第五十九話 西への旅
――ラスティネル領。
ここは、地方君主であるルイーズ・ラスティネルが所領する、ライノール王国西方の土地だ。
領地の大半を山岳地帯で占められているため農耕には向かないが、鉱山資源が豊富で、特に銀山を多く保有し、ライノール王国で消費される銀の約三割がここで産出されると言われている。
……現在アークスは、このラスティネル領を訪れていた。
王都西門から、馬に乗って街道沿いを西へ西へと進み、山を一つ越えて、王国の端まで。
その目的はもちろん、魔法銀を得るためだ。
先日、大店で魔法銀の在庫の状況を確認した折、仕入れが滞っていることを聞いたのは、いまも記憶に新しい。
そのため、魔導師ギルドに報告を入れ、各商会に問い合わせてもらったのだが、いまはどこも売れるほどの在庫がなく、銀からの加工待ちとのこと。
ひとまずの分を確保するため、王家から発行された認可状と、訪問に際してかかる旅費など諸経費を受け取り、銀山を保有するラスティネル領へ赴いたというわけだ。
いまは馬に乗って、街道をぽっくりぽっくり常歩の旅。
先導は現地の案内役を雇い、旅のお供はいつものようにノアとカズィ。
伯父クレイブの訓練の成果か、もう乗馬にも慣れたもの。
いまでは馬を駆けさせながら、呪文の詠唱もできるほどの腕前となっている。
馬の背の上で手綱を持ち、長閑な景色を眺めつつ、漫然とした調子で口にするのは、ぼやきの声。
「まさか、本当に仕入れの旅をする羽目になるとはなぁ」
「銀はどこでも必要とされますからね。食器、装飾品に鍍金、貨幣などはその最たるものでしょう」
「だからってこの時期はないだろ? 量産体制を整えた矢先のこれだぞ?」
口からは、不満たらたら垂れ流し。
これまでの研究によって【錬魔】利用法に関しての先行きに目途が立ち。
すでに一部魔導師の囲い込みと契約、【錬魔】の指南が完了。暫定呼称である【錬魔銀】のさらなる量産が可能な状態になったばかり。
そんな状況での、この原材料の不足だ。
人生は上手くいかないものだが、自分の場合、結構な頻度で障害が降りかかっているような気がしてならない。
ノアとそんな話をしていると、カズィが他人事のように薄ら笑いを見せる。
「キヒ。まったく、もっと上手くできないもんかね。国王陛下のご命令なんだから、強権使ってよ」
「そっちは、まあ、な……」
「ええ。難しいでしょうね」
王家が強権を用いて銀を徴収しようとすれば、当然それは銀を必要としていることを表立って喧伝しているのも同じだ。
突然王家が銀を欲しがれば、他国は訝しがるだろうし、その理由を調べようとするだろう。
ともすれば、そこから魔力計の存在にまで届きかねないのだ。
それゆえ、ギルドでの相談の結果、今回はギルドではなくアークスが事業のために求めているというていを取りつつ、まずは必要分を仕入れるということになった。
……他方、銀をため込んでいると噂のあるポルク・ナダールとやらにギルドが探りを入れたらしいのだが、そちらの調査の方は芳しくないとのこと。
銀の流れをたどってもらった結果、確かに以前までは買い付けをしていたそうだが、少し前に買い込むのをやめたのか、流通自体が途切れているらしい。
では、途切れてから銀は一体どこへ行ったかだが――当然それを調べるのはアークスの仕事であるはずもない。
「にしても、長旅だなぁ」
馬上、足を延ばして背を逸らし、青々とした空を仰ぐ。
何とはなしにそう言うと、ノアが不思議そうな顔を見せた。
「そうでしょうか? 復路を合わせても、二週間程度ですよ?」
「いやいや、往復それだけかかれば長旅だって」
と言っても、ノアとカズィは不思議そうな顔をするばかり。
男の生を追体験しているため、自動車、電車、飛行機などの乗り物の記憶が、自身にはある。それゆえ自然どうしてもそういったものと比較してしまい、長旅という感覚が抜けないのだ。
道中暇な間は、たびたび気さくに話しかけてくれる案内人の気遣いが、旅の慰み。
この道二十年のベテランは伊達ではなく、様々な話を聞かせてくれた。
「長閑だからって、あまり気を抜くなよ?」
「ええ。そろそろ、注意しなければならないことも増えますし」
「それは?」
「まず、挙がるのは直接的な危険でしょうね。端的に言うと、盗賊の類です」
「いわゆる山賊ってやつか?」
「はい」
「そういうの、出るのか……」
ノアの肯定を聞いて、なんとも言えない吐息が漏れる。
確かに、傭兵崩れなどが山賊になって近隣を荒らし回るというフレーズは、男の世界の読み物でもメジャーなものだ。城壁の囲いの外を出歩けば、山賊。山に入ればすぐに山賊といった具合に、なにかにつけて山賊山賊しているほど。
しかし、
「山賊ねぇ……」
男の人生を追体験した身だと、山賊と聞いてもどうもピンとこない。比較的治安が良い男の国では、当然そういったものが発生するわけもなく、かなり幻想的な生物に属している。
外国では、そういったものもいたとは聞いた覚えがあるが――
「想像が沸かないのであれば、ガストン侯爵が雇っていた傭兵をもっと見すぼらしくしたものと考えればいいでしょう。それが山野にある洞窟や古い坑道、朽ちた村々を根城にして、定期的に盗みに出ているのです」
「でも、ここまでの道のりじゃそう言った話は聞かなかったけど?」
訊ねると、それにはカズィが答える。
「王都近隣は基本的に整備されてるからな、街道なら頻繁に衛兵が巡回してるし、出くわすこともねえ。近隣ならそこまで気を付けるものじゃない」
「ですが、地方となれば違います。このラスティネル領は他の領地と比べ広大で、しかも山ばかり。その分管理が行き届いていない空白地帯がいくつも存在します」
「で、その空いた隙間に、そういった連中が湧いてくると」
取り締まり切れないのは、当然と言えば当然だろう。
「あと気を付けなきゃならないのは……魔物ってところだろうな」
「魔物? ああ、そういえばそんなのいるって話だな」
思い出したようにそう言うと、カズィが意外そうに目を丸くする。
「なんだお前。魔法は詳しくても魔物のことは知らないのかよ?」
「まあ。ほら、俺って王都から出たのはこの前のときが初めてだし」
王都の外に初めて出たのは、魔法の練習をするためにクレイブの領地に行ったときだ。
そのときも、道中魔物などには遭わなかったし、二人に気を付けろと注意された覚えもない。
王都には魔物が出ることもないため、そう身近なものではないだろうと、これまではあまり気にしていなかったのだが――
「あれも滅多に出て来るものではありませんし、アークスさまが興味を持たないのも仕方ありません」
「そうだが……俺としては結構意外だな。キヒヒッ」
奇妙な笑い声を出すカズィ。これまでなんにでも興味を出して勉強していたため、知らなかったのが珍しかったらしい。
「二人は魔物を見たことは?」
「俺は昔に一回だけあるぜ」
「私は幾度かありますね」
「二人ともあるのか」
「私はクレイブさまに討伐の命が下されたときに、供をしたことがありますので」
「あー、あのおっさんならそう言った命令もされるよな。で、そのときに見た、と」
「どんな感じだった? やっぱりこう、絵本とかに出て来る感じの?」
魔物と聞くと、屋敷にあった絵本に登場するデフォルメされた怪物が思い浮かぶ。
現実に魔物がいるとなれば、絵本に描かれるものも現実に存在するものをもとにしていると思われるのだが――
「いやいや、本物はあんな可愛げがあるようなモンじゃねえぞ? 子供が見たら泣く、いや、むしろ心臓止まるな」
「そうですね。それだけ見るもおぞましい姿……と言えばいいでしょうか」
どうやら、この世界の魔物は、考えていたものとはまったく違う存在らしい。
見たら心機能に影響する。
それほどに姿がおぞましい。
であれば、男の世界のファンタジーゲームのモンスターとも別物なのか。
頭の片隅に置かれていたおファンタジーな夢想は、一瞬のうちに砕かれてしまった。
ともあれ、気になるのは、だ。
「魔物って、強いのか?」
「と、申されましても」
「魔物にゃ強い弱いもないぜ。全部が全部化け物……災害だな。というかお前、もしかして人一人で勝てるかどうかって考えてるんじゃねえだろうな?」
「え? なに? そういうじゃないのか?」
「いやいやいや」
カズィは苦い顔を見せつつ、呆れ声。
その一方で、ノアが知識の欠けを補うように補足してくれる。
「……アークスさま。魔物を討伐するには、基本部隊規模を動かさなければならないのです」
「え、いや、そんなの出たら村とか壊滅しちゃうだろ?」
そう言うと、ノアもカズィも神妙な顔を見せる。
「魔物とは、それほどのものなのです。一万の矢玉を打ち込んで、やっと倒せるというような怪物。事実、クレイブさまに命が下されたときも、討伐には麾下の精鋭を連れて行きました。……まあ、あの方なら一人でも倒せたとは思いますが」
そこまでのものなのか。
「ま、出るにもいろいろ条件があるみたいだからな。こっちは賊と違って遭う方が珍しい」
「出会って生き残っている方が少ないからということもありますが、頻繁に発生するものでもないでしょう。気を付けるにこしたことはありませんが」
どうやら、山賊ほど気にする必要はないらしい。
……だが、問題は、〈出る〉や〈発生〉などと言っているところだ。
その言いようでは、生物的な営みがいまいち感じられない。
となると、だ。
「魔物って、生き物じゃないのか?」
「なんだ。そこからかよ」
そう言うと、ノアがモノクルをクイッと擦り上げ、先生モードに入る。
「アークスさま。呪詛というものはご存じですね?」
「呪詛? ああ、アレだろ? 魔法を使ったあとに出る残りカスだ」
――呪詛。
それは魔法を使用したあと、役目を終えた【魔法文字】がばらけて散った成れの果てだ。砕け散った【魔法文字】はよく目にするが、単なる視覚的なエフェクトではなく、この【呪詛】と呼ばれるものになるらしい。
……内燃機関に例えるとわかりやすいだろうか。
魔力が呪文に注がれ、その反応で魔法が生み出され、呪詛が排出される。
呪詛になり切ってしまうと、目には見えないものになるが、実際に存在しているということは、証明されているそうだ。
ともあれ、
「魔物はその呪詛が原因で生まれるものだと言われています。この呪詛が一定濃度にまで高まると、魔物に変じるのだとか」
「つまり、魔物は呪詛が生み出す怪物で、生き物の形をした別のなんかだと?」
「そうですね。そういう考えでよろしいかと思います」
魔物の発生にそんなサイクルが存在するとは、意外だった。
だが、そうなると、だ。
魔法を使ったらその分だけ魔物が発生するということになるし、なにより。
「じゃあなんで王都に魔物は出ないんだ? 王都は……王都だけじゃなくても、魔法を使えばそれこそ呪詛だらけになるぞ?」
都市部は人が多い。人が多いということはそれだけ、魔法が使用される機会も増える。
であれば、それに比例して、その土地には魔物が発生することになるはずだ。
だが、王都ではそういった話はない。
「王都は呪詛溜まりができないよう設計されていると聞きます。発生した呪詛は東、西、南の三方に抜けていく設計になっており、発散される仕組みだとか」
「呪詛溜まり?」
「そいつは呪詛が滞留しやすい場所のことだな。呪詛っていうのは陽の光の当たらない暗い場所とか、ジメジメした場所とかに行きたがる性質がある。人の手が加わってない森の中や山の中、地下の遺構、古代の遺跡がそうだ」
「そういった場所は、呪詛が意図的に集まるような設計になっているとも聞きます。発生した魔物を、自動的に封じ込めておくようにしているのだとか」
「へぇー」
「話しが逸れましたが、王都に魔物が出ないのは、漂う呪詛を逃がして、意識してそういう場所ができないようにしているからですね」
ノアたちとそんな話をしていると、
「――皆さま、しばしお待ちを」
ふと、先導していた案内役が馬を止め、そんな声をかけてくる。
いまは、そろそろ次の山へと差し掛かるという辺り。
どうしたのかと思いつつも、案内役に合わせて馬の足を止める。
彼の視線の先は、山道の入り口が。
よく見るとそこには、不自然な人だかりがあった。
案内人は「様子を見てきます」と言って離れて行く。
……やがて案内人が、話を聞いて戻って来ると、
「どうやらこの先は通行止めになっているそうです」
「通行止め?」
「はい。どうやら付近に山賊が出たとかで、一時的に道を封鎖しているとか……」
ということは、被害が出ないように、領内の役人が計らったのだろう。
「いつ封鎖が解かれるかは?」
「それは衛士にもわからないと」
「なら、他に道は?」
「あるにはあるのですが、そちらを使うと大きく迂回することになります」
「そうか……」
だが、それも仕方ない。いつ封鎖が解かれるかわからない以上、ここで待っていても仕方がない。
入り口では天幕を張って、封鎖が解かれるのを待つ者たちもいるようだが、自分たちはそこまでの準備はしていない。
遠回りをすることに関しては、避けられないとして。
問題は、だ。
「……あまりかかるようだったら考えないといけないぜ? 日が暮れちまったら面倒だ」
カズィの言う通り、遠回りは予定していなかったため、さほど時間があるわけではない。
次の宿場まで時間を要するようであれば、途中で日が暮れてしまうだろう。
夜行軍はなるべく避けたいところではあるが――
「では、一度近くの村に寄られてはどうですか? そこで一晩明かせば、明日の夜には領都に着けるかと思います」
「わかった。それで頼むよ」
そう言うと、案内人は別の道に馬を歩かせた。




