第七十二話 大領主ルイーズ・ラスティネル
――ラスティネル領領主、ルイーズ・ラスティネルは、護衛と共に夜の街を急いでいた。
時刻は宵の始めころ。執務もあらかた終わらせて、さあて軽くワインでもひっかけて、うだうだしようかなと考えていた矢先のことだ。
執事にワインを選ばせていた最中、家臣の一人である小領主から至急の報告が入り。
このような時間に何事かと訊ねると、ディートたちがよからぬ企みをしていた連中の拠点を押さえたという話が返って来た。
……近頃、領地内で賊被害の報告がよく上がってくるようになった。
賊たちは小規模な村や旅の者を襲うだけではなく。
武装した隊商まで手当たり次第に襲い掛かり。
耳聡い商人たちの間では、すでに噂になるほどに被害が出ていた。
賊たちは領内のいたるところに出没し、また、一旦隠れるとまったくその姿が見えなくなる。
ならばこちらはと、生きるのに必要な食料など、物資を管理し、糧秣の流れを断つことで応戦しようとするも――期待した効果はまるで得られず。逆にそれが領内の売り渋りを助長させ、さらには不可解な買い込みと高騰まで呼び込んでしまうという有り様となった。
ままならぬ状況に、こちらが歯噛みする中。
賊は水を得た魚のように山賊行為を加速させ。
その尻尾すら掴ませてくれない。
となれば、これは何か大きなものが背後についているのではないかと考え始めた折、上がってきたのが今回の吉報だ。
山賊騒ぎの主導は、隣接する領地の主であるポルク・ナダール伯爵。
ラスティネル他、他領から銀を掠め取るために、商人や賊まで仕立て上げての計画であり。
まさか今朝方弁明に現れた商人が、その一味だった。
どうやら一度計画が成功すると、一旦ほとぼりが冷めるまで別名義を用いて別の領内で活動。そこで実績を積み、その領主からお墨付きを得ることで、改めて御用商として取り入るという方式を取っていたようだ。
(そう言えば、あれはナダール伯からの紹介だったね……)
ピロコロという名の商人が、ナダール伯の紹介状を持って来たことを思い出す。
なるほど自領に一旦戻して名前を変えて動かせば、怪しまれる可能性は低くなる。
……ディートたちが押さえた場所は、盗み出した銀を運び出すための拠点だったらしく。
さらに話を聞くと、現在ナダール領へ向かっている王太子殿下を害そうという計画まで立てていたという。
ナダール側からは王太子の出迎えと偽って王太子を攻め、山賊は背後から襲撃をさせるという挟み撃ち。
もし今宵、ディートたちが素早く拠点を押さえていなければ、一体どうなっていたことか。
この計画にいち早く気付き、知らせてくれた者には感謝してもしきれない。
銀色の髪を持った貴族の子弟。
貴族男子がよく着る服を身にまとう、少女にも見紛うほどに愛らしい容貌をした少年。
レイセフト家長男、アークス・レイセフト。
倉庫街の一角で、部下たちが忙しなく動く中、従者と共に領主である自分の到着を待っていた。
自分と対面した直後、アークス・レイセフトは一瞬呆けたようにぽかんとしていた。
おそらくは、領主らしい風体ではなかったためだろう。
バサバサの赤髪と。
眼帯に。
巨大な剣。
装束の上には猛獣の一枚皮を羽織っているのだ。
およそ領主が、しかも女のするような格好では決してない。
それを察したらしいガランガが、ニヤニヤしながら寄って来る。
「姐さん姐さん。山賊っぽいですってよ」
「あん? まだなにも言ってないじゃないか?」
「いえ言わなくてもあの顔を見りゃわかりま……いてぇ!」
すこんと頭を殴ると、大仰に痛がる素振りを見せる道化者。
これでラスティネルでは家臣たちの筆頭格なのだから締まりが悪いことこの上ない。
むしろこの調子がうまく働いて、よくまとまっているのだから始末に悪いのだが。
八つ当たり気味にもう一発、今度はみすぼらしく出た腹を殴ると、いいところに決まったのか腹を抱えてうずくまった。
家臣とじゃれ合うのもそこそこにして、膝を突いて礼を執る少年に声をかける。
「あんたがアークス・レイセフトだね?」
「っは!」
改まって声をかけると、アークス・レイセフトはこちらの気風を感じ取ったのか。
顔が緊張で強張り、背筋もさらに伸びる。
「あたしがルイーズ・ラスティネルだ。今回は領内の悪事にいち早く気付き、伝えてくれたこと感謝するよ。さすが音に聞こえたレイセフト家の者だね」
「ご領内で差し出がましい行いをしたこと、まずはお詫び申し上げます」
「いや、謝ることはないよ。おかげでこっちは大事にならずに済みそうだからね」
そう言うと、アークス・レイセフトは再度、頭を下げた。
賊の居場所を報告し、捕縛にはディートに協力を仰いでいる時点で、筋は通している方だ。
それに、これだけの大事。報告せずに手柄を一人占めすることも、ラスティネルを追い落とす材料にもできたはずである。
それをしなかったのは、貴族としていささか純粋に過ぎるような気もするが――
(いやいや、そこまで考える年齢でもないか)
などと余計なこと考えていると、家臣の一人が書類束を持って現れる。
「ルイーズ様。これが指示書です」
受け取って一通り目を通すが、やはり書かれていることは報告と同じ。
「……ナダールが帝国側に寝返った紛れもない証拠だねぇ。しかしこうして証拠を残しておくとは……あまり有能なものを集められなかったのか」
証拠になるようなものをさっさと処分せず、残しておくのは手落ちと言うほかない。
そもそもこそこそと盗みを働くような者の下に、良い人材など集まるわけがないか。
家臣とそんな話をしていると、倉庫の入り口にディートの姿を見つける。
やがて向こうも、こちらの存在に気付いたのか。
「あっ! カーチャン!」
手をぶんぶんと大きく振って近付いてくる。
領内の巡回から帰還し、そのうえ一暴れ済ませたあとにもかかわらず、まったく元気なことだが。
「ディート! いい加減その呼び方はよせって言ってるだろうが!」
「えー、でもカーチャンはカーチャンだしさー」
ゴツン。
いつまでたっても言葉遣いを改めないディート。
その頭のてっぺんに拳骨を落とすと、その場に涙目になってしゃがみ込んだ。
「痛ってぇええええええええええ!!」
「まったくウチの子ときたら……どうしてこんな粗野っぽくなっちまったんだか」
そんな愚痴を漏らしたあと、家臣たちが白い目を向けてきていることに気が付いた。
この手の話題になると毎度こうなのは、何故なのか。
わからないままふとアークス・レイセフトの方を見ると、そちらはそちらで頭をさすっていた。
この少年もこの少年で、頭のてっぺんに拳骨を落とされることがよくあるようだが――それはともかく。
「ディート、よくやった」
「いや、これも全部アークスのおかげだよ。おれは捕まえただけだし」
照れ笑いを浮かべたディートは、どうしたのか神妙な面持ちとなり、
「あとさ、こいつら女まで攫ってたみたいなんだ」
「そうなのか?」
「さっき捕まってた若いねーちゃんを一人保護したよ。ひでー扱いを受けてたのか、木箱の中に裸で押し込まれて震えてた」
「人様の領地でそんなことまでしてたのか……その娘はしっかり帰してやるんだよ」
「わかってる」
銀を掠め取るだけでなく。
そんな無体まで働いていたとは。
しかもこの上は王太子殿下を害そうというのだ。
ポルク・ナダールへの怒りは募るばかり。
「私は一通り見分したあと、兵を連れてすぐにセイラン殿下のもとに報告しに向かう。お前は現場とアークス・レイセフトのことを頼む。ウチの領の恩人だ。きちんともてなすんだよ? いいね?」
「あ、うん。まかせてよ」
アークス・レイセフトが、あまりことを大きくしたくないというのは、すでにガランガから聞いている。それがここに来た目的が関係しているといことは察することができるし、要はそれを周りに悟られなければいいのだ。
恩人、客人としてもてなすことにすれば、いい隠れ蓑にもなるだろう。
そして、そのアークス・レイセフトのことだが。
「ことがうまく運べたらだが、セイラン殿下にゃアンタのことも伝えておくよ。アンタの大きな活躍があったってね」
「お気遣い感謝いたします」
「いや、礼を言うのはあたしの方だ。こっちからも、お礼を用意させてもらうよ」
そう言うと、再度畏まって礼を口にするアークス・レイセフト。
確かに、端々に稚拙な部分はあるものの、だ。
押さえるべきところはしっかりと押さえた態度。
まるで、子供が嫌みのない態度を取るなら、まさしくこれといった素振りを意識的に取っているかのよう。
まだまだ子供なディートと似たような歳とは思えない。
ともあれ、いまは、だ。
「クレイトン!!」
「は。兵は全員叩き起こして城門の外に待機させてあります」
「よし! あたしが一回りしてくる間に、編成と出立の準備をしときな!」
「かしこまりました」
今回の事件はこれからが正念場だ。
王太子一行がナダールからの出迎えと接触する前に、ナダールとの国境を突破して、王太子のもとに馳せ参じなければならない。
先鋒は少数にして速度を重視し、いちはやく王太子一行と合流。後続の編成が整い次第随時ナダールに援軍を送り込ませ、防備を固めつつナダールから脱出するのが最善か。
王太子がナダール領の懐深く入り込む前に、追い付かなければならないだろう。
ナダールに銀を盗られていたという手痛い失態を報告しなければならないものの、ここで劇的な救出劇を演出すれば、まあ帳消しくらいにはできるはずだ。
今回の傷跡を少なくするために、ことは大仰に吹くべきだろう。
(……その分、あの坊やの評価が上がることになるが…………ん?)
……ガランガを伴い、倉庫内を歩きながら、政治的な方策を練っていると、ふいに不可解なものが目に留まる。
ひしゃげた鉄板と、砕けた建材。
倉庫内の一か所だけ、やけに被害の甚だしい場所があった。
近場の窓ガラスは割れて外へと散っており。
木製の備品のほとんどはバラバラ。
よく見れば、焼け焦げた肉片が散って、辺りにこびりついている。
「……ガランガ、これはなんだい?」
「……そいつはアークス・レイセフトが使った魔法の跡でさぁ」
「ほう? あの坊やのか」
「へえ。敵方の魔導師とやり合った際に」
確かに、魔法と聞くと納得する惨状だが。
しかしそうなると、また別の疑問が湧き上がって来る。
「火の魔法……にしては、随分威力があるように思えるが?」
「随分なんてもんじゃありやせんぜ? 食らった魔導師はほとんど消し飛んじまいました。そこらにくっ付いてるのが、いま言った敵方の魔導師の一部でさぁ」
「それは」
人が消し飛ぶほどの威力とはまたすさまじい限りだが、
「一体なんの魔法だい?」
「それが、魔法の中身についてはウチの魔導師連中もさっぱりでして」
「わからないのかい?」
「居合わせたヤツの見解は一応火を使った魔法だってことで一致しているんですがね。それにしては瞬間的な破壊力がすさまじすぎて、断定するには至らないと」
さっぱりとした性格で明確な答えを好むガランガにしては、どうも要領を得ない。
火の攻性魔法というと、真っ先に思い浮かべるのが【火閃槍】の魔法だ。王国の火を得意とする魔導師が好んでよく使う攻性魔法で、〈火〉と〈槍〉の特徴を併せ持ち、対象物を炎上、破壊する効果を持つ。
国軍の魔導師が戦術的に使用する魔法にも指定されており。
その威力は他国からも怖れられるほど。
しかし、主たる効果が物を燃やすものであるため、破壊的な部分は副次的。
破裂し飛び火はするものの、使ったとしてもこのような痕跡にはならないはずだ。
この状態、まるで土関連の魔法で巨石をぶつけたあとのようにも見える。
ならば、どういうことなのか。
ふとガランガに目を向ければ、額に汗が一筋。
「命知らずのあんたが冷や汗かくとはね」
「そりゃあ……あれをもろに食らったときのことを想像したらって考えると……冷や汗くらい吹き出しまさぁ」
そう言うガランガは、独白するように言葉を続ける。
「……ウチの魔導師が言ってましたよ。あれはあんな短い呪文で出せる威力じゃねぇって。なのに【火閃槍】の半分程度の呪文で、同じかそれ以上の威力ときた。あれを見て無邪気にはしゃいでいられる坊の純粋さが羨ましいでさぁ」
つまり、アークス・レイセフトは魔法の腕前もかなりのものということになる。
だが――
「……確か出回ってる噂じゃ、魔力がゴミみたいな量しかない無能者だったから廃嫡された……って話のはずだが?」
「俺もそう聞いていやすね」
では、そうではないのか。
いまいち状況が見えてこない。
こういうときは、だ。
「……ガランガ。あんたの見立てはどうだい?」
「アークス・レイセフトは、歳に似合わないほど利発。あの歳で刻印を施す腕前もあり、鉄火場に踏み込む度胸もある。で、魔法もそれでさぁ。あれで廃嫡されるなんて、とてもじゃありませんがなんの冗談なのか見当もつきませんぜ」
「だろうね」
「しかも、従者は二人とも魔法院の首席卒業ときたもんだ。大貴族でも望んで迎えられないような秀才二人です。一体どうやったらそんな人間を引っ張って来れるのやら」
国定魔導師の一人、溶鉄の魔導師クレイブ・アーベントも、もとはレイセフトの人間だったはずだ。
おそらくはその伝手なのだろうと思われるが、それでも首席を二人引っ張って来たうえ、無能と噂される者に付けるというのは、難しいようにも感じられる。
「……それで、アークス・レイセフトはなんでウチに来たんだったか?」
「それについてはまだ。シンル国王陛下の書状は姐さん宛てで開けるわけにもいかずでして。どうしてラスティネルに来たのかは、夕刻お話した通り明日の謁見で話すことになっていやした」
「ふむ……」
親書ならば、開けるわけにいかないのは当然だが。
そもそもそういった書状は、相応の地位の人間に届けさせるのが通例のはずだ。
しかし、持って来たのは廃嫡された貴族の子弟。
まず国王の親書を預かれる立場の人間ではないし。
こうしてそれを預かってこられるということは、国王シンルの覚えめでたいということになる。
「…………」
「姐さん、なにか?」
「ガランガ。姐さんはいい加減やめろって言ってるだろ? あんたもあの子と一緒だね……」
「あー、いや、つい」
ガランガはとぼけたようにそう言って、バツの悪そうな笑いを見せる。
「まったく……まあそれはいい。最近、王国軍の魔導師部隊の練度がやたら上がったって話はアンタも知ってるね?」
「へえ。なんでも。編成がやたらきっちりしだしたおかげか、指揮や運用がすこぶるいいとか。あと、医療部門の方でも随分と腕のいい魔導医が増えたって話でさぁね」
「それに、銀が関わってるって話がある」
「銀? …………まさか、じゃあアークス・レイセフトが銀を?」
「この時期に、王家の印章付きの書状をウチに持ってきてるんだ。ウチに来るってことは欲しいものはまず銀だろうし、それに一枚噛んでるってのはありえなくないだろうね」
アークス・レイセフトと魔導師部隊の練度の向上をつなげるのは、話が飛躍しているようにも思えるが、そもそも親書を携えて訪れること自体が前代未聞なのだ。
まだ推測の段階でしかないが、可能性はあるだろう。
「ではどうして無能などと……」
「さぁ。なんかの隠れ蓑とかかねぇ? あんまり有能すぎるから、跡取りから降ろして新しい家を興させるとか親心?」
「それこそまさかでさぁ! あんだけ無能って吹聴してるんですよ?」
「だよねぇ。これは跡取りの娘の方が当主に相応しかったからって見るべきか……」
にしても、だ。
「……さすがは王国古参の子爵家だ。あれだけ利発で跡取りではないとはねぇ、彼の家はよほど跡取りに恵まれているということか」
古参にもかかわらず家格が変わらないというのは、あまり揮わないようにも思えるが、子爵という地位は上位貴族の補佐という面も持っているため、一概に有能な跡取りを輩出できなったというわけでもない。
ここは兄妹どちらも、有能であるという風に見るべきか。
ともあれ、アークス・レイセフト。
いまの話を抜きにしても、この歳でこれだけのことができるのだ。
今後の活躍を考えれば、ディートには、アークス・レイセフトと仲良くするよう言っておいた方がいいかもしれない。
…………ガランガと共に倉庫内を一回りして戻ったときには、第一陣の編成が終わっていた。
倉庫街に集まっていたのは、大量の軍馬を連れた一団だ。
整然と並んでおり、身じろぎ一つしていない。
見慣れた連中を一度見回して、声をかける。
「あんたたち、夜の楽しい時間の前にもかかわらず、よくこうして集まってくれた! 突然の呼び出しのせいで中にはせっかくの一杯をお預けにされたヤツもいるだろう! だけど、それはあたしも同じだ! さっさと飲んでへべれけになっておけばよかったと後悔しきりだよまったく……」
ボヤキのように口にすると、兵士たちの間から笑いが起きる。
「だけど、今回はライノールの王太子の危機だ。ことと次第によってはそのまま撤退戦になる可能性もある。これをうまいこと助け出せば、ラスティネルの評判もさらに上がるってもんだ。あんたたち、張り切ってあたしの株を上げな!」
叫ぶように告げると、心地よい返事が戻って来る。
兵士たちの士気は十分だ。
これなら一昼夜走り通したあとでも、十分戦いに耐えられるだろう。
「撤退戦……撤退戦ねぇ」
何気なく言い直した折、ふと笑いが込み上げてくる。
戦いにならなければ、それにこしたことはないだろうが。
しかし、そうなったらそうなったでそれは面白い。
【断頭剣】はディートに譲ったが、新たな得物に血を吸わせられるいい機会が巡って来たというもの――