第六十四話 謎だらけの中
南門での攻防の被害はほぼゼロ。
賊たちの退却後、【びっくり泡玉】で倒れた賊は捕縛して。
門の内側に更なる柵や杭を設置し、防備を確立。
北門の方も、門は破られたそうだが、そちらの賊もすぐに退いたらしい。
被害に関しては調査中だが――いまはカズィを一人村に残し、代わりにノアと村の人間数名+αを伴って、周辺の哨戒に進発。
村の周辺に賊が潜んでいないかどうか。
退いたと見せかけて、再度の襲撃に臨むかどうか。
それらを探しに出たのだが――
「うー……」
「アークスさま、ご気分がよろしくないのなら、村に戻ってはいかがです?」
「いや、そういうわけにもいかないだろ……」
口元を手で押さえつつ、村の周囲を歩く。向けられるべき警戒は、胃からせり上がってきそうになる内容物にも向いているせいで、散漫に。
背中をさすってくれるノアのおかげでだいぶマシだが、それでも胸の気持ち悪さは払拭できない。
「さすがのアークス君も、死体にはかなわんか」
「当たり前だっての……」
+αの言葉に、恨めしげにそう返す。
そう、まとわりついて離れない吐き気の原因は、賊の死体だ。
村を攻められていたときは集中していて気にならなかったが。
ふと息をついたとき、真っ二つになった賊の腹の中身から漂ってきたその臭気に当てられて、吐き気を催してしまったのだ。
……以前にガストン侯爵の邸宅で戦ったときは、基本的に綺麗な死体ばかりだった。
ノアの剣で貫かれたり。
氷漬けになったり。
カズィの魔法で首の骨を折られたり。
最後は【飛蝗旋風】で窒息だ。
臓物がぶちまけられるほどの戦いは、今回が初めて。
温かい血や肉が、臭いの付いた薄い湯気を立ち昇らせる様は、男の世界の地獄絵図も斯くやと言うほど。
賊の襲撃中も退いたあとにも、村人の何人かが吐いていたくらいだ。
そんな惨状を目の当たりにしても、平気の平左なギルズ何某なのだが。
「……で? ギルズはなんでついてきたんだ」
「いや、村の中におるよりもこっちにおった方が安全そうやなって。ほら、なんかあっても強力な魔導師様方が守ってくれそうやし」
「私はアークスさまを優先しますよ」
「村にもカズィがいるから大丈夫だぞ」
「それはそうやろが、多い方がお得っちゅーことや」
そんな風に言って、けらけらと笑っている。
本気でそんな臆病者であるのなら、危ない場所には来ないはず。
一体どんな意図があるのか。
突然撤退した賊の方もそうだが、この男に関してもまだまだよくわからない。
「にしても、さっきの魔法はすごかったな。まっさか音で敵を倒すなんちゅーこと、ようもまあ考え付くもんやわ。見た目で相手の警戒心を薄うさせてから……どかんっ、や。まあ今回は連中が勢い余ってぶつかって来ただけやけど」
「派手で大きい魔法を使って村に被害を出すよりも、地味な魔法で相手を無力化させるほうがずっといいだろ?」
「倒すやなくて、無力化か……アークス君は敵に回さん方がよさそうやな」
「そうしてくれ」
妙なところで感心するギルズに、適当な返事をする。
にしても、だ。
「あの魔法が『えげつない』っての、よくわかったな」
「ん? なんの話や?」
「とぼけるなよ」
ギルズにジト目を向けて軽く小突くと、彼はおどけたように舌を出した。
「バレたか。いやな、ワイ、こんななりでも魔法の心得は多少なりあるんや」
「それでか」
そう、彼は確かにあのとき、魔法の効果がわかったような言葉を口にした。
あの泡を見ただけでは、えげつないなんてことがわかるはずもない。
傍から見ればただ単に、大きなシャボン玉を複数浮かべただけにしか見えないはず。
ということは十中八九、呪文で判断したということだ。
商人を名乗り、しかし魔法の心得もある男。
諸国を旅するために必要な力だと言われれば、確かにそうかもしれないが。
どうにも底の見えない部分が先に立つ。
そんな話はともあれ、村から離れすぎないよう注意しつつ、賊が逃げた先を調べるも、音沙汰はなし。
賊がどこかに潜んでいるということはなさそうで、結局区切りをつけて村へと戻ることになった。
……にしても、今回のこの襲撃は一体なんだったのか。
賊が何をしようとしていたのか、それがまったく読めないのだ。
確かに、鮮やかな引き際と言えば聞こえはいい。
だが、何も盗らず、これといった成果もなくでは、ただただ損害を出しただけだ。
陽動が成功し、北門が開いたのなら攻めさらに苛烈になるはず。
しかし、門が破られたという報告が届いてから間もなく、合図と共に撤退していった。
単に、村の門を開けたかっただけ。
散発的な攻撃で村の守りを疲弊させるため。
様々な可能性を思いつくが、しかし、あまり意味はないなと、思いついた端から立ち消えていく。
村の真上の闇空が、ほのかに赤みがかっているのが見えた。
おそらくは篝火を増やしたのだろう。村にはそれほど〈輝煌ガラス〉の用意がないため、明かりと言えば火を点けるしかない。
門をくぐると、すぐに村長が出迎えてくれた。
「おお! お戻りになられましたか……」
「どうやら付近に潜んでいるってことはないみたいだ。そっちは?」
「はい。こちらも確認しましたが、村には大きな被害もなく……この度は本当にありがとうございます」
村長が頭を下げると、彼の後ろに控えていた者たちも続いて頭を下げた。
村の被害は門が破られた程度。
あとは、他に逗留していた者たちについてだが――
「そう言えば、ピロコロたちの方は?」
「それが、ピロコロ殿はあのあとすぐに出立してしまいまして」
「え? 出立した?」
「はい。私共も引き留めたのですが……」
村長は無念そうに項垂れる。
ということは、引き留めきれず、出て行ってしまったのか。
しかし、何故このタイミングでの出立なのか。
ピロコロの、あまりに奇怪な行動のせいで、困惑が顔に出る。
するとギルズが、その困惑を代弁するように、
「いやいや、まだ夜は始まったばかりやで? いくら急いでるにしてもこないな時間に村から出て行くっちゅーのは無茶苦茶やろ?」
「ええ。いま外に出るのは危険ですと何度も言ったのですが、一刻も早く領都に報告に向かわなければならないといって、聞く耳を持ってもらえず」
「報告って? なんのために?」
「それが、北門襲撃の折、荷が盗まれてしまったとかで……」
「盗まれた?」
聞き返すと、村長が頷く。
ということは、彼らの荷――つまり銀を先ほどの賊たちに盗られてしまったというのか。
その話には、ノアも眉をひそめる。
「彼らには多くの護衛がいたはずですが?」
「それが、門を破られた際に隙を突かれてしまったとかで、荷をまるごと掻っ攫われてしまったようなのです」
「マジかよ……」
半ば放心しつつ、そんな言葉を漏らす。
入村を待っていたとき、ピロコロの一団は列を作るほど護衛を備えていた。
しっかりと数えたわけではないが、十人から二十人ほど。
それだけの護衛をすり抜けて盗み出すなど、どれほどの手際の良さか。
しかも、北門が破られてから賊の撤退までさほど時間も経っていない。
にもかかわらず、こんなにあっさりと盗られるなど、どう考えても――
「長!」
ふいに掛けられた呼び声に振り向くと。
村の者が、村長のもとへと駆けて来る。
「どうした?」
「近くに逗留していた領軍と連絡が取れました。すぐこちらに駆けつけてくれるそうです!」
「おお! それは良かった!」
村長の声が喜色で弾む。
話を聞くと、どうやら自分たちが歩哨に出たあと、近くの村々へ賊が出没したということを報せに出したらしい。
その一つが、賊討伐のためにこの辺りに来ていた領軍を見つけたとのこと。
警戒などをしつつ、しばらく。
……やがて村に、武装した集団が現れる。
それぞれが剣や槍、弓など、思い思いの武器を持つが。
鎧など、格好のデザインはすべて統一。
装備は個人個人にきちんと誂えられ、刻印もしっかりと施されている。
逞しい軍馬に、領軍であることを示す軍旗。
後方には輜重隊まで。
間違いなく、正式な部隊だろう。
しかしてその部隊を引き連れて現れたのは、巨大な剣を背負った赤茶髪の少年だった。
歳はだいたい自分と同じくらい。
背は、自分より少し高い程度。
にもかかわらず、軍馬に乗って部隊の先頭に立ち。
部隊の年かさの者たちも、彼に対して丁寧な言葉遣いを心掛けている。
ということは、良家の令息なのだろうか。
このような時間に、部隊を引き連れ山賊討伐の任に出ているのは随分と厳しい家系なのだと思いつつ、出で立ちを観察する。
服装は鎧ではなく、市井に出回るような動きやすそうな服装と、マント。
防具と言えば、仕立てのいいブーツとリストのみ。
鼻にはやんちゃ坊主を思わせる絆創膏が一枚。
表情は、夜間にもかかわらず元気が有り余っているのか、は溌剌としたもの。
良家の令息というよりは、冒険心に富んだ少年と言った具合。
だが驚くべきは、その巨大な剣だ。
己の背丈を二倍するほどの巨剣を背負って歩けるなど、白昼夢でも見ているような気分になる。
おそらくは剣に施された刻印と、リストに施された刻印が作用しているのだと思われるが。
馬上の少年に対し、村長が膝を突いて礼を執る。
やはり高い身分の者なのか。
村長が、すぐに事情を話し始めた。
やがて、兵士たちが銘々動き出す。
門の補修、警備の確認などをしてくれるのだろう。
ふと、その少年がこちらを向いた。
怪訝そうな表情を浮かべていたが、村長がすぐに何やら話しかけると、その顔は満足そうなにこやかなものに。
事情を話してくれたのだろう。
少年と幾人かが馬から降りて、近付いてくる。
そして、良家の子弟らしからぬ砕けた……というよりは若干がさつな様子で。
「うちの領民を守ってくれたんだって? 礼を言うよ。ありがとうな」
「あ、ああ」
そんな曖昧な返事をした折、
「…………?」
「……なにか?」
怪訝な表情で顔を覗き込んでくる少年に、こちらも怪訝そうな視線を返す。
そんな中も、少年はぴょんぴょんと跳ね回るように、さまざな角度からこちらの顔を観察。
そのうえ、ピントを合わせるように目を細めてうーんと唸る始末。
一体自分に何を見出そうとしているのか。
不躾な感じのせいで、自然と視線が細まる中。
「……あんた女の子だよな? ……うん、そうだよ。だって可愛いしさ」
彼がそんなことを口にした直後、後ろを向いて、
「ノア、可愛いだって。言われてるぞ?」
「……アークスさま。現実から目を背けてはいけませんよ。いまのは間違いなくアークスさまに向けてかけられた言葉です」
「うるせーわかってるよ! ちくしょー! うがぁああああああ!」
雄叫びを上げ、地団駄を踏む。
もはやこういうやり取りが入るのも、定番なのか。
不思議そうな顔をしている少年及び、その背後に控えた者たちに叫んだ。
「俺は男だ! 男! お と こ!」
「え? そうなの? ほんとに?」
「ホントだ! 格好見ればわかるだろ! 着てる服も男モノだろ!」
「いやーゴメン、てっきりさ」
少年はそう言って、朗らかに笑っている。
バツの悪さなど微塵もない。
そんな少年に、背後に控えた者が耳打ち。
彼の補佐かなにかなのだろう。
「坊、坊」
「あ? ああ、ああ。わかってるって……えーっと、仕事だから、いろいろ訊かなきゃなんなくてさ……」
自分たちが何者なのか、聞き取りを行いたいというのだろう。
「でしたら、私の家で」と、村長が勧めるまま、連れ立って家へと向かった。