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第七十三話 獅子と豚

※レオニード・グランツの名前を、レオン・グランツに変更しました。

 エウリードさんと語呂が被るので……



 ――レオン・グランツが応接室に入った折、会談の相手であるポルク・ナダールは、すでに苛立った様子だった。



 ……ポルク・ナダール。

 王国最西にあるナダール領の領主にして、王国では伯爵位を持つ上級貴族の一人。

 不摂生でみすぼらしく出た腹を、王国貴族が好むジャケットで包み込み。

 それでも各所から肉がはみ出ているといった有様は、まったくもって怠惰と言っていい。

 たるんだ頬肉。

 肉で潰れて細くなったまぶた。

 内臓を悪くしているのか、顔は部分部分が煤けたように黒く染み。

 見た目はさながら、肥え太った豚か悪食極まったウシガエルか。

 前にばかり蓄えられた贅肉のせいで、どこか後ろに反っているような印象を受け、それが横柄さを助長させている。



 いまは応接室のソファに腰を深く沈め、部下から報告を受けている只中。

 膝を突いて礼を執る家臣を前に、葉巻を乱暴に吹かしていた。

 室内に葉巻の煙が充満しているのは、換気が行き届かないほど葉巻を嗜んでいるためか。

 苛立ちを誤魔化すために葉巻に手を伸ばすのだろうが、事が上手く運ばないと態度に現れてしまうところは相変わらずのことらしい



「……セイランは逃げおおせたか。運のいい奴め」


「は。現在はラスティネル領に一旦戻り、諸侯に参集を呼びかけているとのこと。おそらくは準備が整い次第、領内に攻め込むものと考えられます」


「その通りだろうな。背任が露見したのだ。もはや弁明にすら耳を傾けてはくれまい」



 葉巻の煙を口から吐き出し、室内の空気をさらに汚しにかかるポルク・ナダール。

 一方で臭気に当てられた部下は二、三度軽くむせて、話を続ける。



「閣下。具申いたします」


「なんだ?」


「王太子が軍を興すというのなら、まだ準備が揃っていないうちに攻め込み、撃破するのが肝要ではないでしょうか。拙速なれど、編成が整い次第こちらから打って出るのも一つの手かと存じます」



 ポルク・ナダールの部下がもっともな策を進言するが、しかしポルク・ナダールが了承しない。



「ふん! セイランなど恐るるに足らんわ! こちらもじっくり準備を整えてからの方が兵も戦いやすかろう」


「し、しかし、時間をかければそれだけ敵も集まるのではありませんか!?」


「それは私もわかっている。だが、この参集の号令は国王がかけたものではなく、王太子セイランがかけたものだ。諸侯などそう簡単に集まりはしない。それに、こちらには帝国という味方がいるのだ。大国からの支援が望める以上、こちらは籠城戦に持ち込めばいい。――そうだな? グランツ将軍」



 ポルク・ナダールがまぶたを思い切り開き、ぎょろりとした目玉を向けてくる。

 その表情は、帝国の手厚い支援を確信してのもの。

 だが、



「いや、それはやめた方がいいな」


「な!? 一体なぜだ!?」


「この戦い、帝国は援軍を出さないことに決めた」



 冷ややかな現実を突き付けると、ポルク・ナダールは両手で思い切り応接机を叩く。

 向けて来るのは、焦りの滲んだ怒りの表情。

 そして、口の端から泡を飛ばさんばかりの勢いで食って掛かってきた。



「どうしてそうなるのだ! ここで帝国が援軍を出せば、セイランを確実に討ち取れるのだぞ!? なぜ帝国はこのような絶好の機会をふいにしようというのかっ!?」


「伯爵。現状、帝国は王国と大きく争うつもりはない。すでに北部で二つの戦線を抱えている以上、さらなる戦線の拡大は己が首を絞めることになりかねないのだ」


「だから私を見捨てるというのか! 私がいままでどれだけ帝国のために危ない橋を渡ったのか、それは将軍も知ってのことだろう!?」


「確かに」


「では!」


「伯爵。これはすでに決まったことだ。皇帝陛下のご下命を、いち将軍でしかない私が覆すことなどできはしない」


「う、ぐ……そんな、それでは……」



 ポルク・ナダールは潰れたカエルが吐き出すような呻き声を出し、頭を抱える。



「だが、勘違いしないでいただこう。帝国は貴公を見捨てるわけではない。帝国への従属への見返りはきちんと用意しているとも」


「それは戦に勝てねば意味がないだろうが!」


「ならば勝てばよいだろう。貴公は予定通りセイランの首を取ればいい。それができれば、帝国は貴公をいまと同じ伯爵待遇で迎える用意がある。それに、帝国が軍を出せぬというだけで、私が協力しないということではないぞ」



 ポルク・ナダールにとっての朗報を告げると、彼の血色が目に見えて良くなった。

 そして、口から大きな安堵の息と共に懊悩を吐き出して。



「将軍……意地が悪いぞ」


「申し訳ない。だが、悪い報せを先にした方がいいと思ってな」


「それで、援軍はどれだけ出せるのだ?」


「方面軍の一部……ざっと五百といったところだ」


「た、たった……たった五百だと!? グランツ将軍はもっと多くの兵を指揮できる立場にあるはずだろう! なぜそれほど数が少ないのだ!?」


「私とて皇帝陛下から兵を預かる身。確かに万の軍を率いることはできるが、それは上から指示があってのもの。それらをすべて自由に動かせるわけではない。こちらはこれが精いっぱいなのだ。これで我慢していただきたい」


「う、うぐ……」



 ポルク・ナダールが顔を赤黒くさせる中、彼の部下が、己が主に縋るような視線を向け。



「は、伯爵閣下……いかがいたしましょう?」


「く……援軍が望めない籠城戦に先はない! 兵に十分な準備をさせたのち、打って出るぞ! 活路は切り開いてこそ望めるものだ! 我が従士バイル・エルンよ! 急ぎ準備せよ!」


「ははっ!」



 ポルク・ナダールの部下は指示を受け取ったのち、すみやかに応接室から出て行った。

 これから急ぎ軍を興して、部隊を編成するのだろう。

 その苦労は想像するに余りあるものだが。

 それをやらねば、主共々討ち果たされるか、捕縛されて縛り首だ。

 彼も、やらないわけにはいかないだろう。




「――しかし、王太子が国王の指示を待たず軍を興すとは、前代未聞ですね」




 若々しい女の声が響くのと、ほぼ同時。

 霞のように室内を漂っていた葉巻の煙が、まるで何もなかったかのように霧散する。

 いまふいにこの場に現れたのは、白仮面の女、アリュアス。

 隅の影から黒い色味が剥がれるように、黒い装束がポルク・ナダールの背後に立った。

 その口ぶりも、まるでずっと以前からこの部屋にいたかのよう。



 突如とした出現に、ポルク・ナダールは驚くも、すぐに納得したように息を吐く。



「アリュアス殿か」


「伯爵閣下、長らくご無沙汰しておりました。不調法は卑賎の者の愚昧さと思いどうかご容赦いただきたく存じます」


「うむ。かまわぬ」



 アリュアスとポルク・ナダールの間で、簡単な挨拶が交わされる。

 ……彼女が現れた際に口にしたのは、王太子セイランの行動について。

 セイランが軍を興そうとしているのは、越権行為なのではないかということだ。

 どの国を見ても、国王以外の王族が兵の徴収や諸侯への号令を行うことは、決して許されざるものとされている。

 たとえ王の嫡子でも、許可なく軍を興せるようなものなら、権力の均衡が崩れるばかりか、反乱される恐れがあるからだ。



 今回セイランは、ラスティネル領に戻った折、即座に諸侯へ参集を呼びかけた。

 間を置かず即座にポルク・ナダールを叩こうということなのだろうが。

 国王の下命が諸侯に届く前にそれを行ったということは、戒めを破ったことになる。


「……確かにな。アリュアス殿の言う通り、セイランの今回の行動は国王シンルへの反逆に相当するだろう」


「でしたら、ことは簡単でしょう。閣下たちはそれをうまく利用すればよろしいのですから」


「国内外から、セイランは国王シンルを蔑ろにしていると批判させろというのだな?」


「はい。そうすれば、ライノール国王はセイランを処罰せざるを得ないのでは?」



 だろう。

 国王シンルがこれを見過ごせば、ライノール国王の権威に傷がつく。

 そうなってしまったが最後、国王シンルは国内外から侮られることになるだろう。



「――いや、それは無理だ」


 しかしそれに反論したのは、王国貴族であるポルク・ナダールだった。



「閣下、それはどういうことでしょう?」


「うむ。アリュアス殿の献策は、これまでであれば可能だっただろう。だが、セイランは少し事情が違うのだ」


「違う?」


「そうだ。セイランは王国内での位置付けが、以前までの王太子のものとは違っている」



 ポルク・ナダールの言葉に、ピンとくる。



「では伯爵。あの話は真実なのか?」


「そうだ」



 ポルク・ナダールが、肯定の頷きを見せる。

 これは、以前からまことしやかに噂されてきた話だ。

 ライノール王太子セイラン・クロセルロードの出自には、大きな仕掛けがあり。

 その権威は父であり現国王であるシンル・クロセルロードを超えるものだと。

 だが、その話が本当に真実ならば、だ。



「それが正しいのなら、兵はセイランのもとに集まるのではないのか? まだ正式に発表されてはおらずとも、貴公と同じように諸侯はそれを認識しているのだろう?」


「いや、セイランに兵を集める権利はあるとはいえ、召集はこれが初めてのことだ。国王の指示がない以上は、やはり様子見したい者もいるだろう。王国は帝国と違ってその辺りの統制が行き届いていないからな、諸侯への強制力は若干甘いところがある。当然、セイランの立ち位置がまだはっきりとはしていないゆえ、日和見する者も出てくるはずだ」



 まだセイランの立場が明確になっていないゆえ、参集に応じた貴族も国王を蔑ろにしたということになってしまいかねない。

 それを危惧する者は、少なからずいるということだ。

 ポルク・ナダールはそこまで説明して、ふと気付いたように片眉を吊り上げる。



「それをわからない将軍ではないはずだが」


「そうだな」


「……グランツ将軍。わかっているのなら訊かないでいただきたい」


「いや。伯爵閣下の存念をお聞きしたかっただけだ。伯爵はセイランのことをどう見ているのかな」



 ポルク・ナダールがセイランを低く見過ぎていないということは、これまでの話しぶりから知れている。

 だが、かといって状況を正しく認識していないのは困るのだ。

 ポルク・ナダールが愚昧すぎては、こちらの策は成らないのだから。

 こちらの試すような物言いに、しかしポルク・ナダールはさほど気にした様子もなく。



「グランツ将軍。援軍の方、どうかよろしく頼む」


「それは期待しておいていただきたい。数は少なくあれど、精鋭を連れて来ることを約束しよう」


「必ずだ。必ずお願いいたす」



 ポルク・ナダールは念を押すと、「私も動かねばならぬ」と言って応接室から出て行った。

 いつかのように、応接室にはアリュアスと自分の部下たちのみ。

 やはりアリュアスの面妖さには従者たちも慣れぬのか、緊張した面持ちでいる。

 やがてポルク・ナダールの足音が廊下から聞こえなくなった折、



「……それにしても、意外でした。ポルク・ナダールは見た目通りの人間かと思っていましたが、中々慎重なのですね」


「見た目通りであれば、国王シンルも国境など任せんだろう。ポルク・ナダールが貪欲な豚ではあることは確かだが、少なくとも凡俗ではないのだ」


「閣下はポルク・ナダールを評価しているのですね」


「多少頭は回る程度には、だがな」


「ですがそうなると、ライノールの国王には見る目がなかったということになりますね。みすみす背任に走るような者を、重要な場所に据えたのですから」


「いや、そちらはそちらで裏切られてもいいと考えてのことだろう。隣接している領主の行動に躊躇いがなかったのがそのためだ」



 ライノール国王、シンル・クロセルロード……先代国王の時代に、一時は帝国に圧倒されかけたライノール王国の権勢をここまで盛り返した男が、その程度のことを考えないはずがない。国王シンルにとって、ポルク・ナダールは一時的な防波堤なのだ。そうでなければ、国交が安定したあと早々に中央へと戻しているはずである。



 ……ポルク・ナダールが王国、帝国のどちらからも生贄にされているということには、若干の不憫さを感じるが。



「いえ、政治は奥が深いですね。魔導の道にしかいなかった私には、そういった政治の機微は難しい」



 アリュアスはそんなことを宣うが、内心どうだかと思う。

 自ら疎いと言う割りには、基礎的な部分は弁えているのだから。



「ですが――」



 そんな中、ふいにアリュアスが耳もとに舞い降りる。

 一体どういう手管を用いたのか、従者たちが動く間もなく。

 そして、



 ――将軍閣下、欲を出しましたね?



 囁かれたのは、そんな言葉。



「…………」



 それは、先ほどの援軍についてだろう。

 本来ならば、援軍など出す予定ではなく、すべてポルク・ナダールに賄わせる手筈だった。

 そうすれば、帝国には痛みはないし、その関与を疑われる可能性も小さくなる。

 しかし、ここでセイランの首を取ることができれば王国に多大な被害を与えることができる。



 そう考えたからこそ、皇帝陛下に願い出たのだ。

 派兵の許可をいただきたい、と。



 ゆえに、確かに欲なのだ。

 手を伸ばせば確実に届くと思ったからこそ、自分は欲を出して援軍を用意し、それをアリュアスに指摘された。



 そう、これはただ、それだけのことなのだ。





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