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第五十七話 魔法銀がない!?



 この日アークスは、スウと一緒に、王都にある市場(バザール)を歩いていた。



 王都を流れる巨大な河川、物流の動脈である〈ルーロ河〉沿いにあるこの市場は、王都にある市場の中では最大のもので、生鮮食品から日用品、貴族から払い下げられた衣服など生活に必要なものから、刻印付きの道具に至るまで様々なものが売られている。

 カラフルな簡易の店舗がひしめくように軒を連ね、売り物の野菜や果物が積まれている様は、まるでヨーロッパのマーケット。

 ファストフードの定番である屋台や、敷物の上に商品を広げただけの露天商などもちらほら。足を踏み入れれば、客の購買意欲を煽る威勢のいい声が聞こえ、暑さとは別種の熱気に包まれる。



 ここは魔法の勉強に毎度使うカフェや広場などと同様に、よく二人で回る場所の一つだ。

 目的は珍しいもの探しもそうだが、基本は屋台で売っている料理がお目当て。

 下町のものであるため上品さはないが、値段も安く、味もいい。



 そしてその代表が、王都名物のダックサンドだ。

 炒めた鴨肉に古典的なグレイビーソースを絡めたものを、小麦粉を練って蒸した大きな包子(パオズ)で挟んだファストフード。

 見た目は男の世界の中華を思わせるパンに、洋風の具が入っているという折衷ぶり。

 包子(パオズ)は蒸し立て、中身も出来立てで湯気を立てている。匂いもそうだが、照りのあるブラウンのソースが白い包子(パオズ)にとろりと垂れる様が、ひどく食欲をそそって仕方がない。



 それをスウが、口いっぱい頬張った。



「あむ……んー」



 スウはダックサンドを咀嚼して、満足げな声を出す。

 顔は満面の笑顔で、とても幸せなことが窺えた。



「スウは好きだね、それ」


「うん! やっぱり王都の下町と言えばこれだよ! あー、幸せー……」



 そう言って、袋からダックサンドを取り出してまた頬張る。

 いいとこのお嬢様では、こういった食事もそうそうできないのだろう。

 スウはダックサンドを咀嚼するたびに、うっとりほわほわ。

 実際ダックサンドは美味いのだから、この反応も当然か。



 彼女が美味から生まれた陶酔の余韻に浸っている中、ふと目を向けると、口元にソース垂れていた。



「スウ、顔にソース。ソース付いてる」


「え? どこ?」


「ほら、そこ」



 教えるように自分の顔を指すが、こういったやり取りの定番か、左右意識している方向が食い違う。

 こちらが指で差しても、彼女は反対側を拭うばかり。

 そんな、埒が明かないやり取りを嫌って、取り出したハンカチで口元を拭いて上げると。



「――ひぅ!?」



 驚いたようにそんな声が上がる。



「動かないで」


「う、うん……」



 指摘すると、スウはいつにないこと縮こまる。ふとした粗相に恥じらいが湧いたか。やがて顔を拭き終わるとスウは、神妙な様子で、



「ありがと……」


「いえ、どういたしまして」



 お礼に気軽な返答をして、ハンカチをしまう。



 ……他方に視線を向けると、東方寄りの串焼きや、西方風のフルーツジュースのお店。

 王都には先ほどのダックサンドのように、東方と西方の食文化が混ざってできたものが少なくない。

 こうして部分部分に折衷的な色合いが強く出ているのは、王国を起こしたクロセルロード家が東方の出身であるためだろう。まだこの地方が戦乱の最中にあったころ、この地の氏族たちをまとめ上げて王国を勃興したという歴史がある。

 東方との交流も盛んであるから、というのも理由にあるが。

 そのせいで、王国は下地が西洋風であれど、文化がごっちゃになった感がところどころに散見されるのだ。


 その最たるものが、食文化だろう。

 自分としてはハンバーグが開発されていないのがまことに残念ではあるのだが。



 顔見知りの屋台の店主が、威勢のいい声で話し掛けて来る。



「ようスウちゃん! 今日も彼氏とデートかい? いつもいつもお熱いね!」


「ちょ! ちょっとおじさん! 別にアークスは彼氏じゃないよ! 突然なに言ってるの!?」


「にしてはいつもべったりじゃないか」


「そんなことないってば!」


「そうか? さっきだって口についたソースを――」


「あああああー!?」



 スウは屋台の店主の冷やかしを誤魔化すように、手をぶんぶんばたばたと大きく振って、声を張り上げる。店主はそんなスウの態度が面白いのかニヤニヤとした視線を向けるばかりで、一方それを見た彼女はぷりぷりし始めた。

 見れば周囲の人間も、にやにやとした視線を向けてきている。



 ……彼女とはなんだかんだ一緒にいるため、周囲の人間からはそう思われていたり、こうして茶々を入れられたりするのだ。

 以前までは、憚りなくくっ付いてきていたのだが、最近では、なんとなく以前よりもツンツンしているような気がする。子供っぽい遠慮のなさがなくなったからなのだろう。友達ということをきちんと意識し始めて、不用意な接触を避けるようになったのだ。

 遠慮のない好意が向けられなくなったことについては、寂しく思っているのだが。



「スウ嬢ちゃん、ウチの商品も見ていきなよ。面白いものが入ったんだぜ」


「えー? お兄さん前もそう言って、結局おかしなものだったでしょ?」


「スウちゃん、いいリンゴが入ったんだ。一つ持ってきなよ」


「あ、おばさん、ありがとう!」



 ……スウは人気者だ。

 基本的にどこにいてもこんな感じになり、誰とでもすぐに仲良くなる。

 明るく、天真爛漫な性格だからだろうか。

 パーソナルスペースへの踏み込み方が上手いのだろう。

 人は物理的な接近、精神的な接近を不快に感じるものだが、スウの場合は距離の取り方が上手いようで、大抵は相手に気に入られる。

 それで友達らしい友達が自分しかいないのは不思議なのだが、それはともかく。



 男の世界では、こういった人物を評するとき、よくカリスマという言葉が用いられるが、まさにこれだろう。

 不思議な魅力が、相手を惹きつけるのだ。

 そんな風に彼女を分析している自分もまた、その一人なのだろうが。

 こういった人間が、宗教の開祖や、指導者となるのだろう。

 ひとたびここで彼女に演説でもさせれば、みな足を止めるはずだ。



(なんか、俺の周りにいる人間ってとんでもないのばっかりじゃね?)



 そういった者たちと比べると、やはり自分は凡人なのではないかと思ってしまう。

 他との差異があるならば、男の人生経験とその知識があるくらいだろう。男の世界の読み物によくある、特殊で途轍もない力を持つ主人公(ヒーロー)のような力はまるでないし、魔力だって常人の域を出ない。

 その点、スウは他と比べても破格だろう。魔力はとんでもない容量を持ち、使った魔法は他の人間よりも強くなるという意味不明な資質まである。

 そのうえ、腕力もあるのだから比べるのもおこがましいというもの。



 この前、日々の鍛錬の成果の自慢とばかりに、



「最近伯父上の訓練の甲斐もあって力も付いてきたんだ」


「じゃあ腕相撲でもするー?」



 負 け ま し た。



 しかも、彼女の場合はちょっとやそっと力を付けただけでは敵わないようなバカ力だった。あの細くしなやかな腕のどこにそんな力があるのか甚だ不思議だが、この世界の人間は魔法だけでなく、こういった理外の力を持つ者も多くいる。

 人生不平等で、不公平だ。ちょっと自信が付くと、その自信をもっとすごい力を持った誰かが砕きにくるのである。もう悲しみしかない。



 ともあれそんなスウさんは現在十三歳ということもあり、魔法院に通い始めたらしいのだが。

 会う頻度がこれまでとほぼ変わらないのが謎。



 ――魔法院の勉強? 私はメルクリーア先生の講義に出るくらいだし。



 とは、魔法院のことを訊いたときの彼女の言だ。

 国定魔導師の講義以外はあまり役に立たないとまで言って退け。

 むしろこうして自分と一緒に勉強している方が有益だとまで言い切る始末。



 おそらくその理由は、彼女にはきちんとした魔法の家庭教師が付いているためだろう。

 魔法の歴史、文法、正当な勉強はすべてそちらで学んでいるため、魔法院の講義の価値が低いのだ。

 決して魔法院の講義の質が低いわけではない。

 だから、他では取得できない知識を得られる、自分との勉強の方が優先されるというだけ。

 ともあれ、



「そこまでなのか?」



 と、訊ねると。



「だってときどき著者が不必要に脚色したテキストまで引っ張って来るんだよ?」



 紀言書の解説書は、多分に著者の主観が混じることが多い。呪文は言葉の意味やその深奥に秘められた意図を抽出して扱うものであるため、著者が深読みしすぎた解説が記載されることがままあるのだ。

 講師がそれを〈深読み〉と認識せず、新たな発見として教えてしまう。

 紀言書から勉強を始めた人間にとっては、噴飯ものなのだろう。



 …………先ほどソースを口に付けたのにも懲りず、また包子(パオズ)を幸せそうに頬張るスウ。いつものように白い外套に身を包み、その下には動きやすそうな服装。

 黒い髪は手入れを欠かさないのかさらさらであり、瞳は瑠璃の中に翡翠の輝きが散っている。ふとしたときに剣呑に細められる目は、いまはぱっちりと開いており、彼女の快活さを感じさせた。



「どうしたの?」


「あ、いいや、なんでもない」



 顔を見ていたことを悟られて、視線を逸らすと、彼女はもの欲しそうにしていると思ったのか。



「アークスも食べる? 一口だけならいいよ」


「……それちょっとケチくさくないか?」


「あー、文句言うとあげないよー」


「じゃあ一口」


「はい」



 差し出されたダックサンドにかぶりつくと、口の中いっぱいに鴨のうま味が広がる。

 それが包子(パオズ)と合わさって、これがまた。



「うまい」


「だよねー」



 そんな他愛ない話をしながら、歩き出す。



 この日、外に出たのは、いつものように魔法の勉強……ではなく、自分の用事のためだ。

 今回それをスウに言うと、付いて行くと言って押しかけて来たわけだ。

 こちらの用事優先にもかかわらず、彼女の要望を聞いて先に市場(バザール)を見て回る羽目になったのは、自分と彼女の間にある目に見えないパワーバランスのためか、それとも単に彼女には甘い顔をしたくなるためか。

 目的の場所は、魔力計や刻印の材料を作るため、よく贔屓(ひいき)にする大店だ。

 王家の要請で魔力計が増産されるに至ったのは記憶に新しいが、そのぶん魔法銀が大量に必要になり、いつも材料を発注している大店に在庫状況を確認しに来たというわけだ。



「――魔法銀の在庫がない?」



 入店後すぐ、番頭に言われた言葉がそれだ。

 聞き返すと、番頭はひどく申し訳なさそうに頭を下げる。



「それが……はい。在庫を切らしてしまいまして。毎度贔屓にしてくださっているのに、申し訳ございません」


「でもどうして急に? 必要になるのは事前に伝えていたはずだけど?」


「はい。そうなのでございますが、仕入れの方が滞っておりまして……」


「仕入れが?」


「ええ。実を言いますと、少し前から仕入れられる量が少なくなっておりまして、お売りする分は在庫で補っていたのですが、つい先日その在庫も」


「なくなったと」


「はい」



 在庫がないのはわかったが、しかし問題はなぜそうなったのかだ。

 確かに魔法銀は重要な物資だが、刻印に使う量は微量であるし、技師もそれほど多くないため、需要が供給を上回るということはそうそうないはずなのだ。



 そんなことを考えていると、番頭が、



「以前はここまで仕入れの量が少なくなることはなかったのですが……いやはやどうしたわけかこのような状況に」


「魔法銀のもとになる銀の産出量が減ったとか?」


「いえ、それはいままで通りだと聞いております。ただ、魔法銀を直接卸す商会から、複数の小売りの商会が高値で買い取るようになり、こちらに入る量が減ってしまったと」



 産出量や生産量に変わりがないなら、理由はそれだろう。

 誰かが先に買ってしまった。

 もしくは、札束で殴り始めたかだ。

 だが――



「でも、急にそんなことするところが出てきたら、他から文句とか出るんじゃないのか?」


「それがどうも貴族様の息がかかっているらしく、卸しの商会もあまり大きく出れないと」


「そうか……」


 そう言った理由があるならば在庫を切らすのも仕方ないが、そうなるとまた別の問題が出て来る。

 貴族の息がかかった商会が集めているということは、その行きつく先は貴族の蔵だ。

 そうなると必然、なぜそれほどまでに魔法銀を集めているのか、という話になる。



「ちなみにそのお貴族様ってのはわかるか?」


「まだ不確定な情報ではございますが、ナダール伯ではないかという噂を聞いております。まだ噂の段階ではありますが」


「ナダール……」



 ポルク・ナダール伯爵。

 王国の西方に領地を持つ上級貴族であり、隣国ギリス帝国と領地を接する領主の内の一人でもある。

 そんな領主を背後関係に持つ商会が、魔法銀を高値で買い漁っているということは、だ。



「軍事力の維持のために、集めているとかか?」


「さあ私にはそこまでのことは……」


「うーん……」



 魔法銀は刻印に使うため、主に武器の加工に回される重要な軍事物資でもある。

 どこの軍も刻印付きの武器を揃えたがるため、魔法銀は戦力の維持、拡充には欠かせない。



「でもそれにしたっておかしいな。複数の商会で集めて、そのうえ他に回せなくなるくらいなんていくらなんでも集めすぎだ」


「私たちには詳しいことはわかりませんが、それがどうにかならないと、仕入れは難しいかと」



 ならば、上に掛け合って圧力をかけてもらうしかないだろう。

 魔力計の生産は国王の勅命で動かしている案件だ。

 この状況をクレイブなりゴッドワルドなりに伝えれば、状況は改善されるだろう。



 だが、当然そうなるまでにはある程度の時間は要するだろうし、トラブルがないとも限らない。

 いますぐにでも欲しい分は自分で仕入れに行く必要があるだろう。



「魔法銀、どうすれば手に入る?」


「それでしたら、西方のラスティネル領に直接買い付けに行かれるのがよろしいかと。あそこの領主さまは銀山を複数お持ちになっておりますし、魔法銀の工房もあります」


「ラスティネル領か……ノアに相談しようかな。わかった。行ってみる。ありがとう」


「はい。毎度ごひいきにありがとうございます」



 番頭の慇懃な礼を聞いて店を出ると、それまで大人しくしていたスウが、口を開く。



「魔法銀の買い占め……ね」


「ああ。一体なんでまたそんなことをするのか」


「単純に考えると、大量に必要になったからだよね」



 だろう。魔法銀は安くないため、塩や麦のように備蓄を作るようなものではない。

 軍備拡充が目的でないのなら、考えられるのは市場の操作が第一に挙がる。

 だが、当然その辺りのことは禁じられているため、軽々に手を出すこともないはずだ。

 目立てば当然、監察局が嗅ぎつけて来る。そうなればすぐ、処罰の対象になるだろう。



「ならやっぱり自領の軍の強化か……」



 ナダール領は領地が他国と面しているため、そういった領主の性質上、常に武力で他国を威圧しなければならない立場にある。

 攻めるのが難しいと思わせれば、それだけで抑止力になるからだ。

 軍の強化を進めれば効果は上がるし、もし他国が軍備を増強すれば、それに合わせることも必要になる。

 ならばやはり可能性が高いのは、軍事力の強化となる。

 そう言うと、スウはまた別の理由を考えていたらしく。



「あと他には、誰かに売りつけるって理由もあるよ?」


「誰かに売りつける?」


「そう。国内に向けて高値で売りつけるんじゃなくて、他国とか、懇意にしている国にね」


「なるほど。国内の物資を求めるのは、なにも自国の人間だけではないってことか」


「そうそう。ナダールは外貨獲得の一環で輸出とかしてるし……主に帝国とかだけど」


「ギリス帝国って……いいのかそれ?」


「まあ物によってはいいんじゃないかな? その分の(きん)も手に入るし。輸出の内容によっては、経済的な戦略って意味合いもあるし。表面的にでも友好を保っていれば、すぐに戦争とかもなりにくいし」


「でも敵国と取り引きねぇ……」



 なまじ男の人生を追ったせいか、敵国と聞くとすぐに経済制裁が結び付く。

 それに、王国にとっては最大の敵国と取り引きしているというのは、どうにも聞こえが悪い。



「そう? 必要だよ? だっていまは一応平和なんだから」



 ギリス帝国とライノール王国とは数年前に小競り合いがあった程度で、ここ最近は大きな戦いには発展していない。

 領地が隣接している貴族とのトラブルはこまごまあるだろうが、彼女の言う通り一応平和は保たれていると言える。

 すると、



「じゃあスウ先生からアークス生徒に質問です」



 急によくわからない設定が足されたらしい。



「はー、一体なんでしょうか先生?」


「あー! やる気ないの減点項目なんだよ?」


「へーそうですか。ちなみに赤点とか取ったらどうなるの?」


「一定期間アークスは私の奴隷になりまーす」


「ひでぇ。自分にしかわからない問題出されたら手も足もでないだろそれ?」


「あ! それ良い考え! いただきだよ!」


「よくないっての! つーかいただくな!」



 当然、全力で拒否だ。

 そんなことがまかり通れば、毎度毎度突飛な想像をする少女のこと、何を命令されるかわかったものではない。



「……で、それで、質問っていうのは?」


「どうしてライノール王国は、敵国であるギリス帝国との平和を保っている、保たなければいけないのでしょうか。あ、王国は平和が好きだからって軟弱な答えはダメだからね」



 そこを軟弱と言い切る辺り、強い王国を夢見る彼女らしいが、ともあれ。



「そりゃあ戦争したくないからだろ?」


「そうだね。じゃあどうして王国は戦争したくないの?」


「まあ、帝国と戦うとなると被害が大きいし、できるだけ避けたいだろうから」


「でも南東に版図を拡大したい帝国は、いつか王国に進攻してくるよ? じゃあ、王国はどうしなきゃいけないと思う?」



 なるほど、そういうことか。



「いずれにせよ、帝国との戦いは避けられない運命にある。なら王国は、それまでに対抗するのに必要な分の力を蓄えておきたい。だからできるだけ和平の状態を伸ばすために、貿易や交流を行って表面上は友好を保っている。国境の貴族たちにできるだけ保たせさせている……と」


「そういうこと。アークス生徒。よくできました。ぱちぱち」



 なるほど。それなら、取り引きがあってもおかしくはない。

 むしろ取り引きを行って、敵国の物資や情報を手に入れるというのは重要な戦略だろう。



「じゃあいまの状況は国策としては上手くいっているってことなのか。でもさ、領地が面してると、恨みつらみも相当あるから、暴発ってこともあるんじゃないのか?」


「そこで領地替えだよ。敵国とは因縁のない、外交に長けた貴族に交換して、矢面に立たせる。こうすれば少なくとも上の人間は戦争回避に尽力するわけだから、暴発は抑え込める」


「うわぁ……」



 上意で無理やり領地を変えるとは過激だ。



「でもそういうのって、穏便に済むものか?」


「ある程度不満を持たれちゃうのは仕方ないよね。でも利益不利益を考えたら仕方ないし」



 ……話を聞けば、結構無茶なようにも思える。

 所有する土地に強い執着を持つ封建社会において、領地替えは禁じ手に近い。

 新しく領地を与えられて日が浅いのならまだしものこと、土地を開墾し、人々を治めてきたという自負や愛着がある貴族に対し、領地替えを申し渡すのは、ともすれば大きな不満の温床にもなりかねない。

 当然対象になった貴族からは文句も出たとも思うが、王国はそうしなければならないほど、戦争への時間を稼ぎたかったというわけだ。



「やりようはあるんだよ? いまの領地よりもいいところにしてあげるとか。勲章あげるとか。あとは適当にケチ付けて罪を被せて領地を没収とかね」



「横暴を絵に描いたようなやり口ですね。こわい」



 だが、この話の流れから行くと、だ。



「つまり、そういう役目を負わされたのが、ナダール伯と」


「そうそう」


「でもそういうのって、もし移したのが信頼のおけない貴族家だった場合は怖くないか? 滅多なことは言えないけど、裏切りとかさ、するんじゃない?」



 そんな憂慮を口にすると、やにわにスウの気配が冷たくなる。

 そして、



「――だからこそ、その背後には必ず信のおける軍家を置くのだ。寝返るようなことがないよう常に監視させて、背中をせっついておけば、容易には謀反に走れない」


「後ろから脅し掛けるってことかよ……」



 彼女の空恐ろしい分析に、ドン引きである。

 しかし、確かにそれは効果がある。

 裏切られれば、敵を自国領に引き込むことにはなるが、すでに裏切りを見越しているのであれば、被害は少なくできるし、周辺の貴族はすぐに外線作戦をとって取り囲むことも可能だ。



 なんとなく話が進んでいたが、ふと思う。



「……なんかスウって、やたらそういうの詳しいよね」


「えへん。勉強してるんだよ」


「勉強してるで詳しくなるもの?」


「べ、勉強してたら詳しくなるでしょ普通!? 特に勉強してないのに詳しいアークスはどうなるの!?」


「いや俺も勉強して――」


「え? なに? レイセフトにそんな戦略的な指南書なんてあったの? それは聞き逃せないんだけど」


「え? それは、その」



 スウの問い詰めるような訊ねに、言い淀む。

 自分にこういった知識があるのは、基本的にあの男が読んでいた書物のおかげだ。

 男の場合はほとんどが一度読んで終わりというものばかりだったが、自分は一度でも読めば覚えることができるため、追体験時に男が目さえ通してくれていたものであれば、知識を取り出すことはそう難しくない。



「いや、というか聞き逃せないってのはなんなのさ?」


「それは、えっと、貴族家のいろいろ的なもの?」



 と言って、首を傾げるスウ。

 なぜ疑問形なのか。

 そもそも、だ。



「やっぱスウって貴族なんだね?」


「それ、アークスはなんとなくわかってたんじゃない? 初めて会ったときにはもう」


「まあ、ね」


「やっぱりー」



 素直に認めると、スウはどこか膨れ気味。

 彼女の質問から逃れることに成功した中も、やはり気になるのは。



「帝国と取り引きね……」


「まだ本当にそうなのかわからないから、なんとも言えないけどね」



 そんなことを話していた折、ふいにスウの冷たい雰囲気が戻ってくる。



「……しかし、さすがに魔法銀の買い占めはやりすぎだ。どうにかしなければな」



 それはやはり彼女がふとしたときに覗かせる、どこか厳しい一面だ。こういったときはいつも冷ややかな風が吹いて、何とはなしに冷酷さを感じさせる。

 口元に手を当てて目を細め考える姿は、大人顔負けの堂に入った仕草。

 鼻を利かせているのか、しきりに「脂が腐ったような臭いがするな……」と呟いている。

 時折こうして口調が変わるのはまったく不思議なのだが――



「どうにかする?」


「ああ。そうだ」


「どうにかできるのか?」



 なにげなくそう訊ねると、スウはふっと何かに気付いたように顔を跳ね上げ、



「え? いや、あ、あはははっ! もう、何言ってるのアークス!? 私なんかがそんなことできるわけないじゃない! やだなーもう!」



 こんな風に、突然の誤魔化し笑いである。



「…………」



 先ほどからそうだが、本当にこの少女は一体何者なのかつくづく疑問だ。

 貴族家の子女が堅苦しい言葉を使うことはままあるが、言葉遣いや知識だけでなく、鋭い洞察力や今回は権力まで匂わせた。

 落ち着かない様子のスウを胡乱そうに見つめていると、何故かジト目を返され、



「なにその目、頬っぺたぐにぐにしちゃうよ?」


「また新しい手を……ってちょっ! やめろって! ほんとにぐにぐにすんな! ぎゃー!」


「うーん! やっぱりやわらかーい!」



 結局いつもこうなるわけだが……。




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