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第七十話 リヴェル・コーストの懊悩




 ――帝国軍南部方面軍所属リヴェル・コーストは、与えられた仕事をしながら、疲労の嵩んだため息を吐いていた。



(どうして私がこのようなことを……)



 ため息と共に吐き出されるのは、陰鬱な愚痴の数々だ。

 リヴェルがこんな非生産的な行為を無意識のうちにしてしまっているのは、現状に堪え難いほどの不満があるからに他ならない。



 ここでリヴェルがさせられているのは、荷と目録を照合するというごく単純、単調な作業だ。積み荷の数と、どれだけ運び出すかを確認し、それを記録するという、そんな誰でもできるような下働きのやるような仕事である。



 ……本来ならば、リヴェルはこのようなことをする立場の人間ではない。

 帝都の兵学校を抜群の成績で卒業し、軍にはエリートコースの常道、尉官待遇で入隊。

 将来を嘱望され、ゆくゆくは参謀職に就く予定だった。

 だが蓋を開けてみれば、どうか。

 初勤務より三日目、まさか待っていたのは南地への異動の辞令。

 情勢が緩やかなライノール王国方面へと派遣され、さらには王国の人間の中に交ざり、こんな工作員めいた仕事をさせられる羽目になっている。



(私は抜群の成績で卒業したんだぞ! 普通はそのまま中央勤務か、実地の経験を積むために戦地に派遣されるだろうが!)



 通常、兵学校卒業後は、後方でさらなる研鑽を積むかもしくは、目下帝国と戦争中である北部方面で、尉官として下士官たちを掌握するのが慣例のはずだ。

 にもかかわらず、真っ先に向かわされたのは敵国の一つであるライノール王国その内部。

 内応した王国伯爵主導の、銀奪取を目的とする作戦に随行して、その支援および監視をすることが任務とされた。

 要するに、戦略物資を掠め取るコソ泥のお手伝いである。



 ……兵学校では、主に今後の将官となるべく、多数を指揮するための教育を受けていた。

 にもかかわらず、与えられたのはこれまで覚えてきたことがまるで役に立たないこんな仕事。

 どう考えても、エリートに対する待遇ではない。



(これもみんなあの馬鹿どものせいだ。みんな、みんな……)



 思い浮かべるのは、リヴェルと同じく兵学校を卒業した同期たちだ。

 リヴェルとはまったくもって折り合いが悪く、それだけならまだしも、ことあるごとに敵視して、嫌がらせまでしてきた無能共。リヴェルがどれだけ結果を出しても決して認めることはなく、身体的特徴をあげつらって馬鹿にしてきた。

 当然今回も、その中の誰かが足を引っ張ったに違いないのだ。

 優秀な成績を修めた自分のことを妬み、教官や軍のお偉方に讒言したに決まっている。

 連中は無能でも、出自だけはいいところのお坊ちゃんどもばかりだ。親に圧力をかけてもらうのはたやすい話。

 そうでなければ、どうして自分のような才有る者が、このような場所でこのような作業に従事しなければならないのか。



 帝国は実力主義だ。だからこそ、無能、無才な者は冷遇され、有能な者はたとえ身分が低くとも、重用される傾向にある。そんな国で、無能、無才な者が成り上がり、有能な者が不遇を受けるときは、必ず碌でもない企みが裏で動いているのだ。

 自分は陥れられた。

 絶対そうに違いない。



(絶対そうだ……絶対……)



 先ほどと同じように、リヴェルの口から独り言が漏れ出ていく。

 ひとしきり恨み言を発散して心が安定した折、ふと、他方に視線を流した。



 木箱の上には書類や証書、伯爵からの指示書までもが乱雑に積まれ。

 倉庫の奥には奪取した荷である銀が置かれている。

 布をかけるだけで、隠すつもりなどこれっぽっちも感じられない。

 管理がぞんざいとしか言いようがない有り様でも、こうしてこれが罷り通っているのは、この拠点が見つかることはないと、この場にいるほとんどの人間が高をくくっているからだ。



 だが、リヴェルがわからないのは、どうしてこの場所を、一時的な物資貯留の拠点に選んだのかだ。

 場所は、音に聞こえた大領主ルイーズ・ラスティネルが治めるラスティネル領領都。

 河川があるため運搬には都合がよく。

 誰しも足元に気が向かないのは世の常であるため、意外と気付かれにくいだろう。

 だが、兵学校を出た身としては、こんな場所を拠点にしているのは、まったく危険と言わざるを得ない。

 確かに、ここでなければならないのならば、その限りではない。

 しかし、拠点の候補は他にもあるし。

 決してここでなければならない理由はないのだ。

 なのにもかかわらず、目的である銀から、指示書の保管までもここで行っているのはまったく理解に苦しむ。



 銀は運搬の利便性を考慮すれば、仕方ないとも言えるが。

 指示書は一定期間が立てば焼却されるようになってはいるものの、ここを押さえられればそれこそ一網打尽なのだ。

 危険は分散させるのが常道。

 なのに、こちらがそれをしろと言っても、ここの連中はまるで聞き入れない。

 ただ単に、手間がかかるのを嫌っているだけなのか。

 そもそも、ことが露見するということ自体に考えが及んでいないのか。

 最悪の事態をまったく考えようとせず、漫然と与えられた任務だけに固執する。



(馬鹿なのかこいつらは……)



 ここの連中は、こんな人間ばかりだ。すぐに他人を侮ってかかり、人の意見など聞き入れようともしない。ただ上からの指示を受ければいいとだけ考える、鈍り切った頭の持ち主どもしかいないのだ。

 そしてそんな連中を率いているのが、ピロコロという商人である。



「み、みなさんよろしくお願いしますね」



 聞こえて来るのは、自信に欠けた声。

 周囲に指示を出す態度も、おどおどしているのが丸わかりだ。

 ここの人間は表向き商人の仕事をするので、管理をする人間はその道に明るい者を選んだのだろうが。

 ピロコロはこういった荒っぽい仕事をするには、まるで向いていない類の人種だった。

 だから――



「なぁにがよろしくお願いしますね、だ! こっちは昨日の襲撃で被害が出ているんだぞ! それをわかってんのかテメェは!」


「そ! それは……まさか私も彼らが魔法を使えるとは意外というほかなく」


「刻印を扱ってたなら魔法も使えるに決まってるじゃねえか! テメェはバカか!」


「ひぃ! 申し訳ありません!」



 ピロコロは賊の役を宛がわれた男に怒声を浴びせられ、小動物のように縮こまる。

 これは、昨夜に銀を奪取するため村を襲撃した際、賊の役を請け負った者たちに大きな被害が出たからだ。

 どうやらその村には王国の魔導師たちが逗留していたらしく、村を守るためにその力を遺憾なく発揮したのだとか。

 話を聞くに、南門側を攻めた者のほとんどが、その魔導師たちの魔法によって倒され、その場で捕縛されたという。

 その者たちも、あらかじめ渡されていたマチンを呷って死んでいるだろうが。

 いま怒鳴っている男は賊の役を負った者たちを取りまとめる人間であり、今回の被害はピロコロが報告を怠ったために起こったことだと考えているのだ。

 ピロコロにそれなりの貫禄があれば、噴出する不満を抑え込むことはできただろうが。

 何か失敗があるたびに、こうして突き上げを食らう始末。

 下の者をしっかりと抑えられていないのだから、人選を間違ったとしか言いようがない。



 ……こんな環境で仕事をしていれば、いつか破綻するのは目に見えている。

 なのに、彼らは、誰一人改善しようと動かない。

 愚かだ。

 どうして他人とは、これほど愚かなのか。



「――おい。帝国の小間使い」



 ふいに横合いから、そんな風に呼び付けられた。

 小間使いとは甚だ不本意な呼ばれ方だが、怒りを呑み込んで声のした方を振り向く。

 リヴェルを呼びつけたのは、ナダール側から送り込まれた痩躯の男だった。

 いまは木箱の上にふんぞり返って我が物顔。

 おしゃれと言うには不必要なほどのピアスをあちこちに付け。

 猛獣を象った入れ墨が顔の半分を占拠している。

 脇に女でも侍らせていれば、裏社会の顔役とでも言えるのかは……それは定かではないが。

 他の人間はみな忙しなく動き回っているというのに、一切咎められないのは、この男が魔導師だからだ。



「……なんだ?」


 警戒混じりに訊ねると、男は嘲笑うような笑みを見せ。



「そろそろ確認作業は終わったか? ん? おいおいまだそんな仕事に時間掛けてんのかよ? ほんと使えねぇなお前は」



 魔導師の男は、大きな声で聞こえよがしにそう口にする。

 周囲に言い聞かせでもしたいのか。

 リヴェルも反論を試みようとするが、口の滑らかさは魔導師の男の方が一枚上手だった。



「無能な奴はほんと可哀そうだよなぁ。どこへ行ってもトロ臭くて、まともに扱われもしねぇ」


「っ、私は!」


「なんだよ? そんなんだからこんなとこに飛ばされたんだろ? 自称帝国のエリートさんよ?」


「ぐっ……!」


「可哀そうだよなあ、お前みたいな何やっても、なんもできねえ人間はよ?」



 嘲笑うような笑みが、殊更憎たらしい。

 リヴェルの仕事ぶりは、男の言うようにトロ臭いと言われるほど遅いわけではない。

 むしろ、慣れない仕事をやっているにしてはこれが普通だと言えるだろう。

 この男は、リヴェルがここに配属された当初から、ことあるごとに突っかかって来る。

 おそらくは、リヴェルのような人間を貶めることで、自尊心を高めようとしているのだ。

 落ちぶれたエリートをいびるのは、さぞ胸のすくことだろう。

 男の笑い声に釣られたのか、周りから嘲笑の声が聞こえてくる。

 それに気を取られていると、魔導師の男が重ねておいた書類を蹴りつけた。



「あっ……」



 書類が宙を舞い、辺りに散らばる。

 折角綺麗にまとめていたのに、これではまた整理のし直しだ。

 しかも、男はわざとらしく。



「お? わりーわりー、見えてなかったわ。ご、め、ん、ね、リヴェルちゃーん」


「…………っ」



 何が見えていなかったというのか。わかっていて蹴りつけたくせに。



「なんだ? 怒ったのかよ? ん? どうだよ? 腹が立ったんならなんか言ってみろよ? ええ?」



 男が挑発してくる。

 しかし、これに乗せられてはいけない。男の思惑に乗って反発すれば、これらの挑発的な行為はさらに加速するのだ。この手の低俗な嫌がらせは、兵学校で散々味わわされたこと。相手にしていてはきりがない。

 リヴェルが挑発に乗ってこないことが男には不満だったか。「ケッ」と悪態を吐いて、



「あとな、そっちの作業が終わったらこっちもやれよ?」


「私に命令するな。そもそもそれは手の空いているお前がやればいいだろうが」


「あ? なんだと?」



 反論すると、魔導師の男は立ち上がって睨みつけてくる。

 魔法を使って脅し掛けようとでも言うのか。



「わ、私は帝国の人間だぞ! ……帝国の人間を無体に扱って、お前たちの雇い主がそれをよく思うか!?」


「ッチ……」



 指摘すると、魔導師の男は苦い顔を見せる。

 さすがに帝国の人間を傷つけて、ナダール伯爵(やといぬし)の心証を悪くすることはしたくないのだろう。

 そんな男に、返すのは。



「お前、そんな風にふんぞり返っているのはいいが、わかっているんだろうな? これからナダール領に戻ったあとは、指示書の通り、ライノールの王太子の背後を脅かすんだぞ?」


「あ? そんなことてめえなんぞに言われなくてもわあってるよ。俺はてめぇと違って、一番前で戦うんだぜ?」


「……わかっているならいい」


「はっ、言いたいことはそれでおしまいかよ? それじゃ言い返しにもなってねぇぜ? 話題変えたいんならきちんと頭使えよな」


「…………」


「言い返せなくなって今度はだんまりかよ……まあいいさ、俺はいま気分がいいからな。許してやるよ。なんたって、このあとは待ちに待った王太子一行の襲撃だ」



 ふいに、男が口元をゆがめる。

 それは、猟欲に満ちた残虐さが見え隠れする笑みだ。



「いまから目に浮かぶぜ。王太子やその取り巻きが俺の魔法でくたばる様がな」



 どうやらこの男は、次の作戦で活躍する様を思い浮かべて、悦に浸っているらしい。

 だが、リヴェルには疑問に思うことがある。



「貴様は王国の人間だろう? なぜ王太子を討つことに賛同する?」


「なぜ? そんなもん決まってるだろうが。有能な魔導師である俺を評価しなかった王国に、一泡吹かせるためさ」


「一泡吹かせる?」


「そうさ。俺はガキの頃から魔法に触れてきて、周りにも俺に敵う魔導師は一人もいやしなかった。なのに、魔法院を出てないってだけで、役人どもは俺をそこいらのモグリの魔導師と同じように扱ったんだ」


「それで、王太子を討つのか?」


「王太子は王国で一番偉い魔導師(おうさま)の子供だぜ? そりゃあいい腹いせになるってもんだろ?」


「…………」



 そう言って笑う様は、まるでおとぎ話に出て来る悪魔そのものだ。

 その不穏当な笑みに根差すのは、深い恨みにも思える。

 何が有能なのか。

 評価しなかったというのか。

 そんなのはただの逆恨みではないか。

 無才だったからこそ、伯爵の子飼いなどに身を貶めたたのだろうに。



「なんか文句あんのかよ?」


「……なにも」


「ケッ……無能は無能らしく隅っこで縮こまってればいいんだよ」



 男は背中に罵声を浴びせて来る。

 情緒不安定な魔導師だ。

 ……どうして自分は、こんな連中と一緒にいなければならないのか。

 どいつもこいつも保身や目先の欲を満たすだけにこだわり、大局を見ようとしない。

 まったくもって愚かしさの極みだろう。

 そして最も愚かなのは、こんな連中に銀を盗まれる側の人間だ。

 銀を伯爵に盗られていることも知らず。

 いまも山賊被害に遭っているだけだと信じ、賊を捜して山野を巡っている。

 愚かだ。まったくもって、愚かしさの極みとしか言えない。



「ラスティネルの連中は、このまま銀を盗られたことにも気付かずに、王国王太子も危険に晒すのだろうな……」



 ついつい、いつものように愚痴をこぼした折だ。

 ふとマズいことを言ってしまったと口を押さえる。



 ――口に出せば舌禍を招く。



 これは、帝国でよく言われる言葉だ。

 相手を侮るようなことを口に出すと、その言葉の内容に反した事象が返ってくるというものだ。

 世界は事象を操る【古代アーツ語】によって成立し。

 いま世の中で使用されている言葉はすべて、そこから分化したものとされる。

 ゆえに、どんな言葉にも、ある程度の力が備わっており。

 事象に対し、ごくわずかだが影響を与えるのだという。

 そのため、軍ではそういった(ゲン)を重要視し、相手を軽視することや縁起でもないことは心で思っても口にしないのが慣習とされている。

 さすがにそれは迷信だろうとはリヴェルも思うが、相手を侮るときというのは往々にして落とし穴にはまりやすいものだ。

 いけない兆候だなと、そう思っていたその折だった。



「そ、外にラスティネルの領軍が集まってるぞ!」


「こんな時間にだと!?」


「なぜだ!?」


「しかも武装している!」


「ッ――」



 ふと、自分が舌禍を招いてしまったのかと、背筋に寒いものが走る。

 先ほど怒鳴っていた男がピロコロに掴み掛った。



「おいまさかテメェ、下手うったんじゃねえだろうな!」


「い、いえ、そんなはずは……」



 ピロコロはそう言うが、昨日から失態続きであるため、

 こんな不和を招くのは、不満を抑え込めなかったツケだろう。



「まずはどうにか時間を稼いで、我々以外の者は全員隠し部屋に――」



 ピロコロが指示を出した始めた最中だった。

 そんな時間稼ぎも許されないというように。

 倉庫の入り口が乱暴に開かれると共に、ラスティネル領の兵士たちが雪崩を打って入り込んできた。





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