第六十一話 旅の商人たち
――刻印。
これは、魔法銀を用いて、対象物に【魔法文字】を刻み込み、様々な効果を発揮させる技術だ。
刻印を刻む対象の材質は特に問わず。
木材。
革材。
樹脂材。
などなど。
金属材に対し、鏨を用いた彫金などのように行うことが特に多い。
彫り込む【魔法文字】も、通常の筆記で用いる書体とは違い、模様のようにする必要がある。
その辺りは、職人の好みが関わるため、人によってまちまち。
下手な技師は、文字をそのまま繋げて刻むだけなので模様とさえ言えない代物になるが、有名な技師になると美しく華やかなものに仕上げ、美術品の扱いまで受けるほど。
必要なものは、魔法銀はもちろんのこと。
効果を左右する鉱物由来の着色料。
対象物に溝を掘り込むのに必要な、小刀や鏨、小槌。
表面を仕上げるやすりと、物は様々。
刻むものは、対象物が長持ちするような刻印がほとんどで、特に錆止めなど腐食防止の加工を求められることが多い。
だが、これが刃物など武器関連のものになると、難度が格段に跳ね上がる。
切れ味の向上や錆止めのみならば特段難しくはないのだが、こういったものは往々にして頑丈なものを求める傾向にある。
単純に頑丈さを求めて刻印を施すと、今度は刃を研ぐ際、頑丈過ぎて研磨できないことにもなりかねないのだ。
それゆえ、手入れを考慮して施さなければならず、刻印の兼ね合いが難しくなる。
ともあれ今回はそんな難度が高い仕事というわけでもなく、刻印がいくつかと、もともとあった刻印具の整備がほとんどだった。
こちらとしても複雑な刻印を施す手間がないため、時間的にも材料的にも安心だ。
村長宅のリビングを借りて、刻印の欠けや掠れなどを点検、修復。昼の休憩を挟んでからしばらく、いまは刻印に取り掛かっているというところ。
……主人がせっせと働いている一方で、従者二人は暇をしている……などというはずもなく、馬の世話やら寝床の準備、他に立ち寄っている商人たちから物資の交渉など、忙しなく仕事をしている。
特にカズィに関しては、農村のことは詳しいらしく、こういったコミュニティの不文律などを意識しつつ進めてくれている。
土間の方では、物珍しさに集まってきた村の人間が、先に出来上がった砥石の高性能ぶりを目の当たりにして、おもちゃを貰った子供のように歓声を上げていた。
そんな中、村長がお茶を持ってくる。
「ありがとうございます」
「ほとんどが点検と修繕くらいだから、そんなにお礼を言われるようなものでもないんだけどね」
「とんでもございません。みな大助かりでございます」
村長はそう言って、今日はもう何度目かになるお礼の言葉を口にする。
そして、
「今日は家内が腕に寄りをかけた料理をご用意いたしますので」
村長の視線を追うと、キッチンにはすでに様々な食材を運び込まれていた。
山菜。
卵。
午前のうちに潰したのか、鴨まである。
「さすがにそこまでしてもらうわけには……」
「いえ、それくらいさせてください。これだけ見てもらったのです。むしろこちらが金銭をお支払いしなければならないくらいなのです」
村長はそう言うが、その辺りどうも得心がいかない。
一夜分の宿代と、刻印具の点検、整備程度であれば、釣り合うまでもいかないにしろ、その差分も多少のもの。夕食を豪華にする分、村の出費の方が多いとさえ言える。
ということは、だ。
「……やっぱり、これも高騰してるのか?」
刻印を示しながら訊ねると、村長は「はい……」と困ったように頷く。
魔法銀が高騰すれば、当然それを材料にする刻印も釣られて値段が上がってしまう。
そうなると、ここもその影響を受けているということは想像するに難くない。
しかしてその予想は当たっていたようで、
「……以前までは時折ですが、刻印具を購入したり、刻んでもらっていたりしたのですが、最近では整備だけでも目玉が飛び出るほどの額を要求されてしまうほどで」
「そこまで……」
「他にも急に値上がりしたものが増え、私どもとしては苦しい限りでして」
と言って、麦や塩の値段が上がったということを教えてくれる。
村長のため息には、重みを感じずにはいられない。
銀山を有するラスティネル領でもこれなのだ。
どうやら今回の問題は、かなり深刻なものらしい。
村長とそんな話をしていた折だった。
「――おお、おったおった」
ふいに、そんな声が掛けられる。
声の方に視線を向けると、そこにはチューリップハットをかぶった若い男が。
土間の人だかりをかき分けて現れ、さらにその後ろから、小太りの中年がひいひいと息を荒げながら続いてくる。
近付いてくるということは、村長に用事でもあるのか。風体からして、村の人間ではないことが窺える。旅装をしているゆえ、自分たちと同じく村に立ち寄った者なのだろう。
チューリップハットの男は、ノアと同程度か少し上か、という年のころ。
外套をまとい、腰には大きく曲がった刀、小さめの背嚢を背中に。
目が糸のように細く、男の世界の狐面をそのまま貼り付けたような印象を受ける。
特徴と言えば、そのくらいか。
もう一方は、いかにも商人風といった出で立ちの男で、小太りということ以外はさほど挙げるべき特徴も見当たらない平凡そうな人間だ。
二人に気付いた村長が、チューリップハットの男に声をかける。
「これは、ギルズ殿」
「村長さん、ちょっと邪魔するで」
ギルズと呼ばれた男は、村長に軽妙な挨拶を返すと、にこやかにウインク。
次いで、こちらに笑みを向けて来る。
一体どうしたのかと思えば。
「や、ここにお貴族様がおるとか聞いて、ご挨拶でもしよかなと。こういったときに顔見せしておくんは礼儀やって話やし。知らんけど」
「あ、ああ」
軽妙な口から飛び出て来たのは、かなりの地方訛り。
聞いてもいないのにベラベラとまくし立てて来る様は、男の国の地方都市のおばちゃんさながらだ。
そんな男の勢いに押され戸惑いつつ、村長に視線を向けると、彼もチューリップハットの男の勢いに順応できないのか、目を白黒させている様子。
すると、見かねたもう一人が諫めるように声をかけた。
「ぎ、ギルズ殿。貴族の方にそのような口の利き方は失礼では……」
「ちゃうねん。ワイは、イメリアの生まれやから、喋るとどーしてもこんな風に馴れ馴れしい感じになってしまうんや。頼むしあんまり気にせんとってな? な? な?」
糸目の笑顔をぐいぐいと近付けて、押し気味に訊ねて来るギルズに、ついつい頷いてしまう。
「ま、まあ……」
「ほうら! お貴族様のお墨付きやで! これで万事解決やな!」
言葉遣いのことは笑顔で押し切ろうとするギルズ何某。面の皮の厚いことだが、不思議とそれを失礼とは感じないのは、所作の端々に愛嬌があるためか。人好きのするような笑顔に、いささかオーバーな身振り手振り。それらが相俟ってか、どうも嫌な感じがしなかった。
村長が持って来たお茶を飲もうと思っていたこともあり、一旦手を止める。
一瞬土間の方に目を向けると、ノアの姿が。
おそらく警戒して見に来てくれたのだろう。
視線を戻すと、ギルズが正面の椅子にどっかりと腰を掛け、もう片方が控えめな調子でその隣に座った。
そして、背から降ろした背嚢をゆさゆささせ。
「ワイはギルズっちゅーもんや。いわゆる旅の商人でな。東へ西へ、北へ南へ、諸国を回って商売しとるんや。そんで、お隣さんは……なんやったっけ?」
「私はピロコロと申します。私もいくつか商売をしておりまして。どうぞお見知りおきを……ええと、お嬢様?」
「うぐっ……」
ピロコロ何某の訊ねに悪意はまったくなかったが、それでもその言葉には口元を引きつらせずにはいられない。
痙攣気味の口から苦味を絞り出すようにして、訂正する。
「こ、これでも俺、一応男なんだけどな……」
「それはとんだ失礼を!」
ピロコロがすぐに頭を下げると、旅の商人であるギルズが、しれっとした態度で、
「いや、ピロコロはんありがとうな。ワイもどっちなんかわからへんかったんや」
「は? ギルズ殿?」
「ピロコロはん真面目そうやし、連れてけば先に訊いてくれるやろなって思ってたんや。許してえな」
ギルズの言葉に、ピロコロは口をパクパク。やがて頭を抱えだす。
なんともコンビのやり取りのようだが……しかしコンビと考えるには違和感がある。
「二人は知り合いというわけでは?」
「ちゃうで。ピロコロはんとはさっき知り合うたばっかりの赤の他人や」
「はい。天幕を準備している折に、挨拶にきたギルズ殿から「貴族様に挨拶に行くから、ピロコロはんもどうや?」と訊ねられ……」
ピロコロは何故かそこで口ごもる。
つまり、だ。先ほどの話から推察するに。
「……有無も言わさず引っ張られてきたと」
「はい」
顔に疲労を見せる小太りの商人。
ギルズのこの行動力と喋りのペースは、確かに疲労感抜群だろう。
「ちゃうちゃう。ピロコロはんも暇しとったから、ちょうどよかったんやって」
それを考えるのはピロコロ氏だと思うのだが、ギルズはそういうことにしたいらしい。
「……俺はアークス。短い間とは思うけど、よろしく」
当たり障りのない挨拶をすると、ギルズが、
「ほんなら、アークス様とお呼びした方が?」
「好きに呼んでも構わないよ」
「お、ええんか?」
「それを咎める人間も、俺を侮る人間も、ここには別にいないしな」
むやみやたらと身分を、振りかざしては、面倒事を引き寄せるだけだ。
いずれにせよ、彼らとはここでの出会いだけなのだから、あまり高圧的に出る必要もないだろう。
ギルズの「ほんなら、アークス君でええな?」という言葉に、「ああ」と簡素な肯定を返す。
他方、ピロコロの方はそんな呼び方は恐れ多いらしく、恐縮そうな様子。
「二人も、やっぱり山道の方から?」
「せやで。それでピロコロはんとお互い足止めを食ろてなぁ。ワイは一人やし身軽でええけど、そちらさんは大所帯やし大変やろ?」
「ええ、まあ……」
その言葉に、ピンとくる。
「大所帯って……ああ、荷車を何台か引いてたのって?」
「はい。あれは私どもの荷なのです」
「そうなのか」
すると、ギルズがピロコロに含みのある笑みを投げかける。
「一体何を運んどるんか、気になるよなぁ。あんな頑丈そうな荷車使ってるってことは、それなりのモンやろうし」
「あれは精錬済みの銀でして、近くの銀山から領主さまのもとへお届けするために運搬しているのです」
「ほほう! 銀か!」
「銀……」
その言葉に、少なからず驚きを覚える。いま自分が求めているものを運んでいるとは、まさかだった。
奇妙な縁にも思えるが、別途気になることもある。
「ああいうのってさ、領主の管轄で運ぶんじゃないのか?」
「ええ。もちろんあの荷も領主さまの管理下のものにございます。私どもは運送の方でも商売をしておりまして、今回の運搬も領主さまの命令で行っているのです」
「ああ、なるほど……」
運搬に関しては委託するといった形を取っているのだろう。重い荷を運ぶのは人手も費用も掛かる。そのため、その辺り専門の業者に委託するという形の方が経費削減に繋がるのだろう。
そう言って懐から許可証を取り出し、見せて来るピロコロ。
ギルズはそれを手に取ると、一度「ほーん……」と曖昧な返事をして。
「そんなら、山道に着いたときは大変やったやろ?」
「ええ。賊が現れたという話で、もう気が気ではなく……」
積み荷を盗られるかもしれないという恐れからか、顔色があまりよくない。
ひどくおどおどしているため、子の商人はかなり気弱な性格なのだろう。
「にしても、銀なぁ。ワイにも売って欲しいくらいや。いまやったら欲しがる人間はなんぼでもおるしな」
「先ほども申しました通り、あの荷は領主さまにお届けするものなので、お売りすることはできないのです。それにお売りできたとしても、ギルズ殿には運ぶ手段がないでしょう?」
「ははは! そりゃそうやな! こりゃ一本取られたわ! なんて!」
ギルズは一人で笑っている。
こちらとしても、目的の物が近くにあるのは気になるが、この旅の目的は仕入れだ。
当然ここでピロコロと交渉し、買い付けをして「はいお終い」というわけにはいかないし、そもそも領主の荷物をこの場で買い付けでもしたら、こじれるのは明らかだ。
認可状があるため、押し通すことも可能だが、そうなると今度は王家とラスティネル家の間で問題が発生する。やるならば勇み足などせず、きちんと領主に申し出たあとで、しかるべき道筋を経由して買い付けるべきだろう。
「で、アークス君は一体何をしとるん?」
「刻印だよ。……というか、見たらわかると思うけど?」
「ただの話しの切っ掛けやんか。にしても、その歳でえらい器用なもんやなぁ。細こぉ部分にまで手ぇかけて」
ギルスは置いてあった砥石を持ち上げて、矯めつ眇めつし始める。「他にもないんか?」と聞かれ、着火装置を見せると、
「……ほぉ? これは、なかなか」
火を点しつつ、唸る。そして、
「刻印模様の美しさに、定着具合、効果も申し分あらへんな。こんだけの道具でここまでできるっちゅーことは、アークス君はかなりの腕前やな」
「ギルズ殿は、刻印の目利きができるのですか?」
「これでも色んなモンを見てきとるからな。しかし、見たことない筋の紋様やな。どこの流派や?」
「俺はどこの流派でもないんだ」
「ちゅーことは、独学か」
と言っても、基本的には幾何学模様などを参考にしているだけなのだが。
「ちなみにアークス君は、他の刻印具作りはやっとるんか?」
「基本的に小さな部品とか、いま出した着火装置みたいに日用品ばっかりかな」
「ほほう。それはそれは……」
ギルズはほんの一瞬だけ、その細目を開いて鋭い眼光を向けてくる。そのどこか値踏みするような光を備えた視線を受けたあと、彼は一転して笑顔を作り、
「どや? アークス君。君の作る刻印具、ワイんところでも扱わせてもらわれへんかな?」
「って言ってもな」
こちらが口にしたのは、そんな曖昧な返事だ。
その言葉だけでは、本音か世辞か判じ得ないし、そもそもこういった手合いの人間に安請け合いは厳禁というのが世の習い。
そんな中、ふいにギルズの口元に、思わせぶりな笑みが浮かんだ。
そして、その口から飛び出て来たのが。
「アークス・レイセフト」
「――!?」
「お? やっぱ当たりやったか?」
どや顔を見せるギルズ。
一方こちらは、ファミリーネームまで言い当てられたことで、つい顔色を変えてしまう。
「あんた、どうして俺の名前を?」
「そんなもん、風の噂やなぁ」
と言って、核心をはぐらかそうとする糸目の男に、
「風の噂って……それで人の名前を当てるなんて無理に決まってるだろ?」
「いんや。そんなんそない難しいことやないで。王国で銀髪の家系なんて滅多にあるもんでもなし、ほなら、思い当たる節を潰してけばええやんか」
確かに、レイセフト家はシルバーブロンドを輩出する家系としても有名だ。
貴族と言うことがあらかじめわかっているなら、たどり着くことができるというのも道理ではある。
「無能で廃嫡されたって話やけど、いやいや噂は当てにならへんモンやなぁ」
その話は旅の商人にまで広まっているのか。久しぶりに父ジョシュアへの怒りが高まる。
「で? こんなとこにおるってことは、やっぱり目的は銀か?」
「…………」
今度は顔に出さず、むすりとした不機嫌さを呈したまま。
この男は、なぜそれを察することができたのか。
返事をせずに警戒の視線だけ向けると、ギルズは地雷を踏んだと感じたのか、にわかに焦ったような素振りを見せる。
「いやいや、そんなん簡単やん? 刻印やっとるってことは、魔法銀が必要になる。つまり材料の銀も必要になるやろ? それでや、それで」
「なるほど……」
そう言って、気のない返事をしておく。
一方ピロコロは場の空気が剣呑さを孕んだことで、居心地の悪さを感じたのか、話題を変えにかかった。
「アークス様。もし銀を必要としていらっしゃるのなら、領都に着いたあとであればですが、多少お口利きできるかもしれません」
「あ、ああ……そうか。じゃあそのときはよろしくお願いしようかな」
認可状があるためそんな必要もないのだが、当たり障りのない返事をしておく。
するとピロコロは「かしこまりました」と言って頭を下げる。
「じゃ、そろそろお暇しよか」
「そうですね」
「じゃ、ワイは天幕におるさかいに、なんかあったら声かけてや」
そう言って、妙な男はピロコロと一緒に、村長宅から去って行ったのだった。
誰か関西弁の監修を……