から攻めても問題はないだろう」
すると、セイランが再び口を開く。
「ここに集った諸侯に問おう。そなたらならば、タブ砦をどう攻めるか」
セイランが一同に問いかけると、上級貴族たちが声を上げる。
「殿下。ここは攻城兵器と魔導師部隊を動かして砦を崩したのち、一気呵成に攻め込むのもよろしいかと。緒戦で派手さを演出し、相手に心理的な圧迫感を与えるのも、また戦でございましょう」
「確かにな。ここは解体業に手を出すのも一興か」
「はは。殿下でしたら、大陸一の解体業者にもなれましょう」
「殿下。相手に援軍の望みがないのであれば、時間をかけるのもまた手かと存じます。砦周辺を囲み、ポルク・ナダールを干上がらせるのです」
「それは……またよい干物が出来上がりそうだ」
「豚の干物が出て来るか、カエルの干物が出て来るか……見ものでしょうな」
策を献じた貴族がそう言うと、笑い声が上がる。
ユーモアの種類はブラックに偏った気がしないでもないが、こういうことは、場の空気をほぐす役割を持つのだろう。セイランが積極的に冗談を口にしたことで、他の貴族たちも策を出しやすくなった。
「殿下」
「ボウ伯爵か。そなたも何かあるのか? 申してみよ」
「は。この場合は特別、小細工を弄する必要はないかと存じます。先ほど申した通り、数はこちらの方が上。定石通り砦攻めの準備をして、定石通りに攻めればよろしいかと」
「ふむ」
「先人の残した轍は深く、その確度は歴然でありますれば。それに倣って軍を動かすのもまた手」
「ふむ。堅実な策を用いるのもまた兵道だな。この場にいない諸侯にも、余の堅実ぶりが示せるだろう」
「ははっ!」
……やがて貴族たちから一通り策が提示されたあと、セイランがルイーズの方を向いた。
「ルイーズ。そなたはどう思うか? そなたも忌憚ない意見を述べるがよい」
「――は。では……砦攻めになるのでしたら、できうる限り策を弄し、兵を外に引っ張り出すのが肝要でしょう。兵や指揮官に『砦に居たくない』という感情を抱かせることから始めるのが、我らが第一に取るべき策かと」
「ふむ。先に挙がった攻城兵器や魔導師を使う策はどうだ?」
「攻城兵器を使うとなればその分作業量や費用がかさみますし、魔導師を砦の破壊に使えばここぞというときの攻め手に欠けることになりましょう。絵に描いたような勝利が欲しいのであれば、計算と再編が必要になるかと存じます」
「では干上がらせる手はどうか?」
「こちらの兵の損耗を考えるならば、良い手かと。ただ、干上がるのを待つ間に軍を維持する費用が嵩みますので、子爵以下の領主たちには大きな負担となりましょう。あとはこの戦、時間を掛けた場合の勝利が、殿下の評価にどうつながるかというのも考えておくべきことかと」
「確かにな。様々考えておかなければならないことはあるだろうな」
セイランがルイーズの意見を聞いて、挙がった策を吟味していく。
だが、ルイーズもやり方が上手い。他の貴族の出した策を真っ向から否定するわけでもなく、良い面も取り上げつつ、わかりやすい懸念を呈し、最終判断をセイランに委ねる。
これなら、策を献じた貴族の面子も保たれ、角も立たないだろう。ラスティネル家はこの場に集まった軍家の中でも、もっとも実績があるため、他家もその当主の意見には耳を傾けざるを得ないだろうが。
「ただ……」
「どうした?」
「それらの意見も、このまま砦攻めになるのなら、という前提の上ですが」
「ふむ? そなたにはなにか思うところでもあるのか?」
「僭越ながら。私は果たしてこのまま単純に砦攻めとなるのだろうか……と少し疑問が湧きまして」
砦攻めになるという流れの上で、唐突にそんな意見を呈したルイーズ。そんな彼女に、ボウ伯爵が訊ねた。
「ルイーズ閣下。ナダールが攻め上ってきているのであれば、まず砦を確保し立てこもるのが当然でしょう。閣下はなにゆえそう思われるのか?」
「ああ、勘だよ。勘」
「か、勘とは……」
ボウ伯爵は信憑性に欠けた発言を聞いて、軍議を、ひいては自分が馬鹿にされているとでも思ったのか。顔を怒りともつかない驚きで震わせる。
しかし、一方のルイーズは至って涼しい顔を見せ、
「おや? 戦場の勘は意外と馬鹿にならないんだよ? ま、勘で大筋を決めるわけにもいかないけどね」
「しかし! 軍議で聞こえよがしに勘などと口にするのは!」
「確かにアンタの言う通りだ。だけど、他にもなんとはなしに違和感を持ってるヤツだっているだろう? そうじゃないか?」
ルイーズがそう言うと、諸侯の中から「確かに」「砦攻めと考えるの性急か」など、ルイーズの考えを支持する者が現れ始める。
「ルイーズ」
「は。私には懸念があるとだけ、殿下に覚えておいていただければ」
……そんな風に、ルイーズが懸念を呈するが、議論は砦攻めの方向で進められていく。
議論はスムーズに進んでいるが――しかし、あまりよろしくない傾向な気がしてならない。
その上で、考える。
まずは、ナダール軍の動きについてだ。
先ほど挙がった話が正しければ、ナダール軍はこちらに攻め上ってきているという。
「……向こうは守りやすいナダールの本城にこもらないで進軍してくるのか」
「そのようですね」
「やっぱおかしいよなぁ……」
ノアの合いの手に対し、胸にわだかまった吐息を返す。
自分がポルク・ナダールの立場だったとして。
討伐軍が攻め込んでくるというのなら、普通はそんな行動は取らないはずだ。
攻め込まれるのがわかっているなら、まずは防備を固めるのが先決。
最も防備の整った本拠点であるナダールの城にこもれば、討伐軍を迎え撃ちやすい。
そうやって討伐軍の攻めを耐え凌ぎ、その間に王国と敵対するどこかの国に援軍を求めれば、勝利の芽もあるだろう。
ナダールには帝国との伝手があると思われるため、間違いなくそういう出方をするはず。なんなら、伝手を頼って逃げ込めばいいだけなのだ。
しかし、現実にはそうなっていないのが、不思議なところ。
――ということは。
「アークスさま。またなにか思いつきましたか?」
「え? なになに? おれも聞きたい」
ノアだけでなく、ディートも興味があるというように振り返る。
「いや、思い付くって言うよりは、なんで向こうが積極的に攻めてきてるのかを考えててさ」
そう言って、口にするのは。
「普通はこういった場合、本城にこもるか、敵の勢力が集まってくる前に各個撃破するのが普通だろ? ナダールが兵を集めて動き出すまで随分遅いから、そのまま本城で防衛に徹するのかと思えば、いまはまるで攻めかけるみたいに積極的に動いてる。これじゃあ何がしたいのかわからない」
「向こうも時間かければ負けるってわかってるから、攻めてきてるんじゃないの?」
「なら戦う場所は平地が多いミルドア平原付近じゃなくてもっと他の場所にするだろ? このままタブ砦に陣を張って防衛っていうのは……どうなんだ?」
ディートはそれについて、知識があるらしく。
「あー、うん、いやー……あの砦は防衛には向いてないかなー。一応の拠点としては使えるだろうけど、設備ならもっと後方に良いのがあるし、まず収容できる数に限りがあるから……おれなら選ばないかな。だからカーチャンもああしてもやもやしてるんだろうけど」
「なら、やっぱりナダール領の深い場所に立てこもるのが最善だ。それでも敢えてそうしないってことは、ナダール側にそうできない理由があるからだ」
……タブ砦は防衛に適しておらず、それより東は、ほとんど平地しかない。
そして、平地での戦闘は数が物を言う。数が少ないだけで、不利になるのだ。
数を用意できないいまのナダール軍にとっては、平地での戦闘は絶対に避けるべき状況にある。
それでもこうして、無理やり攻め上ってくるということは――
「ナダール側は討伐軍を早く攻めなきゃいけない。いや、いけなくなった。糧秣が足りなくなりそうだから早めに戦争を終わらせようっていうのがよくある話だけど、それは状況から考えにくいし、あとは砦や陣地を押さえておきたいとかだけど、ミルドア平原周辺に要衝はほとんどなくて、あるのは小さな砦だけ……」
領地にある砦の確保。
敵側の重要拠点の奪取。
そう言った主たる戦略目的がないにもかかわらず、焦ったように早く攻めてくる。
これは完全な無理攻めだ。確固とした兵法やドクトリンが広まっていない世界ゆえ、『相手があまりに愚かだから』という理由ではないとは言えないが、果たして辺境を任されるほどの貴族がそんな愚策に出るものか。
ならばこの無理攻めにも、何かしらの意味があるはずなのだ。
もしポルク・ナダールが焦っているのだとすれば、それは時間がないということだ。
この状況で時間の経過が彼にもたらす不利は、各地方からの討伐軍への援軍だろう。
時間をかければかけるだけ、討伐軍が厚みを持つ。
そうなると、ポルク・ナダールの何が制限されてしまうのか。何が出来なくなってしまうのか。
討伐軍の撃破か。
――いや違う。元からナダール軍単独での討伐軍の撃破は難しい。よそからの援軍、拠点防衛など他の要因がなければ、討伐軍とは対等に戦うこともできないはずだ。
ならば、重要拠点の接収か。
――それも違う。先ほどのディートの話によると、タブ砦は防衛には適さず、収容できる人数も少ない。タブ砦手前にも堅固な拠点がないため、陣を張る場所を選んでいるということはまずないはずだ。
では、一体なんなのか。
ポルク・ナダール伯爵がいま最も欲しているもの。
討伐軍が増えれば増えるだけ、彼の手に届かなくなるもの。
それが、討伐軍の撃破や、重要拠点の接収でないのなら――
「……殿下の首?」
そんな言葉を呟いたそのみぎり。
ふと、軍議を進めていた諸侯が、こちらを見ていることに気付いた。
注目されていたことに今更気付き、固まっていると、上座に入るセイランまでもが、こちらを向いた。
直後、部屋の中が一気に剣呑な雰囲気に包まれる。
勝手な発言に、諸侯が怒っているのか。
いや、諸侯も、場の雰囲気に呑まれている。
そうでなければ、注意や叱責の声が上がっているはずだ。
この場を制しているのは、セイラン・クロセルロードがその身から放つ威風に他ならない。
「アークス」
かけられたのは、どこまでも平坦で抑揚のない、ともすれば冷ややかささえ感じられるそんな呼びかけ。
その声を聞いて、愚を犯してしまったことをいまさら悟る。
勝手に話を進め、そのうえ殿下の首などと口にし、あまつさえそれを聞かれてしまった。
間違いなく、不敬と取られる状況だろう。
――やってしまった。
考察を途中で止めておけばよかったと後悔しても、あまりに今更な話だった。