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第五十八話 おもわく、三つ



 ――ポルク・ナダール。



 この男は、王国では伯爵の地位を持ち、帝国との有事にはその先鋒となるべき上位貴族の一人だ。

 もともとは王国北部に領地を持っていたが、反乱鎮圧の失敗や領地経営の不備などを理由に、王家に転封を命じられ、現在のナダール領を預かるに至ったという経緯がある。



 平和の引き延ばし工作のため帝国との国境に宛てがわれ、交渉などを任せられている……と言えば確かに聞こえはいいが、真実はていのいい弾避けだ。

 末々の戦争が回避できない以上は、貧乏くじであるということは否めないし、戦となれば真っ先に被害を受ける。それが平和の維持に尽力させる原動力にもなるだろうが、本人からすれば気が気ではないはずだ。

 その辺り、中途半端に外交能力に長けていたのが裏目に出たとも言えるだろう。



 そんな彼は現在、苛立ちと焦りの渦中にあった。

 それは、数日前に入った報せのせいだ。

 王国王太子セイラン・クロセルロードが直々に視察に来る。

 その事実は、彼にとっていわば青天の霹靂であり、部下からの報告を受けた直後は顔色を失ったほど。まさか、このような時期外れに、しかも王太子直々に視察を行うとは、彼もまったく予想しなかった事柄だった。

 常ならば、なにかしら不審の芽があった折はまず役人を送るのが慣例だ。にも関わらず、その慣例をすっ飛ばして国政の一端を担う王太子が赴くなど、横紙破りも甚だしい。



 ポルク・ナダールの頭の中をぐるぐると渦巻くのは、危惧懸念不安のいずれも。



 ――まさか、不正がバレたのか。

 ――しかしそれならば、まず王城に召喚、もしくは連行されるはず。

 ――では、今回の視察は、それを押さえるためのものか。

 ――どうなのか。

 ――本当なのか。

 ――今後どうなるのか。



 だんだんと思考が鈍麻していくのに反比例して、領城の応接室に向かう足が自然と早くなっていく。

 後ろからしきりにかけられる従者の声も、ほとんど頭に入ってこない。

 お待ちを。

 資料が。

 などと、焦った声を上げながら追随する。

 そんな従者への配慮が行き届かないほどには、ポルクには余裕がなかった。



 ……応接室には、呼び出した客人を待たせている。

 それは、ポルクの共犯者とも言うべき者だ。



 ポルクが応接室に入ると、部屋にはすでに男がおり、ソファに腰かけていた。

 年齢は四十代も半ば。護衛である歳若い従者を二人後ろに立たせ、一人上質な革張りのソファの柔らかさを堪能している。

 ソファの上で足を組んで紙たばこを吸う様は、上位貴族の前に出る者の態度としては、まったくそぐわない横柄ぶりだ。まるで我が物顔。己が客ということをまったく弁えていないとも思える不躾ぶりさが窺える。

 だが、ここではそれが許される。この客人は、王国貴族の権威が届かない場所にいる人物なのだ。むしろ、立場の上下の均衡を言えば、この客人の方に傾いているとも言える。

 ワックスで神経質に固められた黒髪。横柄そうな態度とは裏腹に、顔つきは実直そのもの。それを見るに、この傲慢な態度が、まるでそうしなければならないから行っているという、規範への忠実さの表れのようにも感じられる。

 事実、そうだ。この男は、向こうが上位者であることを形式的に示すべく、このような態度を取っているにすぎないのだから。



 身に付けるまといは、王国の形式とは別種の様相。

 黒を基調とした制服。

 肩から渡される金の飾緒。

 十字と星をかたどった勲章。

 神経質という言葉が似つかわしいほど細部にまでこだわった意匠はまさしく、敵国であるギリス帝国の軍服に他ならない。



 そんな男は、ポルクにちらりと視線を向けると薄い笑みを浮かべて挨拶を行う。



「ポルク・ナダール伯爵閣下。ご機嫌麗しゅうございますな」


「っ、麗しくなどあるものか。笑えない冗談など止めていただきたい。グランツ将軍」


「それは失礼を。非礼、許されよ」



 グランツ――ギリス帝国東部方面軍所属、レオン・グランツ。地位は方面軍に複数設けられた将軍の一人でしかないが、それでも万単位の集団を率いる立場にある。

 レオンはそれが当然であるかのように、一切頭を下げる素振りも見せない。見せるのは鷹揚さに物を言わせた余裕だ。向こうの立場が上であるからこそのこの態度である。

 だからこそ、ポルクにとっては苦々しい限りなのだが――



 ふとレオンが手の平を差し出す。



「まず、お掛けになられたらどうか?」



 その物言いは、まるで自分の城にでもいるかのよう。ポルクは矜持を逆なでされたことで腹が立つが、「わかっている」と殊更神妙に口にして、どかりとソファに腰を下ろす。



 そして、



「手紙にも(したた)めてあったゆえ、すでにそちらもわかっているとは思うが」


「王太子が視察に来るというのだな」


「そうだ。あの小僧め突然何を思ったのか……」


「王太子の才知が風聞通りであれば、貴公の背任を察知したということだろう」


「それはない! 隠蔽は完璧だった! これまでも監察局の内偵だろうと、ことごとくをかわしている!」


「確かに、それは事実だろうな」



 レオンはポルクの言葉に同意する。

 彼が調べた範囲でも、確かに監察局や役人に気取られた様子はない。

 ポルクは役人たちが動くことを察知するや否や、巧みに立ち回ったり、ときには鼻薬を嗅がせたりと、そつなく動いた。



 その辺りの手腕は、褒めてしかるべきところだが。



「しかし、それは役人どもだけだ。下々の口までは抑えられてはいない」


「なんだと?」


「我らが調査した限りでは、おろそかになっている部分がある。巷ではとうとう商人どもが騒ぎ始めたぞ?」


「おしゃべりな雀どもめ……」



 ポルクが苦々しく吐き捨てる一方、レオンは口元に不敵な笑みを作る。



「むしろ、ちょうどよかったのではないか? 頃合いから考えても、潮時だ」


「ううむ……」



 ポルクは唸り声を一つ上げると、レオンから事前に送って寄こされた書類を見る。

 それには、ポルクの今後の身の振り方に関して、帝国からの提案が書かれていた。

 だが、それはあまりに綱渡りなものだ。

 王国貴族としては、破滅的とさえ言えるほど。



 だが現状、ポルクがそれに従わなければならない状況に追い込まれているということも、また事実だった。

 だからこそ、



「本当にこれで私の帝国での地位は約束されるのだろうな!?」



 ポルクはこうして喚き立てるのだ。

 口を開けば、我利私欲、自己保身。

 対するレオンとしては、辟易もするというもの。



 ……ポルク・ナダール。神経質そうな肥満の男。苛立ちやすく、ともすれば激しやすい。いまはせわしくなく身体を動かし、ひたすら爪を噛んでいる。物事が予定通り運ばないと、こうしてすぐに態度に現れる人間なのだ。

 レオンがポルクを冷めた目で見つめていると、



「グランツ将軍!」


「……それは間違いない。皇帝陛下もすでに存じていることだ」


「言葉だけでは信じられん! 確たる証を用意してもらわねば!」


「と申されてもな。たとえ書類を残したとして、それが効力を持つかと言われれば、難しいものだ」


「私が行うのはクロセルロード家への反逆だけではない! このうえは地位と領地すら捨てることになるのだぞ!」



 ポルクの聞き分けのなさに、レオンは内心ため息を吐く。

 それもすべては、自分が撒いた種なのではないのかと。

 己が欲を出したせいで、こんなことになったのではないのかと。



「……嫌なら貴公の好きにすればいい。いずれにせよ貴公は、我らを頼るほかないはずだ。そうではないか?」


「ぐっ……」


「ことが露見すればいずれにせよ貴公は領地没収のうえ、死罪となるだろう。それが嫌だから、こうして我らに縋ってきたのではないのかね?」



 そう。こうなった時点ですでに、ポルクの進退は窮まっているのだ。

 セイランが視察に訪れれば、鼻の利く王太子のこと、事は確実に露見する。

 ならば、選ぶ道はただ一つ。

 王家を裏切り、帝国に付く。

 ポルクが生き残る道は、もうそれしかなかった。



「…………ではこのあとはどうすればいい」


「焦る必要はない。これはもとより予想されたこと。むしろ、王太子自ら訪れるなど僥倖ですらある。貴公は当初の計画通りに進めて貰えればよい」


「……わかった。今後のこと、重ねてお頼み申し上げる」


「確かに」



 ……ポルク・ナダールが退出した折、しばしの忍耐から解放されたレオンはその場で疲れきったため息をつく。

 実直、堅実を旨として生きて来た彼にとっては、ポルクの在り方は、貪欲で怠慢な豚そのものだ。

 帝国との微妙な関係を保つための背任ならばまだしものこと、私腹を肥やすために主家たる王家を裏切って、取り引きが禁じられている物品まで扱った。

 そしてそれが露見しようものならば、王家の恩顧も忘れて帝国に縋りついてくる。追い詰められればなりふり構わない。まさに絵に描いたような腐敗貴族だろう。

 そのくせプライドだけはやたらと高い。本人は隠しているつもりだろうが、会談中にも不満な様子が所作の端々ににじみ出ていた。

 むしろそれは、レオンにとって滑稽なものにしか見えなかったが。



 レオンはしばしの間、紙たばこに逃避する。

 脂ぎった豚と会話するのは、逐一発散しなければならないほどに不快なものだ。



 紙たばこを吸い終えると、応接室の隅を向く。

 見れば誰もいなかった場所に、ぼんやりと白仮面が浮かんでいた。

 やがて、闇が部屋の隅から剥がれるかのように、藍色の衣をまとった何者かが現れる。

 ゆったりとした法衣に身を包み、顔は仮面で隠されているため、当然男か女かはわからない。

 緊張で身を固くする従者たちの一方で、レオンは落ち着いた様子を崩さなかった。



 白仮面の何者かは、グランツの対面に腰をかける。

 紙たばこを灰皿ににじったレオンは、ぴくりと片眉を動かし、



「……アリュアス殿、これで良いのだな?」


「ええ、上出来でしょう。この結果は、【第一種障壁陣改陣(ウォールアルター)】の見返りとして十分なものかと」



 レオンがアリュアスと呼んだ白仮面の奥から聞こえて来るのは、若々しい女の声だ。まだ二十代、もしくは十代ということもあり得るほど瑞々しさが備わっている。

 会話の通り、この会談の裏幕は彼女との取り引きだ。

 レオンとアリュアスの、ではなく。

 帝国と、彼女の所属する組織との。

 新型の防性呪文の対価として、ポルク・ナダールの反逆が望まれたのだ。

 だが、わからない。



「貴様……いや、貴様らは一体なにがしたいのだ? 呪文一つの見返りに、貴族一人の破滅を望み、あまつさえ戦を助長させるような真似など」


「それをあなたが知る必要はありません。レオン・グランツ将軍。この件については皇帝陛下も承知の上でのこと」


「しかしだな」


「将軍として……いえ、一個人として、得心が行かないというのですね?」


「当然だ」



 国家でも、敵対関係にある貴族でもない、たかが一組織が、一貴族の身の破滅を望む。

 レオンにはそれが腑に落ちなかった。

 ゆえにここで、その理由を追究しようとしたのだが、



「将軍閣下。軍人ならば、上の命令には従わなければならないのでは?」


「む……」



 規範を持ち出されれば、実直なレオンは何も言えなくなる。

 軍人とは、組織の歯車であるべきだ。その歯車が自分勝手に動き出せば、組織が立ちいかなくなるのは必定。

 すでに皇帝陛下からの命は下りているため、ここでその理由を問い質したとしても、レオンのやるべきは変わらないのだ。

 ふと、白仮面の奥から薄ら笑いが聞こえてくる。



「それに、これは帝国(そちら)としても、利のあることでしょう?」


「それは……」



 確かに、そうだ。

 最近、王国軍の魔導師部隊の練度が急激に向上したという報告が上がっている。

 いまだ情報は不確定であり、どれほど練度が向上したのかは不明だが、それが事実であるにせよ事実でないにせよ、帝国軍としては一当てして戦力を評価する必要があるのだ。

 そう言った点では、今回の巡り合わせは、まさに僥倖と言える。

 帝国から戦を仕掛けるわけでもなく、しかし上手くいけば、帝国の損失なくことを進めることも不可能ではないのだから。



「将軍閣下もご理解しているのであれば、否はないはず」


「……承知した」



 ……王国の魔導師の質が高くなるのは、帝国にとっては脅威だ。王国はもともと魔導師戦力が高い国家であり、それがさらに強くなったとなれば、今後南への版図拡大を考えている帝国としては頭の痛い事柄である。

 こちらは魔導師たちの力量を合わせるのも手一杯。もともと王国の魔導師には苦しめられていたが、もしこれが事実ならば、これからはさらに苦しめられることになることが予想される。

 ゆえに、その実態を、確かに掴まなければならないのだ。



「……アリュアス殿、そちらでは何か掴んではいないか?」


「私どもの方でも調査中です。いずれにせよ、鍵はやはり、消費量が増えた銀にあるのではないかと」


「だろうな……」



 魔導師の練度の向上。

 それと時を同じくして、王国での銀の消費量が少しずつ増えているという。

 それゆえに、ポルク・ナダールを介して横やりを入れたのだ。

 おそらく何かが動くはずだと。



 ――ポルク・ナダールには、生贄になっていただきましょう。



 それは、ポルクを唆す前に、アリュアスが口にした言葉だ。

 それを思い出すと、いまでもレオンの背にうすら寒いものが駆け上がる。

 応接室に、上品な笑い声が響く。銀の鈴を鳴らしたような、透き通った声音がなす笑声。

 他者を陥れる企てにはまったく似つかわしくなく。

 だからこそ不気味に聞こえて仕方がない。



 やがてアリュアスは席を立つと、再び部屋の隅の闇に溶け込んでいった。



「銀の明星、か……」



 そんなレオンの呟きは、噴き出した紫煙と共に、天井へと溶けていった。





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