第七十一話 リヴェル・コーストの戦慄
長くなってしまった……
突如として倉庫内に突入してきた者たちは、武装した領軍の兵士だった。
巨大な剣を持った赤茶髪の子供を筆頭にして、みな屈強そうな男ばかり。
しかもその中には、配属前に見せられた人相書きと一致する人物まで交じっている。
それは、ここラスティネル領で領地を預かる小領主たちだ。
ルイーズ・ラスティネルの腹心であり、音に聞こえた猛者たちである。
……ラスティネル領の統治体系は、他の土地とは少々勝手が違い、領主を現場の指揮官に置いて働かせることがままある。
ラスティネル家勃興以前の、領地が狭く人材が少なかった頃の名残でもあるのだろうが。
能力のある者は、地位のある者や出自の良い者であることが多いため。
これはその能力を効率よく発揮できるようにするための方策なのだという。
兵員数の関係上、軍制の改革を余儀なくされ、指揮系統の分化が進んだ帝国とはまったく逆向きの体制。
より効率的、効果的な編成を兵学校で学んできたリヴェルとしては、こういったやり方はどこか化石じみたものに感じられるが――
いまはそれが、とてつもなく恐ろしい。
それもそのはず。
そのせいで、こんなところに百人力に相当する強兵が複数人、突入して来たのだから。
リヴェルは急いで身近な木箱の裏に身を隠す。
リヴェルが兵学校で学んだのは部隊を指揮するため知識だ。
一応武術の心得はあるものの、荒事は領分ではない。
木箱の裏から入り口の方を覗くと、赤茶髪の子供の脇に控えた男が、その場で叫んだ。
「ラスティネル領軍だ! これから臨時の取り調べを行う! 動かずそのまま床に手を突いて伏せろ! 指示に従わない者は反逆の意思ありとみなす!」
告げられたのは、まさかの取り調べだ。
他の倉庫が臨検を受けているというような話は聞いていない。
どうして領軍は狙いすましたように、この倉庫を選んだのか。
……小領主から指示に従えと言われたにもかかわらず、味方は呆気に取られているのか黙ったまま。
いずれにせよ、このままではここで行っていたことが暴かれてしまう。
そんな中、ピロコロが前に出た。
「ここを使わせていただいているピロコロと申します。まずは皆さま、お仕事ご苦労様でございます。我々がこうして日々穏やかに仕事に励めるのも、すべてはラスティネルを守る領軍の皆さまのお働きのおかげと存じております」
ピロコロは労いと称賛の言葉を並べ立て、深々と頭を下げる。
「そんな話はどうでもいい。指示に従え」
「はぁ。臨検などの予定があるとは窺っておりませんが」
「これは臨時のものと言った。いますぐ言われた通りに床に手を突いて伏せろ」
「そ、そんなことを言われましても……いやはやどうしたものか」
ピロコロはのらりくらりしてこの場を切り抜けようとしているのだろう。
領軍も下手に出られれば手荒な手段に移れないと踏んでのことだ。
よくよく見れば、いつの間にか袖の下まで用意しているらしい。
荒くれどもでは思い付かない、商人らしいやり方である。
そんな風に、ピロコロが更なる労いの言葉と称賛とを使い分け、煙に巻こうしていた折だ。
ふいに、兵士たちの人垣が割れる。
やがて現れたのは、兵士とは思えない格好をした、銀髪の子供を筆頭とする三人組。
どこからどう見ても貴族の子弟と、そのお付きの従者のようにしか見えないが――
ピロコロがその姿を見て、ひどく狼狽えたような素振りを見せる。
「あ、あなた方は……」
「さっきぶりだな。まさかあんたが賊共とつるんでるとは思わなかったよ」
銀髪の子供が、そんなことを口にする。
それはまるで、すべてを見通しているかのような口の利き方だ。
「は、はぁ……いったいなんのことやら、私にはとんとわかりませんが」
「おいおい、この期に及んでとぼけるなよ? あんたと村を襲った賊はグルで、銀を盗むために芝居を打ったんだろ?」
「アークス様。あなたはなにか思い違いをしているのではありませんか? 私と昨夜に村を襲った賊が仲間同士などと……」
「へぇ? 違うって言うのか? それは不思議だなぁ。昨日の夜、見た顔がいるぞ? あそこの奴と、そこの柱の影にいる奴とか……あとはいまそこで顔を伏せた奴もそうだな」
「そ、そそ、それは……」
「それに、さっきあんた自分から話してくれただろ? それで確信したんだ」
銀髪の子供は、唐突にそんなことを言い始める。
すると、それに触発されたのは、賊の役を負った男。
「テメェ! クソ商人が! やっぱりテメェのせいかよ!」
「――っ!? だ、だめです! いまは!」
「うるせぇ! こうなっちまったらもう終わりだろうが!」
――バカだ。
呆れのため息が口を衝いて出る
これでは自ら白状してしまったのと同じではないか。
必死に誤魔化そうとしていたピロコロの努力が水の泡である。
リヴェルがそう思うのもつかの間、銀髪の子供がしてやったりとというような表情を見せた。
「そうだ。そいつがさっき食事処でうっかり漏らしたんだ。これから仕事で、ナダールに行くってな」
「なんだとぉ!?」
銀髪の子供が聞こえよがしにそう言うと、味方がざわざわと荒れ始め、ピロコロの方へ一斉に視線を向けた。
短気を起こしたせいで、完全にあの銀髪の子供の舌に乗せられてしまった形だ。
銀髪の子供は核心部分など話していない。
ただ、思わせぶりなことと、ピロコロは仕事でナダールに行くとだけしか言っていないのだ。
賊の役を負った男は、唐突な襲撃に焦り、相手が確信を持っていると勘違いしてしまったのだろう。ピロコロのせいで前日に被害が出たことも、影響してのことだ。
だが、向こうも確信に満ちたあの様子。
ピロコロと賊がグルだったということに、並々ならぬ自信があったはずだ。
そうでなれば、普通は問答無用で突入などしないはず。
一体どうして、ことが露見してしまったのか。
そんなことを考えていた折だった。
突如として、怒声が破裂する。
「お前らよくもウチの領で好き勝手やりやがったな!!」
子供の甲高い怒りが上がると同時に、空に一閃の銀色の光芒が引かれ。
残像のようにちかちかと目に残るそれが視界から消失したそのとき。
首が床を転がり、断面からは鮮血がさながら、噴水のように倉庫内に吹き上がった。
首は、ピロコロを責めていた男のもの。
見れば、赤茶髪の子供が、持っていた剣を降り抜いていた。
子供が持つには……いや、大人でも持つことが難しい巨大な剣を。
「ら、ラスティネルの断頭剣……」
どこからともなく聞こえてくるのは、そんな怖れの交じった震え声だ。
ラスティネルの断頭剣は、王国西部では殊の外有名なものだ。
王国を欲する帝国の前に立ちはだかる番人にして処刑人、ラスティネルの領主が代々受け継ぐという古代の武具。幾多の帝国兵の首を刈ったという曰く付きの逸品だ。
つまり、そこにいる赤茶髪の子供こそ、ここラスティネルの跡取りに他ならない。
赤茶髪の子供が動き出したのを皮切りに、兵士たちも動き出す。
一方こちらは、山賊役から、ピロコロの護衛についていた戦士役が武器を手に取って応戦の構え。
そんな中だ。
先ほどピロコロと話していた銀髪の子供が、急に何かを呟き始める。
口にしているのは、魔導師が魔法を使うときに唱える【古代アーツ語】だ。
おそらくは、あの歳で魔法を使うことができるのだろう。
――王国の魔導師たちが活躍し、山賊役の多くが捕まった。
そんな話が、脳裏をよぎる。
ということは、あの銀髪の子供が、昨夜に山賊役の者を無力化した魔導師の一派なのか。
あまりに若すぎる。だが、魔法を使おうとしている以上、疑うべくもない。
――【朧霞】
詠唱が終わった直後、空に散った【魔法文字】が弾けて霧となり、倉庫内に霞となって立ち込めた。
霞が一気に倉庫内に広がったせいで、ふいに吸い込んでしまうが。
しかし人間に害を与えるようなものでもないらしく、なんともない。
単なる霧を発生させただけの魔法にしか思えないが、どういうことなのか。
発生した魔法の霞を味方が警戒する中、ふと嘲るような声が聞こえて来る。
「――おいおいガキんちょ。それじゃお遊戯にもなってないぜ?」
それは銀髪の子供が使った魔法を、児戯だと切って捨てるもの。
その声の主は、伯爵に雇われた魔導師の男だった。
呪文を聞き取って、銀髪の子供が使った魔法の中身を見透かしたのだろう。
だが看破されたにもかかわらず、銀髪の子供は至って余裕そうな素振り。
「そうかな?」
「そうだろ? いまの呪文には攻撃的な文言なんてなにもねえ。どう聞いても霧を発生させただけだ」
らしい。どうやら、警戒が必要なものではないようだ。
魔導師の男の言葉を聞いて味方は安堵したのか、体勢を立て直す。
そして、領軍の兵士たちを迎え撃とうと構えを取ると。
それよりも早く、魔導師の男が口を開いた。
『――まどうはつうじ。まとうはつむじ………』
呪文らしきをぶつぶつと呟いた直後、倉庫内に突風が駆け抜ける。
【魔法文字】が風を呼び込んだのか、生み出したかは定かではないが。
周囲の者が服飾品を飛ばされそうになるのを必死に押さえにかかる中、魔導師の男は風の影響を受けないのか、その中心にあっても平然としている。
やがて魔法が成立したのか。魔導師の男はその突風を身にまとったかと思うと、赤茶髪の子供に向かって飛び出した。
風を背に受けているためか、一瞬にして子供の前に到達。
「うおらぁ!!」
掛け声一閃。
風と共に男の拳が襲い掛かる。
「うわっ!」
「坊!」
赤茶髪の子供は間一髪、男の攻撃を飛びのいて避けた。
見るからに重量物である断頭剣を持ったまま、軽やかに飛ぶ姿は眩暈を起こしそうになるが、それはともあれ。
さっきまで赤茶髪の子供が立っていた石床が、ズタズタになって砕けていた。
「ひゅう! よくかわしたじゃねぇかちびっこいの! 褒めてやるぜ!」
「くっそ……てめぇっ!!」
「坊、俺の後ろに!」
小領主が赤茶髪の子供を背後に庇い。
間を置かず、他の兵士が魔導師の男に向かって動き出そうと試みる。
魔導師を倒すには、まず魔法を使わせないことが基本とされるため、定石通りに動いたのだろうが。
それに考えが及ばない魔導師の男ではなかった。
『――風。陣。連。衝。砕。空。破。風よ鉄輪を成せ! 【太刀風一輪】!』
魔導師の男が、詠唱と共に指先を天に掲げると、【魔法文字】が寄り集まり、やがてひひゅう、ひひゅうと音を立てて旋風が渦巻く。
兵士たちが距離を詰める間もなく、それは即座に巨大な戦輪を模ると、兵士たちに向かって放たれた。
呪文の短さもさることながら、発動までの時間もわずか。しかも風であるがゆえに、魔法自体の動きも速い。
あまりに速すぎる魔法行使に、兵士たちはたたらを踏み、命からがらといった風にその場から飛びのく。しかして通り過ぎた風の戦輪は空を駆け上がると、取って返すように再び風塵を尾に引いて兵士たちに襲い掛かった。
それは戦輪を模すがゆえか。
兵士たちは、それを必死にかわす。
「ははははははははは!! おらっ、おらぁっ、もっと踊れ踊れ!」
魔導師の男が言うように、風の戦輪を必死になってかわす姿は、さながら踊っているかのよう。傍から見れば滑稽なその様子が気に入ったのか、魔導師の男は調子に乗って笑っている。
彼が有能だというのは、ただの自意識過剰ではなかったらしい。
さらに同じ魔法を使って、兵士たちを脅かしにかかる。
魔導師の男の魔法を前にして、領軍の兵士たちは思うように動けない。
風の戦輪に切り裂かれまいと逃げ惑う。
そんな中――
『――船足を止める魔の手。お前は空を漂う常たる者。世にあまねく船乗りの敵をいまここに』
『――冴えた夜気よ流れ込め。風を冷やせ。風よ凍えよ。吹き付けるものを殺し尽くせ』
瞬間、魔導師の男のものと合わせ、三つの魔法がぶつかり合う。
風の戦輪に進んで巻き込まれに行く【魔法文字】と。
唐突に足元から膨れ上がった凍えるような冷気。
それらが影響し合った瞬間だった。
兵士たちを切り裂こうとしていた複数の戦輪が立ちどころに消え去った。
……魔法を使ったのは、モーニングコートに身を包んだ二人。
一人は、中性的な冷たい美貌の持ち主で。
もう一人は魔導師の男並みに人相の悪い男。
そんな二人に対し、小領主が礼を言う。
「悪い、助かった」
「いえ。いまはお下がりを」
美貌の執事が小領主に後退を促すと、兵士たちは彼らの後ろまで引き下がる。
魔導師には魔導師を当てなければならないというのは常道だ。
自分の魔法が無効化されたせいか、魔導師の男が目を剥いた。
「テメェらも魔導師か」
「ええ」
「まあな」
「じゃあテメェらが昨日村で暴れたっていう連中だな?」
魔導師の男がそう言うと、
「いえ、私は特に何も」
「俺は……まあ露払い程度だけどな。キヒヒッ!」
彼らが向かい合う中、ふと銀髪の子供が歩み出た。
一体どうしたのか。こちらの味方だけでなく、魔導師の男も困惑する中。
「……ノア、カズィ、二人はディートたちの援護をしてくれ」
「よろしいので?」
「ああ、あいつは俺が倒す」
「構わねぇが、危なくなったら勝手に介入するからな?」
銀髪の子供はその言葉に頷くと、さらに一歩前に出る。
「アークス!」
「ディート。ここは俺に任せてくれ」
「いいのか?」
「希望にお応えして、俺の魔法を見せてやるよ」
そんなことをうそぶく銀髪の子供に、赤茶髪の子供は目を輝かせて期待の視線を向ける。
一方魔導師の男の方はというと、まだ十歳程度の子供が大口を叩いたことで、一瞬呆けていたようだが。
「……あ? なんだ? テメェ一人でやるって? あんなお遊戯しかできねぇガキのテメェが?」
「そうだ。お前なんて俺一人、魔法も一発で十分だろ? 二人の出る幕でもない」
「は、俺の最速最強の魔法を見てよくそんな風に吠えれるもんだな? その度胸くらいは認めてやるぜ?」
魔導師の男がそんなことを言うと、
「え? 最速最強? あんなに簡単に止められた魔法がそんなに自慢だったのか?」
銀髪の少年は、さも意外そうにそんなことを口にする。
「な――」
「いや確かに早いけどさ。いくらなんでも最強は吹きすぎだろ……だって魔法の威力も……だし…………強度も……だもんなぁ。いやぁ他に見るべきところとかは……うーん」
銀髪の子供は、考え込むようにぶつぶつ。
魔導師の男の言葉を、真面目に考察しているのか。
ともあれ逆撫でするような発言に、魔導師の男の堪忍袋は堪えられない。
「っ、このクソガキが……舐めてくれやがってぇ……」
「いやお前、自分で言うのはいいけど、言われるのは嫌な人間なのかよ。ちっせぇなぁ」
銀髪の子供は舌を滑らかに操り、魔導師の男を挑発する。
しかし、魔導師の男は先ほどとは打って変わり、軽口を返さない。
怒りの感情が高ぶり過ぎて、逆に冷たくなったのか。
『――風。陣。連。衝。砕。空。破。風よ鉄輪を成せ! 【太刀風一輪】!』
風が渦を巻き、戦輪となって撃ち出される。
しかしてそれは過たず銀髪の子供のもとへ。
身体を縦真っ二つに両断せんと、車輪のように石床の上を駆け抜ける。
粉々になった石床は白い煙の帯となって、戦輪の動きに合わせてのたうち。
銀髪の子供はそれに巻かれそうになりながらも、戦輪の直撃を回避する。
「っ、速ぇな……」
「ははっ! 俺の魔法は最速なんだよ! 俺の前に出たことを真っ二つになって後悔しやがれ!」
やはり魔導師の男は、魔法行使の速度に絶対の自負があるらしい。
「どいつもこいつも俺が殺してやるよ。テメェも、領軍の連中も、王太子もなぁ!」
「っ……お前も王国の人間だろ?」
「は、そんなもん関係ねぇんだよ! 誰だって構わねぇ! 俺をバカにする奴はみんな切り裂かれて死にやがれ!」
「…………そうかよ」
魔導師の男の狂ったような叫びを聞いて、銀髪の子供の声が一段低くなる。
そんな中、魔導師の男は再びの詠唱。
『――吹きすさぶ風! 流れる落ちる土砂! 砕け飛ぶ岩石! 寄り集まっては流れとなりて、逆巻く風に砕けて落ちろ! 【風石流】!』
空中に生み出される、複数の風の塊。風は普通見えないものだが、大量に集めているためか、輪郭が歪み、いまはその形が確認できる。
それらが雪崩を打って襲い掛かるが、しかし銀髪の子供はこれを危なげなくかわす。
まるで、どんな魔法かあらかじめわかっているかのよう。
おそらくは呪文を聞いて、どんな魔法か推測しているのだろう。
にしても、随分と身軽だ。
あれほど速い風の魔法を、わずかな怯えもなく目視で回避しているのには、敵ながら驚嘆を禁じ得ない。
「チ、ちょこまかと……」
「そんなんじゃ当たらないぜ! ほら、もっと撃ってこいよ!」
「うるぁあああああああああ!」
……二人が戦っている一方で、領軍の兵士も、こちら側の味方も、どちらも動けずにいた。
魔導師の男の魔法が危険すぎて、下手に動くことができないのだ。
真っ当に動けるのは魔導師である従者二人だが、そちらは主人の命に従って見守りに徹するのみ。
ふと、風の塊が銀髪の子供の真横を通り過ぎた一瞬。
唐突に銀髪の子供がその場で拳を振り抜いた。
魔導師の男とは、随分と距離がある。
なのに、そんな動き。
一体何の真似なのか。呪文詠唱も伴っていないため、魔法を使ったわけでもない。
なのにもかかわらず――
「――がはぁッ!」
突然、魔導師の男が腹を抱えて足元の均衡を崩した。
それはまるで、腹部に打撃でも受けたかのような折れ曲がりよう。
よろめき、隙を見せるが、しかし銀髪の子供からの追撃はない。
「ゲホッ、いったい、なに、が」
魔導師の男が遅れて戸惑いの声を上げる。
彼も、一体何をされたのか理解できていないのだろう。
銀髪の子供はいまだ佇んだまま。
こんな千載一遇の機会を利用しないことは、不可解としか言いようがない。
「が、げほっ……テメェ、なんで何もしてこねぇ……」
「何もしないのは、必要ないからさ。さっきも言っだろ? お前なんて俺一人、魔法も一発で十分だってな」
「な――」
「ほら、もう一度撃ってこいよ。ご自慢の最速の魔法とやらを」
「こ、こ、こ、このクッソガキがぁああああああ! そんなに見てぇなら、お望み通りくれてやるぁああああああ!」
再三に亘る挑発に、魔導師の男が天井に向かって咆哮を上げる。
そして、顔を真っ赤にさせながら、呪文の詠唱に取り掛かった。
構えは先ほどとまったく同じ。
天に指さし、風の戦輪を生み出す魔法。
だが、なぜあの銀髪の子供は、先に魔法を撃たせようというのか。
男の魔法はあまりに速い。
呪文詠唱。
行使速度。
どれをとっても、男の魔法は比類ない。
(速い……比類ない……? いや、そうかこれは!?)
そこで、気付いた。
銀髪の子供は執拗とさえ言えるほどのあからさまな挑発で、魔導師の男の並々ならぬ自信を傷つけ、焚きつけた。
つまり、これは。
『――風。陣。連。衝。砕。空。破。風よ――』
天井へと向かって突き出された人差し指のその先に、【魔法文字】が渦を巻く。ひひゅう、ひひゅうという太刀風にも似た音を響かせて、輝く色は銀。文字群は風を呼び、風は銀閃となって輪を成し、魔法は徐々に完成へと向かっていく。
途端、魔導師の男が、その顔に笑みを浮かべた。
…………魔導師の男は、そこで確信したのだろう。
銀髪の子供が、己が魔法で縦真っ二つに切り分けられるその様を。
呪文の短さもさることながら、男の魔法は速く、そして鋭い。
先に詠唱してしまえば、どんな魔法を使おうと間に合わないだろう。
だからこそ、それを上回る魔法が存在するという例外には、ついぞ気付くことができなかったのだ。
そう、魔導師の男は、挑発すれば必ず乗ってくる。
うまく乗せることができれば、思った通りの魔法も使わせることができる。
あとは、それより行使速度の速い魔法を使えばいいだけなのだ。
そうすれば、確実に魔導師の男を倒せるから。
だから銀髪の子供は、あの魔法を先に使わせたのだ。
しかして、そんなリヴェルの予測は当たっていた。
魔導師の男に、「待て!」と叫ぶ暇もない。
男の呪文詠唱にわずか遅れて、銀髪の子供が口を開いた。
『――極微。結合。集束。小さく爆ぜよ』
銀髪の子供が呪文を唱えると、【魔法文字】が寄り集まり、魔導師の男の身体を中心に魔法陣を形成。
一方男の方はというと、別の【魔法文字】が集まったことで、魔法の構築が乱れたのか。指先に風と共に集った【魔法文字】が銀閃ごと弾かれて、散ってしまう。
「なっ――くそっ、なんだこの魔法はっ!」
「これは、お前を吹っ飛ばす魔法だよ」
「ば、バカな! 俺の魔法より早い行使速度の魔法なんて――」
あるはずがない。
魔導師の男が泣き言のように口にした言葉の先は、続けられることはなかった。
銀髪の子供が、開いた右手を握り込んだその瞬間。
【魔法文字】が為す魔法陣が魔導師の男の身体を引き絞るように集束し。
直後、衝撃と共に烈火が弾け、耳を壊さんばかりの激しい音が鳴り響いた。
「う、くっ……」
何が起こったのかは、にわかに巻き起こった衝撃に邪魔されて見えるはずもなく。
吹き付けて来る風と、それに伴う熱に耐えることしかできなかった。
そんな中、ふいに子供の声が聞こえて来る。
「――呪文に乱文法を用いれば、確かに詠唱も速くなるし、行使速度を速めることができる。だけどその分、文脈がおろそかになって、言葉同士の結合が弱くなり――結果相手の魔法の影響を受けやすくなる。こんな風に」
それは、魔導師の男の魔法の欠点をあげつらったものか。
やがて視界から残像が取り払われると、周囲の状況がわかるようになった。
ひしゃげた鉄板。
砕けた木箱。
窓ガラスは砕け散り。
その中心点にいたはずの男の姿は――どこにもない。
ただ身体をなしていた細かな残骸だけが、焼け焦げて辺りの物にこびりついていた。
……先ほどの魔法で、魔導師の男の身体は砕け散ってしまったのだろう。
しかし、今際の際に発するはずの悲鳴すら、あの男には許されなかった。
立ち込める煤けた臭いと。
パラパラと落ちて来る塵埃。
他にも巻き込まれた者がいたのか、倒れて動けなくなっている者もいる。
「う、わ……」
やっと絞り出した声は、戦慄のせいで言葉にもならなかった。
たとえ、嫌がらせをしてきていた相手であるにしろ、先ほどまで会話していた人間がこんな無残な死にざまを見せたのだ。
衝撃で脳が揺さぶられる。
思考が上手く働かない。
しかしてそれは他の味方も同じだったのか。
「ひっ、ひぃいいいいいっ!?」
「あ、ああ、あああ……」
「人が、消し飛ん、だ……そんな」
腰を抜かしてその場にへたり込む者。
震えた口で言葉にならない音を紡ぐ者。
よろめいて後退り、盛大に転ぶ者。
気の弱いピロコロに至っては、失禁までしていた。
半分以上が、戦意を喪失してしまっている。
「す、すっげー! なんだいまの!?」
そんな風に味方が狼狽する一方で、赤茶髪の子供が驚きで目を見張る。
驚いてはいるが、味方側の魔法ゆえ恐怖は感じていないのか、素直な感心という様子で。
しかも、銀髪の子供に向かって無邪気に「もう一回見せてよ!」などと恐ろしいことまで口にする始末。
当の銀髪の子供はというと、手と苦笑いでそれを制してから、また味方に向かって油断ない視線を向けた。
…………リヴェルにも、兵学校時代に魔導師の演習を見学する機会はあった。
そこでは、使用される攻性魔法は数種類のみと決まっており、その使用法も魔導師たちが決められた目標に一斉に放つというものだった。
――【火者の暴走】
――【大地穿針】
――【暴濁流】
それら戦いに使用できるような洗練された魔法は数が限られており。
攻性魔法と言えば、魔導師はみな右ならえをしてそれらを使うのが当たり前だった。
魔導師というものは、どこの者であろうともそういうものなのだと思っていたし、同期も教官も同じような認識だったと記憶している。
だがこれは違う。
帝国の魔法のように、ただ限定された状況に対応するべく規定化されたものではなく。
個々人が結果を追求するべく独自に高め上げた技術。
――これが王国の魔導師。
ふいに、背筋がひどく冷たくなる。
それは、氷を当てられたような外的な寒さではなく、さながら冷気が身体の芯から外側に向かって伝わって来たかのような冷え込みよう。
北方の寒空の下に裸のまま送り込まれたとしても、こうはならないだろうそんな寒気だった。
美貌の執事が、銀髪の子供のもとへと歩み寄って称賛を述べる。
「お見事でした。作戦勝ちですね」
「向こうがうまく乗ってくれたからな。頭に血が上りやすい奴で助かった」
「腕は良さそうだったが、乱文法の欠点をそのままにしてたってことは……あの野郎モグリだったのかもな」
「そうでしょうね。バラバラの単語を重ね続けていくごとに呪文の強度が弱くなるというのは、魔法院ですぐに教えられることですから」
人相の悪い従者は、美貌の執事とそんな話をしたあと、銀髪の子供に。
「だが、いくらなんでもこんな場所でその魔法は少し肝が冷えるぜ?」
「それを見越しての【朧霞】だ。威力も下がってる」
「だから迷いなく使ったってのか? 相変わらず怖ぇご主人様だわ」
「ああ……魔法を見て純粋に喜んでいたあの頃のアークスさまは一体どこにいってしまわれたのでしょう……」
「ここ、ここ」
こんな修羅場で、そんな会話をしている三人。
まるでこんなことは日常的だとでも言わんばかりの何気ないやり取りだ。
こちらの味方だけでなく、領軍の兵士までもが緊張で身を固くする中、そんな話ぶりができるとは、まったく異質と言っていい。
やがて、銀髪の子供は険しい顔を見せながら。
そのまま一歩、前に歩み出る。
すでの魔法で場を圧倒しているためか、味方はそれだけで一歩後退。
そんな味方を、銀髪の子供が睥睨する。
平時ならば、誰にも愛でられるような愛らしい顔だ。
他者を圧倒する迫力など、欠片もないだろう。
しかしいまはその瞳が、凍えるような冷徹さを帯びており、ひどい怖れを感じさせる。
ふとした一睨みによって味方が竦み上がる中、銀髪の子供が叫んだ。
「お前ら、これ以上抵抗するならいまの男みたいに■■で吹き飛ばす!」
しかして、その言葉がとどめだった。
戦意を失っていない者たちも恐怖で動きが鈍り。
抵抗しようとしていた心に迷いが生じる。
そしてその隙を見逃す、ラスティネルの領軍ではなかった。
「いまだ! 全員捕縛しろ!」
赤茶髪の子供の号令一下。
兵士たちが動き出し、味方を次々と無力化していく。
しかも、毒を飲まないよう猿轡まで噛ませる徹底ぶりだ。
もう、制圧は免れないだろう。
このうえは、どうにかして証拠になりそうなものを隠滅しなければ――
(くそっ、くそ! どうして私がこんな目にっ……!)
そんな泣き言を心の中で繰り返しながら、懐から刻印式の着火具を取り出す。
こうなったら最後、火をつけるしか他に手立てはない。
証拠を火で燃やし尽くし、火事場の混乱に紛れて脱出するのだ。
しかし、何故か火が点かない。
着火具の使い方は間違っていないはず。
にもかかわらず、火はおろか火花さえ飛び出さない。
(どうしてだ! こんなときに限って……!)
ままならぬ状況のせいで焦燥に駆られる中、他にも証拠隠滅を図ろうとした者がいたのか。
「火を放て!」
そんな指示を飛ばすが、部下から返って来た言葉は。
「そ、それが……しけって」
「しけっていても刻印具を使えば火は点くだろうが! なにをやっている!」
「そんなことを言っても点かないものは点かないんですっ!」
「しけって……刻印具……? そうか――!?」
泣き言を耳にして、いまふいに脳裏に蘇ったのは、銀髪の少年が最初に使ったあの魔法だ。
魔導師の男にお遊戯と評された、朧げな霞。
あれは自分の魔法の効果を弱めるためのものではなく。
あらかじめ霧を発生させて、火を点けられなくするためのものだったのだ。
(では証拠隠滅を見越して使ったというのか? そんな、あんな子供が、そこまで考えて動いていただって……?)
魔導師の男を挑発して手玉に取っただけでなく、こちらの行動を予測して、あらかじめあの魔法を放ったということか。
確かに劣勢に陥れば隠滅に走るのは当然だが、そこまでのことをあんな十歳程度の子供が及びつくのか。
「あった……あったぞ! 銀だ! しかもそれだけじゃないぞ……」
兵士の声が聞こえてくる。
そう、ここにあるのは運び出そうとしていた銀だけではない。
他の領の印章から、許可証を偽造した書類に加えて、今後の指示書までまだ残っているのだ。
――証拠品を見つけた。
――敵を無力化した。
兵士たちが次々にそんな歓声を上げ始める。
こうなったら最後、もう言い逃れはできないだろう。
思った通り、こんな場所を拠点として使っていたのが仇となった。
これもすべて、自分の忠告を聞かなかった馬鹿どものせいだ。
「だ、ダメだ……もうダメだ……」
ここはもう終わりだ。
領軍に押さえられ、伯爵の悪事は露見する。
だが、自分はこれでは終われない。
どうにかして逃げなければ。
自分が捕まれば、帝国の存在を気取られてしまう。
だからと言って、潔く毒を飲むなどしたくない。
やっとのことで兵学校を卒業できたのに。
これから輝かしい未来を掴むはずなのに。
こんなところで死ぬなど、決して納得できるものではない。
だから、どうにか、どうにかしなければ――
本作、失格から始める成り上がり魔導師道が書籍化することになりました!
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