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第五十六話 従者は大変



 ――ノア・イングヴェインはこの日、アークス・レイセフトに従って、王都から近い場所にあるアーベント領を訪れていた。



 王都を出て、そんな場所を訪れるに至った理由は、アークスがアーベント領にある訓練場を利用するためだ。

 使用目的はもちろん、魔法の製作および、その訓練である。



 これまでアークスは、魔法の訓練の際、レイセフト本家の庭かアーベント邸の庭を利用していたのだが、先日、彼が張り切りすぎてアーベント邸の庭を破壊してしまったため、クレイブから使用禁止令を申し渡されてしまったのだ。

 以前にも、〈ソーマ酒〉なるお酒を造るための植物を植えたことで、無駄に大きな木ができてしまい、庭の景観を損なっている。

 さすがのクレイブも今度ばかりは、腹に据えかねたということだろう。



 ともあれ、魔法をいくらでも使っていい場所として、アークスがクレイブに許されたのが、このアーベント領の訓練場なのである。

 訓練場と言っても、人の出入りがない原野か山の中を、適当にそう称しているだけなのだが。



 木々生い茂る山の中は、ひどく長閑で、時の流れを忘れさせてくれるような静謐な雰囲気に満ちている。耳を澄ませば、野鳥の声と、風のざわめき。枝葉の間から射し込む木漏れ日が地面を照らし、砂利が目立つ粗雑な野道の踏み出すべき場所を、確かに正しく明らかにしていた。



 幼い主は現在、ここで魔法の訓練を行っている。

 自分たちは一度アークスから離れ、軽食や飲み物を用意し、再び彼のもとに向かって歩いているという状況にあった。



 隣を歩くのは、同じ従者の一人である、カズィ・グアリだ。

 彼と共に何気ない会話を口にしながら、幼い主の下へ向かう中。



「――カズィさんは、やはり言葉遣いをもう少し改めた方がよろしいかと」


「そうかぁ? 最近は結構きちんとやってる方だと思うけどな。キヒヒッ」



 気付いたことを指摘すると、カズィはとぼけた様子で笑い声を上げる。そのどこか小狡さを感じさせる妙な笑声にも、もう慣れたもの。

 しかし、



「いいえ。まだおろそかにしているときがかなりあります」


「へぇ、なんで断言できるんだ?」



 挑戦的に訊ねて来るカズィに対し、こちらは手帳を取り出して対抗する。



「前日は四回、今日はすでに二回……カズィさんは目上の方に不遜と受け取られかねない言葉遣いをされていますね?」


「うげっ! お前ってば細かく書き留めてんのかよ! ……はー、容赦ねえなぁ……」


「魔法に関してはカズィさんが先輩ですが、執事の業務に関しては私の方が先輩ですので」



 指摘の方はしていかなければならない。

 カズィの性分的に難しいのかもしれないが、言葉遣いは従者にとって重要なことだ。

 アークスやクレイブなど、カズィの気質をわかっている人間ならともかくとして、そうでない人間が彼の話し言葉を聞けば、彼だけでなくその主人であるアークスの資質も疑われかねないのだ。

 確かに言っていた通り、以前に比べればかなりマシになってはいるのだが、時折彼らしい言葉遣いが顔を覗かせる。

 せめて他家の人間に対しては、きちんとした敬語で応対できるようになってもらわなければならない。



「その辺りもう少し気を配っていただかないと。これからアークスさまを支えていくのですから」


「なんだ。俺もその中に入ってるのかよ?」


「当然でしょう。それとも、アークスさまになにか不満がおありで? あの方ほど、面白い方はそうそういらっしゃらないと思いますが?」


「それは認めるわ。ありゃあおかしい。キヒヒッ」



 そう言って、カズィはまた笑い出す。なんだかんだ文句を織り交ぜる男だが、アークスのことは結構気に入っているらしい。

 おそらくはそのアークスに、どことなく庶民的な気質があるためだろう。ずっと貴族の家で育っていたはずなのに、やんちゃなところや、下町の雑な口調を操るところもある。

 彼、そんな気質があるのは甚だ疑問なのだが、あの主人に抱く疑問を挙げればそれほど枚挙に遑がない。

 アークス、カズィの両者ともに、やり取りがお友達感覚から抜けきらないのはそろそろ改善した方がいいと思うのだが――



「おい、ちょっと静かに」


「……どうしました?」



 やにわに静けさを求めて来たカズィに、小声で訊ねる。すると彼は、肩を丸めてわずか見上げるように腰をかがめ。周囲に気配を配るような素振りを見せた。

 もとは農夫であると共に、野山に入って魔法で狩りをしていたと聞く。山歩きはお手のもの、山の異変を感じ取るのもお手のものなのだろう。

 ふとすると、どこか遠間から、ドラムを激しく叩いたような音が断続的に響いてくる。それに伴い鳥たちの飛び立つ音が聞こえ、重いものが倒れる音も。

 山の中では決して聞くことのない騒がしさ、けたたましさだ。



「これは……」


「随分激しいことだが……答えは一つしかねえよなぁ」


「ええ、十中八九あの方でしょうね」



 音の原因は、特定するまでもなく決まっている。

 起こっているのが異変ならば、原因は異変や騒動が服を着て歩いているあの少年しかいない。

 すると、カズィがまた「キヒヒッ」と笑い声を出し、



「気になるか?」


「わかりますか?」


「そりゃあそんな顔してたらな」



 どうやら、顔に出ていたらしい。

 だが、



「私としては、アークスさまがクレイブさまの庭に多大な痛手を与えたという魔法の方が気になるのですがね」


「俺たちがここに来ることになった切っ掛けか? つーかそんなもの覚えてどうすんだ?」


「それは当然、事故を装いクレイブさまの庭をめちゃくちゃにしてしまおうとですね」


「……お前もときどき、従者にあるまじきこと言うよな」



 そんな雑談を交えながら歩いていると、やがて目的の場所に到着する。

 幾分開けた場所で、魔法の訓練を行っていたのは、主人であるアークス・レイセフト。

 彼は先んじてこちらに気付き、歩み寄って来た。



「ノア、カズィ、お帰りー」


「軽食と水をお持ちしました」


「ああ。ありがとう」



 お礼を言うアークスに水筒を差し出すと、彼は再び「ありがとう」とお礼を重ねる。

 何かにつけ礼を欠かさない奇特な主だ。貴族ならば使用人の仕事にいちいち礼など言わないのだが、彼曰く「人に何かしてもらったらありがとうだろ?」と言って譲らない。

 そんなやり取りを交わしたあと、ふとした焦げ臭さに惹かれ、林の奥に目を向けると――



「――――っ」



 ……目の前の惨状を目の当たりにして、言葉を失っても顔色を変えなかったのは、やはり日ごろから彼を見ている賜物だろう。

 彼に付いたのが自分より二年も遅いカズィは、その様を見て幾分顔が引きつっていた。

 そう、先ほどまでアークスが向いていた場所には、木々が乱雑な形で倒れていた。

 広い範囲を扇状に。



 それだけならば、まだ言葉を失うこともない。

 だが、それらすべてに、拳一つ分程度の穴が至るところに空いているのを見れば、驚きもするだろう。

 あるいは幹を抉られ。

 あるいは破壊に耐えられず砕けて折れ。

 正しく伐られた樹木など、どれ一つとてない。



 いまだ周囲に【魔法文字(アーツグリフ)】の残滓が漂っていることから、魔法を使った影響だろうと思われるが、果たして今日は一体どんな魔法を使ったのか。

 アークスはこちらが固まっている理由に気付くと、木々が倒れている方へ目を向ける。



「ん? ああ、あれか。ちょっと新しい魔法の試し撃ちをしてみてさ」


「さっきの音の正体か。もしかして、また物騒な魔法なのかよ?」


「ああ。やっぱりこういう魔法も今後沢山必要になってくるだろうしさ」


「今後ってな、どんだけヤバい将来を考えてるんだよお前は……」



 やたらと物騒な人生設計をしている主人に対し、カズィは呆れの言葉を呈する。

 だが当の本人は、まるでその未来に確信でも抱いているかのような口ぶりで。



「だってこの世界って、基本情勢不安定だろ?」


「まあ……そりゃあな」



 確かにそうだ。

 現在、王国は大きな戦争などしていないものの、東部は常に(ハン)族という異民族が散発的な襲撃を仕掛けてきているし、南には王国の海洋進出を妨げる海洋国家グランシェルが。西からは常にギリス帝国が領土侵略の機会を狙っている。平穏に外交を続けられているのは北部程度のものだ。

 アークスの考える通り、いつ大きな戦争が起こってもおかしくない状況である。



 だが、不可解なのは、その言い回しだ。

 時期を指す「今」ではなく、わざわざ場所である「この世界」と口にした。

 ふと聞けば、まるで別の世界のことを知っているかのような口ぶりのようにも思える。



「それで、アークスさま。今回使用した魔法は成功なのですか?」



 そんな訊ねを口にしたのは、アークスの表情にどこか曇りがあったためだ。もし魔法の作製が心行くものであったなら、もっと喜んでいておかしくはないし、周囲も見えなくなるくらい興奮するのがこの少年だ。

 にもかかわらず、すぐに自分たちの到着に気付いたし、興奮もほとんどしていないということは、成功とは言い難い結果だったのだろう。

 しかしてその予想は当たりだったようで。



「いや、それが半々ってところだよ。どう組み合わせても結果とイメージが一致しなくてさ。ああやって弾がやたらとデカくなるんだよなぁ。この手の魔法はどうしてこう上手く行かないのやら」



 などと、ぶつくさ文句や愚痴のような言葉を垂れ流す幼い主。

 ともあれ、〈弾〉と言っているということは、これも以前に彼が考案した【黒の■■】の魔法のように、金属の弾丸を撃ち出す魔法の一種なのだろう。

 目の前のこの惨状を作り出せる規模の威力ならば、魔導師の常識に照らし合わせれば成功、いや大成功と言ってもおかしくはないのだが――



「アークスさま、弾丸が大きいのはよいことでは?」


「確かに威力にはつながるけどさ、■■にかかる負荷が大きくて十秒も維持してられないんだ。単語的にはバッチリだと思うんだけど、どうにも安定しなくて……」


「アークスさま、申し訳ありませんが、もう一度お願いしても?」


「もう一度? ……ああ! 悪い」



 アークスは説明不足に気づいて、言い直すのだが。



「あれだ。【黒の■■】を使うときも、手で■の形を作るだろ? それと同じでこれも、腕を■■に見立ててるんだけど、そのせいで、■■が熱くなるところまで再現されちゃってるみたいなんだよなぁ」


「あの」


「あー」



 アークスの説明がさらに難解になったことで、カズィと二人そんな声を出すことしかできなくなった。

 一方、従者を置き去りにしたことに気付いた主は、苦虫をかみつぶしたような顔を見せ、



「うぐっ……対応する言葉がないっていうのは難しいな。うーん、どう説明したものかな」



 と言って、言葉の吟味で考え込む始末。しかもその間にも、聞き覚えのない単語をぶつぶつと口にしている。

 こういった独り言も、魔導師にはよくあることだ。こうして一人で考え込み、独り言を口にして、再び自分の耳に入れることで、頭の中の整理をする。



 だが、問題は彼が口にするよくわからない単語だ。

 どこで覚えたのか、共通語にも、【古代アーツ語】にも通じない不思議な響きを持つ言葉を、かなりの頻度で口にする。しかも、それがただの妄言でなく、しっかりと理論や物品を差しているのだから、困惑も深まるばかり。

 わかりますかと訊ねるようにカズィの方を向くと、いつものように肩をすくめて首を振った。

 こうなると、自分もカズィもお手上げだ。

 以前、天界の封印塔で説明された【飛翔への一歩(フライ・アプローチ)】のように、きちんと理論からこと細かに教えてもらわなければ、まったく理解できない。



 そんな中、ふとカズィが、



「それはまあいいとしてだ。威力が大きいのに文句言うのか?」


「さっきも言ったけどさ、その分、腕にかかる負担がデカいんだよ。この魔法の強みは、威力の大小じゃなくて、撃ち続けられること――つまり連射力だからな。まだ使えるからちょっと見てくれよ」


 そう言って、アークスは呪文を唱える。



『――絶えず吐き出す魔。穿ち貫く紋様。黒く瞬く無患子(むくろじ)。驟雨ののち、後に残るは赤い海。回るは天則、走るも天則。余熱(ほとぼり)は冷めず。狙いの星もいまだ知らず。喊声を遮る音はただひたすらに耳朶を打つ。猖獗(しょうけつ)なるはのべつまくなし』



 ――【輪転する魔導連弾(スピニングバレル)



 直後だった。

 アークスの前方に【魔法文字(アーツグリフ)】が現れたかと思うと、寄り集まって結合し、複数の魔法陣をなす。空中に浮かび上がる魔法陣に、アークスが右腕を差し込むと、それらは彼の腕の太さにちょうどよい程度まで収縮し、定着。魔法陣を串刺しにした腕を前方に伸ばして構えると、やがて魔法陣が高速で回転し始めた。



『斉射』



 アークスが鍵となる言葉を口にする。

 即座にけたたましい音と共に、黒い力の塊が、恐るべき速度で撃ち出される。

 夥しい数が、断続的に。ばら撒くといった言葉がまったくそぐわしいほどに。

 視認できるため【黒の■■】よりは弾速が遅いが、それでもこれをかわすのは至難だろう。

 前方に、魔力の飛礫が、それこそ幕を張ったように撃ち出されている。

 こぶし大の穴を開けられた木々は倒れ、もしくは吹き飛び、太い樹木には虫食いのさながらの状態。

 前に立てば、逃げ場はない。



 ……これは、おそらくこの魔法は、多人数に対して使われるものだ。いまいる場所を起点にして、ただひたすら放射状に撃ち出すだけで、人垣が目の前の木々のような惨状になるだろう。

 それに気付いた折、背筋を寒からしめん戦慄に襲われる。

 魔法の威力もそうだが、ふと怖れを抱いたのはこの魔法の異質さにだ。

 これは、【黒の■■】と同じものだ。現今使用される魔法とは、明らかに別種のもの。



 ふいにアークスが、熱いものから手を反射的に離すときのように、構えていた腕を跳ね上げる。



「あちち……ほんとはもっと弾が小さくなきゃならないんだ。だからこうして長いこと維持できないんだよ。やっぱ魔法と■■って相性悪いのかなぁ……」



 そう言って、熱を散らすかのように腕をぶんぶん振っている。

 彼の言う通り、腕に負荷がかかっているのだろう。

 なぜ、腕から撃ち出すという想像を前提にしているのはよくわからないが。



 カズィが、ぼそりと呟く。



「これもまあ怖ぇ魔法だな……ほんとよくこんなモン思いつくぜ……」


「……まったくです。アークスさま、一体何をもとに想像したのですか?」



 射出する魔法のもとになる物と言えば、真っ先に飛び道具が挙がる。

 必然それは、弓矢やスリング、投石器、投げ槍となるのだが、しかしそれらのものではこのように容赦ない連射などできるはずもない。

 ……魔法を創造するには、基礎となる何かが必要だ。創造の根底に、もととなる何かを想像するからこそ、魔法はしっかりとした形になる。

 だが、アークスがいま見せた魔法からは、元となるものがまったく思い浮かばなかった。



「これは■■■■■■■をもとにしたのさ」



 また彼が、わからない言葉を口にする。

 それはさながら、この世にないものを指しているかのよう。

 だがそんなことが、あるはずもない。



 曰く「この世に存在するあらゆるものは、言葉によって造られた」とは紀言書は第一、【天地開闢碌】の冒頭に認められた有名な言葉だ。

 この世にあるものは、すべて言葉ありきのものとされ。

 山も海も、空も大地も、この世に存在するものはただ一つ例外なく、【言理の坩堝】と呼ばれる始原から飛び出してきた言葉……【魔法文字(アーツグリフ)】によって形作られたのだと言われている。

 あまねく何もかもが、言葉をもとにしてできているのだとすればそれすなわち。

 この世に存在するものはどんなものであろうとも、必ず対応する言葉があり、言葉で説明できるということになる。



 それができないということは、つまり――

 そんな想像が脳裏をよぎったその折、その予想が正しいとでも言うように、アークスが口から言葉を並べ立てる。



「悪いけど、これに関しては何をもとにしたとか説明できないんだよ」


「……それは、なぜです?」


「なぜってそれは――」



 ――それが、この世界にないものだからさ。



 彼の口からそんな言葉が呟きのように吐き出された。




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