第六十五話 赤茶髪の少年
「ディート様。残り物で申し訳ありませんが……」
「いいよ全然! おれこのフィッシュパイ好きなんだ~」
村長からフィッシュパイを一切れ受け取り、にこにこ顔の赤茶髪の少年。
夜食にと口いっぱいに頬張りつつ、補佐の男に呆れられながら窘められているそんな中。
村長宅のリビングを借り受け、それぞれ椅子に着席。
アークスの前には、夜食を食べ終わって満足そうな赤茶髪の少年が。
事情聴取めいた席にもかかわらず、厳しさはまるで感じらない。
すでに一度村を守っているから、ということもあるのだろうが。
むしろ知らない相手に対する興味心が勝っているようで、どことなく弾んだような、楽しげな視線が向けられている。
彼に対する印象は……朗らかといったところか。
愛嬌のある笑顔を見せ、机に伏せるようにして覗き込む姿は、子犬さながら。
両人とも背後にそれぞれ従者と補佐を従え対面。
場が整った折、赤茶髪の少年が口を開く。
「んじゃ、改めて。おれの名前はディートリ――」
「ぼ、坊!?」
赤茶髪の少年が自己紹介の言葉を言いかけたときだった。
補佐の男が慌てて口を挟む。
驚きつつも、何かを咎めるようなその呼びかけに、赤茶髪の少年はふと気付いたような素振りを見せ――
「え? あ、そうだったそうだった。おれの名前はディート。ただのディートだ。よろしくな」
「……よろしく」
不自然な挨拶に、挨拶を返す。
言い直しはしたが、「ただの」と言葉を付けている時点で、すでに不自然さからは逃れられていない。意図的に身分を偽るというよりは、どことなく暗黙の了解めいたものが窺える。
一応、身分を明かさずということでこの場にいるのだろう。
置かれている立場。
他の者との関係。
そこから身分を推し量ることはできるが、ここで敢えてそれを言い当てる必要もない。
特に追究はせず、大人しく聞きに徹する。
「それでこっちが補佐兼お目付け役のガランガ。おれがこいつらを預かっているんだ」
赤茶髪の少年、ディートがそう紹介すると、隣で補佐をしていた男が頭を下げる。
毛量が寂しくなりかけた、体格のいい男。
地位はあるようだが、口調からどことなく粗野さが先立つ。
正規の兵士というよりは、叩き上げの軍人のような印象だ。
たとえるならば、新米将校を補佐する経験豊富な軍曹だろうか。
彼もディートを立てているため、やはりディートがこの部隊を率いているのだろう。
若いというよりは若すぎるが、この世界、ある程度身分が高ければこういうことはままあるものだ。若いうちから部隊を率いて、経験を積ませるというのは、特段珍しくもない。
当然その「若い」の度合いは、お家によって違うだろうが。
すると、いまし方紹介された男が、改めて「ガランガと言いやす」と言って大きく頭を下げる。
そして、
「見たところ身なりもよくて、立ち振る舞いにも気品がある。どこぞの貴族に連なる方とお見受けいたしやすが」
朗らかなディートとは対極的に、ギラリとした眼光を閃かせるガランガ。
相手を検め明らかにしようとする、容赦ない視線だ。
これはこちらの身分を疑っているわけではなく、きちんと貴族だとわかってのものだ。
そもそもここは、ラスティネル家の領地。
他の貴族が勝手に入り込むなどということは、いい顔はされないどころか諍いのタネにもなる。
領内に入るにも、きちんとした手続きを踏まなければならないのだ。
それが周知されていないための、この不信感なのだろう。
「……まず、俺の名前はアークス・レイセフト。こっちは従者のノアとカズィだ。それで、後ろにいるのは案内をしてくれているバド」
「レイセフト家って……」
「王国古参の子爵家ですな。アークスという名前は、確かそこの長兄の」
ディートが記憶を掘り返す一方、ガランガの視線が妙な光を帯びる。
おそらくはこの男もギルズと同じで、例の〈風の噂〉を知っているのだろう。
ともあれ、
「そんな方々が、なぜウチへ?」
「ちょっと理由があってね」
「理由、ですかい?」
「そう。ほら、ここに王家から認可を受けた書状もある」
鞄から書状と、領主ルイーズ・ラスティネル宛ての親書の入った封を取り出すと、ガランガが一瞬畏まったように身体を硬直させる。
王家の印章の入った封蝋は、きちんとした身分の人間相手には有効だ。
印章を覚える教育をされているため、いちいち説明せずとも見せるだけで理解する。
特に正規の軍人、それも地位が高い者となれば、効果は抜群。
「……拝見してもよろしいですかい?」
「こっちの領主さまへの書状の方は開けられたら困るから」
「ええ。わかっていやす」
国王から領主への書状を勝手に開けるのは、開けた方も開けられた方も処罰の対象となる。
ガランガが書状の方に目を通す。その表情は神妙さを帯び、やがて眉が険しくなった。
一語一句見逃さないよう集中しているのだろう。
ある程度読み進めた折、ガランガは大きな息を吐いた。
そんな彼に、ディートが彼に訊ねる。
「ガランガ、どう?」
「……間違いありやせんね。こりゃ正式な書類ですわ。しかもかなり優先度が高いヤツですよ。ほらここに、王家の玉璽で捺された印章が」
「お、ほんとだ」
書状最下部に捺された特徴的な印象。
クロセルロード家が発行したという証明を見て、ディートも納得したような顔を見せる。
銀の調達は王家から下された命令という側面も持つため、書状には玉璽で判が捺されている。これを見せれば、国内のみに限るが、わざわざ面倒臭い手続きを踏まずとも素通りができるのだ。
ふと、ディートが首を傾げる。
「でもどうして連絡を入れてないんだ? こっちから迎えを出すのに」
「その辺りは……そんな書状を持ってるってことで察してくれ」
銀の調達は、裏で進める話だ。先触れなど出す規模になると、相応の対応をしてもらうことになるし、そうなると賓客扱いで大事となる。
魔力計の存在もあるため、なるべくなら大っぴらにしたくないのがこちらの希望するところ。
一方ディートはガランガと、ひそひそ話。
ガランガに、どういうことなのか聞いているのだろう。「密命に近い」等の声が聞こえ、やがてディートは得心がいったという表情を見せる。
「事情はわかった。それで、この村に立ち寄ったのはやっぱり?」
「ああ。山道が封鎖されてたから、ここに来たんだ」
「迂回するなら、ここが一番いいですからね。自然とそうなるでしょうな」
「あ、そうだ。一応聞くけど、滞在費の支払いは? きちんとした?」
「支払いの方は、泊めてもらう代わりに刻印の整備や修繕をしたよ」
「はい、こちらはもう大助かりでして……」
村長がそう言うと、ディートが驚く。
「え? なに? アークスって刻印できるのか?」
「あ、ああ……できるけど、それが?」
こちらが意外な部分への食いつきに面食らうのもそのままに、ディートは勢いよくまくし立てる。
「じゃあじゃあおれのも見てくんないかな? おれの剣。なんかちょっと前から調子が悪くてさ、技師に見せようとは思ってたんだけど……」
ディートはそう言って、立てかけてある巨剣の方を向く。
そして、椅子から飛び跳ねるように降りたところで。
ガランガが頭を抱えて、呆れたようにお小言をぽつり。
「坊、あのですね……」
「え? いや、だって必要だろ!? あれはおれの武器なんだぞー!」
「それはそうですが、場ってもんがあるでしょうに……」
「いいや! 最重要だ! いざって時に敵を斬れなかったらどうすんだよ!」
「別に多少斬れやしなくても、そんなもの叩きつけられたら人間は軽く死にますから」
ガランガが、膨れ出したディートをどうにか窘めようとする。
立場に反して、態度や所作がだいぶ子供っぽい気もするが。
「いや、見るのは別にいいけどさ。魔法を使ったあとだから、できれば少し休んでからにして欲しい」
「ほんとか! じゃあよろしく!」
了解の言葉を口にすると、ディートは満面の笑みを向けて来る。
無邪気な笑みだ。やはり、どことなく子犬っぽい。
一方で、申し訳なさそうに頭を下げるガランガ。
「それで、ディートたちはやっぱりあの山賊を?」
「そうなんだよ。最近やたらこの辺りに現れてさぁ。こっちも困ってるんだ」
「ですから坊……」
「え? あ……しまった」
ガランガはディートの迂闊な発言に呆れ。
一方のディートはそれに気付いて、「やってしまった」という顔になる。
領の後ろめたいことを軽々に口にするのは、己の急所を晒すのと同じだ。
ついつい口が過ぎただけが、貴族間では命取りにもなり兼ねない。
それに気付いたようだが、もうあとの祭り。
ガランガが諦めたように息を吐き。
「どうかこれはご内密に」
「ああ」
アークスとの間で、そんなやり取りが交わされる。
「ウチでも、いえウチの領だけじゃありやせん。賊共は周辺の領でも出没しているようで、あちこちを騒がせているようなんでさぁ」
「んで、いっつもこうして後手後手になるんだよな。網を張ってるのにどうしてこう上手くいかないんだろうなぁ」
最後に、ディートがぼやき出す。
あまりこういう風に、思ったことを言ってはいけないのだが、まだ歳が歳だ。この辺りは仕方ないだろう。
ちなみに、どうやって捕まえようとしているのか聞くと。
「こっちも山賊の格好しておびき出そうとするとか」
「…………」
「金目の物を運んで囮にするとか」
「…………」
「いろいろやってるんだけどなぁ……」
妙な作戦ばかり立てているらしいディートに、一応訊ねる。
「……効果は?」
「それがまったく。良い策だと思うんだけど……」
ディートがうーんと懊悩の唸り声を上げる一方、ガランガは大きなため息を吐く。
しかもある程度言うことを聞かないといけないため、苦労しているのだろう。
そんな中、ふいにディートがため息をこぼした。
「いまはセイラン殿下が近くに来てるっていうのにさ。困っちゃうよ」
「ん? 殿下が? この辺りに来てるのか?」
「あ、そうそう。なんかよくわかんないけど、ナダール領を視察するって話なんだ。それで、この辺りに来て……いまはナダール領近くにでもいるのかな? こんなときに山賊被害が出たって知られでもしたら、面倒になりかねないよ。せめて捕まえてから来てくれればよかったのに」
「それもそうでしょうが、まず怒る方がいまさぁね」
「……うぅ、成果を挙げないとカーチャンにどやされるよぅ」
ディートは涙目になって頭を抱えだす。
どうやら彼は、カーチャン何某の雷に怯えている様子。
当然、彼の母親のことだろう。
ディートがテーブルに伏せって頭を抱えていると、ガランガが、
「なんにしても、アークス殿たちのおかげで助かりましたよ。なんせ口が利ける状態で捕まえていただけたんですからね」
「あ、そっか! そうだよな!」
「……もしかして坊、いま気付いたんですかい?」
「い、いや。そんなことないぞ!」
そう言って、全力で誤魔化しにかかるディート。
それが誤魔化しだと傍目からわかる時点で、どうしようもないのだが。
「なんにしてもこれでヤツらの尻尾を掴めるよ。ありがとう!」
そんな風に、ディートにお礼を言われる。
ともあれその後も、彼らに山賊の襲撃についてのことや、特徴などを事細かに説明。
あとは、ガランガの言葉通り、捕らえた賊から情報を引き出すのを待つばかりだったのだが。
……その賊たちが毒を飲んで死んだという報告が来たのは、アークスたちが床に就く直前のことだった。
ギルズの部分が不評でしたので削除しました…………